吉田松陰を祀る松陰神社です。


かなり以前、この前の通りを車で通ったのですが、寄りませんでした。

一緒に行ったAさんのお父さんは、会津若松の出身です。Aさん曰く、先祖の敵なのだそうです。
会津では天皇に恭順の姿勢を示しても受け入れてもらえず、会津戦争では多くの人が亡くなられています。
今でも郷土愛が強く、弟子達が松蔭を祀った神社には来たくなかったようです。
昭和61年、萩市が会津若松市に友好都市を申し込みましたが、拒否されました。
私も飯能市民として、気持ちが分かります。
江戸時代の現在の飯能の地域は、幕府直轄領、一橋領、田安領と旗本の領地などがありました。幕府に親近感を持つ人達がいたのだと思います。 昔の飯能link
飯能戦争では、旧幕府側に味方したい人が多かったのではないでしょうか。
渋沢栄一の養子である渋沢平九郎などの兵をかくまった農家もあったようです。

吉田松陰像
萩にあった松下村塾を模した建物

