2018年11月

雨宝童子の掛軸

 

雨宝童子は大日如来の化身と言われ、両部神道では天照大神は大日如来としてとらえられていました。

宝をふらす童子と書くようです。

 

現在も神社に残されている事もあるそうです。雨宝童子を天照大神として祀っていたからでしょう。

 

この掛軸は、それほど古くはありませんが、廃仏毀釈のことを考えると、古いのかもしれません。

あるいは、天照大神として、描かれたのでしょうか。

 

天照大神が日向に下生した時のお姿なのだそうですので、上の雲に乗る丸い玉は、太陽と月かもしれません。

 

頭上に五輪塔、右手に金剛宝棒、左手に如意宝珠を持っています。

ペット供養塔の合同供養 平成30年11月11日 11時より

関係者の方々には、ご通知してありますが、住所変更の届けのない方から戻ってきています。

毎年11月第二日曜日ですので、記憶にとどめて頂ければ、幸甚であります。

ここに納骨されていない方も参加できます。

10時45分までに駐車場にお入り下さい。

ペット供養塔       地図

朝がきました 渡辺俊明の絵

渡辺俊明画伯の「朝が来ました 今日一日の自分に出会いました」の文字が書かれた作品です。

画伯の絵の内、私が持っている中では、一番好きな作品です。

 

 

青い朝顔の上に仏様が座っている様子は、仏様が浮かび上がり、見事な構成となっています。

蓮の花の上より、より調和のある仏画です。

 

私は勝手に観音さまの絵と思っています。

気軽に鑑賞して、楽しんでいます。

七福神の文鎮

物押さえように文鎮を探しましたが、七福神の文鎮がありましたので、求めました。

文鎮ではないかもしれません。

左から寿老人、大黒天、恵比須、布袋、毘沙門天、福禄寿、弁財天だと思います。小さいので違っているかもしれません。

 

 

後ろから見ると、全く同じに見えます。

物押さえにはもったいないので、改めて文鎮を買おうと思います。

 

日本神社 埼玉県本庄市

日本神社は、日本でここだけなのだそうです。

日本神社  埼玉県本庄市児玉町小平1578  場所

駐車場がありませんので、新井商店に駐めさせて頂くことになります。

山道を登り神社に着くと、先客がいました。

毎月1日には、ここにお参りに来るのだそうです。

ただし、正月は出雲大社だそうです。私は一度はお参りしたいのですが、おそらく無いでしょう。

神武神社と呼ばれていましたが、明治になり地元の神社を合祀しました。

明治14年に日本神社と名称を変えました。

今では神社にスポーツ選手が、お参りになっているそうです。

雉岡城跡 埼玉県本庄市

雉岡城は山内上杉家の居城として築かれました。鎌倉街道の大事な場所にありました。

北条氏家臣の城跡だったとき、前田利家の圧倒的兵士の数と兵力の違いに、武将は城を捨てて、鉢形城に逃げたそうです。

この奥にかつて塙保己一の記念館がありました。

今は立派な記念館になっています。塙保己一記念館のブログ

城跡には、中学校と高校があります。

現在残されている部分より、はるかに広かったことが分かります。

 

塙保己一記念館 埼玉県本庄市

群書類従を編纂した盲目の学者、塙保己一の記念館が、生地である本庄市にあります。

塙保己一Wikipedia

群書類従              

以前行ったときは、雉岡城跡にありました。

塙保己一記念館
本庄市児玉町八幡山368番地アスピアこだま内
 

館内は一部を除き、写真撮影が可能です。

係の方に聞いて下さい。

まずは、ビデオを視てから回ることをお薦めいたします。

簡潔に塙保己一の事績と、生涯を知ることが出来ました。

 

膨大な量の資料を集め版木を彫り、出版するまでは長い年月がかかっています。

 

和学講談所を開設し、ここを起点として群書類従を編纂しました。

 

 
視覚も聴覚も障害があったヘレン・ケラーが日本に来たとき、手に触れたレプリカの銅像が展示されています。ヘレン・ケラーWikipedia

 

次は、塙保己一の生家とお墓です。ブログ

円通寺 秩父事件終焉の地の墓 埼玉県本庄市

競進社で秩父事件終焉地の碑があると聞きましたので、お参りに行きました。 

  秩父事件Wikipedia       

真言宗豊山派 円通寺  本庄市児玉町金屋84 場所

周りに梅の木がたくさんありますので、梅の花の時期が一番お参りに適しいると思います。

本堂脇の桜も楽しめそうです。

境内をあちこち探したのですが、見つかりません。

檀家さんが墓参りをしていましたので、聞いてやっと分かりました。

本堂北側にある墓の中でした。先ほど探した場所です。

秩父困民党の亡くなった方々を供養する場所です。

碑ではなく、お墓でした。西側のお地蔵様が目印です。

秩父事件死者之墓
「明治17年11月4日午後11時 30分  児玉町を目指した秩父蜂起軍を髙﨑鎮台により銃撃戦と白兵戦で鎮圧した処であり  當山本堂は病院として使われ  又秩父蜂起軍の死者を葬った寺である」
 
墓石の右側の白い碑には、芭蕉の句「無残やな かぶとの下の  キリギリス」とありました。

 

 

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