2016年04月19日

埼玉県幸手市の将門の首塚と平将門関連寺社など

幸手市近辺には平将門公関連、あるいは反将門公関連の寺社があります。

併せて近在の気になる寺院も行って来ました。

 

将門の首塚-浄土真宗東本願寺派系単立 通光山浄誓寺  幸手市神明内1469

 

ここは相馬小次郎さんの「将門ブログ」で始めてし知りました。将門公の記事がふんだんに掲載されています。

リンク

大変な労力ですね。 しばらくぶりに覗いてみると、さらに充実していました。

 

ここと次の宝聖寺は二度目の訪問です。

ここの首塚については、藤原秀郷と平貞盛の連合軍に敗れ、下総国猿島郡で討たれた将門公の首を愛馬が口で咥えてここに運び、配下の武将が納めたという説と、この地で討ち死にしたため、ここに首を納めたとの、二つの説があるようです。

江戸初期までは幸手は下総国葛飾郡に所属していました。将門公関連の地域に接していたわけです。

浄誓寺の案内板には、この地で討ち死にしたとあります。

ちなみに

  1. 東京都大手町の首塚は、京都から飛んできて落ちたことになっています。
  2. 岐阜県大垣市の御首(みくび)神社は美濃国南宮大社の隼人が、飛ぶ首を矢で射落とした所だそうです。
  3. 静岡県掛川市十九首の十九首塚(じゅうくしょづか)は、将門と家臣合の19人の首塚と伝えられています。

 

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首塚の五輪塔

 

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将門の首塚

 

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浄誓寺山門

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首塚は本堂の裏にあります。

 

真言宗豊山派 大鱗山宝聖寺   幸手市平須賀2-457

 

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この宝聖寺はかなり格式が高く、江戸時代は十三石を賜っていたそうです。

 

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山門前右手にある六地蔵さん。

安永7年

 

将門降伏に用いたという松虫鈴(銅鈴)と藤原秀郷が将門討伐を祈願して奉納した不動明王の干支軍配団扇が寺宝になっています。

 

八幡神社と木立の地

 

八幡神社(幸手市木立)は将門公と戦った藤原秀郷が対陣した場所。木立の地名は将門公の子孫の公達(きんだち)が住み着いたで、昔は公達村と云われたとのこと。

 

浄土宗  聖福寺  幸手市北1-9-27

 

ここからは将門公とは関係なくなります。

ここは幸手宿にあり、日光東照宮へ行く徳川家光や天皇の代理で参拝した例幣使(れいへいし)の休憩所となっていました。大変格式のあるお寺です。

 

2016419231311.jpg勅使門(市指定有形文化財)

 

ここの境内は幼稚園になっており、中には入れませんでした。元気なお子様の声が響いています。

 

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参道入り口には、芭蕉と曽良の句碑があります。

 

幸手を行ば栗橋の関  芭蕉

松風をはさみ揃ゆる寺の門  曽良

 

真言宗豊山派 龍燈山永福寺  北葛飾郡杉戸町下高野 396

 

幸手のお隣にある施餓鬼寺として知られるお寺です。関東三大施餓鬼「どしょう施餓鬼」の一つだそうです。毎年8月22日・23日の2日間行われます。

儀式に出仕する僧侶の数も多く、多くの檀信徒の参列する大きな法要がいとなわれます。

永福寺 リンク

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閻魔堂の閻魔様と脱衣婆

 

永福寺は杉戸七福神の寿老人の札所でした。

色紙を求めると本堂前においてある御朱印のスタンプは各自押すようになっているようです。

 

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寿老人像

 

全くの番外ニュース

 

幸手市の宝聖寺近くの旧幸手高校の近くを通ると、送電線で8人の人が作業をしているのがみえました。

 

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これでは分からないでしょう。

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拡大してみると作業員です。

 すごいですね。何を行っているかは分かりませんが、初めて見る光景です。

圏央道の幸手IC入口からも見えました。

 

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圏央道の幸手IC入口

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ちなみに幸手高校は幸手商業高等学校と再編統合し、旧幸手商業高等学校の所在地で埼玉県立幸手桜高等学校として開校しまた。

幸手市で日本保健医療大学を運営する学校法人共済学園が跡地を購入したようです。

懐かしい学校がなくなるのはさみしいですね。少子化のため日本全国で、このようなことが起きています。

 

かつて一自治体に高校が一校は欲しいとの思いがあったことをよく耳にしたことがあります。人口の少ない、ここより通学に不便な地域に、ずいぶんできたなあと思ったことがありました。

 

全くの番外ニュース②

 

今回各お寺に参拝して気がついたのは、中には入れなかった聖福寺を別として、他の三ヶ寺が永代供養の納骨施設があることでした。

5年前にはほとんどのお寺に無かったと思います。浄誓寺、宝聖寺に来たのは二度目ですが、かつてはありませんでした。

 

当円泉寺は檀家さんが三件絶えたことと、新たに絶える家が何軒もあり無理して建てた訳です。

他の寺の御住職に聞いても似たようなことを言い、いずれ建設しようと思っているようです。

 

さて、三ヶ寺の施設をご紹介します。

 

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浄誓寺

 

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永福寺

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宝聖寺

 どうでも良いことだったかもしれませんが、時代の移り変わりを感じる建設物です。

少子化はいくつもの学校が無くなり、永代供養の施設が増える原因の一つです。

 

三ヶ寺とも参道や本堂脇にあり、お参りしやすくなっています。お墓の中にある施設もありますが、誰にでも手を合わせていただける場所がいいですね。

 

関宿城博物館 関宿城跡-千葉県野田市 & 移築遺構

千葉県立関宿城博物館

お墓参りのついでに関宿城博物館と幸手市の平将門関連のお寺などを見学してきました。今回も運転はAさんです。

圏央道が「境古河」まで開通しましたので、気軽に行けるようになりました。飯能市から菖蒲PAに寄っても一時間かかりませんでした。以前来たときは二時間以上かかっていました。

ちなみに行きも帰りも自衛隊の車両がいっぱい走っていました。PAでは若い隊員がたくさんいました。これからの大変な任務に頭が下がります。

 

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千葉県立関宿城博物館

 

実際のお城の姿ではありません。城跡もここの南方の少し離れた広い田んぼの部分だったようです。

 

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博物館入り口

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かなり広い敷地です。

 内部は写真がだめでしたので詳しく説明できませんが、関宿城の歴史、関宿の水運、繁栄する様子、たびたび決壊する江戸川の被害と対策などが分かりやすく展示されています。

江戸まで利根川や江戸川をたくさんの舟がお米、醤油、みりん、紬など積んで行き交い、水運の要として、関宿が重要な役割を果たしていました。

 

以前ブログに書きましたが、河川決壊のたびにコレラなどが蔓延し、医療による対策以外にもいろいろな神仏に頼りました。

その中で知られていない摩多利神(またりじん)が野田市に何カ所か祀られています。  摩多利神ブログ リンク

 

敷地の南側には川を浚渫(しゅんせつ)した器機が展示されています。

 

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駐車場南側

 

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水路浚渫機

水路だけでなく陸上も走れます。

201641918513.jpg浚渫船「山王丸」

江戸川流頭部中之島公園

行きませんでしたが、対岸の茨城県五霞町にあり、博物館から橋で渡り約2分で行けます。

 

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案内板  江戸川流頭部中之島公園リンク

 

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橋を渡って2分

2016419182725.JPG奥の方です。

洪水を避けるため設置された「関宿水閘門」や日本一大きな「コブシの木」などがあり、散策に便利なように整備されているそうです。博物館の四階(天守)から遠望できます。

 

関宿城跡

 

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下の図を見ると一部が土手や河川敷に含まれているのが分かります。

 

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三の丸の角には牛さんがいました。

 

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関宿城跡の公園

 

2016419191721.jpgほとんどが田圃です。
201641919191.jpg公園からはかなり離れて博物館がみえます。

 

大政奉還後、お城は取り壊され、堤防工事と洪水とのためもあるのでしょう、遺構もほとんど残されていませんでした。次にあげる移築された建物だけのようです。

 

移築された建築物

本丸御殿

実相寺客殿  野田市関宿台町2140

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明治4年(1871年)に本丸新御殿の一部を移築されました。

歴代家老職や久世家家臣の墓、終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎の墓があります。実相寺は久世家歴代の藩主の菩提寺でしたたが、お墓は現在は本妙寺(東京都豊島区巣鴨5丁目35−6)に移されています。

牡丹や藤が、あと少しで見盛りです。

埋門

民家 野田市東 高野94

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明治8年(1875年)に競争入札により小林家に移築されました。

誰でも外から見学が出来ます。

見学者用駐車場が門の西側にありますが、カーナビでは東側に示されることもありますので、西側に行くようにして下さい。

 城門(薬医門)

逆井城公園  茨城県猿島郡猿島町逆井1262   リンク

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明治8年競争入札で猿島町の鶴見家に移築され、後にここに移築されました。

復元された戦国時代の砦、移築された主殿や観音堂も見所です。広い敷地には土塁・空堀が残されており、良く整備されています。桜やツツジがたくさん植えられています。

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逆井城公園

大手門

とんかつ合掌   栃木県下野市下石橋134-1

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幕府の命により戦争資金徴達の為に武蔵鷲宮の資産家に売却し、解体して船で運ばれ移築されまし。

昭和53年に移築再建されました。

お店の隣にあり、良く整備されています。前はお店の駐車場にもなっています。

丁度昼時でしたが満席で順番待ちでした。

201642219252.jpgとんかつ合掌

 


幸手市は次回に致します。

 

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