円泉寺便り

遠頼の画像

遠頼(よりとお)は、歴史上知られた人が何人もいます。

右脇にマスクがありますので、写経が終わりったところのようです。

 

 

にこやかなお顔をしていますので、満足する写経が書けたのでしょう。

 

 

藤原信實の絵を元に描かれた写しのようです。 藤原信實 wikipediaリンク

これを写した画家も、優れた力量の方だったと思います。

 

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聖観音と空也上人の掛軸

二十代のころ、二度ばかり京都の六波羅蜜寺をお参りしました。六波羅蜜寺は当寺と同じ真言宗智山派に属しています。

その時の目的は空也上人立像と平清盛坐像です。教科書にも掲載されていましたので、ご存じの方も多いと思います。

 

聖観音菩薩と空也上人が描かれた小さな掛軸です。小さな画像ですが丁寧に描かれており、力のある画家が描いたことが分かります。時代、作者名共に不明です。空也上人 wikipediaリンク

寺院ではなく、一般の信者さんが持っていたのかも知れません。

 

 

文字が崩してありますので、大体の意味しか理解できません。観音様と空也上人像を写し、由来を述べた作品です。

共に二尺の大きさの像と書かれています。

「朱雀天皇(923~952)の后宮が天慶元年(938)に作らせた観音像に、子内親王が出産のおり、空也上人に安産祈願をしていただいた。空也像は安和年中(968~970)、??寺の成清が刻んだ像である。」と書かれているのかも知れません。

いかに勉強していなかったか分かってしまう内容で、大変申し訳ありません。まったく違っている可能性もあります。

 

 

空也上人

聖観音

 

六波羅蜜寺などの南無阿弥陀仏と唱えている空也上人像は、鎌倉時代と言われていますので、このような伝承があった寺院で作られた掛軸と思います。

 

二体の仏像が、どこで祀られていたのかは書かれていません。

六波羅蜜寺の空也上人像は、1メートル以上ですから小ぶりの像です。六波羅蜜寺wikipediaリンク

口から出て来る阿弥陀如来は三体だけです。南無阿弥陀仏まで唱えない内の南無阿ですが、略されているのでしょう。

 

空也上人は一宗旨にこだわらなかったそうです。念仏聖の先駆けとなり、一遍上人に大きな影響を与えました。

お墓は六波羅蜜寺近くの西光寺にあります。

 

追記

「空也」で検索すると和菓子店が出てきました。他にも有名な僧侶名や歴史上著名な人の名を利用した所もありました。

私には感心できません。

 

 

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アジサイの狂い咲き

永代供養塔脇に阿弥陀さまの石仏があります。

後ろに昨年植えた紫陽花が、狂い咲きしていました。

 

 

他の花は終わりなのが分かると思います。昨年も狂い咲きしていました。

もう9月ですから、すでに猛暑の時から咲いています。

 

 

来年は、もっと咲くでしょうが、狂い咲きすることはないと思います。

 

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小さな薄緑の花 カラスウリと思っていたらアレチウリだった

永代供養塔とペット供養塔の間に、寒椿がありますが、カラスウリを這わせてみました。

かつては檀家さんが断らずに切ってしまいました。

 

 

じっくり見ないと気がつかないと思います。小さな目立たない花です。カラスウリと異なります。

 

 

 

小さな虫たちも来ています。

 

 

かつてあった同じような蔓草がありましたが、遙か大きく白い花でした。これがカラスウリだったのです。

アレチウリは特定外来生物ですので、全て取り去るつもりです。

残念。

 

 

他の場所に実のなった蔓草がありました。

来年は種から挑戦します。

 

←この高温の中 永代供養塔墓誌彫刻作業          アジサイの狂い咲き→

 

この高温の中 永代供養塔墓誌彫刻作業

まだまだ暑い日が続いています。

今日は気がつくと、永代供養塔墓誌に戒名などを彫刻していました。

慌ててカメラを取りに行きましたが、終わる間近です。

 

 

先程まで鉄粉を吹き出す音がしていましたが、静かになっています。

 

 

完全防備のような姿で、作業をしていたことが分かると思います。

この暑い日差しの中、鉄粉と石の破片が飛び散るのですから、楽な仕事ではありません。

 

 

丁寧な仕事をしていただきました。

 

 

当寺の墓誌に彫刻する文字は、他の寺院や霊園などに比べると、大きく彫刻されています。

墓誌も大きく、見栄えの良い納骨の施設です。

契約された方の全てが彫るわけではありませんが、後々残るお名前や戒名ですので、満足度は大きいと思います。

 

←慈母観音像掛軸               小さな薄緑の花

 

慈母観音像掛軸

慈母観音画は、多くの日本画家が描いているようです。

この掛軸は佐々木泰然作の慈母観音像掛軸です。狩野芳崖作品に似ています。

 

 

佐々木泰然を調べると、かなりの作品がネットに出てきます。この作品と同じようですが、似た慈母観音もありました。

 

下の掛軸は有名な狩野芳崖の慈母観音です。

当然巧芸品なのですが、手に入れた掛軸の色が悪く、かなり色調を変えています。

 

 

狩野芳崖は別格です。

 

←永代供養塔の観音様               この高温の中 永代供養塔墓誌彫刻作業

 

永代供養塔の観音様

今朝も永代供養塔の前で勤行を行っていると、観音様のお顔が神々しく感じました。

諸堂を廻り、近在のおばちゃんと立ち話をした後の撮影でしたので、少し感じが変わっていました。

 

 

それでも良いお姿だと思います。

 

 

供養塔内部に観音様が祀られています。

よく見えなくて残念なのですが、正面と同じ天女像が後ろに彫られています。

 

 

まだまだ暑い日が続いています。さらに新型コロナウイルスのために、お参りが減っていますので、祀られている方々も寂しい思いをしているかも知れません。

境内は三密の心配はありませんので、気軽にお参りください。

 

←桜井の別れ 斉藤弓弦作               慈母観音像掛軸

 

楠木正成 桜井の別れ 斉藤弓弦作

斉藤弓弦作の「桜井の別れ」です。

太平記にある有名な話しです。足利尊氏との決戦前、桜井の駅にて楠木正成(まさしげ)と息子の正行(まさつら)の別れが描かれています。

別れの後、正成は足利尊氏軍と湊川で戦い戦死しました。勝算のない覚悟の戦いでした。楠木正成 wikipedia リンク               楠木正行 wikipediaリンク

戦前であれば、国語や修身の本には、必ず掲載されていたそうです。

私は戦後の生まれでしたが、「月刊歴史読本」を時折購読していましたので、少しは知っていました。桜井の別れ ウィキペディア リンク

 

 

今から45年程前に京都から大阪の寺院詣でに向かう途中、「桜井の駅跡」の案内板がありました。桜井の駅ウィキペディア リンク

桜井の駅ですから、てっきり奈良県の桜井にあると思っていたのが、恥ずかしく思い出されます。

その時、寄らずに行ってしまったのが、今では残念でしかありません。

桜井の駅跡  大阪府三島郡島本町桜井1丁目3  地図

 

 

斉藤弓弦の作品は、上品な顔立ちの人物像が多く見られます。

厳しい戦いを迎える前に、正行に対する深い愛情を感じさせます。

 

 

作者の斉藤弓弦は、宮城県で明治14年生まれ、本名は亀治。小堀鞆音門下となりました。得意画は人物です。

東京淀橋区に住みました。文展・帝展で活躍し、戦後は郷里の丸森町に帰り、創作に励んだそうです。

昭和49年に94才で亡くなられました。

 

←序の舞 上村松園作復刻版               永代供養塔の観音様

序の舞 上村松園作復刻版

有名な上村松園が描いた「序の舞」(重要文化財)の復刻版です。

かつて映画やテレビで、松園の一生が取り上げられました。

映画は見ていませんが、テレビ放送はわずかに記憶しています。

 

あの時以来、「序の舞」の巧芸品を手に入れたいと思っていましたが、とてもとても手に入れられるような金額ではありませんでした。

 

上村松園 wikipediaリンク

 

この掛け軸は以前に1500部も作られていました。それだけ人気のある作品だったわけです。

これが数百では、ますます手に入らなかったと思います。

 

日本の建物に床の間がなくなったのが、安く手に入れられた要因の一つでしょう。

 

檀家さんが、御本堂に掛けたこの掛軸を見て、一生懸命撮影をしていました。フルサイズで単眼の高級機です。

私には、とても買えません。

 

←寒山拾得拓本の掛軸                桜井の別れ 斉藤弓弦作

 

寒山拾得拓本の掛軸

たしか高校生の頃、森鴎外の小説を読んだ記憶があります。

また、京都のどこかの寺?で、墨絵の掛け軸を見たことがありました。二人とも前を見ていたと思います。

かなり以前に求めた掛軸です。よく知られるこの拓本は、記憶にある絵とはマッタク異なっています。

 

 

唐代の寒山寺に伝わる二人には、いろいろな伝承が残されています。寒山拾得wikipediaリンク

普賢文殊の化身と言われているですが、後世多くの禅僧に注目されました。

 

 

多くの人が寒山拾得図を描いていますが、良い作品は高価すぎて私には無理そうです。

 

東京都青梅市の寒山寺は「澤乃井」「ままごとや」の一角のような施設(寺)ですが、階段上部右脇に寒山拾得の姿が彫られた碑が建てられています。リンク

おそらく、この図を写したものと思います。約5年前の写真です。

 

青梅市 寒山寺

 

 

澤乃井から吊り橋を渡り、対岸に寒山寺が在ります。

「澤乃井ままごとや」には、かつて家内と時折食事に行きました。好きな場所です。近くの澤乃井・櫛かんざし美術館は面白い施設です。

 

←日射病で救急車で緊急搬送               序の舞 上村松園作復刻版

 

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