成田氏は現在の熊谷市上之に平安中期より移住し、鎌倉時代には御家人として活躍しています。領主となるなど力を蓄えてきました。
室町時代の文明11年(1479)には忍城が存在していたようです。
豊臣秀吉による小田原の北条氏討伐により、忍城は最後には開城せざるを得ませんでした。
江戸初期まで関東の名族として知られていたのです。
映画「のぼうの城」は成田長親を主人公にしています。成田長親ウィキペディアlink
歴史的には異なる部分もあるのですが、とても面白い映画でした。。
北条氏の配下であった成田氏は城主・成田泰季が小田原に赴きましたが、一族の長親は進軍してきた石田三成に忍城に籠城しました。
石田三成は忍城を水攻めにするため、約11㎞もの堤を完成させています。
しかし、小田原が落城すると最後まで抵抗していた長親も開城せざるを得ませんでした。
秀吉の軍は備中高松城、紀伊太田城でも以前に水攻めを行っています。
忍東照宮の案内板より
江戸期には家康の四男の松平忠吉が忍藩10万石の藩主となり、後に寛永16年(1639年)に老中阿部忠秋が入り拡張整備が行われています。
明治になる徳川の重鎮であったために全てを取り壊すよう命令されています。
費用を捻出できず、入札による払い下げとせざるを得ませんでした。
かつては行田などの各地に忍城の建物が残されていましたが、現存するのは加須市の不動岡総願寺の六ツ門のみとなっています。
行田市郷土博物館と忍城御三階櫓に向かいます。
城跡にあるのは、新しい施設ばかりです。
行田市郷土博物館
残念ながら忍城に関する展示は、撮影が禁止されていました。
帰りに「常設展示解説図録」を求めて思い出しています。
行田市の足袋の製造工程や昭和初期から戦後の一時期までの物が展示されていました。
特に子供の時を思い出す玩具は、懐かしく思い出されます。
私はベーゴマや野球は苦手でした。
忍城御三階櫓
各階から外を眺めることが出来ます。三階からの外の景色です。
三橋美智也さんの『古城』が浮かびました。
どこの城とは言われていませんが、名曲だと思います。
忍城の鐘
東門水郷
堀には沢山の鯉が泳いでいます。
忍城御三階櫓の南側や橋を渡り羽生市産業文化会館に向かう途中には、数多くの鉢植えの花がありました。
何人もの人がスマホで撮影をしています。私も何枚も撮影して楽しんでいました。
面白い催しです。
「行田市 花」と検索すると、「行田市花手水(はなちょうず)」の検索候補が出てきます。行田花手水weekカレンダー リンク
カレンダーに行う日がありましたが、忍城と行田八幡宮は、通常の期間も行っているようです。
忍城跡 埼玉県行田市本丸17 地図link