曹洞宗龍穏寺 太田道灌の墓 埼玉県越生町

室町時代から有力な寺院として知られ、江戸時代も関東の関三刹の一寺として曹洞宗寺院の宗政をになっっていました。十万石の格式があったそうです。

数年前に曹洞宗僧侶から聞いたところによると、今でも色々な催しにおいて宗内で座る席が上位であると話していました。

 

 

太田道灌の父・道真は、龍穏寺の境内に砦を築いていました。

道真の墓と道灌の分骨を納めた墓が、境内にあります。

 

 

お参りに訪れると御住職が近在の小学生に話をしていました。

 

 

御本堂のお参りは後にして、太田道真・道灌の墓に向かいました。

 

 

道灌の墓は龍穏寺だけでなく、他に三ヶ所あります。

 

 

「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」

若き日に雨が降り出し、道灌が蓑を借りようとすると、若い女性が黙って山吹の花を手渡したと言われる場所が各地にあります。意味が分からなかった道灌が、これ以後和歌など学問に励んだとされています。その逸話の場所は各地にありますが、越生町にも山吹の里が整備されています。

 

お墓参りを済ませて御本堂で参拝していると、御住職に声を掛けられました。

話をしていると教師をしているとき、学校は共に異なるようですが、私の父と何度もあったことがあると話していました。

これ程の寺でありながら、教師をしなくては寺を維持できなかったことに驚きました。

整備工事の募金をしていましたので、わずかでしたが御寄付をさせていただきました。

 

龍穏寺 埼玉県入間郡越生町大字龍ケ谷452

 

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