真言宗智山派 円泉寺 埼玉県飯能市|永代供養塔・墓地・ペット供養塔・阿弥陀堂・銭洗い弁天様・武蔵野七福神札所

別院真福寺の勝軍地蔵(愛宕権現) 東京都港区

都内に用があり、真言宗智山派総本山智積院の別院真福寺に行きました。

江戸時代は新義真言宗江戸四箇寺の一寺で、他に知足院・円福寺・弥勒寺があります。

江戸四箇寺は現在の智山派・豊山派・新義真言宗の大事な行政機関でした。

 

真福寺  東京都港区愛宕1‐3‐8 link           地図

愛宕薬師フォーラム 真福寺―江戸の寺院を知る link

 

ここでの目的は、勝軍地蔵像参拝と経典を求めるためです。

先ずは勝軍地蔵へお参りです。

勝軍地蔵菩薩 愛宕権現

勝軍地蔵菩薩 愛宕権現

 

 

徳川家康は本能寺の変が起こったとき、境(大阪府堺市)に少人数でいました。

岡崎城に戻るには、見つからないよう東海道を避けて甲賀・伊賀から甲賀衆・伊賀衆に守られ帰参することが出来ました。

甲賀衆・伊賀衆共に徳川家に取り入られています。

甲賀衆の多羅尾家から家康に渡った勝軍地蔵が、愛宕神社に祀られました。

 

明治となり廃仏毀釈で廃された愛宕神社別当・円福寺の勝軍地蔵が真福寺に祀られました。

しかし、関東大震災で焼けてしまったために、銅製の御尊像を祀りました。この像は昭和9年の造顕です。

 

何度も来ているのですが、建物の南側庭園にありますので、マッタク気がつきませんでした。

 

真福寺

 

 

 

説明にありますように、この後参拝する愛宕神社は円福寺(新義真言宗江戸四箇寺)が別当でした。円福寺が廃仏毀釈により廃されると、真福寺に勝軍地蔵像は祀られていましたが、関東大震災で焼失しました。

関東大震災 愛宕山より見たる芝 京橋一帯

愛宕山雪景眺望の図(山本昇雲画)  愛宕神社男坂 明治期  溝は櫻川  ※風俗画報より

 

    愛宕 真福寺-江戸の寺院を知るlink

おそらく江戸期の勝軍地蔵お姿を手に入れましたので、添付します。

愛宕権現 勝軍地蔵

愛宕権現 勝軍地蔵

 

森末義彰氏の東京文化財研究所刊行物リポジトリPDFが為になります。リンク

 

愛宕権現で行われていた強飯式と思います。

 

歌川広重の名所江戸百景から愛宕下藪小路です。赤い門が真福寺です。

愛宕下藪小路の錦絵

 

 

御本堂をお参りすると写経を行っていました。

今日は御本尊薬師如来の縁日でもあり、正午にお護摩も行われていました。

 

上がらせていただき写経の邪魔にならないよう、脇の方から小さい声でお唱え致しました。

 

経本を送っていただく手配をした後、愛宕神社にお参りしました。愛宕神社ブログ

 

愛宕下絵図

 

 明治になり多くのお寺が廃されたり、移転したことが江戸の地図を比べると分かります。

 

愛宕曼荼羅

 

勝軍地蔵曼荼羅 エンセンジブログlink

 

勝軍地蔵掛軸とお姿は、ほとんどを真福寺に奉納致しました。

 

※追記2023/12/04

かなり前に求めた「真福寺御本尊薬師如来」のテレフォンカードがありました。

今は使うこともなく、しまったままです。

テレフォンカードを必ず持って出かけていた当時を思い出します。

今はスマホの時代ですからね。

 

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