円泉寺便り

慈覚大師円仁修行の寺・高平寺 誕生寺 栃木市岩舟町

真言宗豊山派 高平寺

 

天台座主慈覚大師円仁が9歳まで修行した寺です。元慶元年(877年)に宥栄が開山したと伝えられています。

円仁は延暦13年(794年)に生まれ、 貞観6年1月14日(864年)に亡くなられています。

現在は天台宗でなく、真言宗豊山派に属しています。

 

元和元年(1600年)天台宗から真言宗に代わり、現在の足利市にある鶏足寺末となっています。

高平寺も末寺18ヶ寺を擁する中本寺でした。

 

御本尊は不動明王です。

 

 

駐車場

 

(バン)字の池は、梵字で大日如来を表しています。

 

 

真言宗豊山派 高平寺 栃木市岩舟町下津原1457−2  地図link

 

高平寺別院 誕生寺

慈覚大師円仁は、ここでお生まれになったと伝えられています。

他に壬生町の壬生寺とする説もあるようです。

 

高平寺は元々この地にありましたが、後に下津原に移転しています。

 

御堂の隣には慈覚大師誕生霊蹟碑や慈覚大師の銅像がありました。

 

円仁が生まれたおりに、この井戸を使用したので産湯の井として大事にされています。

 

 

かなり広い駐車場がありますが、大型バスでの参拝は道が狭く無理なようですが、近くの広い道から歩いても、せいぜい100㍍です。

 

高平寺別院・誕生寺 栃木市岩舟町下津原1198  地図link

 

みかも不動尊 栃木市

みちの駅みかもに寄ると、北側にみかも不動尊(三毳不動尊)が見えました。

千手観音寺の分院で平成10年(1998)の開創です。

Googleマップで千手観音寺を見ると、実質本院の役割をしていることが分かります。

 

まだまだ境内整備を予定しているようです。

 

銭洗い不動は初めて見ました。脇で車の安全祈願を行っているようです。

 

御本堂の御本尊は、当然不動明王です。

御護摩などの御祈願は、ここで行っています。

 

荼枳尼天殿は当然稲荷大明神をお祀りしています。

 

閻魔殿には閻魔大王と十三仏像が祀られていました。

 

仁和寺のポスターがありましたが、仁和寺関連の真言宗単立寺院なのかも知れません。

 

みかも不動尊 栃木市藤岡町大田和747 地図link

慈覚大師円仁ゆかりの腰掛石と独鈷水御堂 栃木市岩舟町小野寺

慈覚大師円仁は第三代延暦寺座主です。

壬生氏の子として誕生しましたが、生まれたのは岩舟町と佐野市・壬生町の三ヶ所の説があります。

独鈷堂は岩舟町小野寺にあります。

 

 

腰掛石

案内板がありましたが、ここには駐車場がありませんので、空き地に駐めさせていただき歩くことにしました。

道路は小さな車しか通れません。

しかし、地元の車と思われる軽自動車が出てきました。

 

 

円仁は9歳で近くの大慈寺のにて修行を始めました。

伝承では、その当時か塔から帰国後に巡錫のおり座禅を組んだと伝えられているようです。

さらに独鈷水御堂に向かいました。

 

独鈷水御堂

奥まった場所を左に折れると独鈷水御堂に至ります。

 

 

干ばつで農作業が出来ずに困っていた人々のために、円仁が獨鈷杖で地面を突くと水が湧き出したの伝承があります。

 

 

独鈷水の井戸

 

 

こちらは「獨鈷水御堂 一隅照豊庵」です。

ここの独鈷水御堂と腰掛石を整備している「今野豊」さんの庵です。

 

ここでは座禅と写経を定期的に行っているそうです。

 

この場所でしたら駐車が可能だそうですが、途中すれ違い出来ない狭い道が多く、注意する必要があります。

責任は持てません。

 

独鈷水御堂 栃木市岩舟町小野寺 地図link

村檜神社 栃木市岩舟町小野寺

慈覚大師円仁ゆかりの大慈寺参拝前に隣の村檜神社(むらひじんじゃ)を参拝致しました。

延喜式内社の下野國三之宮ですから、由緒や社格が高いことが知れます。また栃木市小野寺郷の総鎮守でもあります。

 

神門は建物の下をくぐつて本殿に向かう造りとなっています。

甲州市の大善寺楽屋堂を思い出します。大善寺ブログlink

 

社殿は室町時代の建物で、国の重要文化財に指定されています。

 

すぐ隣が大慈寺ですから何かしら関連があるはずと思いましたが、何も記されていませんでした。

廃仏毀釈が関連しているように思います。

 

これだけ立派な神社ですが、宮司さんが常駐していないようでした。

 

境内には大きな樹木が鬱蒼としています。

参道には樹齢1000年の杉があるようです。

 

境内には西宮がありました。

境内の下末8社を合祀しています。

 

栃木県栃木市岩舟町小野寺4697 地図link

 

真性院と宝篋印塔 栃木市岩舟町小野寺

真性院は近くの大慈寺の末寺であるか、廃寺のため地域の方々により維持されてきたのかは分かりません。

しかし、先ほど訪れた小野小町の墓と同じく、須藤氏が下の宝篋印塔の覆い屋は整備しています。

 

中心にある宝篋印塔の中に経筒が納められていました。

経筒に納められていたのは、宝篋印陀羅尼一千巻でしたが、残されていなかったようです。

 

経筒には享保十三年(1729年)に歓應と常心の僧侶、5名の個人名が彫られています。

 

 

 

 

この後に円仁ゆかりの独鈷水に向かいました。

 

真性院  栃木市岩舟町小野寺 地図link

慈覚大師円仁ゆかりの天台宗大慈寺 栃木市岩舟町小野寺

大慈寺は行基が建立した寺院です。

近くの村檜神社では奈良時代の瓦が出土されています。

 

天台宗の最澄は東国巡錫のおり当寺にて大乗戒の授与をし、ここを東国における天台宗の足場としました。

 

さらに慈覚大師円仁が9才から6年間修行したの寺として、天台宗の別格本山となっています。

慈覚大師は第三代天台宗延暦寺座主となっています。

 

また第四代天台座主・安慧もここで出家しているのです。

 

御本堂御本尊は薬師如来です。

 

慈覚大師円像

 

円仁堂前にはツツジが咲き誇り、良い時期に参拝したと思いました。

更に奥の院とツツジの群落に向かうつもりでしたが、時間の都合で諦めました。

 

相輪橖(塔)は最澄が日本国内の6箇所に建立を計画した六所宝塔の1つです。

 

こちらの御堂は薬師堂で、御本堂と二ヶ所薬師如来が祀られているようです。

小野小町の伝承が残されており、小野小町七佛薬師と言われています。

 

大慈寺 栃木市岩舟町小野寺2247 地図link

小野小町の墓 栃木市岩舟町小野寺

大慈寺と村檜神社の近くに「小野小町の墓」(伝説)と伝わる墓があります。小野小町が身投げをしたと伝わる伝承があり、近くに身投堂の地名もあるようです。

地名が小野寺ですので、他の女性の言い伝えと結びついたのかも知れません。

50m先ですが、ここからは車では行けません。

 

思ったよりきれいに整備されていました。碑文に記された須藤氏の尽力によるものです。

ネットで昔の写真を見ると、草に埋もれていました。

 

自然石に「小町墓」とあります。

 

明和の頃の古文書にも記されています。

 

日本各地に小野小町の墓と伝わる所が残されていますが、同様にに出身地と伝わる場所も数多くあります。

小野小町ウィキペディアlink

 

小野小町の墓(伝説)  栃木県栃木市岩舟町小野寺2330-1 地図link

 

智積院中興第一世・玄宥僧正修行の寺 持明院 栃木市 真言宗豊山派

玄宥僧正は真言宗智山派総本山智積院の中興第一世です。7歳の時に持明院で弟子となり、15歳まで修行しています。

慶長5年(1600)に智積院を京都東山に再興しました。玄宥ウィキペディアlink

 

現在の持明院は真言宗豊山派の寺院です。

 

ソメイヨシノは終わりでしたが、駐車場の八重桜が満開でした。

 

ツツジが咲き、サツキはこれからです。

 

立派な大仏が参道脇に祀られていました。

 

持明院は皆川城跡の北東にあり、鬼門よけとして大事な寺でした。

玄宥僧正の甥が皆川城主となった皆川広照です。玄宥のおかげで織田信長や徳川家康と縁を結ぶことができました。

しかし、7万石を領有した皆川氏も家康の怒りをかったため、慶長14年(1609年)に改易されています。

皆川広照ウィキペディアlink

 

 

真言宗豊山派 持明院 栃木市皆川城内町531 地図link

 

玄侑僧正出身地 両親の墓石 正仙寺 ブログlink       根来寺ブログlink

智積院中興第一世・玄宥僧正出身地にある寺院 真言宗豊山派・正仙寺 栃木市

この正仙寺の東側には、真言宗智山派総本山智積院中興第一世・玄宥僧正(1529~1605)の父である膝附宗長により、吹上城が築かれました。

玄宥僧正は18歳頃で根来山にて修学しています。

天正5年(1577年)には根来山の塔頭である智積院に住し、さらに根来山の能化職(住職)となっています。

しかし、根来山は真言宗の教育機関でしたが、強力な軍事力を持っていたために豊臣秀吉により壊滅的な被害を受けてしまいました。

各地を転々としていましたが、徳川家康の時代となり、慶長6年(1601年)に京都東山七条の豊国神社境内の坊舎が、智積院として再興されました。

玄宥僧正ウィキペディアlink

智積院は現在真言宗智山派総本山となり、3000の寺を末寺にしています。

 

吹上中学校裏手高台にある山林

吹上城跡は正仙寺の東側にある吹上中学校一体にありました。

真言宗智山派智積院の桔梗紋ブログlink

 

栃木市吹上 正仙寺御本堂

 

上の墓石が近くの住吉神社西側より移築された玄宥僧正両親(膝附氏)の墓です。

それ以外にも吹上代官・山口家や藩士、戊辰の役戦没者、明治初期の自由民権運動勇士の墓などが集められていました。

 

吹上代官・山口家や藩士の墓の右手が膝附氏墓石

 

真言宗豊山派 正仙寺 栃木県栃木市吹上町1376 地図link
 

玄宥僧正修行の寺 栃木市 持明院ブログlink       根来寺ブログlink

 

磯山弁財天 出流原弁天池 淵龍寺 栃木県佐野市

 

佐野市の磯山弁財天は北関東自動車道・出流原スマートICから降りることが出来ますので、大変便利になっています。

弁財天と出流原弁天池は豊かな水の恵みをもたらしています。

 

磯山弁財天

 

そばの駐車場から参道へ向かいました。

 

よく紹介される門です。

 

門を過ぎると弁財天の御本堂が見えます。

 

銭洗い弁天ですが、柄杓がありませんでした。

 

階段を登り御本堂に至ります。

お賽銭も多めにし、弁天様に手を合わせました。

 

ここから前方の田畑がひろがっていることが分かります。

 

磯山弁財天の御朱印は、一乃館でお願いすることになります。

 

磯山弁財天  栃木県佐野市出流原町1117  地図link

 

出流原弁財天池

弁天池に向かいました。

湧釜神社を参拝し、西に向かうと弁天池となります。

 

 

池の周りには湧釜神社ののぼりが建てられていました。

寺と神社は別々な法人のようです。

神社の御朱印は「まちの情報コーナー」で受け付けていました。

 

フィッシングフラワーパーク

池にはボートがありました。藤の花がきれいです。

 

釣り堀は、かなりの広さがありますが、本日のお客さんはいないようです。

 

近くの豆腐屋さんで、豆腐のソフトクリームを食べました。

 

曹洞宗 淵龍寺

磯山弁財天の別当が淵龍寺です。本堂脇の建物は西根公民館となっていました。

御住職は他の寺にいるようです。

 

観音堂には如意輪観音が祀られています。

 

淵龍寺 栃木県佐野市出流原町1512 地図link

 

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