円泉寺便り

観音寺の板碑 埼玉県吉見町

毘沙門堂から約500メートル西にある観音寺に向かいました。

観音寺は円泉寺と同じ、真言宗智山派に属しています。

 

 

駐車場に車を止めて本堂に向かうと、御住職が庭掃除をしていました。

以前何度かお目にかかった方です。

私が若造の頃ですので、覚えてはいなかったようですが、父や弟には時折会っていたようで、私のことも少しは思い出していただけたようです。

父とは旅行仲間だったそうです。

 

 

こちらにも立派な宝篋印塔がありました。

 

 

薬師堂の右隣に、板碑が集められていました。

板碑のことを聞くと、字の読める中で一番古いのが、左から二番目と教えていただきました。

 

 

左から二番目は貞永二(1233)年の阿弥陀三尊板碑です。

文字が傾いていますので、元々は右側に観音菩薩の梵字が彫られていたはずです。

 

 

阿弥陀一尊図像板碑は文明元(1469)年の銘があります。

 

 

他にも年号が読める板碑もあるようですが、私には近づいてみても読める板碑はありません。

 

駐車場に戻り、観音堂や墓地入口の石仏に向かいました。

 

 

青面金剛、地蔵菩薩などが一列に並んでいます。

 

 

お墓には新しい永代供養塔が建てられていました。

どこの寺院も、今では必要な施設となっています。

 

観音寺 埼玉県比企郡吉見町大字大串1282 地図

 

←金蔵院毘沙門堂 埼玉県吉見町                渋沢平九郎自決の地 埼玉県越生町

 

本山修験宗 金蔵院毘沙門堂 埼玉県吉見町

平安後期から鎌倉初期に大串次郎重親が創建したと伝えられ、開創時は七堂伽藍の備わった大寺であったと伝えられています。

大串次郎重親wikipedia リンク

天文年間に兵火により焼かれてしまいました。後に毘沙門堂だけが再建されています。

毎年、2月13日に祭礼があり、多くの方がお参りに来られます。だるま市と知られているそうです。

 

 

宝篋印塔が二基あり、大串次郎重親の墓と伝えられる宝篋印塔は50メートルほど離れた場所にあります。

まずは応安6(1373)年の宝篋印塔です。

 

 

 

宝篋印塔の脇には小さな板碑が集められています。

 

 

参道の中門は仁王様が祀られていました。

 

 

今でこそ住職の住まない小さな寺ですが、古は歴史のある大寺であったことが、残された建物・宝篋印塔や近在の小字によって知る事ができます。

 

 

御堂から約50メートル離れた場所に大串次郎重親の墓と伝えられる宝篋印塔があります。

 

 

平成11年に行われた工事の時、宝篋印塔の下から壺が二つ出土しました。

中には男性と思われるお骨が納められていました。

壺は吉見町埋蔵文化センターで保管され、お骨は別の容器に収められ、宝篋印塔の下に納められています。

 

 

宝篋印塔が建立された年号と、大串次郎重親の亡くなった年は、約150年の開きがありますが、宝篋印塔建立後に納めた可能性もあるようです。

 

金蔵院毘沙門堂は宗旨が違いますが、近くの真言宗智山派観音寺が管理しています。

次に観音寺に向かいました。

 

毘沙門堂 埼玉県比企郡吉見町大串2244  地図

 

←菅原神社 埼玉県東松山市                  観音寺の板碑 埼玉県吉見町

 

菅原神社 埼玉県東松山市

東松山市の松山町は知っていましたが、大字松山は初めて知りました。

407号線のバイパスに面しています。

 

 

以前は杉の木に囲まれていたようですが、伐採されて丸太となっていました。他の木も同じように切られていました。

祭神は菅原道真公です。普通は天神社とか天満宮と言われていることが多いはずです。

 

 

本殿前に狛牛が祀られています。

天神さまが祀られている神社には、なで牛が祀られているところも多くあります。

 

 

いかにも牛ではなく、味わいのある狛牛です。

 

 

神社の東側駐車場には、お地蔵様が祀られていました。

 

 

菅原神社 東松山市松山1150 地図

 

←福正寺 勢至堂と阿弥陀如来板碑 埼玉県滑川町                 毘沙門堂 埼玉県吉見

 

天台宗 福正寺 勢至堂と阿弥陀如来板碑 埼玉県滑川町

嵐山町は関越道や森林公園脇を抜ける道を使用することが多いのですが、いつも月輪地区は通り過ぎる位置にあります。

東上線の「つきのわ駅」が平成14年に開業して、駅近辺は人口が増えているようです。

 

 

山門を抜けると庚申、地蔵菩薩、如意輪観音などの石仏が迎えてくれます。

 

 

この前をまっすぐ行けば、御本堂になります。

 

 

今回の目的である勢至堂と狛兎です。

御堂の御本尊は勢至菩薩ですが、単独で祀られている場所はあまりないと思います。

 

 

勢至菩薩は午年の守り本尊ですので、ウサギが狛犬とは面白いですね。

須弥壇の四方に卯の彫刻が、施されているのだそうです。

 

 

平成17年建立の狛ウサギです。

勢至堂屋根塗り替え記念に奉納されました。狛ウサギでなく福うさぎと彫られています。

 

 

春は桜の頃が見頃のようです。いまは紫陽花が満開でした。

 

 

勢至堂の西側墓地入口には、大きな板碑がありました。約3、5メートルほどあると思います。

阿弥陀一尊と御真言が彫られています。

 

左側の板碑は梵字の阿弥陀三尊と一尊でした。

 

 

大黒天の文字石塔も祀られています。

 

 

福正寺 埼玉県比企郡滑川町大字月輪454 地図

 

←大塚八幡神社 埼玉県小川町                 菅原神社 埼玉県東松山市→

 

大塚八幡神社 埼玉県小川町

以前、近くの大梅寺に参拝致しましたが、八幡神社には寄りませんでした。

今回は狛犬ならぬ狛鳩があると書かれていましたので、急遽参拝です。

 

大梅寺の近くから、八幡神社の参道となっており、神社東側には大きな鳥居があります。

 

 

かなり広い境内の神社でした。

 

 

鎌倉幕府最後の将軍である守邦親王が、ここに仮寓したと伝えられているようです。

史実であるかは、明らかではありません。 守邦親王wikipedia リンク

 

参道には二組の立派な狛犬が守ってます。社殿前の狛犬が一番古い狛犬です。

その前に今回目的の狛鳩がいました。昭和2年10月の建立です。

 

 

鳩は八幡神の神使なのだそうです。初めて見る狛鳩でした。

 

 

大きな御神木の脇に松尾芭蕉の句碑がありました。

 

 

「はるもやゝ  気色とゝのふ  月と梅」 芭蕉による元禄6(1694)年の句碑です。

 

漢詩の碑は弘化2年とありました。

 

 

 

八幡神社 埼玉県比企郡小川町大塚427  地図

 

←日本一大きな板碑 野上下郷石塔婆 埼玉県長瀞町                 福正寺 勢至堂と板碑 埼玉県滑川町           

 

日本一大きな板碑 野上下郷石塔婆 埼玉県長瀞町

埼玉県には板碑が、全国多い地区です。

その中で日本一大きいのが、ここの野上下郷石塔婆です。かつては板石塔婆とか青石塔婆とも言われていたと思います。

 

 

私の生まれた鶴ヶ島には、埼玉県でありながら有力な一族がいなかったためか、見たような気もしますが記憶にありません。

父が教師をしており、郷土史もしていましたので、青石塔婆と話していました。

 

初めてここに来たのは50年ほど前だったと思います。

ここの看板にも青石塔婆となっています。

 

 

約5メートルですから、確かに大きいです。

 

 

上に梵字「ハク(釈迦如来)」と光明真言、下段に「願以此功徳、普及於一切、我等与衆生、皆共成仏道」と「権小僧都□□、道観、大檀那、行阿、比丘尼妙円、正家、正吉、結衆三十五人、道観、敬白」、応安2(1369)年10月とあるようです。

 

 

この板碑は、仲山城主・阿仁和直のために、婦人の妙円尼により建立されました。

調べると複雑な歴史があるようです。

 

野上下郷石塔婆  埼玉県秩父郡長瀞町大字野上下郷 地図

 

←伝蔵院 宝篋印陀羅尼板碑 埼玉県長瀞町                  大塚八幡神社 埼玉県小川町→

 

真言宗智山派 伝蔵院 宝篋印陀羅尼板碑 石仏 埼玉県寄居町金尾

伝蔵院は金尾氏の館跡です。裏の金尾要害山は後北条氏の支配する鉢形城の支城だったようです。

 

ここも秩父事件の集合地だったのですね。

宝篋印陀羅尼の板碑が、他にあるのだそうですが、検索しても見つかりません。

 

 

上部に梵字オン・ア・ビラ・ウン・ケンの周りに、光明真言が彫られています。

 

 

下段は一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経(宝篋印陀羅尼)が彫られています。

 

 

この陀羅尼が彫られている板碑は、初めて見ました。

文化15(1818)年(文政元年)の建立です。

 

 

庚申塔も立派です。

 

琵琶弁財天

 

本堂裏に向かうと、歴代住職の墓がありました。

 

 

さらに裏に行けば、金尾要害山城に出られます。整備されており、見晴らしが良さそうですが、かなり登るようですので軟弱な私はパスしました。

金尾山つつじ公園となっており、駐車場もありましたが、駐まっている車はありませんでした。途中、なにかあっても人がいなかった可能性があります。

 

伝蔵院 埼玉県大里郡寄居町大字金尾216 地図

 

←白鬚神社 寄居町金尾                日本一大きな板碑 埼玉県長瀞町→

 

白鬚神社 埼玉県寄居町金尾

新編武蔵野風土記によると、江戸時代には妙見菩薩が祀られていたとありました。

次に行く伝蔵院の神社でした。

私が調べている妙見菩薩の関係で、一度お参りに来ているのですが、資料に入れるのを忘れていました。妙見菩薩資料集リンク

 

 

神社参道より見る「新寄居橋」

 

昭和22年に寄居橋が架けられるまで、「殿倉の渡し」がありました。

さらに昭和61年、現在の吊り橋が完成致しました。

 

 

境内社の中には、妙見社はありません。

伝蔵院に祀られているのかも知れないと思ったのですが、確認できません。

 

 

伝蔵院は金尾氏の館跡で、城山が後ろに控えていました。

この地は、地域の産業を支えると交通の要衝として、また北条氏の重要な場所だったのでしょう。

 

白鬚神社 埼玉県寄居町金尾255-1 地図

 

姥宮神社 埼玉県寄居町               伝蔵院 宝篋印陀羅尼板碑 寄居町金尾→

姥宮神社 埼玉県寄居町

姥宮神社と書いて(とめみやじんじゃ)と読むそうです。

変わった狛犬を祀る寺社を探していました。狛蛙が祀られています。寄居町などの他の寺社と共にお参りすることに致しました。

 

 

石凝姥神(いしこりどめのみこと)が祭神です。八咫鏡を作った神さまなのだそうです。

境内は杉のご神木も含めて、大事に維持管理されていました。

お社には、優れた彫刻が施されています。

 

狛蛙

 

 

平成5年に納められた狛カエルです。

どのようないわれがあるのか書かれていませんでした。

 

狛蛙

 

境内のアチコチに岩があります。

裏に回ると胎内潜りのできる場所がありました。

 

 

体が硬いので心配しましたが、這いながら進みました。雨の時は無理です。

 

 

やっと出ることができました。

 

 

すぐ近くが風布館(ひっぷ)です。営業中の旗がありましたが、新型コロナウイルスなのか、お休みとなっていました。

埼玉県大里郡寄居町大字風布74

 

姥宮神社 埼玉県大里郡寄居町大字風布125 地図

 

←クチナシの花               白鬚神社 埼玉県長瀞町金尾

 

クチナシの花

阿弥陀堂入り口のクチナシが咲いています。

あまり良い場所ではありませんが、移植する場所がありません。

 

雄しべめしべを見て、クモがいると言った子供がいました。

 

 

マダマダ咲き続けます。

 

 

以前は離れた場所から甘い香りを楽しむことができましたが、入院以来近づかないとあまり感じません。

前に比べるとズッと香を感じるようになっていますが、残念な気持ちでいます。

 

新型コロナウイルスの影響ではありません。たぶん !

 

すぐ側にトカゲがいました。

 

 

シャッターチャンスがあればと思っていたのですが、やっと撮ることができました。

 

←コロナで破綻した会社がありました                  姥宮神社 埼玉県寄居町→

 

ページ上部へ