以前この地を訪れて、たまたま氷川八幡神社神社に参拝致しました。そのおり渡辺綱(わたなべのつな)(源綱・953-1025)がこの近くで生まれたことを知りました。豪傑として知られ、頼光四天王の筆頭として知られています。
謡曲、歌舞伎、浮世絵で広く知られました。
東京都港区三田の説もありますが、調べてみると平良文(たいらのよしぶみ)と 綱の父・源宛(みなもとのあつる・933-953)との関係からも、ここに間違いないと思います。
京都か大阪で生まれたと思っている人も多いようです。私もかつてはそう思っていました。
源宛は源経基(みなもとのつねもと 未詳-961)に仕えていましが、わずか21歳でなくなりました。幼少だった綱は、摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に移り住み、叔母に養われました。ここの姓を名乗り渡辺姓の祖となりました。源頼光の四天王として知られています。ただし、坂田金時(足柄山の金多郎)が一番知られているかもしれません。
日本全国で6番目の姓ですが、綱系の子孫の渡辺姓が一番多くいます。 渡辺氏Wikipedia
渡辺の紋は、渡辺星(三つ星に一文字)がよく知られています。上の星はオリオン座の三星で中国における将軍星、一は武運長久や無敵を意味するそうです。
源宛Wikipedia 源経基Wikipedia 平良文Wikipedia
氷川八幡神社、宝持寺の北側当たりから、満願寺と氷川神社にある箕田2号墳南側付近が発掘調査から箕田源氏の館跡と推定されているそうですす。伝箕田氏館(久右衛門遺跡・鴻巣市箕田)。
満願寺 鴻巣市箕田1345 地図
源経基、あるいは源頼義が創建したと伝えられています。源宛の館がこの南にあったと言われています。 源頼義Wikipedia

ここの南側が箕田源氏の館跡と考えられています。

お寺の東にある大御堂は、源経基が阿弥陀三尊を安置する場所を決めるために放った矢が落ちたところと伝えられています。
ここの北側近くに「武蔵水路」があります。以前は漏水や地版沈下の心配があったようですが、味気ないようでも安心が一番です。
氷川神社 鴻巣市箕田1260 地図 お隣の家が表示されます。
箕田2号墳の上に小さな社があり、別名・三氏塚とも言います。源任と妻子の墓とする古記述があるそうですが、時代が合わないようです。
満願寺の東脇を南に行くと、すぐの場所にあります。かつては多くの古墳群があったようです。 遺跡マップ


氷川八幡神社 鴻巣市箕田2041 地図
源宛(綱の父)が勧請した八幡宮と源経基(頼朝、義経などの先祖)が勧請した氷川社を合祀した神社です。

ここの北側が綱の生まれた屋敷跡らしい。

鳥居脇の通りに面した場所には、箕田源氏と氷川神社に関する分かりやすい解説版があります。
宝持寺 鴻巣市箕田2034 地図
渡辺綱が祖父・源仕(みなもとのつこう)と父・源宛の菩提を弔う為に創建したと伝えられています。

寺宝に渡辺綱が鬼を退治した刀があります。

箕田観音 鴻巣市箕田3755 地図 箕田自治会館が同じ敷地にあります。
渡辺綱の守り本尊を祀っていたと伝えらてれます。

箕田観音前バス停が目印です。

お寺の紋は渡辺の紋でした。
伝源経基屋敷跡 鴻巣市大間(埼玉県立上尾高校のすぐ南側) 伝源経基館跡Wikipediaリンク
源経基は、足利氏、新田氏、武田氏、源頼朝・義経など名門清和源氏の先祖です。ただし、武将としては尊敬できる人物ではありません。権威を笠に着た卑小な役人のイメージがあります。
綱が仕えた源頼光の祖父に当たります。綱は頼光四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)と言われました。。
ここでの縁があり、頼光に仕えることになったのでしょう。

周りは土塁に囲まれています。

北側が鴻巣高校。

六尊王経基城址の石碑

地主が市に寄贈したのだそうです。なかなか出来ることではありません。
源経基と武蔵武芝の争いに平将門が間に入り、天慶の乱(天慶2年939)の遠因となっています。 綱の父・源宛はまだ幼少でしたので、この戦には参戦していません。祖父の源仕(みなもとのつこう)は可能性があります。
天慶の乱以降に源仕・宛が経基に従い他の国にも行ったのかも不明です。
この乱が無ければ、源氏も平家(平清盛など)も後世歴史の表に出なかったかもしれません。室町幕府、鎌倉幕府は無かったでしょう。
※鴻巣市は武蔵(无邪志)国造の笠原直使主、清和源氏の祖先・源経基、全国の渡辺姓の大本・渡辺綱など超大物がいた土地です。地元の幾人かと話をしたのですが、このことを全然知らない人ばかりでした。私もほとんど知らないことばかりでした。
さらに鴻巣市に国府が置かれ、日本一の古墳群である生出塚古墳群(おいねづかこふんぐん)、東日本最大級の埴輪生産遺跡・生出塚埴輪窯跡(おいねづかはにわかまあと)があります。
人形の町鴻巣として、少しは知られていますが、もっと地元や他の地区の方々に知ってもらいたいですね。