平将門を調べる過程で、埼玉県鴻巣市に渡辺綱(わたなべのつな)の生地や関連の寺社に出会いました。渡辺綱は頼光四天王の一人としてよく知られています。足柄山の金太郎(坂田金時)の仲間です。
渡辺姓は日本全国に多い姓ですが、綱はその姓の一番多い大元になります。 渡辺綱Wikipedia
東京都港区三田にも同じような伝承があることを知り、健康のために山手線田町駅から歩いて綱坂、當光寺、元神明宮に行ってきました。
鴻巣市関連は、後日に致します。
まずは山手線田町駅北口下車、慶應義塾大学に向かいます。
大学北東側の龍生院に「渡邉之綱産湯の井戸」があります。
大学を通り越し、西端を右折します。
慶応中学と大学の間を北に向かいます。右奥が綱坂です。
さらに北に向かうと左に綱町三井倶楽部があります。

綱坂の西側が綱町三井倶楽部

三井倶楽部を西に向かいます。昔はこのあたりが三田綱町の地名でした。
左手にオーストリア大使館。右手にお寺が二件あります。西側が當光寺です。
オーストリア大使館
庭園内にはの綱の産湯の井が残されている。
當光寺の山号は綱生山なのです。綱が生まれた山(寺)という意味になるのでしょう。
扁額は綱生山でした。
このあたりで渡辺綱は晩年を過ごしたとの説もあるようです。
オーストラリア大使館には綱の産湯井戸があるそうです。

當光寺本堂

少し戻って、龍原寺先の十字路を左折(北に向かう)と元神明宮天祖神社があります。

あとで気がついたのですが、
長運寺(港区三田4-1-9)には渡辺綱大明神像と渡辺綱の額があります。
御田八幡神社(港区三田3-7-16)は渡辺綱の氏神として崇敬された。 HPリンク
普連土学園(港区三田4-14-16)は功運寺の跡地に建ちますが、寺の境内には「綱塚」があったようです。
今昔物語には平良文と綱の父・宛(あつる)との逸話があります。二人は荒川の河原で一騎打ちを行った後に親しくなったことが書かれています。共に現在の埼玉県熊谷市と鴻巣市に住んでいなくては、あり得ない話しでしょう。まさか東京の三田から埼玉北部の荒川の河原まで宛や郎党が何度も行ったとは考えられません。 地理的要因を見ても鴻巣市ではないでしょうか。埼玉県民の私としては、やはり鴻巣市箕田が生地であって欲しいですね。
しかし、渡辺さんでも渡辺綱を知らない人が多いのは驚きました。当然ほかの姓の方は、さらに知らないでしょう。
東京都港区立図書館のサイトが役に立ちます。 リンク
源宛Wikipedia 千葉の一族から平良文 平良文 Wikipedia 渡辺綱の生地 埼玉県鴻巣市 ブログ