真言宗智山派 総本山 智積院
智積院は、真言宗智山派3000ヶ寺の総本山です。
私がいた頃から、約40年も過ぎてしまいました。まったくひどい僧侶だったと思います。
その頃は、今のように参道に緑が無く、この参道の右手には、二階建ての古い宗務庁がありました。今の宗務庁は、かつて本山の南に接していた京都市立芸術大学です。いまだに使用できるのですから、昔の建築技術はすごいと思います。
江戸時代は僧侶の学ぶ、仏教総合大学のようなお寺でもありました。数千人の学侶が暮らしており、20年間山(寺)を出ることが出来なかった時代もありました。
幕末の頃、智積院は土佐藩の武器庫として使われており、爆発により多くの建物、宝物が焼けてしまいました。その前や後にも火災があり、金堂や講堂が再建されました。
かつての金堂は徳川綱吉の母・桂昌院により建立されていました。
智積院、真言宗智山派の紋は、桔梗です。加藤清正公由来です。
さて、本山にいた頃、参拝者と話しをしていたとき、智積院の末寺に、成田山、川崎大師、高尾山がありますと話したところ、他の方々もこちらに振り返り、「えっ、本当」と驚いていたのを思い出します。全国的には、この三大本山の方が、はるか有名ですからね。
その当時、「ちしゃくいん」とは読めず、「ちせきいん」と言う人が多かった時代です。今でもそうもしれません。地元の人でさえ「ちせきいん」と言っていました。地元でも江戸時代は僧侶の仏教大学のような寺で、一般の人は入れず、なじみがなかったわけです。
私が京都駅からタクシーに乗る時「ちしゃくいん」と言っても分からず、「ひがしやまななじょうのちしゃくいん」と言うと、「ちせきいんやね」と言われました。寺の名前も知らない、お上りの田舎者と思われたのかもしれません。
智積院の朝のお勤め
智積院の国宝・障壁画、名勝・庭園も素晴らしいのですが、一番は朝のお勤め(勤行)でしょう。昔いた時は、そう思いませんでしたが、こんなに素晴らしかったのかと、感動しました。
智積院には、宿泊出来ます。朝のお勤めは、自由に参加できます。
真言宗智山派総本山智積院 京都府京都市東山区東瓦町964番地 地図link