円泉寺便り

智福寺の弘安・応長の板碑 八坂神社 埼玉県毛呂山町

智福寺

智福寺は無住の寺院です。

お寺の駐車場に電話ボックスがありました。いつもスマホがありますので、意識したのは久しぶりです。

 

御本堂前に大きな板碑が並んでいます。

大きな二面の板碑は、幕末に廃寺となった常楽寺に建てられていました。

 

阿弥陀如来の梵字キリークと不動明王カンマンが彫られています。毛呂山町で一番古い板碑です。

弘安三年(1280)の板碑

 

応長元年の板碑は上部が掛けていますが、 おそらく胎蔵界大日如来の梵字「アーンク」が彫られていたのでしょう。アーンク梵字リンク

年号の左右には光明真言 右「オン、ア、ボ、ギャ、ベイ、ロ」「シャ、ナ、マ、カー、ボ、ダラ」   左「マ、ニ、ハン、ドマ、ジンバ、ラ」「ハラ、バ、リタ、ヤ、ウーン」が彫られています。

応長元年(1311)の板碑

 

阿弥陀如来梵字「キリーク」の板碑  梵字の上は阿弥陀、観音、勢至の三尊仏かもしれません。

嘉元3年(1305)の板碑

 

小さな板碑も3体ありました。

 

六地蔵様と石仏

 

この石像は尼僧のように見えますが不明です。近くで文字を撮影しておけば良かったと思います。

 

真言宗智山派・智福寺 埼玉県入間郡毛呂山町西大久保148 地図

 

八坂神社

八坂神社は智福寺の牛頭天王社でした。

廃仏毀釈のおり、智福寺を離れ八坂神社となりました。

 

興味をひいたのは、御まら様の社です。

昭和50年頃、越辺川にかかる万年橋上流の河岸より、砂利採取中に発見された男根の石像御神体です。

この石棒は縄文時代中期に近畿地方以東を中心に広がったそうです。 石棒Wikipediaリンク

 

比較的大きな石棒が8体祀られています。縄文時代とは知りませんでした。

 

初めて石棒の実物を見たのは、茨城県の神社でした。やはり大事に小さな社に祀られていたと思います。

石棒ではありませんが、川崎市の金山神社では「かなまら祭」が行われています。金山神社 かなまら祭 Wikipediaリンク

 

道路の向かい側は、毛呂山町農業センターです。当日は祭の準備なのか、太鼓を自動車に積んでいました。

 

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真言宗智山派・延命寺 と 星宮神社 毛呂山町

延命寺

先代のご住職は日高市の霊巖寺に移られていますが、副住職が延命寺住職となりました。

なかなか立派な御住職です。奥様と共にお寺を維持しています。

境内には仏像や動物たちの石像がありました。以前来たときにはありませんでしたので、今の御住職のアイデアでしょう

入口左側には六地蔵様が祀られていました。

 

11月4日 柴燈大護摩供が境内で行われるようです。友人から地域の若手僧侶達は他宗旨の僧侶も含めて、熱心に柴燈大護摩供を行っていると聞きました。

御本尊様は鎌倉期のお不動様です。庭でもお不動様が迎えてくれました。

本堂前の犬は石像です。動きません。

 

西側は池になっていました。見事な鯉が泳いでいます。

 

以前はなかった永代供養塔です。五輪塔のかなり凝った意匠です。

これからの時代は、どこの寺でも必要ですね。

 

星宮神社の西側に御堂と墓地が見えました。お塔婆の文字からすると、延命寺の墓地のようです。

 

夏まつりのアトラクションに城西大学経営学部石井研究室ローカルヒーロー高麗戦士トライのユーチューブがありました。

画像をクリックして再生

 

真言宗智山派 延命寺  埼玉県入間郡毛呂山町大字下川原245 地図

 

星宮神社

延命寺の西側にあるのが星宮神社です。江戸時代は延命寺が別当を務める妙見社でした。

今でも「みょうけんさま」と言われているようです。

長い参道には、杉や檜が並んでいます。

以前、延命寺先代御住職が、あまりにも落ち葉が多いので、掃除をしていると話していました。

毎月1日が氏子による掃除が行われているようですが、さらにして欲しいと言っても無理なようです。すぐ隣の寺の境内や道路にも落ち葉がたくさん落ちるようです。

 

 

延命寺、星宮神社の前は、三大学の学生が川角駅から次々と登校していました。

円泉寺の檀家さんも、ここに通っていた人がいました。

 

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ばら園 滝ノ入 ローズガーデン 埼玉県毛呂山町

毛呂山町は神社仏閣を中心に回りました。

10月19日から31日までが、秋のバラまつりです。バラも終わりかけている花も多く、先にここを掲載致します。台風の被害が多かったのかも知れません。

 

 

ホームページにバラ園はカーナビでは表示できないので、ゆずの里オートパークなどを目標に設定してくださいとありました。

 

どうやら住吉神社の境内のようです。

 

曇りで雨になりそうす。良い色合いでは撮影できませんでした。

カメラも調子が悪く、暗い場所ではぶれています。

 

赤いケイトウが所々で咲いていました。

 

早咲きのバラなのでしょう、実がなっている種類が何カ所かありました。

 

咲き終わった花を何人もの人が、切り取っています。

わずかですが、協力金を入れました。

 

雨のあとですから川沿いの流れに、勢いがあるようです。台風の頃はかなり水かさが多かったと思います。

 

滝ノ入ローズガーデンリンク

埼玉県入間郡毛呂山町大字滝ノ入910 地図

 

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国立東京博物館 東洋館の中国の仏様

特別企画「文化財よ、永遠に」が行われていましたが、先に東洋館に向かいました。先ずは隣のレストランで食事です。

東洋館で中国の仏像、書画、工芸などや朝鮮、クメール、インドなどのアジアの貴重な芸術が展示されています。

今回は中国の仏様のみとしました。東洋館 中国の仏像link

 

 

 

随時代  崇光寺廃寺の仏様を中心に

観音菩薩立像

 

如来三尊像

 

十一面観音菩薩像

菩薩頭部

 

 

他の催しを観る予定でしたが、疲れ切って帰ることにしました。

 

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正倉院展 東京国立博物館

昨日は正倉院展に行ってきました。毎年、奈良博ではありますが、行くだけの体力がありません。平成23年に一度行っただけです。

15分待ちでした。土日は混み合うでしょう。

 

特別展link

 

奈良国立博物館での正倉院展の看板 平成17年

 

まず見たかったのが蘭奢待(らんじゃたい)です。写真に撮れませんでしたので、最後にあるパンフレットを参照してください。

文字の蘭奢待に、「東」「大」「寺」が入っています。まったく知りませんでした。2メートルもある大きな沈香でした。

 

正倉院の模型です。奈良博での正倉院展の時、東大寺の周りを1周したときに見ているのですが、写真を撮らなかったようです。

実際は古い木像の建物です。建てたときは白く塗られていたのでしょうか。正倉院Wikipediaリンク

 

 

撮影できるのは最後だけです。全て模造品ですが、一流の方々により作られています。ビデオが流れていましたが、古代の技術を再現する苦労は、並大抵のことではありません。裏面に使用されている

 

螺鈿紫檀五弦琵琶(らでんしたんごげんびわ)

前期の目玉です。古代インドに紀元のある琵琶で、五弦はこれのみだそうです。実物の所では、琵琶の音が流れていました。

日本的旋律の音楽でしたが、あくまでも残っている音符は再現された物です。実際に奏でられていた音曲とは異なるのかも知れません。

以前テレビで見た現代西域の琵琶は、バンジョーのように弾いていました。

 

 

花の文様を再現しているビデオでは、螺鈿裏面に繊細な絵を描き、表向きにすると裏面が透き通って見えました。

この時「ウオー」と言う小さな声が、何人もの人からもれていました。私もその一人です。

 

螺鈿紫檀阮咸(らでんしたんげんい)

四弦はペルシャが紀元だそうです。

 

正倉院の鍵は、最初に展示されていました。

 

今回売店で求めた品々です。

お土産のクリアーファイル 1面

2面

同じく土産の香合と碁石のマーブルチョコレートです。

実物とは異なりますが、碁石がチョコになっているとは思いませんでした。同じ大きさだと思います。

 

 

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キンモクセイの香り

境内に4本あるキンモクセイが、昨日から強く香り出しました。

幾日も前から香っていたのですが、昨日は特に感じました。

 

 

今日はあいにくの雨でしたが、一昨日より強い香りです。

 

香りを知らない人が多いのか、参道でキンモクセイをながめている人は、いませんでした。

 

←大熊町広報に当寺からの義援金記事         東京国立博物館 正倉院展→

大熊町広報に御寄付が掲載されています

先月9月6日に福島県大熊町に円泉寺からの義援金を届けた荒岡さんの記事が、大熊町10月1日号広報に掲載されました。

お渡ししているのは町長さんです。

 

どうしたわけか、パソコンでは読み込めませんでしたので、スマホ画面から写真を撮り掲載しました。

前回の大熊町義援金ブログ記事 link

 

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梵字 ア字の額 満願寺

近在のお寺さんに、まったく同じ額が玄関に飾られていました。

前ご住職に由来を聞いておけば良かったのですが、遷化されて何年も経っています。

 

 

前ご住職は当派の教区長をされていました。京都の総本山智積院には、何度も会議などで出かけています。

全国の御寺院住職だけでなく、管長様にご挨拶することも多かったでしょう。

 

たまたま同じ額を手に入れることができました。

額の入った箱の表書きには、「萬燈萬華達成噠噺 満願寺」とあります。噠噺(たっしん)は御布施などの意味があるようです。

萬燈萬華会は高野山東京別院が知られています。

 

 

想像でしかありませんが、満願寺は出流山満願寺ではないでしょうか。出流山前ご住職は昭和46年に智積院化主となられています。

あるいは世田谷区等々力の満願寺かも知れません。こちらの御住職も管長になられました。

他にも智山派には何カ寺か満願寺があります。他派、他宗旨かも知れません。

 

この額を納めたのは都内日本橋の漆器店です。宮内庁御用達とありました。

 

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高畑勲展

東京近代美術館において、先頃亡くなった高畑勲さんの展覧会がありました。

10月6日までです。

あと数日で終わりますので、かなり混み合っていました。

 

会場に入り年譜などを読んでいると、一番驚いたのが「ドラえもん」「ルパン三世」の企画書を書いたのが高畑監督だったことです。ルパン三世は最初他の人の企画では、今のようなヒット作ではなかったようです。次に参画した監督意見による企画のルパン三世のひょうきんさが、大ヒットした要因だったそうです。

「安寿と厨子王」は記憶にほとんどありません。「オオカミ少年ケン」は、今でも歌の一部を思い出します。

 

「アルプスの少女ハイジ」は高畑監督・宮崎監督が現地に赴き、その成果が生かされて日本だけでなく、世界で愛されたことを多くの人が知っています。

受付してすぐの場所にあるのが、この部屋です。写真が撮れるのは「アルプスの少女ハイジ」二ヶ所のみです。

ハイジの明るく元気なジオラマから、声が聞こえてきそうです。

 

「赤毛のアン」は、男の子を養子にと考えたいたのに、間違って女の子・アンが来てしまいながらも、明るくおしゃべりなアンが地元の学校に入り、さらに教師になるまでのことが、テレビで見ていたのを思い出します。

「母を訪ねて三千里」「じゃりン子チエ」「おもひでぽろぽろ」など、懐かしい作品がいっぱいでした。特に野坂昭著を基にしたアニメ「火垂るの墓」は涙なしでは見られなかったのを思い出します。

 

「かぐや姫物語」は、今回のポスターなどに使用されています。残念ながら見たことがありません。とてもこだわりのある、きれいな映像でした。

 

高畑監督が当寺に来られたことがあります。

お寺で、かつて高畑監督の担当をしていた某社の方の通夜前でした。宮崎駿監督など、ジブリの方々、勤務先の方々が次々に来られていました。

御本堂の棺の近くで長時間たたずんでいました。つらい思いが伝わってきており、ほとんどの人が声を掛けることがありませんでした。

 

高畑勲展link     東京近代美術館   東京都千代田区北の丸公園3−1

 

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篠山紀信展

ドームシティでは篠山紀信展を行っています。  篠山紀信展link          ギャラリーアーモ地図

 

アーモの通路反対側は、池か川のような作りになっています。

 

中に入ると大きなパネルが展示されていました。撮影できる場所はここのみです。有名な写真ですので、ポスターにも使用されています。

ジョン・レノン オノ・ヨーコ 1980年

 

まず迎えてくれるのが寅(渥美清)さんです。良く映画館に通いました。

夏目雅子の死は早すぎました。樹木希林さん、山口百恵、相撲取り、歌舞伎役者など、存在感あふれる写真が展示されていました。

東日本大震災に被害に遭われた方々の肖像が、一番最後に展示されています。

 

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