2022年10月26日

熊野大神社 深谷市東方

東隣の弥勒院を参拝した後に熊野大神社に向かいます。

廃仏毀釈以前は弥勒院が別当でした。弥勒院ブログlink

 

ここの創建は延長5年(927)との社伝がありますが、天正年間(1573-92)に造営されたとも伝えられています。

深谷市では大きな工場が増えたために、特に近年は正月の参拝者が多いそうです。

 

 

本殿の彫り物も歴史と格式を感じる、素晴らしい建物でした。

 

境内には末社が十数社ありました。

 

神社の南側には、更に長い参道があります。

二の鳥居。

 

順が前後してしまいましたが、こちらが一の鳥居です。

神社拝殿からは、かなりの距離がありました。

 

熊野大神社 〒366-0041 埼玉県深谷市東方1709−2 地図link

 

 

真言宗智山派 弥勒院 埼玉県深谷市

江戸期は総本山智積院の直末でしたので、重要な寺院であったと思います。

徳川家康の孫である領主松平丹波守康長は1万石の当地の大名でした。

慶長7年(1602)に康長が古河へ所替えとなり、弥勒院は住職も共に古河へ移っています。古河当時の弥勒院は調べた限り分かりませんでした。

しかし、こちらは引き続き存続しています。

平丹康長ウィキペディアlink

松平氏以前の歴史については、隣の熊野大神社が延長5年(927)と伝えられていますので、江戸期以前だったと思います。熊野大神社ブログlink

 

道路に面して駐車場になっていました。

 

山門を入ると左右に地蔵菩薩が祀られています。

 

新編武蔵野風土記によると御本尊は地蔵菩薩と書かれていましたが、中を見ると不動明王が御本尊のようでした。

お前立ちなのか、途中で不動明王になったのかも知れません。

 

 

 

境内はよく整備されています。枝垂れ桜のころに参拝すると良いでしょう。

 

隣には熊野大神社がありますが、弥勒院が廃仏毀釈までは別当でした。

 

 

弥勒院  埼玉県深谷市東方1715 地図link

 

 

天台宗 瑠璃光寺 埼玉県深谷市

深谷市でも歴史のある天台宗寺院です。

慈覚大師円仁により、大同3年(807)に創建されたと伝えられています。

案内板を読むと、鎌倉時代は七堂伽藍が完備された大寺院であったことが知れます。

室町時代は深谷城主・上杉氏が鬼門除けとしていました。

 

薬師堂前の山門(享保年間建立)には、立派な仁王が番をしています。

 

こちらの御本堂は大正15年に再建されましたが、平成22年に瓦葺きであったのを同板葺きに改修し、耐震性を向上させいます。

かなり重い瓦が使用されていたのが分かります。

 

薬師堂の御本尊・薬師如来は秘仏となっているようです。

今年は虎薬師にあたり、12年に一度の御開帳がありました。

日光菩薩・月光菩薩を両脇士とし、十二神将も祀られています。

 

地蔵堂には子育て地蔵尊、閻魔王像、奪衣婆像わお祀りしています。

 

深谷七福神の札所になっており、境内には大黒天像が祀られていました。

 

瑠璃光寺境内多目的ホールでは、斎場として、座禅・写経会・ヨガ教室に使用されています。

樹木の多い広い境内です。

平日でしたが、お墓参りや参拝者が多く来られていました。

 

瑠璃光寺ホームページ

瑠璃光寺 埼玉県深谷市稲荷町北9−25  地図link

 

 

誠之堂・清風亭 大寄公民館 埼玉県深谷市

大寄公民館東側に隣接する渋沢栄一ゆかりの誠之堂・清風亭です。

北側と南側に駐車場があります。

両屋敷を拝観するには、公民館で受付を済ませる必要があります。受付のためには北側駐車場が便利です。

大寄公民館

 

受付が終わるとパンフレットが頂けました。

 

誠之堂・清風亭ともに世田谷区瀬田にあった第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」に建てられていたのを平成10年2月から解体工事を経て、平成11年8月に移築復元した建物です。

 

平成29年に平成天皇・皇后両陛下が行幸されています。

 

 

誠之堂

平成15年に国の重要文化財に指定されています。

 田辺淳吉の設計によります。

 

 

清風亭

平成16年に埼玉県指定有形文化財に指定されました。

 

西村好時のスペイン風南欧田園趣味の設計なのだそうです。

 

 

 

 

ステンドグラスの意匠は、ヨーロッパのように一面を色彩した物と異なり、和風の障子のような気がしました。

 

 

 

どちらの建物もこりに凝った設計と施工だと思います。

 

大寄公民館  埼玉県深谷市起会84−1 地図link

 

 

鹿島神社 埼玉県深谷市

富岡製糸工場の初代工場長・尾高惇忠は鹿島神社の氏子でした。

鎌倉公方足利基氏御教書(みぎょうしょ)に貞治2年(1363)に下手計の地を岩松直国に与えたとあり、創建もこの時代とされるようです。

 

 

 

境内には幹回りが10メートルもある大きな欅があります。

明治40年に枯れてしまいましたが、古い図を見ると参詣者が驚くほどの巨木だったようです。

 

祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。

 

 

ここには不動堂がありました。廃仏毀釈で仏像は拝されるところが多いのですが、よく残されていたと思います。

鹿島神社の別当は当山修験・常学院でした。其後、住職が神職になりました。

下手不動と呼ばれ崇敬されていたそうです。

 

 

 

境内には尾高惇忠頌徳碑が建立されています。

 

 

鹿島神社  埼玉県深谷市下手計1145  地図link

 

 

尾高惇忠生家 埼玉県深谷市

富岡製糸工場の初代工場長で、渋沢栄一とは従兄になります。

私が調べていた渋沢平九郎は惇忠の弟で、渋沢栄一の見立て養子となっています。

もっと早くここに来るつもりでしたがコロナのこともあり、延期していました。

 

 

駐車場には 簡単な説明看板がありました。渋沢平九郎自刃の地ブログlink

 

下は越生町にある平九郎自刃の地にある案内板です。

 

建物の中に入り受付をしました。

コロナのため案内を中止していましたが、担当の方に質問をすると希望する答えが帰ってきます。

 

黒い球は藍玉です。このあたりは藍の生産地で、「武州藍」として知られていました。

熊谷市の愛染堂には、尾高惇忠などが奉納した額があり、惇忠の号・尾形藍香が記されています。

愛染から藍染めに通じるために熊谷から深谷に掛けて、信仰が深かった御堂でした。愛染堂ブログlink

この額は同じく熊谷市の星渓園にありました。現在もあるかは分かりません。。星渓園ブログlink

 

 

 

かまどはレンガで作られています。深谷市上敷免28−10にある旧日本煉瓦製造にて作られた製品を使用しています。

 

 

藍玉の元にある藍が植えられてあります。

 

 屋敷の裏にはレンガでできた蔵がありました。

脇にある柿が美味しそうです。

 

 

菩提寺は妙光寺ですが、惇忠の墓地は近くにあります。

現在の尾高家本家は千葉県に住んでいるそうです。

 

NHK大河ドラマ「青天を衝け」の指揮者である尾高忠明は、渋沢栄一と尾高惇忠の曾祖父になります。尾高忠明wikipedia link

 

渋沢平九郎自刃の地ブログlink

 

渋沢平九郎墓地ブログlink

 

尾高惇忠生家   埼玉県深谷市下手計236 地図link

 

 

妙光寺 尾高惇忠家菩提寺 高野山真言宗 埼玉県深谷市

渋沢栄一の従兄弟で、富岡製糸工場の初代場長であった尾高惇忠(渋沢栄一の従兄弟)の菩提寺です。

お墓はここでなく、他の場所にあります。

 

高野山真言宗の寺院で、御本尊は薬師如来を祀ります。

桜の時期に参拝するのが良さそうです。

 

鐘楼堂

 

境内には、色々な石仏が祀られていました。

 

門前の聖徳太子

 

その隣の荒神石仏

 

宝篋印塔には弘法大師が彫られています。

 

三門南側の御堂前には荒神と大黒天が並んでいました。

 

他にも多くの石仏や芭蕉の句碑があります。

 

妙光寺  埼玉県深谷市下手計988−1  地図link

 

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