円泉寺便り

上之村神社 大雷神社 埼玉県熊谷市

応永年間の創建で、久伊豆神社といわれていたようです。

上之村神社は成田氏による庇護がありました。成田氏ウィキペディアlink

忍城に移るまで、成田氏は古くから当地・幡羅郡の土豪であったそうです。

 

 

神社の前は堤が築かれています。中には小川が流れていましたので、掘かと思いましたが、異なるようです。

館跡のように思っていました。

雷電神社は上之村神社の摂社のようです。

 

 

看板にあるように、熊谷市で一番古い鳥居です。

 

上之村神社    地図          ウィキペディアlink

登由宇気神社 埼玉県熊谷市

平将門と深い関係のあった平良文は、現在の熊谷市村岡にいました。良文は村岡五郎と称していました。

良文の住んでいた村岡については、他の場所であるとする説もありますが、渡辺綱の父・源宛(みなもとのあつる)との逸話の場所を考えると、現在の熊谷市村岡となります。

良文の子孫もここに住んでいた記録があります。

 

さて登由宇気(とようけ)神社神社です。

 

 

かつては神明社でしたが、明治になり今の名称になりました。

ここの祭礼は年四回あり、団子撒きが行われます。

 

 

境内末社・八坂神社祭礼ではたくさんの灯籠がともります。「村岡のばか灯籠」と言われています。

 

 

荒川の周りは田んぼが広がり、良文を支える豊かな荘園だったのでしょう。

 

 

登由宇気神社   埼玉県熊谷市村岡851-1

追記  渡辺綱ブログ

 

小鹿神社 埼玉県小鹿野町

①小鹿神社

小鹿野町にある小鹿神社です。私は「おがのじんじゃ」と読んでいましたが、「おかじんじゃ」「おしかじんじゃ」とも言われているようです。

看板にふりがなも入れて欲しいです。

4月の小鹿野春まつりは、400年の歴史を持つ例大祭のようです。

4基の屋台・笠鉾が神社や町内を行き交い、「小鹿野歌舞伎」が上演されます。

明治17年11月の秩父事件は吉田が始まりでした。

三千人以上の困窮した農民が吉田の椋神社に集結し蜂起しました。諏訪神社(現小鹿神社)は秩父困民党の宿営した場所です。

秩父事件ウィキペディアlink

 

小鹿神社  32  地図

 

②小鹿神社

もう一社、小鹿神社がありました。

 

分かりづらい写真ですが、参道入口の右側に安政6年に建てられた安積良斎の小鹿野碑があります。小鹿野碑

国道299号沿いにあります。

 

小鹿神社  下小鹿野  地図

 

埼玉県山西省友好記念館 神怡舘 (閉館) 埼玉県両神村

法養寺の後に、近くの神怡舘に向かいました。

ここに来て初めて知る施設です。拝観者は私以外に女性二人組だけでした。

 

埼玉県と山西省の友好記念館です。平成4年のオープンです。

 

 

両神村で一番の巨大施設なのでしょう。

中には中国から寄贈された神像や建物のモニュメントなどが展示されていました。

 

 

表の像だけ見ても、素晴らしさは理解できると思います。

 

 

中国製の土産などもありました。

 

 

鳳鳴閣で昼食をとりました。

やはりここでも客は、先ほどの女性二人と私だけです。

 

 

山西省友好記念館 神怡舘  埼玉県秩父郡小鹿野町両神薄2245  地図

 

追記 平成30年に閉館となりました。

 

法養寺薬師堂と両神神社 埼玉県両神村薄

左 薬師堂       右 両神神社

薬師堂と両神神社は県道37号線に面して、並んでいます。

四阿屋山 法養寺薬師堂 埼玉県秩父郡両神村薄1823  地図

 

①薬師堂

 

日本三大薬師尊だそうです。秩父十三仏霊場です。リンク

真言宗智山派の寺で、小鹿野町の十輪寺が兼務しているようです。

創建は室町時代になります。

 

本尊薬師如来のほか、十二神将などが祀られていました。

 

②両神神社

両神神社は三社あり、ここは県道に面した旧村社として地図に表示されているところです。

 

 

この地出身の丹党・須々木(薄)氏は、鎌倉時代に備前国(岡山県)に移りました。

 

岡山県の須々木氏子孫が、この碑を建立したそうです。

 

更木天満宮(天満大神宮) 埼玉県皆野町

急な階段が八十三段あります。

手すりがないと不安になります。

 

どうにか社殿につきました。後ろを振り返らず、登ったのは久しぶりです。

ここの彫り物は見事でした。

 

ここの神社の詳細は分かりません。道路に面して大きなカツラの木があります。

 

更木天満宮 埼玉県秩父郡皆野町金沢3429  地図

三光神社(みょうけんさま) 埼玉県小川町

建久年間(1190~)に児玉党竹沢氏の子孫によって、妙見社として創建されました。

廃仏毀釈により、日・月・星を祀る三光神社となりました。地元の方々は今でも「みょうけんさま」と言っているようです。

 

 

かつては北辰妙見菩薩が祀られていました。

秩父七妙見の一社に数えられていますが色々な説があり、「秩父志」ではここを入れていません。

 

 

大杉は34メートルもあり、町指定天然記念物となっています。

 

稲荷社  手長男社  聖天社

 

 

三光神社  埼玉県比企郡小川町大字木部(木部字妙見沢)458

 

梅園神社 埼玉県越生町

梅園神社には17枚の棟札が残されており、最古の物は摩耗して読めませんが、新編武蔵野風土記によれば、北朝方の年号「観応元年(1351)」と記載があります。

古くは天満宮と称していました。

 

 

廃仏毀釈により、別当であった大泉院が廃され、住職が宮司となったそうです。

明治40年に堂山の近戸神社と上谷の三島神社を合祀し、現在の名称になりました。

 

 

春秋の大祭には獅子舞が行われ、大勢の参拝者が訪れます。

この獅子舞は、現在の飯能高山から伝承されました。

 

 

花園神社  埼玉県入間郡越生町大字小杉1

 

越生神社 埼玉県越生町

越生町には越生神社が二ヶ所あります。

岡崎薬師参拝の後、その内の越生町越生にある神社をお参りしました。

 

 

神社の裏手・高取山が越生氏の砦跡です。

源頼朝の命により報恩寺を再興した越生次郎家行の氏神として琴平社が祀られました。

明治42年に近在の神社を合祀し、越生神社としました。

 

 

越生神社  埼玉県入間郡越生町大字越生1015

 

岡崎薬師とフジバカマ 埼玉県越生町

たまたま岡崎薬師を詣でると七草のフジバカマが咲いていました。越生秋の七草めぐりコースになっていました。

岡崎薬師は、越生氏の分家・岡崎氏が建立したと伝えられています。

小さな薬師如来像が祀られているようです。

 

 

案内板にあるように、そうとう古い建物のようですが、外部はそうとう改修されており、新しい建物のように見えました。

須弥壇付近を残して改修されたようです。

 

この北側が岡崎氏の館跡だそうです。

 

岡崎薬師 埼玉県越生町越生

 

 

 

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