2022年09月15日

諏訪神社 深谷市血洗島

渋沢栄一の生家「中の家」から諏訪神社に向かいました。

創建は明らかでありませんが、日本武尊・源経基・岡部六彌太忠澄が祈願をしたとの伝承があります。

 

 

鳥居の脇には「中の家」渋沢家に養子で入った渋沢市郎と二男・治太郎の遺徳顕彰碑があります。

上部に善光寺の貫主大勧進大僧正・ 都筑玄妙師の書かれた「貴為和以」(聖徳太子の言葉)が彫られていました。

市郎は養蚕で財をなし、名誉村長、県会議員となりました。

治太郎は県会議員、村長を務めています。

 

 

二の鳥居の額は、渋沢栄一の起毛となります。

 

拝殿は渋沢栄一の寄進により建立されています。

 

御祭神として建御名方神を祀ります。

 

 

渋沢青淵翁喜寿碑

大正5年に栄一翁(青淵)の喜寿を祝って氏子が建立しています。

題字は侯爵徳川慶久によります。

 

渋沢栄一の生家である「中の家(なかんち)」ブログlink

 

諏訪神社 埼玉県深谷市血洗島117 地図link

 

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」 渋沢栄一実家 埼玉県深谷市

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」

渋沢栄一の生家である「中の家(なかんち)」を見学に行きました。

残念なことに工事中で、建物内の中は見ることが出来ませんでした。

 

 

渋沢家は栄一妹の貞子に須永家より婿養子にむかえました。四代目の渋沢市郎です。

 

この地域には、古い立派な家が多く残されていますが、中の家は更に立派でした。

 

平成29年に天皇皇后両陛下が訪れています。

 

庭には若き日の渋沢栄一像がありました。

2024年度発行予定の一万円札には、渋沢栄一の肖像が使用される予定です。

大河ドラマ放映中には多くの方が見学に訪れました。新札発行後も改めて多くの方々がお越しになることと思います。

 

渋沢邸は現在耐震と瓦などの葺き替え工事をしているそうです。

屋根瓦改修プロジェクトの御寄付応援のチラシが受付に置いてありましたが、昼休みのためか不在です。

他の方法で御寄付をと思いましたが、後で訪れた渋沢栄一記念館でも受け付けていましたので、僅かですが御寄付を致しました。

名前と住所を瓦に書き入れてくれるそうですが、書いていただかないことにしました。

指定文化財旧渋沢邸「中の家」屋根瓦改修プロジェクト link

 

屋敷の敷地北東側に三基の碑があります。今日の目的の一つは、この碑の確認もありました。

都内谷中にある渋沢栄一家の墓地から移された「渋沢平九郎追懐碑」です。

 渋沢平九郎自決の地ブログlink                渋沢平九郎の墓ブログlink

 

二十数年前にも訪れています。バスも止められる広い駐車場になっていました。

 

旧渋沢邸「中の家」  埼玉県深谷市血洗島247−1  地図link             

 

渋沢栄一記念館ブログlink

 

麺屋忠兵衛 煮ぼうとう店

今日の昼食は煮ほうとうです。旧渋沢邸の東隣になります。

 

ここの家主の先祖は、渋沢家の番頭だったそうです。

 

深谷市の「煮ぼうとう」は醤油味です。深谷産のネギやニンジンなどの野菜が、使用されています。

山梨などのカボチャを使用したものではありません。

 

床の間には渋沢栄一の掛軸が掛けてありました。

「天意重夕陽人間貴晩晴」(天意夕陽を重んじ、人間晩晴を貴ぶ)

麺屋忠兵衛で用意されている説明の一部に

「人の一生に、おろそかにしてよいという時はない  一分一秒といえども貴重な時間に相違ないが、その中でも人間は晩年がもっとも大切ではないかと思う」

「若い時に欠点があった人でも、晩年が美しければ  その人の価値は上がるものてある」

 

 

麺屋忠兵衛前の店では、焼き芋や野菜を売っていました。奥に見える古い建物が「中の家」の土蔵です。

犬と散歩をしていた奥様方が、焼き芋を絶賛していました。

 

 

焼き芋を帰ってから食べようと思いましたが、帰宅後も満腹状態でした。

夕食のこともあります。仕方がなくお客さんが来られましたので、差し上げてしまいました。

 

血洗島諏訪神社ブログlink

 

横瀬神社 埼玉県深谷市

かつて北側にある華蔵寺が別当で、聖天宮があり修験・壽命院が社人でした。

廃仏毀釈後、横瀬神社となっています。

祭神は伊弉諾命・伊弉冉命と豐受姫命を祀りました。

 

しかし、華蔵寺は新田氏関連ですが、横瀬神社は武蔵七党の横瀬氏の創建です。

横瀬の地は秩父の横瀬からの移住に始まるそうです。

 

 

華蔵寺と同じく、当地は永禄年間(1558-70)の洪水で、上野国から武蔵国に編入されています。

 

建武年間(1334-36)に新田義貞の孫である国寿丸が聖天宮として再建しています。

華蔵寺秘仏の歓喜天像が御本尊だったのでしょう。

国寿丸は後に横瀬新六郎貞氏と名のり、上野国金山城主となっています。

 

拝殿の額は、渋沢栄一の筆によります。額の右脇の写真は渋沢栄一です。

 

稲荷社

 

神社の北側が華蔵寺です。華蔵寺ブログlink

 

横瀬神社  埼玉県深谷市横瀬1358  地図link

 

真言宗豊山派 華蔵寺 埼玉県深谷市 元渋沢栄一家菩提寺

渋沢栄一は東京に出てしまいましたので、台東区谷中の谷中霊園に墓があります。かつては華蔵寺が菩提寺でした。

栄一の父・渋沢市郎右衛門の葬儀導師を務めたのが、二代前の御住職です。

 

華蔵寺は新田氏本宗家総領2代目・義兼により、建久五年(1194)に開基されました。新田義兼ウィキペディア

新田義貞は吉兼より六代目の子孫です。

当地は永禄年間(1558-70)の洪水によって利根川の流れが変わり、上野国から武蔵国に編入されています。

このため新田家関連の寺院が、群馬県でなく埼玉県にあるわけです。

 

華蔵寺美術館の胎蔵界大日如来

 

関東八十八ヵ所霊場の八十七番、彩の国武州路十二支守り本尊霊場未年札所です。

 

 

御本堂の寺号額は、渋沢栄一の筆になります。

 

 

 

鐘楼門

 

閻魔堂(十王堂)

秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王の十王が祀られています。

 

大日堂

かつては埼玉県指定有形文化財の大日如来像(華蔵寺美術館内)が祀られていましたが、今は江戸時代中期作 胎蔵界大日如来が御本尊です。

 

薬師堂

 

毘沙門堂

毘沙門天、不動明王、阿弥陀如来・歓喜天を祀ります。

 

美術館には埼玉県指定有形文化財の胎蔵界大日如来像が祀られています。

 

 

 

貴重な仏像仏画や渋沢栄一や尾高惇忠の書も展示されていました。

 

真ん中の円空仏は、貴重な御尊像です。

永禄の洪水によって利根川の流れが変わらなければ、華蔵寺は上野国において、更に重要な寺院となっていたと思います。

 

NHK大河ドラマ『青天を衝け』で、渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門葬儀の導師を演じたのが、華蔵寺御住職でした。

美術館の中に写真があります。マスクを付けていますので、おそらくリハーサル中の画像だと思います。

 

洗心苑

 

寺の南側に横瀬神社があります。

廃仏毀釈以前は聖天宮で、華蔵寺が別当でした。

横瀬神社ブログlink

 

華蔵寺ホームページlink

華蔵寺 埼玉県深谷市横瀬1360 地図link

 

 

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