円泉寺便り

武田信玄守り本尊・毘沙門天 多門院 埼玉県所沢市

川越藩主の柳沢吉保が、三富新田の祈願寺として多門院を創建しました。

多門院の旧本寺は音羽の護持院(廃仏毀釈により廃寺)だそうです。護持院ウィキペディアlink

現在は護国寺末となっています。

埼玉県で他に護持院元末寺は、他に山口観音の二ヶ寺だけです。

 

 

毘沙門堂は武田信玄守り本尊の毘沙門天が祀られています。

 

 

今も祈願寺として積極的に、寺院運営をしているようです。

 

 

 

毘沙門天は寅年の御本尊ですから、狛犬ではなく狛虎も祀られています。

 

 

狛虎の廻りには、たくさんの小さな虎が納められていました。

 

御本堂には車椅子用の坂が、斬新な設計で作られていました。

面白い着想だと思います。

 

 

側面にはアンモナイトの化石が塗り込められていました。

 

境内の一角に弘法大師、地蔵菩薩などの石仏が祀られています。

 

 

 

面白い鬼の石像がありました。

 

 

 

板橋区の東京大仏・蓮乗院にも同じ石像があります。

ここでは「がまんの鬼」となっていました。

 

東京大仏の「がまんの鬼」

 

多門院では、何と呼んでいるのでしょうか。

蓮の鉢が、たくさんありました。蓮の時期に参拝するのが良いと思います。

 

多門院 埼玉県所沢市中富1501 地図

多門院ウィキペディアlink

 

 

浅香桜芳春(歌川芳春)の宝船の浮世絵

 浅香桜芳春は歌川芳春の別名で、江戸末期の浮世絵師です。

有名な浮世絵師作品を手に入れられるとは、思いませんでした。

歌川芳春ウィキペディアlink

 

あるいは明治初期の浮世絵師のようです。二荒山温泉記略などを描いています。

同じ人なのかも知れません。

歌川芳春であれば貴重な作品と思います。

 

宝船に七福神が乗り、更に鶴亀・龍・宝珠など縁起物が描かれています。

 

 

当寺は武蔵野七福神の札所ですので、一度だけ参拝者に披露致しました。

 

山のぱ〜ん屋 森のダンス 東京都奥多摩町

奥多摩湖に向かう途中、午後1時半頃でした。

若い方々がパン屋さんで、大勢が食事をしたり買い物をしているのを見かけました。

 

昼過ぎでありながら人が多いことに興味を持ち、帰りに寄ることに致しました。

駐車場は店舗の前だけでなく、少し先にもあります。

 

 

午後3時半ですから、当然だったのでしょうが、殆ど売り切れ状態でした。

板ぱーんポテトサラダと、パイの二点を購入です。

 

板ぱーんは初めて見る形です。

途中のコンビニでお茶を買い、車の中で食べることにしました。

 

小さな食パンをくり抜き、中にポテトサラダが入っています。

ほんの少しだけ、わさびが入っているようです。

独特な味が、口の中に広がりました。

 

 

このパイは、カレーパンでした。

パイは帰ると友人がいましたので、差し上げました。

後で聞くと、パイにカレーが入っていたそうです。

 

 

お店の反対側には、現代風案山子が並んでいました。

きれいなマネキンさんです。

 

 

かえって調べると、今年の7月11日がオープンでした。

ホームページlに「独自に配合した小麦粉と奥多摩の天然水にポリフェノールを含ませた水で仕込んだ食パン「朝の宴(プレーン)」、大粒のサンマスカットレーズンをたっぷりと混ぜ込んだフルーティーな食パン「レーズンバンケット(レーズン)」、の2種の食パンをメインに販売いたします。ぜひ一度ご賞味ください。 」とあります。

高級食パン専門店とありました。

奥多摩湖に行く折には、お寄りになることをお勧め致します。

 

山のぱ〜ん屋 森のダンス  東京都西多摩郡奥多摩町小丹波240 ホームページlink

地図

 

奥多摩湖の石仏

青梅市に行く予定がありましたので、さらに奥多摩湖まで足を伸ばすことにしました。

 

 

あいにく奥多摩 水のふれあい館は写真が可能ですが、SNSに投稿不可でしたので、建物の周りにある石仏などを掲載致します。

 

奥多摩 水と緑のふれあい館の石仏

「石仏の小径」を向かって右から巡りました。

 

先ずはここから

一石六地蔵に観音様と思われます。

 

 

庚申塔

聖徳太子

馬頭観音

一石六地蔵

地蔵菩薩

馬頭観音

弁財天

 

縄文の遺跡跡にあった住居跡を移築した場所もありました。

 

 

奥多摩水と緑のふれあい館  東京都西多摩郡奥多摩町原5 地図link

 

 

武蔵国高麗郡 某神社と某家の系図 歴史 游古疑考倶楽部調査委員会

ある神社の歴史と家系図について、常々おかしいと思っておりました。
ここの家が○○家の本家である。高麗郡の由緒正しい格式の高い神社であるなど、私の知る歴史とは大きく異なった歴史がホームページに掲載されています。

あちこちの神社におけるホームページは、廃仏毀釈以前に関して都合の良い歴史を書いてことが多々在ります。実際は寺であったのにかかわらず、始めから神社であったと案内板に書かれているのを見ることもあります。歴史の改竄が明治になって行われたのです。

それどころか平成になってからの改竄も見たことがあります。それも大きな石版に彫られていました。一緒に行った地元の歴史に詳しい友人は怒っていました。それは友人の先祖を侮辱した内容だったからです。さらに宮司は学校の恩師でもあったのです。


新編武蔵野風土記も信用できない部分があるのですが、何らかのヒントを与えてくれます。

同じような疑問を持つ隣の市の方々が、詳しい資料を掲載し、疑問点を整理しているホームページを開設しました。游古疑考倶楽部調査委員会ホームページlink

私がいただいた資料の一部です。

 

 

○○家の一番おかしいと思うのは、坂戸市の□□家が系図を借りながら、返さなかったと神社のホームページにあることです。
□□家に系図を借りながら、返さなかったのは○○家のはずです。
○○家が返していただけなかったら、新たな系図は○○家の創作なのです。自ら家系図を創作したことを認めている部分です。
私は50年前□□家ご本家にお話を聞いています。他の郷土史家の方や父からも同じ話を聞いていました。

ある大学の教授が資料を見せていただくと、見ただけで「けっこうな資料を見せていただいて、ありがとうございます」と言い、帰ってしまったと、一緒に行った人が何かに書いてあったのを思い出します。怪しいと思う人が他にも多くいるようです。

ホームページには、いろいろな資料が掲載されています。
今後も増えていくと思います。
  

 

真言宗豊山派 智観寺 埼玉県飯能市

智観寺は飯能でも由緒があり、格式の高い寺院です。

武藏七党の内、丹党に属した中山丹治武信により、元慶年間(877~885)に開かれました。

慶安元年に寺領15石の御朱印をいただいています。

 

 

 

門の脇に六地蔵石幢が祀られています。

 

大師堂は高麗坂東三十三ヶ所の第一番札所です。

※この札所は活動していませんので、御朱印は頂けない所もあります。無理に御朱印集めをしない方が良いと思います。

 

御本堂では奥様が掃除中でした。

 

御本堂西脇を行くと、水戸徳川家の家老となり、さらに常陸松岡藩2万5,000石の大名となった中山信吉一族の墓碑がが多くならんでいます。

高さ3メートルの塚の上にある中山信吉墓は特に立派で、初代藩主として恥ずかしくない墓碑でした。

 

ほぼ南北に中山家のお墓が並んであります。

 

 

左が大日如来です。

親指が掛けていますが、中央は釈迦如来だと思います。

 

以前、東北の某大名家の子孫の方と会ったことがあります。

先祖をたどれば、ほとんどの方が知っている武将です。

代々之ほとんどの戒名が「院殿大居士」で、分家も檀家となると院殿大居士の戒名が授けられるそうです。

当然普段のお付き合いも大変なのだそうです。

「だからその寺の檀家にはならない」と話していました。

 

しかし智観寺の檀家さんから、そのような話しを聞いたことがありません。

以前御住職にお目にかかったことがありましたが、とても穏やかな方でした。

 

智観寺  埼玉県飯能市中山520  地図

ウィキペディアlink

 

 

曹洞宗 長泉寺 弥勒菩薩石仏 埼玉県飯能市

市内小岩井の長泉寺です。

珍しい弥勒菩薩の石仏が祀られています。

 

 

 

参道の左右に石仏と六地蔵が祀られています。

石仏堂

 

 

左から聖観音、西国観音霊場巡拝塔、弥勒菩薩、十一面観、馬頭観音の順に祀られています。

中尊の弥勒菩薩です。

 

 

弥勒菩薩の石仏は、当寺(円泉寺)御本堂にも祀られていますが、弥勒菩薩とハッキリ言えません。

新しい十三仏石仏を祀る寺院では見たことがありますが、古くから祀られている御尊像は珍しいと思います。

 

六地蔵

 

 

高麗坂東札所の観音堂です。

聖観音を祀ります。

 

 

無住のお寺と思われますので、御朱印は用意されていないと思います。

円泉寺も高麗坂東札所ですが、昨年今年と一人も御朱印の申込みはありませんでした。

申し込まれても断る寺院などもありますが、無理に巡り悪態をつく参拝者もいると聞きます。

「なぜ○○寺には誰もいないんだ」と言われたことがありました。

実質廃札所となっているのです。

 

長泉寺 埼玉県飯能市小岩井174 地図link

 

 

鬼の念仏 大津絵と土鈴

以前より本物の大津絵が欲しかったのですが、かなり高価でしたので諦めました。

高橋和堂さんの版画版「鬼の念仏」にありますが、印刷された作品に見えます。

縦が色紙と同じサイズです。

 

 

芭蕉の句『大津絵の筆の始めは何仏』と書かれています。

facebook「大津絵さんぽ」が役に立ちます。

 

大津絵は江戸初期から土産として売られていました。

たくさんの種類があります。

 

下の二体は土鈴で、大津絵を元に作られています。

 

 

 

 

下は小さな鬼の念仏土鈴です。

 

 

 

三点共に三井寺の近くで売られていたようです。

ただし、確実なことは分かりません。

 

この二体の土鈴は、知人へ差し上げました。

いろいろな物に興味を持つ人です。

 

 

天台宗 東光院 埼玉県東松山市

東光院は江戸初期の開山とする寺です。

天台宗は埼玉県では古寺い院が多い中、比較的新しい寺院なのかも知れません。

 

 

高坂駅から約500メートルの近くにあります。

 

 

六地蔵

 

観音堂には聖観音を祀ります。

 

観音堂の前には三面馬頭観音の石仏が祀られていました。

 

 

素敵なお姿をしています。

 

後で気がついたのですが、墓地の東側の土盛りは古墳(高坂6号墳)でした。

 

 

高坂古墳群と言われ、かつてはかなりの数の古墳があったようです。

どこかは分かりませんが、埼玉県で初めて古墳時代前期(西暦250~260年ごろ)の三角縁陳氏作四神二獣鏡が発掘されています。

 

東光院 埼玉県東松山市高坂926  地図link

 

曹洞宗 高済寺 高坂館跡 埼玉県東松山市

二十数年前に高済寺に訪れています。あのあたりを何か探していたときでした。

以前は廻りに民家も少なく、緑の多い寺だったように思います。

高坂駅に約500メートル、大型店舗もありますから、様変わりするのも無理はありません。

 

 

 

以前来たときは高坂館跡の案内板があったのを思いだし、ここによることに致しました。

高坂氏の居城として、さらには北条氏の城として機能したようです。高坂館ウィキペディアlink

現在の高済寺境内よりさらに広い場所が、戦国期に重要な城跡だったことが知れます。

この遺跡は埼玉県選定重要遺跡になっています。

 

 

この案内板を見ると、かなり広い規模の城跡だったことが分かります。

 

 

境内裏手には加賀爪氏の墓がありました。

徳川となり加賀爪氏は、一万石以上の領地を持つ大名となりました。

直澄の代に領地を没収されました。高坂直澄ウィキペディアlink

 

 

 

 

高済寺 埼玉県東松山市高坂834 地図link

 

 

 

ページ上部へ