かなり以前、テレビで布橋灌頂を放映していました。
それまで立山曼荼羅や芦峅寺(あしくらでら)は知りませんでした。芦峅寺Wikipedia
立山は女人禁制でしたので、極楽往生を願い、女性のための布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)が行われたそうです。
廃仏毀釈で神社になったあとも、憲法上の問題もあり、町としてはイベントとして真言宗豊山派・天台宗僧侶が協力して、声明(しょうみょう)の演者として行っているのだそうです。
この曼荼羅は、有名な和宮(静寛院宮)の寄進です。芦峅寺の吉祥坊に伝えられました。
本物はかなり大きな曼荼羅のようです。
この面には阿弥陀如来二十五菩薩来迎が描かれています。
内容は立山の開山縁起、地獄図、女人往生の布橋灌頂会の様子などが描かれています。
布橋灌頂会
立山参詣 布橋灌頂会 奪衣婆
元が和宮の寄進だけあって、工芸品の小さな掛け軸でも、素晴らしい作品であることが分かります。
立山縁起絵巻の漫画は、立山曼荼羅図を理解するのに役立つでしょう
あるお寺の施餓鬼会で、布橋灌頂会の導師をされた新井弘順師に、お話を伺う機会がありました。
芦峅寺(あしくらでら)が神社にされて、儀式がなくなった後、布橋灌頂会再興に尽力された方です。
地元では、宗教でなくイベントとして開催したかったようです。
新井師は地元の意向に沿って、イベントとして行うことに同意したそうです。
しかし、やるべきことは真言宗の僧侶として、恥ずかしくないように行っていたそうです。
私も「あれは結縁灌頂(けちえんかんじょう)ですよね」と伺うと、同意されていました。
資料館の学芸員は、立山曼荼羅にあるように、あくまでも昔のままで再開したかったようですが、あくまでも、真言宗としてのこだわりを通したそうです。
たとえば曼荼羅図の中の布橋灌頂会の場面を見ると、目隠しをしていません。着ている物も普段着に裸足のようです。
ユーチューブを見ていただければ、全女性が目隠しをしています。私もここが大事だと思いました。
目隠しを取り、暗いお堂の扉を開くと、眼前に立山の山並みが見えることは、感動深い経験を生むことになる訳です。結縁灌頂に使用する曼荼羅が、立山の山々なのです。