ではなぜ通夜を行うのでしょう
なぜ宗教、宗旨が異なっても通夜葬儀に参列するのでしょう。
通夜とは「夜を通して」と書きます。
夜を通して何をするのでしょう。
以前は親族の方々が、御遺体のそばで一夜を明かしました。
なぜでしょうか。
実は通夜とは殯(もがり)です。
1、まだ生きている。たまたま魂が身体から抜け出てしまった。
2、魂を身体に引き戻す。
3、死を確認する期間
のことです。
昔は通夜には親族や組合だけが参列しました。
また、亡くなっていないのだから、喪服を着ていくことはタブーだったのです。
昼は生きとし生きる者の世界、夜は魑魅魍魎の世界と思われてきました。
夜となり、たまたま魂が離れた身体に悪霊が入り込まないよう、昼間と同じくロウソクを灯し、悪霊除けのお線香を手向けたのです。
私も小学生の頃、買い物に出かけ帰る途中、懐中電灯の電池が切れてしまい、本当に怖い想いで家に帰ったことを覚えています。
いつも通る50メートルの道が、まったく違う世界に思えたものです。
今では想像つかない人もいるでしょう。
死んだと思われた方が息を吹き返したあと、中にはまったく別人になってしまうことがあったようです。実際何人もの人から聞いています。
心臓はほとんど働かず、呼吸も満足に出来なかったことから、脳に供給される酸素がわずかとなり、脳に支障が出てしまったのかもしれません。
それを悪霊に身体を乗っ取られたと感じたのでしょう。
以前東北出身の方が、祖父が亡くなって七日目でないと葬儀が出来ませんでしたと言っていました。
その間毎日お坊さんに拝みに来てもらったものですと話していました。
私は行けませんでしたが、30年ほど前に当寺の檀家さんが秋田の実家で亡くなった時は、当地で七日目の葬儀でした。
今は半通夜が多くなりましたが、通夜の翌日に死を確認して葬儀を行います。
本当に亡くなったのですから、喪服で葬儀に参列します。
今では通夜の方が、大勢来られるだけでなく、親族でさえ「通夜にだけ行けばいいんでしょう」と、とんでもない事を言うようになりました。
通夜に大勢行くのばかり見ていると、とんでもない勘違いに気がつかない人が出てくるようです。
実際お孫さんが、学校を休ますのはかわいそうだから、通夜だけでいいと言った親御さんが大勢います。
お葬式が一番大事なのです。供養することと社会の仕組みを知る大事な場所でもあります。
以前ある社長さんが、別のずっと大きな会社の社長さんの通夜のみ行き、葬儀に行きませんでした。
「通夜だけ行けばいいんでしょう」と言い、その会社から干されてしまった事がありました。
今は会社葬をせず、一般の葬儀を立派に行うことも多くなったようです。
会社としても、どれだけ来てもらえるか、責任があるわけです。
○○家葬儀は会社葬でもあるのです。会社通夜とは言いません。
僧侶も通夜の時より、葬儀の方が豪華な衣で儀式を行います。
死後もすぐに旅立つのでなく、7~10日過ぎてから旅立つと言われています。
初七日、十日祭がそれに当たります。
更に30日~50日かけ黃泉(よみ)の旅となり、彼の地につくと言われています。この間が忌中、喪中と言います。
親族が後押しをして、さらに良いところに行き着いて頂きたいとする法要が、三十五日忌、四十九日忌、50日祭、100日祭なのです。
ですが、亡くなると阿弥陀様がお迎えに来るのだから、通夜葬儀は入らないと言う人もいます。
私は、負担の少ない葬儀もいろいろ模索しています。
通夜葬儀に自分たちの宗旨、信仰のみを相手に押しつければ、多くの他の方々はどのように思うでしょう。
葬儀の場はどなたにも開かれた場であるべきです。
豪華な通夜葬儀はいりませんが、行うことが大事なのです。
小さいときから通夜葬儀に参加し、人の死と尊厳を知ることが、社会に出て相手を思う優しさに繋がっていきます。
「何宗では成仏できない、成仏できるのは○○宗だけだ」
とか、
「何宗は地獄に落ちる、歴史が証明している」
などと私に言った新興宗教の信者さんも数人いました。
お釈迦様は修行者からの
「あなたの教えを実践すれば、天国に行けるのか?」
と言う質問に答えませんでした。
修行者なら自分で考えなさいと云うことでしょう。
あるおばあさんの
「おゃかさま、私は天国に行けますでしょうか」
と言う問いには、
「間違いなくあなたは天国に行けますよ」
と話されました。
お釈迦様は何教だから天国に行ける行けないではなく、善き人(よきひと)であれ、暖かい心を持ちなさい、と説いているのだと思います。
今のこの世を大事にすることだと、お教えになっています。
お釈迦様は死に臨んで「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を尊重すべし」と説かれました。即ち戒律です。
信仰が一番大事でなく、善き人であれと説かれているのだと思います。
では亡くなられた方の関係者は、どのように思っていただくのがよいのでしょう。
阿弥陀三尊
私は、
「間違いなく、○○さんは成仏します。成仏しましたと思って下さい。もし皆さんの心の中に成仏するのか、あるいは地獄に行ってしまったのではと思う闇が、地獄を作ります。」
とお話ししています。
弘法大師は、
「仏法遙かに非ず、心中にして即ち近し」
と説かれました。
心の中の浄土・天国を思い、心の暗闇の地獄を作らないことが大事です。
私が学生の頃、ご本山の管長様は仏の世界を
「仏の世界は、どこにあるのか。あそこにある。そこにある。ここにもある」
と指さして私たちに話されたことがあります。
どこが浄土であり、極楽であるかでなく、そう思うことにとらわれないように真言宗の教えを通じて説明して下さったのだと思います。
ある宗派の御住職は、
「地獄はこの世の中です」
と話されていました。
信仰だけで何事も上手くいくわけではありません。この世の地獄を迎えないよう、多くの方に善き人として、接していただきたいと念じています。