円泉寺便り

皆既月食

昨夜は皆既日食でした。

日食が始まり、慌ててカメラに望遠レンズを装着しましたが、前回と同じくフルオートの撮影ですので、良い画像はありません。

高倍率の高級レンズであれば、「天王星食」が見えるのでしょうが、このレンズでは無理です。230㎜での撮影です。

トリミングしてあります。

 

18:35  もう始まっています。

 

18:40

 

18:50

 

19:04

 

19:14  あと少しです。

 

19:18  皆既日食

 

20:24 

 

20:37  月の位置が、かなり上になっています。

 

20:47  徐々に左下が明るくなりました。

 

20:53

 

 

11:08

 

21:25

 

21:34  雲がかかっています。普段の雲はユックリ流れているように思えますが、実際はかなり速く流れているのが、レンズを通すと実感します。

 

21:48  一番まともな写真です。

 

21:52  皆既日食の終了です。

 

良い写真はありませんでしたが、良い思い出になりました。

太陽の周りを地球が回り、地球の周りを月が回っていることを実感できました。

 

2022/11/17

境内の菩提種の上に、飛行機雲と月です。

飛行機雲は、晴れている限り毎日のように見られます。

自衛隊や横田基地の戦闘機です。

更に上空には旅客機も飛んでいますが、飛行機雲が出ることはありません。

 

臨済宗建長寺派 禅福寺 東京都羽村市

山門の案内板によれば、禅福寺はかなりの名刹であったと思います。

ここの山門は室町中期の寛正3年(1462)建立といわれ、羽村市指定文化財です。

文政6年(1809)に狂歌で知られる大田南畝(蜀山人)も来られています。

 

 

 

将軍足利義満が帰依した建長寺の無二法一禅師が応安5年(1372)開山し御朱印十三石の寺領がありました。

 

しかし新編武蔵野風土記によれば「廃寺にひとしく、近来住持等もなし」とあります。

江戸末期のことですが、おおよそ信じられないほどの記載です。

 

これだけの伽藍と境内を備えた寺院にするには、地域の方々はもちろん、歴代御住職の尽力のたわものでしょう。

かなり大きな御本堂ですので、私のカメラでは正面からの撮影は出来ませんでした。斜めからやっとです。

 

 

 

山門よりご紹介致しましたが、駐車場は境内北側から入ります。

南側は一方通行になっており、たぶん駐車場はないとおもいます。

 

禅福寺 東京都羽村市羽中4丁目5−8 地図link

 

玉川神社 東京都羽村市

寿永年間に畠山重忠の子孫が、信州より諏訪明神を勧請したと伝えられています。

 

 

明治2年に諏訪神社と改め、明治15年に日枝神社を合祀して、玉川神社と改称しました。

建御名方命と大山祇命を祭神としています。

 

 

かつては7月に行われていた八雲祭りは、4月第二日曜日に行われます。

氏子地区を神輿渡御と山車巡航が行われ、この折り行われる「祇園ばやし」「神田ばやし」は他の場所では絶えてしまったところが多いそうです。

 

諏訪大社の御柱がありました。

長野県外に移設されたのは初めてです。

諏訪大社を参拝したことが、懐かしく思い出されます。

 

明治10年に開設された西多摩小学校が開設され、近代教育の一歩を踏み出しました。

大菩薩峠で知られる文豪の中里介山も幼少期にここで学んでいます。

 

明治34年には生徒数の増大により、現在の第一中学校の地に移されています。

 

玉川神社  東京都羽村市羽中4-1-16  地図link

 

臨済宗建長寺派 一峰院 東京都羽村市

応永年間(1394~1428)の開山とされ、開基は平将門の後胤・三田雅楽助将定とされています。

位牌に三汲道正居士、應永31年とあるそうです。

 

道路に面して、手入れの行き届いた松並木が続きます。

山門(鐘楼門)は文政2年(1819)の建立で、羽村市指定有形文化財となっています。

 

 

御本堂は明和3年(1766)に建設されました。御本尊は十一面観音を祀ります。

 

鐘楼門は宮大工・小林藤馬によって建てられました。

 

半僧坊大権現には九曜紋が光っています。平将門の末裔が多く使用する家紋です。

鎌倉の建長寺には、半僧坊本堂があったことを思い出しました。

ただし建長寺の一番奥の上、かなり階段を登らないと行けませんので、時間の都合もあり帰ってしまいました。

 

御本堂西側からは清水が湧いて流れています。なかなかの風情です。

御本堂西脇より鐘楼門近くの溝まで流れています。

 

出羽三山碑がありました。天保年間建立です。

江戸時代には出羽三山講が、このあたりにもあったのかも知れません。

日中韓三国平和友好観世音菩薩像が駐車場にありました。

平成6年の建立です。

 

駐車場にも松が植えられています。

 

とても落ち着きのある寺院でした。

 

一峰院  東京都羽村市羽加美4丁目12−30 地図link

 

阿蘇神社 東京都羽村市

平将門関連の神社として、2005年にも参拝しています。

推古天皇九年(601)創建され、平将門が承平3年(933)社殿を造営、天慶3年(940)には藤原秀郷が平将門の霊を鎮めるために修復したと伝えられています。

『新編武蔵風土記稿』によると平将門による勧請と書かれています。

天文5年(1536)には、平将門の子孫である三田氏によって修復されています。

 

 

 

かつては阿蘇大明神、長渕郷総社竜水山阿蘇宮でしたが、明治2年に阿蘇神社と改称されました。

健磐龍命、阿蘇都媛命、速瓶玉命、他九柱を祀っています。

 

緑の多い境内ですので影が多く、うまく写真が撮影できません。腕が悪いのですから仕方がないのです。

各写真をかなり補正しています。

 

車を駐めた場所からではなく、多摩川に沿って向かうのが本来の参道なのかも知れません。

しかし、駐車場はないと思います。

 

西側は多摩川の土手です。彼岸花の名所のようです。

前回来たときより、かなりの人数の方が歩いていました。車は駐車場に私の一台だけでしたので、歩くのを日課にしている方が多いのでしょう。

 

 

以下は2005年2月参拝の写真です。

 

 

社殿脇の椎の木は、都指定天然記念物になっています。

 

 

以前はこちら側から神社に向かいました。

 

 

阿蘇神社ホームページlink

阿蘇神社 東京都羽村市羽加美4丁目6−7 地図link

 

熊野大神社 深谷市東方

東隣の弥勒院を参拝した後に熊野大神社に向かいます。

廃仏毀釈以前は弥勒院が別当でした。弥勒院ブログlink

 

ここの創建は延長5年(927)との社伝がありますが、天正年間(1573-92)に造営されたとも伝えられています。

深谷市では大きな工場が増えたために、特に近年は正月の参拝者が多いそうです。

 

 

本殿の彫り物も歴史と格式を感じる、素晴らしい建物でした。

 

境内には末社が十数社ありました。

 

神社の南側には、更に長い参道があります。

二の鳥居。

 

順が前後してしまいましたが、こちらが一の鳥居です。

神社拝殿からは、かなりの距離がありました。

 

熊野大神社 〒366-0041 埼玉県深谷市東方1709−2 地図link

 

 

真言宗智山派 弥勒院 埼玉県深谷市

江戸期は総本山智積院の直末でしたので、重要な寺院であったと思います。

徳川家康の孫である領主松平丹波守康長は1万石の当地の大名でした。

慶長7年(1602)に康長が古河へ所替えとなり、弥勒院は住職も共に古河へ移っています。古河当時の弥勒院は調べた限り分かりませんでした。

しかし、こちらは引き続き存続しています。

平丹康長ウィキペディアlink

松平氏以前の歴史については、隣の熊野大神社が延長5年(927)と伝えられていますので、江戸期以前だったと思います。熊野大神社ブログlink

 

道路に面して駐車場になっていました。

 

山門を入ると左右に地蔵菩薩が祀られています。

 

新編武蔵野風土記によると御本尊は地蔵菩薩と書かれていましたが、中を見ると不動明王が御本尊のようでした。

お前立ちなのか、途中で不動明王になったのかも知れません。

 

 

 

境内はよく整備されています。枝垂れ桜のころに参拝すると良いでしょう。

 

隣には熊野大神社がありますが、弥勒院が廃仏毀釈までは別当でした。

 

 

弥勒院  埼玉県深谷市東方1715 地図link

 

 

天台宗 瑠璃光寺 埼玉県深谷市

深谷市でも歴史のある天台宗寺院です。

慈覚大師円仁により、大同3年(807)に創建されたと伝えられています。

案内板を読むと、鎌倉時代は七堂伽藍が完備された大寺院であったことが知れます。

室町時代は深谷城主・上杉氏が鬼門除けとしていました。

 

薬師堂前の山門(享保年間建立)には、立派な仁王が番をしています。

 

こちらの御本堂は大正15年に再建されましたが、平成22年に瓦葺きであったのを同板葺きに改修し、耐震性を向上させいます。

かなり重い瓦が使用されていたのが分かります。

 

薬師堂の御本尊・薬師如来は秘仏となっているようです。

今年は虎薬師にあたり、12年に一度の御開帳がありました。

日光菩薩・月光菩薩を両脇士とし、十二神将も祀られています。

 

 

深谷七福神の札所になっており、境内には大黒天像が祀られていました。

 

瑠璃光寺境内多目的ホールでは、斎場として、座禅・写経会・ヨガ教室に使用されています。

樹木の多い広い境内です。

平日でしたが、お墓参りや参拝者が多く来られていました。

 

瑠璃光寺ホームページ

瑠璃光寺 埼玉県深谷市稲荷町北9−25  地図link

 

 

誠之堂・清風亭 大寄公民館 埼玉県深谷市

大寄公民館東側に隣接する渋沢栄一ゆかりの誠之堂・清風亭です。

北側と南側に駐車場があります。

両屋敷を拝観するには、公民館で受付を済ませる必要があります。受付のためには北側駐車場が便利です。

大寄公民館

 

受付が終わるとパンフレットが頂けました。

 

誠之堂・清風亭ともに世田谷区瀬田にあった第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」に建てられていたのを平成10年2月から解体工事を経て、平成11年8月に移築復元した建物です。

 

平成29年に平成天皇・皇后両陛下が行幸されています。

 

 

誠之堂

平成15年に国の重要文化財に指定されています。

 田辺淳吉の設計によります。

 

 

清風亭

平成16年に埼玉県指定有形文化財に指定されました。

 

西村好時のスペイン風南欧田園趣味の設計なのだそうです。

 

 

 

 

ステンドグラスの意匠は、ヨーロッパのように一面を色彩した物と異なり、和風の障子のような気がしました。

 

 

 

どちらの建物もこりに凝った設計と施工だと思います。

 

大寄公民館  埼玉県深谷市起会84−1 地図link

 

 

鹿島神社 埼玉県深谷市

富岡製糸工場の初代工場長・尾高惇忠は鹿島神社の氏子でした。

鎌倉公方足利基氏御教書(みぎょうしょ)に貞治2年(1363)に下手計の地を岩松直国に与えたとあり、創建もこの時代とされるようです。

 

 

 

境内には幹回りが10メートルもある大きな欅があります。

明治40年に枯れてしまいましたが、古い図を見ると参詣者が驚くほどの巨木だったようです。

 

祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。

 

 

ここには不動堂がありました。廃仏毀釈で仏像は拝されるところが多いのですが、よく残されていたと思います。

鹿島神社の別当は当山修験・常学院でした。其後、住職が神職になりました。

下手不動と呼ばれ崇敬されていたそうです。

 

 

 

境内には尾高惇忠頌徳碑が建立されています。

 

 

鹿島神社  埼玉県深谷市下手計1145  地図link

 

 

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