以前さきたま古墳に行きましたが、ここもかなり多くの人が来ていました。
埼玉古墳ブログlink
埼玉県立さきたま史跡の博物館の説明を見て、妙見寺、上野国分寺跡の後に、ここに行くことにしました。
かみつけの里博物館 link
群馬県高崎市井出町1514 地図
駐車場に入れると、まずは保渡田八幡塚古墳を見学です。
この埴輪群を見たかったのです。
新幹線の工事前の発掘で発見された、三ツ寺Ⅰ遺跡に住んだ豪族の古墳群の代表的遺跡です。三ツ寺Ⅰ遺跡 link
三ツ寺Ⅰ遺跡当たりを7世紀には、古代「車」(くるま)と呼ばれていたことがわかりました。
すなわち「上毛野国車評」(かみつけのくに くるまこおり)のことで、奈良時代には車の読みに「群馬」の二字を当て、「群馬群」(くるまぐん)となりました。
明治になると群名を県名に採用したのだそうです。
馬が群れていたとばかり思っていました。富士重工があったからでもありません。
この埴輪は約6,000本あるそうです。このように再現された場所は初めて見ました。
来効がありました。
古墳頂上から石棺のある場所に行けます。
舟形石棺は発掘当時、すでに暴かれていたそうです。
次は双子山古墳です。ここも沢山の埴輪に守られていたようです。
コスモスがきれいに咲いていました。
1500年前、この古墳にも沢山の埴輪が飾られていました。
墳丘の上から手を振るのは、いつも運転手をかってくれるAさんです。
かみつけの里博物館
ここは期待していなかったのですが、皆さんも機会があったら見学してください。
素晴らしい施設です。
保渡田八幡塚古墳の石棺の模型が展示してありました。
ここから先の常設展は、充実した内容で楽しめました。
残念ながら撮影は出来ません。
豪族の時代、榛名山からの火山灰、火砕流、度重なる土石流や洪水の下から発見された畑水田跡、古墳、住居跡などの遺跡や遺物の数々。
その時代の地域の様子を彷彿することが出来る展示物です。
火山灰で蒸し焼きになった広い地域やこの施設の西側の広い地域が火砕流に飲み込まれて、その当時をタイムカプセルにしました。
雲仙普賢岳の火砕流と同じようなことが起こったわけです。
現在の榛名山からは想像が付きません。榛名山は浅間山と共に、まだ活火山なのです。
この常設展の解説書は価値があります。興味のある方は他の解説書も含め、買い求めることをお勧めします。
館内を丁寧に見たつもりでしたが、気がつかなかったこと、忘れたことなど、見直すだけでも楽しいですよ。
その他、色々な資料が販売されています。各地資料館展示のパンフレットも、たくさんいただいてきました。
貴重な旧群馬町の群馬は、高崎市と合併のため県名としては存続していますが、消えてしまいました。他県人としてもなじみの地名がなくなったのは、さみしく感じます。
気がつくと1年で関東の県名の起こり、旧茨城群、さきたま、栃木、千葉、群馬の5カ所に行ったことになります。但し茨城の石岡市茨城には行っていません。江戸城は東京ですから入りませんね。
神奈川は30年以上前です。