摩利支天

宮子神社と摩利支天石仏 群馬県伊勢崎市

宮子神社の祭神は大己貴命(大国主命)で、万寿3年(1025)の創建です。

たまたまですが、先ほど行った大国神社も祭神は大国主命(大黒天)でした。

 

 

素晴らしい龍の彫り物があります。

 

廃仏毀釈以前は別当として月読山福昌寺が勤めていました。

お社の右脇、林の中には歴代住職の墓石も並んでいます。

 

 

これだけ石仏などが並んで知るところは少ないと思います。

 

 

他にも沢山の石仏・石祠などが祀られています。

 

本日の目当ては、摩利支天石仏です。前に狛犬が守っていました。

 

 

猪に乗った精悍な摩利支天です。

 

 

少し前に参拝した白龍神社は、女神の摩利支天でした。白龍神社ブログlink

 

宮子神社 群馬県伊勢崎市宮子町1710 地図リンク

 

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大国神社 群馬県伊勢崎市

大國(おおくに)神社は垂仁天皇の9年に大国主命を祀りました。

延喜式に書かれている上毛の五之宮で、第五姫宮・五護之宮とも言われているようです。

神護景雲元年(767)に社殿が造営されました。

 

 

祭礼の折には伊勢崎市指定無形民俗文化財に指定されている獅子舞が行われます。

 

 

八坂神社前に石幢がありました。

 

 

昔、近くの御手洗池畦で発掘されたと伝えられています。

 

 

境内には多くの石祠が祀られていました。

各神社の名前が示されているのは、ありがたいです。

 

 

摩利支天宮

 

 

大國主命

 

 

大国神社  群馬県伊勢崎市境下渕名2827  地図リンク

 

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御嶽山白龍神社 群馬県伊勢崎市

そこそこの広さの池に赤で統一された鳥居・欄干・お社など、主立った場所が鉄骨で出来ています。

 

 

池には足こぎのボートがありました。

 

 

鳥居を潜り、駐車場より欄干を通って、お社に向かいました。

 

 

昭和50年に出来た新しい神社でした。

御嶽山系の行者さんが開かれた神社のようです。

 

 

御滝三神の内、摩利支天が池の東北側に祀られていました。

 

 

各地で見る猪に乗った摩利支天ではなく、女神の像でした。

 

白龍神社 群馬県伊勢崎市東小保方町2944 地図リンク

 

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香林火雷神社 群馬県伊勢崎市

室町時代より「境野家」の氏神として「太郎宮」が建立されていました。

群馬県は雷が多く、明治12年に火雷(からい)神社と改称されています。

 

 

鳥居の額には「泰?宮」とあります。室町時代より「太郎宮」と言われていたそうですが、異なるようです。

二文字目が分かりません。「菎」とも異なるようです。

 

 

境内には「摩利支天尊」が祀られています。

各地の摩利支天尊は、勝負の神として知られているところが多くあります。

 

 

中には各地の摩利支天尊と同じく、木刀が納められていました。

剣道だけで無く、柔道・受験・選挙などの勝負事?に買った祝いに、木刀を納めているところが多くあります。

 

火雷神社  群馬県伊勢崎市香林町2丁目甲789  地図リンク

 

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新しい摩利支天像

当寺で迎えた新しい摩利支天さまです。高野山霊宝館に納められている画像が元になっているようです。高野山霊宝館摩利支天リンク

台座を含めて、わずか10㎝ほどの御尊像です。

 

埼玉県・東京都を中心に、摩利支天を祀る寺社を調べました。リンク

由緒のない御尊像ですが、当寺にはふさわしいかと思います。

 

 

お厨子が大きすぎますが、勘弁していただこうと思います。

 

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泉岳寺 港区高輪

泉岳寺と言えば赤穂浪士を思い浮かべますが、今日は摩利支天を祀る寺としてお参り致しました。

春のご開帳に合わせて行く予定でしたが、あいにく用ができてしまい、お参り出来ませんでした。来年のご開帳にはお参りしたいと思っています。

 

高輪中学、高校の南門は、寺の境内から入るようになっていました。

 

境内図

 

縁起

 

四十七士のことは事実と異なることがあまりにも多く、演劇などで知られることとは、事実だけとは言えないようです。

浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に対して刃傷におよんだことは事実ですが、殿中で刀を抜いただけでも切腹間違いなし、お家断絶の時代でした。

饗応役として経費をケチったことは事実のようです。また取り調べの様子と言動が記録に残っているようですが、内匠頭の言動は意味不明すぎます。江戸の家臣達は内匠頭の変調を外にもれないよう、国元にも知られないよう苦労したのでしょう。かつてこの言葉を精神科医として判断した文章が「歴史読本」に記載してありました。

また、「戦国武将を診る」早川智著があるようです。リンク

吉良上野介を一方的に悪く言っていますが、地元では名君として知られていたようです。賄賂が少なかったと言いますが指導料です。

浪士の墓入口

水琴窟

 

浪士の墓には多くの方が来られ、お線香を手向けています。欧米系の方も手向けていました。

 

大石内蔵助の墓

 

大石主税の墓

 

曹洞宗 泉岳寺  東京都港区高輪2丁目11−1 ホームページlink

東京都埼玉県の摩利支天 リンク

 

  森美術館塩田千春展                   真言宗豊山派円照寺 新宿区北新宿→                       

妙善寺 摩利支天 東京都港区

日蓮宗妙善寺は江戸時代には、摩利支天をお祀りする寺として広く知られており、祭礼には多くの参列者で賑わいました。

現在も御祈願を受け付けているようです。

道を挟んで反対側には、六本木ヒルズ森タワーがあります。

妙善寺は寺の入口がビルとなっていました。このビルも妙善寺の建物なのでしょう。

 

御本堂の下は池になっており、滝からは大量の水が流れ落ちています。

 

池には多くの錦鯉が泳いでいました。

 

参拝が終わり、六本木ヒルズ森タワーの展望台と森美術館に向かいました。

 

日蓮宗 妙善寺  東京都港区西麻布3-2-13  地図     ホームページlink

 

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豊川稲荷東京別院と摩利支天 港区元赤坂

豊川稲荷は、思った以上に若い方がお参りしていました。

さすが東京別院です。次々に参詣客が来られています。

 
 
 
 
 

豊川稲荷東京別院  東京都港区元赤坂1丁目4−7 地図

 

境内に入ると、沢山の神仏が祀られています。

七福神の前で、一生懸命手を合わせている方もいます。

 

先ずは身を清めます。

 
 
 
 
 

今回の目的の摩利支天様です。

ここでも一生懸命、お経と御真言を唱えているがいました。

私は、お唱えが終わるまで他の神々をお参りすることに致しました。

 
 
 

七福神様も好みの神様がいるのでしょう、御神酒の数が異なります。

 
 

愛染明王様には、女性の両縁成就を願う、ハートの絵馬が並びます。

 
 
 

飯能御嶽神社と摩利支天碑 飯能市川寺

以前、抜け道を利用して帰る途中、飯能御嶽神社の脇の踏切手前で、西武線の信号のため止まりました。

ふと見ると、「おんたけうどん」の看板があり、食べて帰ることにしました。

 

お社の西側には、いろいろな石碑が祀られています。

摩利支天の碑もありました。

前回は、カメラを持っていなかったため、お参りとうどんだけで帰りました。

 

今回は、カメラもお賽銭も多めに持って参拝です。

すぐ裏が線路ですので、お参り中も何台も電車が通過します。

 

御嶽大神のすぐ前が、摩利支天です。

 
 

5月  例大祭 

1月1日   元旦祭

2月3日   節分祭

12月冬至  星祭り

 

今日は野菜天ぷらうどんにしました。

少し甘めの汁でしたが、好みの範囲です。また、お参り方々来る予定です。

 
 
 

 

 

猪に乗った摩利支天

 

本当は「あけましておめでとう」と言いたいのですが、喪中になってしまいました。

本年も よろしくお願い申し上げます。

合掌   

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