円泉寺便り

日蓮宗 妙見寺 群馬県伊勢崎市

妙見菩薩関連の寺院などを巡っています。

お参りに行くと御住職は不在でしたが、奥様が赤ちゃんをおぶって対応していただきました。

 

 

明治に開山されたようです。

外からですが、御本堂内を拝ませていただきました。

 

 

真ん中の御本尊様が妙見菩薩です。

日蓮聖人、浄行菩薩、釈迦如来、大黒天などが祀られています。

 

 

妙見寺 群馬県伊勢崎市境西今井318

 

於菊稲荷神社 群馬県新町

先ほど行った森町の妙見寺の隣に、於菊稲荷神社がありました。

普通は於菊稲荷神社に参拝して、妙見寺に気がつく人もいるのでしょう。

 

 

江戸時代に「お菊」ということきれいな娘さんがおり、ここで近所の子供達の面倒を見ていました。

お菊が病気になると夢枕にお稲荷様が現れ、人々のためにつくせと言われ、ここの巫女となり、つくしていると、神秘的な力を持つようになりました。

参拝者が多くなり、於菊稲荷神社と言われるようになったのだそうです。

 

追記 2020/07/19 

新町は高崎市に編入しています。

於菊稲荷神社  群馬県高崎市新町247

 

日蓮宗 妙見寺 群馬県新町

於菊稲荷神社とは道を挟んで向かい側にあるお寺です。

 

日蓮宗祈祷相談所、九識霊断法相談所と掲示されていました。

毎月2日に倶生神(ぐしょうじん)の御祈願があるようです。おそらく九識霊断法で日蓮宗独特のご祈祷のようです。

 

追記 2020/07/19

新町は高崎市に編入しています。

妙見寺 群馬県高崎市新町128−1

天台宗 妙見寺 群馬県群馬町

妙見菩薩を調べ始めました。

関東における妙見信仰の大元をまずお参りしました。

関東における桓武平家末裔の多くが、妙見菩薩を信仰するに至ったのは、平将門公、平良文のいわれからです。

 

 

先ずは御本堂です。

 

 

妙見寺は神亀6年(729)に天白山妙見寺(大阪府南河内郡太子町春日)より勧請されたという説。
続日本紀:「宝亀2年 (771)上野国、美作国・・各々50烟を給す妙見寺(天白山)」(天白山は、もと東方の信夫山にあった。)
あるいは、714 年(和銅7 年)またはその翌年の715 年(霊亀元年)上野国大掾藤原忠明の開基により創建されたと伝えられる。

妙見堂は御本堂西側になります。

平良文や一族により、秩父、鎌倉、千葉へと伝えられ、妙見信仰が関東各地に広がりました。

 

妙見堂拝殿

妙見堂本殿

 

妙見寺 妙見菩薩お姿

 

 

近くの妙見茶屋に寄り、有名な酒まんじゅうを買いました。

この店の女将さんによると、以前は妙見寺には住職が住んでいませんでした。現在の御住職が来られてより、良くなったと話していました。

 

妙見寺 群馬県群馬町引間213 (現在は高崎市引間町)

 

日蓮宗 星光山蓮華寺 東京都中野区江古田

私が調べている妙見菩薩を祀る寺としての参拝です。千葉県、東京都の寺院は妙見菩薩を祀る寺が多くあります。

豊山派ですが先輩が住職をする寺から1㎞強なのですが、同じ江古田と思えないほど高低差がありました。

 

 

思っていたよりも境内が広く、桜や新緑の頃が楽しめそうでした。

東洋大学を開校した大学者・井上円了の墓があるそうです。哲学堂は井上円了が造りました。

 

 

御本堂の向かって左は、懺悔堂です。

 

帰りは哲学堂公園が近いので、寄っていこうと思いましたが、かなり歩きましたので足が棒状態でした。

情けないのですが、西武池袋線「東長崎駅」まで、タクシーに乗りました。

 

蓮華寺 東京都中野区江古田1丁目6−4

 

間違い梵字の白木位牌 ニセ僧侶? 葬儀?

私たち住職に対する批判は、多々在るのででしょうが、国家資格でない僧侶の中には、明らかにニセ僧侶が大勢いるようです。
かつて私が手伝っていた霊園では、驚くほどのエセ僧侶がいました。
あるいは僧侶が、あらゆる宗旨の法事を受け付けていました。
私にも他宗旨の葬儀をすれば、給料を奮発すると言ってきた、ニセ大本山もありました。


先日の葬儀の後に、火葬場の炉前に行くと、隣の仮位牌に変な梵字が書かれていました。
間違いなく書き方が分からず、真似た「梵字ア」でした。

 

 

何度かこのような間違い梵字を見たことがあります。


浄土宗の「梵字キリーク」でも見たことがあります。

 

 

殆どの人が知らないのを良いことに、堂々と葬儀の導師を務める気が知れません。

今から十年以上前、ある方が当寺の墓地を見学に来られました。
お位牌の画像をスマホで見せていただきましたが、梵字も戒名も真言宗とは思えませんでした。戒名とは言えない文字が、並んでいるだけです。
本来意味があるのです。

さすがにおかしいので、「この戒名では当寺の戒名として認められません。無料で直しますから、代えさせててください」と話したことがあります。
すると「本位牌を注文してあるので、この戒名のままにして欲しい。戒名など分からないのだから、安い方が良い!」と言われたことがあります。
あるいは亡くなった父親が、自分で考えた戒名と言われたことがあります。
「自分の名前の一字。俺は偉かった。金持ちだ。」

仕方なく、墓地の契約をお断りしました。
後世に「酷い戒名を付けた住職がいる物だ」と思われたくありません。

以前、ある霊園の方ですが、父親の葬儀を依頼した僧侶に電話し、今度は母の葬儀を依頼すると、「何宗でした?」と言われたそうです。
あまりにも腹が立って、同じ真言宗の私に電話がかかってきました。通夜葬儀の依頼です。
伯母夫婦の墓がありましたので、当寺の方が間違いないし、気心も知れていると言っていました。

葬儀社、ネットで依頼する時代かも知れませんが、中には酷い会社やエセ僧侶もいます。

 

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