善光寺式阿弥陀三尊

関の磨崖仏・善光寺式阿弥陀三尊 群馬県桐生市

赤城山噴火の泥流により造られた集塊石に刻まれた阿弥陀三尊の磨崖仏が祀られています。

すぐ南側は鏑木川です。

 

 

 

 

 

鎌倉時代に刻まれた阿弥陀三尊です。高さ128cm、幅・奥行き各80cmの舟形になっています。

両脇持の観音菩薩・勢至菩薩は冠があり、善光寺式阿弥陀三尊の特色があります。

 

 

 

 

北側には庚申塔、子育て観音?、千手観音の石仏が祀られていました。

 

 

 

磨崖仏の裏側です。

 

 

鏑木川に添って、馬頭観音石仏が並んでいました。

 

 

 

今でも大事にされている石仏群でした。

 

※参考に善光寺式阿弥陀三尊図です。

 

 

 

熊谷市の江南文化財センターの日本一古い善光寺式阿弥陀三尊板碑

善光寺式阿弥陀三尊板碑  寛喜二年(1230) 

 

 

 

関の磨崖仏  群馬県桐生市新里町関67−1 地図link

 

善光寺阿弥陀三尊伝来縁起図などと絵馬図の掛軸

善光寺

善光寺をお参りしたのは三年前でした。

平日でしたが、かなり大勢の方々が参拝していました。

 

 

今年は新型コロナウイルスの為に善光寺だけでなく、不便な対応をしなくてはいけない寺社がたくさんあります。

 

善光寺式阿弥陀三尊図

このようなお姿が善光寺から発行されていました。

 

 

それを元に書かれた図です。

 

 

 

善光寺式阿弥陀三尊縁起図

善光寺如来が天竺から信州に伝来するまでを描いた版画の掛軸です。

 

 

善光寺に浄財勧進のため、全国に散らばった勧進聖が大勢いました。勧進聖はこのような掛軸を広げて、善光寺の功徳を説いたのでしょう。

その力によって善光寺阿弥陀如来に対する信仰が広がりました。

 

善光寺絵馬

上高井郡日滝村(現在の須坂市)の牧祥周という人が、夢に現れたお姿を自ら描きました。

 

 

善光寺塔頭の本覚院が発行したと思われます。

 

善光寺式阿弥陀三尊ブログlink

 

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小さな金色の善光寺式阿弥陀三尊とお厨子

わずか数㎝の善光寺式阿弥陀三尊です。

小さなお厨子に収まるようになっています。

 

 

中にはお姿も入っていました。

 

熱心な信者さんが大事にしていたのでしょう。

御本堂にお祀り致しました。

 

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臨済宗 玉洞院 埼玉県熊谷市妻沼

玉洞院は妻沼の聖天さま北側にあります。

かなり狭い道を行くようですので、対向車には注意が必要です。

 

 

ただ植木がポツンポツンと植えられている庭ですが、他にない面白みがあります。

御本堂前の槙の大木は手入れがなされ、力強さを感じます。

 

 

観音様が祀られる圓通閣(観音堂)です。

今日の目的は、御堂右前の善光寺式阿弥陀三尊板碑です。

 

善光寺式阿弥陀三尊板碑

 

阿弥陀如来石仏

 

この仏さまは如意輪観音さまと思いますが、違うかもしれません。

 

 

この円通閣には、御本尊の左右に風神雷神の像も祀られています。

御堂の彫り物も優れた彫刻でした。

 

 

入口の石仏は、間違いなく如意輪観音さまです。

 

 

同じく入口のお地蔵様。

 

この後、近くの聖天さまをお参りしました。

 

玉洞院 埼玉県熊谷市妻沼2404  地図

 

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小さな善光寺式阿弥陀三尊

最近求めた高さが約9㎝の善光寺式阿弥陀三尊です。

善光寺式阿弥陀三尊に興味を持ち、昨年県内に祀られている石仏を訪ね歩きました。

 

 

今年もと思っていましたが、新型コロナウイルスの影響で、家に閉じこもっています。

運良く小さな御尊像を迎えることができました。

 

 

仏像だらけになっていますが、御本堂に祀ろうと思います。

 

以前求めた掛軸です。

 

 

善光寺発行のお姿を元に描かれています。

善光寺式阿弥陀三尊のお姿

 

←御法事の読経 住職のお経です                 第十一回合同法要は お焼香のみ

 

天台宗 浄光寺 善光寺式阿弥陀三尊板碑 埼玉県東松山市

浄光寺に伺うと、思った以上に歴史を観ずる寺院でした。

 

お参りするならば、春が一番でしょう。

かろうじて紅葉を楽しむことができました。

本日の目的の板碑が、祀られていました。

中央が善光寺式阿弥陀三尊板碑です。建長2年(1250)の年号が記されています。

右が胎蔵界大日如来(アーンク)、右下が不動明王(カン)、左下が薬師如来(バイ)の三尊でした。

 

六地蔵様とあたららしい十三仏像が祀られていました。

 

こちらの客殿では、これから檀家さんの通夜が行われるところです。

葬儀社の方に聞くと、市内でも御本堂で葬儀を行うところが、かなりあると話していました。客殿での葬儀は、もう一ヶ所あるそうです。

駐車場も広く、檀家さんも恵まれています。

 

浄光寺 埼玉県東松山市大字下青鳥126 地図

 

←二股大根            テレビで「大黒天とネズミ」の図が使用されます→       

向徳寺 重文本尊・善光寺式阿弥陀三尊 と 板碑 埼玉県嵐山町

珍しい時宗の寺院です。

御本尊・善光寺式阿弥陀三尊は国の重要文化財に指定されています。

山門の右側に板碑が集められています。時宗らしく阿弥陀如来がほとんどでした。

 

見栄えのある板碑が並んでいました。墓地や御本堂と合わせて38基あるようです。

奥の右端の板碑が、一番古いようです。

 

御本堂の御本尊が、善光寺式阿弥陀三尊です。光背はなくなっているそうです。

 

向徳寺は全国善光寺会の会員のようです。

時宗向徳寺 埼玉県比企郡嵐山町大蔵635

江南文化財センターの阿弥陀三尊・善光寺式阿弥陀三尊板碑 板石塔婆 大沼公園 埼玉県熊谷市

江南文化財センターには、記年名のある板碑では日本一古いと言われています。調べると日本で三番目となるようです。

記年名の明らかな板碑は、真光寺、江南地区など、熊谷近辺に集中しています。

古い信仰心のある武将や僧侶の存在があったようです。

江南文化財センター  埼玉県熊谷市千代329 地図

中に入ると、発掘された数多くの土器が展示されていました。

 

平安末期の金銅阿弥陀如来像

 

寺内廃寺模型

 

今回は国史跡幡羅官衙遺跡群遺跡の出土品が展示されていました。

 

塩古墳群の石室

 

今回の目的である板碑が展示されていました。

 

かつて大沼公園にあった阿弥陀三尊板碑です。鎌倉期のこの地に阿弥陀信仰が盛んだったことが知れます。

嘉禄三年(1230)三尊

大沼公園にはレプリカがあります。

 

善光寺式阿弥陀三尊板碑  寛喜二年(1230) 

嘉禄三年(1230)と 寛喜二年(1230)は同じ年名のですね。

 

弘安銘曼荼羅板石塔婆

 

板碑ばかり気にしていましたが、下の塚の上にある卒塔婆や四十九院と思われる塔婆がこの時代にもあることを知りました。

 

この後、大沼公園に向かいました。駐車場は沼の南側にあります。看板がないので、釣りの方に聞き止めることができました。

大沼公園

 

何人かの釣り客がいましたが、ここでは御夫婦で釣りをしています。

 

弁天堂の北側にあるのが、阿弥陀三尊板碑です。

 

レプリカの阿弥陀三尊板碑

本物は、ここから江南文化財センターに移されて、展示してあります。

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元妻沼地区の善光寺式阿弥陀三尊板碑 熊谷市

すでに妻沼聖天山の板碑を御紹介しているのですが、他のヶ所も含め掲載させていただきます。 

 

福寿院  熊谷市弥藤吾2002−1

 
 
 
 

能護寺  熊谷市永井太田1141

 
 

歴代住職の墓にありますが、中に入ることはできません。

画像はトリミングしてあります。

 
 

妻沼聖天山歓喜院  熊谷市妻沼1511

 
 
 
 
 
 
御本坊からご本殿に向かう途中にあります。
 
本坊
 

玉洞院 熊谷市妻沼2404

槙の寺として知られているようです。よく手入れのされた大木でした。

 

 

善光寺式阿弥陀三尊板碑は円通閣(観音堂)の向かって右側前の板碑です。

 

善光寺式阿弥陀三尊板碑

 

円通閣には、風神雷神の像も祀られています。

 

 

 

長野の善光寺が火災に遭うと、全国に勧進聖が浄財を勧募するために全国に向かいました。

その折り、善光寺の功徳を広めたため、善光寺信仰が全国的になったようです。

 

善光寺式阿弥陀三尊板碑が、この地域に集中するのは、深く信仰する人がいたからようです。

 

全久院の善光寺式阿弥陀三尊板碑 埼玉県深谷市

全久院は深谷七福神・寿老人の寺です。

各七福神の寺は、秋の七草の寺でもあり、ここはフジバカマの寺としても知られているようです。

8月から9月が見頃のようです。

 

板碑は紫の花の向こう側に祀られていました

全久院 深谷市東方2902

 

境内に全七福神の石像が祀られていますが、やはり寿老人像が一番大きな御尊像です。

 

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