円泉寺便り

中国の仏さま

いろいろと世話になっている仏像マニアのために求めた仏さまです。8年程前でした。

何時の時代であるかは明らかではありません。古い中国の仏さまと言われました。

 

 

マニアの方に大切にされています。

 

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能勢形妙見像

当寺の妙見さまは、霊符神と童子形の妙見菩薩像です。

関西には圧倒的な妙見信仰の能勢妙見山があり、能勢形のみが妙見菩薩と思っている人も多くいると思います。

近松門左衛門も熱心な信者でした。

 

関東では圧倒的に童子形が多く祀られています。

 

能勢形妙見菩薩像

 

能勢の紋が切り竹矢筈十字で、刀と剣印が横と縦で十字架をあらわしていると見れば、隠れキりスタンが能勢形妙見菩薩像を十字架として信仰したとする説があります。

この地を治めた戦国大名の高山右近は、熱心なキリスト教徒でしたので、間違いとは言えないのかも知れません。

各地の隠れキリシタンは妙見菩薩を天帝として祀ったようです。

 

能勢形妙見菩薩像

 

次は小さな妙見さまです。おそらく懐中仏でしょう。身につけて、お守りのようにしていてのだと思います。

 

能勢妙見懐中仏

 

わずか2㎝ほどの像です。残念ながら剣は折れて無くなっています。

3体とも小さな御尊像ですが、おそらく能勢妙見において信者さんに、お授けした仏像なのでしょう。現在これらの御尊像は、他宗旨の寺院に祀られています。

 

「妙見菩薩」とヤフオク!で検索すると古い像は、ほとんどが能勢形の像です。童子形はめったに出品されません。妙見菩薩の資料として、ヤフオク!で落札しました。

能勢形の妙見菩薩は、大将軍八神社の武装大将軍神像によく似ていることから、成り立ちに関連があると思われています。大将軍八神社のホームページより、他の方のブログなどの神像画像に剣の位置が異なるだけで、そっくりな像が紹介されています。

神社では大将軍神は北斗七星をあらわしていると説明されているようです。北斗七星=妙見菩薩=北極星との関連もあるわけです。

大将軍八神社 神像 検索リンク

妙見菩薩資料集リンク

いろいろな お姿の妙見菩薩像

 

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円照寺の睡蓮とコウホネ 埼玉県入間市

円照寺は円泉寺と共に、武蔵野七福神の札所です。

埼玉県の七福神札所の御朱印を紹介する本が出版されるとのことで、札所の会長している御住職に御朱印を届けに参りました。

 

 

弁天堂の池には、たくさんの睡蓮とコウホネが咲いていました。

一眼レフを持ってくれば良かったと思いましたが、小さな古いカメラが車に入れてありましたので、撮影をすることにしました。

 

 

睡蓮が一番の見頃でした。

 

 

 

鯉が寄ってきました。受付に鯉のエサを売っています。

 

 

コウホネも咲いているのですが、もっとアップで撮れば良かったと思います。

 

 

若い女性が、キヤノンのフルサイズで撮影していました。あれならば良い作品になるでしょう。

私はAPS-Cでも軽いカメラと軽いレンズのみの撮影が多くなりました。近頃は古い普通のデジカメが増えていますが、画質は一眼レフにはかないません。

 

まだ、掲載予定のブログもあるのですが、睡蓮が見頃ですので、こちらを優先致しました。

 

真言宗智山派 円照寺 埼玉県入間市大字野田158  地図

 

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緊急事態解除後も新宿には寄るな ! 新宿区の某会社の方針

先日、円泉寺のホームページの契約をしている、新宿区の某社営業さんが来られました。。
基本的な設定と目に見えぬ部分以外は、私が自分で書き込んでいます。ブログも書けるシステムになっています。



緊急事態宣言が解除され、どうにか営業再開となりましたが、新型コロナウイルスのため、ほとんどの社員がテレワーク(在宅勤務)となっています。しかし、未だに本社には問合せ、システム保守など、最小の社員だけで対応していると話していました。

この会社では新宿区にありながら、新宿の繁華街には行くなと厳命が出ているそうです。
当然人混みの多い場所は、禁止のようです。

東京ではコロナ感染者が、またまた増えてきました。埼玉でも東京で感染した人がいるのです。当然の対応だと思います。

 

 

 

昨日のニュースでは、新宿より池袋での感染が増えていると書かれていました。西武池袋線沿線には、当寺檀家さんが大勢住んでいます。円泉寺は西武池袋線「飯能駅」が最寄りの駅です。

 

来られたのは二人の真面目な営業さんです。
当然、マスク着用でした。
私もマスクは必需品です。

 

 

御本堂を開け広げて対応です。
まあ、通す部屋がないのと、一番風通しの良いのが御本堂なだけでしたが。

 

 

今までの契約より月々の支払いが、グンと多くなりますが、新しい提案を受け入れました。
実務を担当する部署からも電話連絡があり、先方の提案、こちらの要望などを話し合いました。

担当の窓口の方は、寺院の特色を良く研究しているようでした。
以前来られた別の会社では、営業が寺院や現在の意識の変化を知らなすぎることがありました。呆れて帰ってもらったことがあります。

ホームページは見た目が変わらないと思いますが、支払い分だけでも成果があればと思います。
各寺院だけでなく、いろいろな企業が新型コロナウイルスのために、壊滅的な被害を受けています。檀家さんから収入が減った、実質リストラなどの声を聞きます。

いつまでもじっとしているわけにも行かず、このところ人のいないと思われる場所に出かけ、ブログネタを見つけています。おとなしくばかりしていることも出来ません。

新しい提案には前々より考えていたことが含まれていました。専門知識がないと対応できないことでしたので、ワンステップが良い結果となれば良いと思っています。

 

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天台宗 薬王寺 埼玉県毛呂山町

嘉元の板碑に行く途中、ナビに薬王寺とありましたので参拝致しました。

毛呂山町の医王寺に参拝した後でした。寺名が異なっても薬師如来が御本尊となるわけです。

 

 

新編武蔵野風土記によれば、「天台宗、仙波中院の門徒、医王山千手院と号す、本尊薬師を安ぜり、」とあるだけでした。

まるで当寺・円泉寺のような新編風土記の文章です。

円泉寺のように江戸末期に住職が住んでいなかったからかも知れません。無住のため幕府への提出書類が、おろそかになっていた可能性もあります。

しかし、薬王寺は、良く整備されていると思います。

 

 

入口から御本堂に向かう途中に、六地蔵の石仏が祀られていました。

三面に地蔵菩薩が二体づつ、側面には南無阿弥陀仏と彫られています。

 

 

御本堂正面の額は、医王山とありました。

 

 

境内には板碑がありました。一部は読めるのですが、よく見ると自信が無くなります。

中央には大きめの梵字が三文字あります。上から梵字・大日如来「バン」、阿弥陀如来「キリーク」、釈迦「ハク」と思います。

左右の梵字と下の文字は、摩耗しており自信がありません。

 

 

天台宗 薬王寺 埼玉県毛呂山町葛貫821  地図

 

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嘉元の板碑 埼玉県毛呂山町

毛呂山町で一番大きな板碑で、鎌倉時代の嘉元4(1306)年とあります。

阿弥陀一尊の梵字「キリーク」が上部に彫られています。

 

 

 

高さが3、4メートルです。観無量寿経の光明遍照などが彫られていますが、この場所では良く読めませんでした。

画面を補正して、少しだけ読みやすくしています。

 

 

実は記憶にある場所を探したのですが、記憶違いで一本北側の道が正解でした。

Googleの世話になり、行くことができましたが、場所が毛呂山町大字大谷木1−15となっています。

「嘉元の板碑 毛呂山町」で検索すると、スマホの地図で案内してくれますが、本来の地番は毛呂山町葛貫字大石仏です。

間違いなく案内されたので良かったのですが。大谷木は北側の字です。

 

 

この場所は小字大石仏(大石仏)で、かつて真言宗宝福寺があった場所です。

現在の真言宗智山派・宝福寺は、毛呂山町大谷木154にあります。新編武蔵野風土記に葛貫の小名(小字)に大寺、下大寺があるそうですのですので、大きな寺だったのかも知れません。

いずれの時代に大谷木に移ったのか、分からないと書かれています。宝福寺地図

 

尚、毛呂山町で一番古い板碑は、智福寺の弘安3(1280)年です。以前のブログ リンク

 

嘉元の板碑 埼玉県入間郡毛呂山町葛貫字大石仏  地図

 

←医王寺 埼玉県越生町               薬王寺 埼玉県毛呂山町→

真言宗智山派 医王寺 埼玉県越生町

医王寺は円泉寺と同じ真言宗智山派に属しています。

越生町のホームページによると

「室町時代の応永19年(1412)、法恩寺第二世の曇秀を開山とする法恩寺の末寺です。寺に伝わる貴重な歴史資料として、天正18年(1590)、秀吉の小田原攻めの際、前田利家が軍勢の乱暴狼藉を禁じた禁制状が保存されています。また、薬師堂本尊、木造薬師如来坐像は越生に残る平安彫刻のひとつです。」

とあります。

法恩寺と同格の時代もあり、応永年間には十八ヶ寺の末寺がありました。

 

 

かなり大きな御本堂でした。

 

 

御本尊は平安末期から鎌倉時代の薬師如来とありましたが、下の画像の御堂が薬師堂のようです。

 

 

御堂の彫刻は、格式を誇る寺院らしく、見事な彫刻が施されていました。

 

 

鐘楼堂

 

ご住職夫人がおりましたので、虚空蔵尊のことを聞くと、「 祭礼の時は住職が儀式を執り行いますが、虚空蔵様は村持ちです」と話されました。

兼務寺とか医王寺持ちと書かれていることもありましたが、親切に教えていただき感謝しています。

 

医王寺 埼玉県入間郡越生町大字上野2043 地図

 

←虚空蔵尊 埼玉県越生町               嘉元の板碑

三満山 虚空蔵尊 埼玉県越生町

昭和48年(1973)に虚空蔵堂の万蔵寺(廃寺)天井裏から小判や古銭が109枚発見されました。

そのため福の神としての名声を高めたようです。

私も新聞で読んだ記憶がありました。ここだったとは思ってもいませんでした。

 

毎年3月にだるま市が開かれ、多くの参拝者で賑わいます。

 

 

参道東側の赤い屋根の寺が、廃寺となった万蔵寺と思います。

全国の寺院は無住や廃寺が増えています。特に祈願寺を維持するには、厳しい時代となっています。

 

 

ここから桂木観音方面には車では行けません。通行止めになっていました。

あくまでもハイキングコースとして、地元の方の道です。

 

 

この後に近くの医王寺にも参拝しましたが、たまたま住職夫人がおり、「 祭礼の時は住職が儀式を執り行いますが、虚空蔵様は村持ちです」と話されていました。

兼務の寺や医王寺持ちではないそうです。

 

 

朝方まで降っていた雨のため、落ち葉のある階段を注意して登りました。

手すりがあって助かります。

 

 

虚空蔵堂に到着しましたが、息切れをしてしまいました。運動不足です。

 

御堂は比較的新しく、高い場所での資材の搬送、工事など、どのように行ったのか興味があります。工事用道路があるのか確認を忘れました。

今日は誰もいませんが、祭礼のブログなどを読むと、多くの人に愛されていると思いました。

 

 

毎年3月の祭礼には、多くの参拝者で賑わいます。

中を覗くと虚空蔵菩薩の三満山星光院とあるお姿がありました。

私はうさぎ年ですが、旧暦で言えば寅年です。健康を祈願して般若心経などをお唱え致しました。

 

 

ここの石仏は子授けの虚空蔵菩薩です。

各地(特に関西)の虚空蔵菩薩をお祀りしている寺院では、十三詣りが昔から知られています。数えで十三歳になったおりに、知恵と健康を授けていただくよう、お参りする行事があります。

知恵の文殊と言われていますので、入学成就・学業成就祈願で多くの参拝者が詣でる寺院もあります。

私は、これ以上ボケないようにと、お願い致しました。

 

 

階段を登り切った場所に狛牛、狛虎の石像が祀られています。

 

 

虚空蔵菩薩の生まれ年本尊が、丑年・寅年にちなみ祀られています。

 

狛牛

 

狛虎

 

以前はこのくらいの階段は怖くありませんでしたが、ぬれていましたので慎重におりました。

 

 

この後、近くの医王寺に向かいました。

 

三満山 虚空蔵尊 埼玉県入間郡越生町大字上野2261 地図

 

円泉寺と七観音石塔 埼玉県越生町               真言宗智山派 医王寺 埼玉県越生町

 

円泉寺と七観音石仏 埼玉県越生町

私が住職を務める寺と同じ寺院名であり、宗派も同じ真言宗智山派に属しています。

東松山市の御住職が兼務しています。

 

 

新編武蔵野風土記によれは、御本尊は薬師如来とあります。

 

参道入口には立派な板碑が祀られていました。右側には地蔵菩薩です。

板碑は残念ながら上部の梵字部分が割れており、文字も風化しています。

 

 

寺の西側の道を北に向かうと、七観音と馬頭観音の石仏がありました。

 

 

一番上が千手観、右に聖観音・十一面観音・馬頭観音、左に如意輪観音・不空羂索観音・准胝観音だそうです。

文化11年(1814)に鹿下村の観音講によって作られました。

もともとは白根橋のたもとにあったそうです。円泉寺に祀られたわけではありませんでした。

 

七観音石仏

 

寺の裏側から、ここに来る小道があるようでしたので、てっきり寺の石仏と思っていました。

 

 

円泉寺 埼玉県越生町鹿下60  地図

 

←法恩寺 渋沢平九郎の埋首の碑 埼玉県越生町          虚空蔵尊 埼玉県越生町  

法恩寺 渋沢平九郎の埋首の碑 埼玉県越生町

法恩寺は天平10年(738)に行基菩薩によって開かれた寺として知られています。

江戸時代は真義真言宗関東十一檀林の寺で、多くの僧侶を養成していました。現在でも多くの末寺を持つ真言宗智山派の本寺です。兼務する寺院も多くあります。

ここも越生七福神の札所で、恵比須さまを祀っています。

 

渋沢平九郎の墓の三回目です。自決の地リンク     全洞院墓

 

場所は「越生駅」西側から、すぐの場所にあります。

 

 

多くの宝物が残されており、重要文化財などに指定されています。

同じ宗派ですが、私が住職をする寺とは、歴史も規模も大違いです。

 

 

渋沢平九郎埋首の碑は、墓地に向かう階段の途中にあります。

 

 

明治7年(1874)、法恩寺の渋沢平九郎お骨は、場所が分からないようです。谷中の渋沢栄一家の墓に移されましたと書いてあるサイトもありましたが、事実ではなさそうです。

渋沢栄一家の墓にある平九郎の墓は、石塔が深谷に移されたようです。事実か分かりませんので、後日確認したいと思っています。ストリートビューで見ても、谷中には他の方が紹介している石塔がありませんでした。渋沢栄一家 谷中墓地 地図

全洞院のように墓は作らなかったようです。

この碑は、昭和39年に建立されました。

 

 

境内は広く、また整備されていました。

 

 

法恩寺 ホームページlink

法恩寺 埼玉県入間郡越生町大字越生704  地図

 

 

←渋沢平九郎の墓 全洞院 埼玉県越生町          円泉寺と七観音石塔 埼玉県越生町

 

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