猿田彦
猿田彦は天孫降臨のおり、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内をした神として知られています。瓊瓊杵尊と一緒に来た天宇受売神(あめのうずめのかみ)と結婚しました。天宇受売神(天鈿女命 あめのうずめのみこと)ブログlink
猿田彦は庚申としても信仰されています。
飯能市の北側に日高市猿田という地名があります。猿田は「さるた」ではなく、「やえんだ」と読みます。新編武蔵野風土記によると、かつては「さるた」でした。
私が当寺の住職になったとき、新しくお墓を求めた方が、何人か猿田でした。やえんだと読むことを知ったのは、その時以来です。結構年月が経っていました。
猿田彦
鯛、猿、鶏が描かれていますが、庚申との関係があります。Wikipedia
青面金剛
元々は庚申と猿田彦は関係なかったようです。
江戸時代に神道学者の山崎闇斎(元和4年1619) – 天和2年(1682)が「庚申の主尊は猿田彦である」としたため、徐々に広がったようです。
神道による習合ですね。
仏教では青面金剛、神道では猿田彦を庚申の祭神としたそうです。
しかし、それ以前より猿田彦を祭祀とした例があるようです。
埼玉県日高市猿田(やえんだ)
猿田に猿田彦が祀られている神社があるのか調べましたが、見つかりませんでした。
どのような神さまが祀られているか分からない小さな社があるだけでした。
猿田(やえんだ)にもかつては、猿田彦が祀られていたのかもしれません。
近在の神社に合祀された可能性もあります。
新編武蔵野風土記にも記載がありません。必ずしも新編武蔵野風土記は、全ての社が記載されているわけではありません。
ある人が卒論で新編武蔵野風土記を使用したいと話したところ、担当の教官から資料としては信用が出来ないと言われたそうです。
幕府に自分たちに都合の良い縁起を提出した寺社が多かったのだと思います。
実際、郷土史家と話していると、あの神社の縁起は嘘だと話していたことがあります。
その方は旧家であり、古い資料を保存していました。また、新たに古い資料を収集しただけでなく、某国立大学の講師もしていたそうです。
猿田近くの野々宮神社、高麗神社には猿田彦が祀られています。
話は変わりますが、野々宮神社は江戸時代の石高は4石5斗です。近くの高麗山清乗院大宮寺・大宮社であった現在の高麗神社は3石でしたから、野々宮神社がより格上でした。
又、近くの鹿山にも猿田彦大神の石碑があります。鹿山地蔵尊の敷地です。地図
飯能市岩沢の猿田彦神社 地図
岩沢白鬚白山神社の飛び地境内のようです。すぐ南側は入間川です。
石に赤い切れが巻いて祀られていましたので、石仏か石碑かは分かりませんでした。
追記 天鈿女命の掛軸
天鈿女命は日本芸能の祖と言われています。