麻賀多神社神社の次に近くの宗吾霊堂をお参りしました。 宗吾霊堂
宗吾を祀る本堂
義民・佐倉惣五郎を祀る寺院として有名です。
本名は木内惣五郎といい、下総国印旛郡君津村(現・成田市台方)の庄屋をしていました。
年々年貢の取り立てが厳しくなり、藩や幕府の老中にも直訴をしても聞き届けられず、承応元年(1652年)に四代将軍・徳川家綱に直訴をし、過酷な年貢は無くなりました。
しかし、惣五郎夫妻は磔となり、子供も死罪となったそうです。
宗吾父子の墓
参道
義民宗吾として特に有名になったのは、歌舞伎や浄瑠璃で取り上げられたためのようです。
東勝寺には宗吾御一代記館があり、芝居の場面を人形により展示しています。
宗吾御一代記館
案内板
市川小団次が向上で、「神田明神の祭礼の際に当たり狂言を祈願したところ、夢に白髪の老人が現れ、自分は平将門の霊である。自分の子孫に佐倉惣五郎というものがいて、万民のため命を落とし神と祀られている。」と述べたと伝えられています。
平将門を調べている私としては、ここは一度は行ってみたい所でした。
佐倉惣五郎のお姿
境内にある碑の拓本(円泉寺蔵) ブログlink
話は変わりますが、参道のお店に相馬焼の茶碗などを売っていました。窯元も震災のため被害にあったそうです。
一緒に行ったAさんは相馬の出身で、今でも実家は原発の近くのため、近付くことも出来ません。お土産に相馬焼の茶碗を買っていました。
相馬氏も平将門の子孫と言われています。相馬焼には繋ぎ駒の文様がはいっているのが特色です。
近くで昼食後、反将門の代表でもある成田山新勝寺に向かいました。