円泉寺便り

向徳寺 重文本尊・善光寺式阿弥陀三尊 と 板碑 埼玉県嵐山町

珍しい時宗の寺院です。

御本尊・善光寺式阿弥陀三尊は国の重要文化財に指定されています。

山門の右側に板碑が集められています。時宗らしく阿弥陀如来がほとんどでした。

 

見栄えのある板碑が並んでいました。墓地や御本堂と合わせて38基あるようです。

奥の右端の板碑が、一番古いようです。

 

御本堂の御本尊が、善光寺式阿弥陀三尊です。光背はなくなっているそうです。

 

向徳寺は全国善光寺会の会員のようです。

時宗向徳寺 埼玉県比企郡嵐山町大蔵635

曹洞宗・宗心寺 阿弥陀如来複合青石塔婆 板碑 埼玉県嵐山町

宗心寺には室町時代の阿弥陀如来と梵字の彫られた複合板碑(青石塔婆)があります。

旗本1200石・折井家の菩提寺ですので、有力な寺院だったと思います。

たぶんリンク先の折井氏と思います。折井氏リンク

境内入り口の両側には門柱があり、小さな狛犬が乗っています。この意匠は面白いですね。

 

風神雷神の石仏は、初めて見ました。

曹洞宗宗心寺  嵐山町山田1055 地図

 

阿弥陀如来と梵字の複合板碑です。

残念ながら梵字・キリークが上部に彫られていますが、ほとんど欠けています。

文永八年(1270)

 

琵琶がたわわになっていました。

 

困った御朱印マニア

先月でしたが、御本堂で49日忌の御法事の最中に来られた御朱印マニアのことです。

納骨の準備をしていた石屋さんが、御法事中に 「住職を呼んでこい! 」と怒るだけでなく、無理矢理に本堂を開けようとした人がいると話していました。

石屋さんは必死に止めたそうです。

来られた方は、しぶしぶ差し替えを持って帰ったそうです。他でも問題を起こしているのでしょう。

ある時は、これから御法事で正装でいるにもかかわらず、「急いでいるんだから、すぐ書いてください!」と言う人がいました。

始まる寸前のでしたので、「1時間後に来て下さい」と言うと、怒り出した人がいました。

時間があれば墨が付くと困りますので、着替えて書いたこともあります。

 

檀家さんが御朱印に来られ聞いたのですが、ある寺か神社で、その人より先に御朱印を申し込んだ人が大柄だったために、その時「今日は書かない!」と言われたそうです。

仕方なく後日お参りに行ったこともあると話していました。

「御朱印 受け付けません」の張り紙を見たこともあると話していました。

 

御朱印ブーム以前は大柄な人がいました。

近頃は良くなったと思っていましたが、マダマダいるのですね。

 

江南文化財センターの阿弥陀三尊・善光寺式阿弥陀三尊板碑 板石塔婆 大沼公園 埼玉県熊谷市

江南文化財センターには、記年名のある板碑では日本一古いと言われています。調べると日本で三番目となるようです。

記年名の明らかな板碑は、真光寺、江南地区など、熊谷近辺に集中しています。

古い信仰心のある武将や僧侶の存在があったようです。

江南文化財センター  埼玉県熊谷市千代329 地図

中に入ると、発掘された数多くの土器が展示されていました。

 

平安末期の金銅阿弥陀如来像

 

寺内廃寺模型

 

今回は国史跡幡羅官衙遺跡群遺跡の出土品が展示されていました。

 

塩古墳群の石室

 

今回の目的である板碑が展示されていました。

 

かつて大沼公園にあった阿弥陀三尊板碑です。鎌倉期のこの地に阿弥陀信仰が盛んだったことが知れます。

嘉禄三年(1230)三尊

大沼公園にはレプリカがあります。

 

善光寺式阿弥陀三尊板碑  寛喜二年(1230) 

嘉禄三年(1230)と 寛喜二年(1230)は同じ年名のですね。

 

弘安銘曼荼羅板石塔婆

 

板碑ばかり気にしていましたが、下の塚の上にある卒塔婆や四十九院と思われる塔婆がこの時代にもあることを知りました。

 

この後、大沼公園に向かいました。駐車場は沼の南側にあります。看板がないので、釣りの方に聞き止めることができました。

大沼公園

 

何人かの釣り客がいましたが、ここでは御夫婦で釣りをしています。

 

弁天堂の北側にあるのが、阿弥陀三尊板碑です。

 

レプリカの阿弥陀三尊板碑

本物は、ここから江南文化財センターに移されて、展示してあります。

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樹木葬 ?

ブログを始めたから各地に出かけているのか、出かける口実のためブログを書いているのか分かりませんが、お寺参りも多くなりました。

かつて永代供養施設のなかった寺院でも、巡った場所でよく見かけるようになりました。

 

樹木葬も増えています。初めて見た樹木葬は樹木が沢山あり、公園の一角のようでした。でも経費が高い施設でした。

せいぜい5、6坪の敷地に小さなカロートをいくつも作り、四角や丸の墓誌を兼ねた蓋があるだけの施設が増えています。

しかし、樹木の中に永代の施設があるのではなく、施設の周りに低木がある、あるいは草花だけの樹木葬が多くありました。

 

当寺の永代供養塔の方が、合祀ですが樹木には恵まれています。

一角に紫陽花を植えました。

大きくなるのが楽しみです。

円泉寺永代供養塔link

追記 2019.06.25

供養塔はサツキの頃が、一番きれいです。

嵐山史跡の博物館と菅谷館 埼玉県嵐山町

菅谷館跡を散策する前に、嵐山史跡の博物館で知識を蓄えました。

すぐに忘れてしまうのでしょうが。

 

何度か来ていますが、最初は嵐山町でなく菅谷村だったように思います。

嵐山町は秩父氏の本拠地でした。現在の秩父市から畠山の地に移り、畠山を名乗りました。

嵐山史跡の博物館 埼玉県比企郡嵐山町菅谷757

ホームページ        地図

 

博物館に入ると畠山重忠が迎えてくれます。その当時の歴史を簡単に聞くことができます。

 

ビデオで見る「男衾三郎絵詞の解説」からも、その時代の武士の生活を知る事ができます。

菅谷村当時の地図の上に遺跡群が表示されています。鎌倉街道にある重要な地域として、畠山氏やその後の戦国武将の城跡として、、重要な地域だったことが分かります。

 

発掘それた陶器などが数多く展示されていました。

その中で一番注目したのが、金箔を施された板碑です。

菅谷館で発掘されましたが、いままでに金箔を施されているのを見たことはありません。

板碑は埼玉県が一番多いのですが、他にもかつては施されていた者もあるに違いありません。

 

輸入された唐物の陶磁器は、憧れの元だったようです。よほどの財力がない限り求めることはできませんでした。

日本でも生産され、比較的裕福な人が帰るようになったのは、優れた陶磁器の生産地と流通が発展してからです。

都内の博物館で、京都で発掘された陶磁器の問屋街状況を展示していたのを見た記憶があります。

 

引き続き菅谷館跡の散策です。

畠山重忠の父・重能によって築かれ、戦国末期まで使用されました。

 

ここの高くなった場所に畠山重忠の像があります。

先ほどの嵐山史跡の博物館の近くです。

 

土塁、堀、郭で何重にも防備を固めています。

 

敷地をさらに南に行くと都幾川に出ます。鎌倉街道だけでなく、この川も重要な水運と道だったと思います。

 

サツキの花にアゲハチョウ

いつもは逃げてしまい、なかなか写せないのですが、どうにか見られる写真が撮れました。

しかし、ほとんどがピントが合っていません。

よっぽどミツが美味しいのでしょう。

ザクロの花と鬼子母神さま

一週間前よりザクロの花が咲き出しました。

昨年咲き出して、少し見られるようになりました。

少し手入れをしないといけません。伸び放題になっています。

花芽がたくさんありますので、これからが楽しみです。

 

御本堂に祀ってある鬼子母神様です。手に持っているのがザクロの果実です。

 

この御尊像に因み、一昨年植えました。

かなり大きくなりますので、場所をもっと考えれば良かったと思っています。

葬儀費用が、息子の新車代に !

良くあることなのですが、自分の葬儀費用、墓地費用を子供に預けておいたら、車代になった、孫の学費になったなどと言われることが何度かありました。

預けた甥が先に亡くなってしまい、お金が返ってこなかった。
などなど。

私も永代供養の方ですが、独身で癌を患った子供のいない方から二度ばかり、葬儀費用を預かったことがあります。預かりたくなかったのですが、共に余命数ヶ月と言われ、仕方なく預かったわけです。
生前戒名も本人納得の上でした。

長生きをして、葬儀屋さんへの支払いが不足したらと心配していましたが、低価格でありながら、親族が驚くような葬儀を行うことが出来ました。
プラスマイナスゼロです。
付き合いのある葬儀屋さんのお陰でもあります。

今では私が先に逝く可能性が多々ありますので、葬儀費用など預かることはお断りしています。

 

別の写真です。

 
近在の引き取り手の無いお骨をしばらく預かったことがあります。

しかし、アパートから数百万円が出てくると、息子さんが九州からお骨と現金を引き取りに来たことがありました。

孤独死が多くなっています。
お金が全く無い方も多く、行政も対応が大変なようです。

永代供養の見学に来られる方が多くなりました。本気で終活を考えている方も来られます。
しかし、家族、親戚に相談無く、自分だけの意思で進めることは出来ません。
元気な内に、ある程度考えておく必要があると思います。
当寺で預かることにしてありながら、財産の取り合いとなり、死後連絡が取れなくなったことが何度かあります。
お骨はどうなったのでしょう。

以前、本人と後見人さん、葬儀社社長がおいでになって、だいたいのことを決めて行かれたことがありました。システム化してあるようです。
珍しい例ですね。
良い後見人さんでないと安心できません。また、そこまで対応する後見人さんは少ないようです。

ある人が一年以上前に亡くなったそうです
後見人さんからは連絡がありません。面倒くさいことは、関知しないとのことでしょう。業務外と言われた方もいます。

後見人事務所の方が気の毒がって、ご親戚の合意の上、お骨を届けに来たこともありました。
今なら永代供養が3万円の所に送られるのかもしれません。お骨を送るなんて、郵政は何を考えてるのでしょう。
物扱いですね。

 

飯能で一、二を争う狭く、細い公道

飯能駅とぺぺの北側、みずほ銀行西側にある細い道です。

一応公道なのですね。

 

 
 
 

 

地図  地図を拡大していただくと、狭い道が確認できます。

約60数メートルです。

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