摩多羅神と御尊像を祀る寺社
摩多羅神と御尊像を祀る寺社

空華談叢三によらば、其の像唐の幞頭を蒙り日本の狩衣を着し、鼓を取りて打つ。左右に和装の二童子ありて舞う。天台宗山門には之を山王日吉神と同體として觀心釋をなし、或いは大己貴神と一體となして信仰すれども、末世附會の妄想なりと云えり。太秦廣隆寺の牛祭の摩多羅神は疫病神なるが如し。されば摩怛哩神と同一にして唯だ轉聲の異のみなるか。
此神も圓仁の所傳と云はれ、牛祭の祭文は源信の作と傳ふれば、山門に關係ありと云うべし。
イ、北斗七星の武曲星の脇にある補星(ほせい そえぼし アルコル)。
ロ、円仁(794-864)が唐から帰朝(847年)する時、船中に現れた神と伝えられる。記録に表れるのは十一世紀。
ハ、叡山では、常行三昧堂の背面に勧請。
ニ、大黒天や荼枳尼天と関連づけられる。
ホ、妙見菩薩の化神として解釈する説がある。
ヘ、中世以降の秘儀である玄旨帰命壇における秘義潅頂の主神。江戸中期以降は邪神として禁止された。
ト、天台宗では18世紀の安楽律騒動で多くが焼却された。
東叡山寛永寺など常行堂のある寺には大抵摩多羅神が祭られているそうだと記載しているところがあるが、必ずしもまつられているとは言えないようだ。ヘ、ト、の安楽騒動以前ということだろうか。東叡山寛永寺に現在常行堂はない。
江戸期の寛永寺
チ、常行三昧を行う本堂、お堂、阿弥陀堂は常行三昧堂と言えるのでしょう。ここでは、一部を除き常行堂、常行三昧堂と言われている本堂・阿弥陀堂です。
ト、常行堂とは常行三昧堂,般舟三昧院,阿弥陀三昧堂ともいう。
チ、御真言 オン コロコロ シャモンダ ソワカ
リ、猿楽の翁(おきな)の祖とされ、芸能の神として信仰される。宗教芸能に影響を与えた。
ヌ、仏教では大黒天は、天部の尊像であり、忿怒形であらわされる。しばしば大國主の命と混同された。


男神立像=十二所権現の御正体(寺伝では摩多羅神)
国上寺・摩多羅天神社
小菅神社奥社 長野県飯山市瑞穂 元は修験寺院・小菅山元隆寺
廃仏毀釈で本尊摩多羅神(小菅権現・馬頭観音)は什器ともども菩提院(豊山)に移された。
東寺・夜叉神(三面摩多羅神)
真如堂(黒谷) 京都府京都市左京区浄土寺真如町82 天
大酒(大避)神社 京都市右京区太秦蜂岡町 広隆寺の中にあった神社
現在祭礼は広隆寺が行っている。「牛祭」
法界寺阿弥陀堂 京都府京都市伏見区日野西大道町19
談山神社(元妙楽寺)常行三昧堂(現/権殿) 奈良県桜井市多武峰319
白色尉(古面)/摩多羅神(まだらしん)
この面は箱書きに「摩多羅神面箱」と墨書されており、摩多羅神(まだらしん)を祭る常行三昧堂(現/権殿)の背面の後戸に祭られている。
成菩提院 滋賀県東米原市柏原1692 絹本着色 天
市神神社 滋賀県東近江市本町15-4 絹本着色
弘泉寺 岡山県倉敷市下津井田之浦2-3-22 真言宗御室派
本堂に摩担利神(まだらじん)を祀る。
清水寺 島根県安来市清水町528 天
鎌倉時代 嘉暦四年(1329)銘 制作年が明らかな最古の摩多羅神。
鰐淵寺摩陀羅神社
天照と関連付け日神信仰、麻多羅神と関連付け星神信仰、日本書紀に 記載された朝倉の社とされ、雷神信仰とする説もある。