この正仙寺の東側には、真言宗智山派総本山智積院中興第一世・玄宥僧正(1529~1605)の父である膝附宗長により、吹上城が築かれました。
玄宥僧正は18歳頃で根来山にて修学しています。
天正5年(1577年)には根来山の塔頭である智積院に住し、さらに根来山の能化職(住職)となっています。
しかし、根来山は真言宗の教育機関でしたが、強力な軍事力を持っていたために豊臣秀吉により壊滅的な被害を受けてしまいました。
各地を転々としていましたが、徳川家康の時代となり、慶長6年(1601年)に京都東山七条の豊国神社境内の坊舎が、智積院として再興されました。
智積院は現在真言宗智山派総本山となり、3000の寺を末寺にしています。
吹上中学校裏手高台にある山林
吹上城跡は正仙寺の東側にある吹上中学校一体にありました。
栃木市吹上 正仙寺御本堂
上の墓石が近くの住吉神社西側より移築された玄宥僧正両親(膝附氏)の墓です。
それ以外にも吹上代官・山口家や藩士、戊辰の役戦没者、明治初期の自由民権運動勇士の墓などが集められていました。
吹上代官・山口家や藩士の墓の右手が膝附氏墓石
真言宗豊山派 正仙寺 栃木県栃木市吹上町1376 地図link
玄宥僧正修行の寺 栃木市 持明院ブログlink 根来寺ブログlink