2019年06月04日

樹木葬 ?

ブログを始めたから各地に出かけているのか、出かける口実のためブログを書いているのか分かりませんが、お寺参りも多くなりました。

かつて永代供養施設のなかった寺院でも、巡った場所でよく見かけるようになりました。

 

樹木葬も増えています。初めて見た樹木葬は樹木が沢山あり、公園の一角のようでした。でも経費が高い施設でした。

せいぜい5、6坪の敷地に小さなカロートをいくつも作り、四角や丸の墓誌を兼ねた蓋があるだけの施設が増えています。

しかし、樹木の中に永代の施設があるのではなく、施設の周りに低木がある、あるいは草花だけの樹木葬が多くありました。

 

当寺の永代供養塔の方が、合祀ですが樹木には恵まれています。

一角に紫陽花を植えました。

大きくなるのが楽しみです。

円泉寺永代供養塔link

追記 2019.06.25

供養塔はサツキの頃が、一番きれいです。

嵐山史跡の博物館と菅谷館 埼玉県嵐山町

菅谷館跡を散策する前に、嵐山史跡の博物館で知識を蓄えました。

すぐに忘れてしまうのでしょうが。

 

何度か来ていますが、最初は嵐山町でなく菅谷村だったように思います。

嵐山町は秩父氏の本拠地でした。現在の秩父市から畠山の地に移り、畠山を名乗りました。

嵐山史跡の博物館 埼玉県比企郡嵐山町菅谷757

ホームページ        地図

 

博物館に入ると畠山重忠が迎えてくれます。その当時の歴史を簡単に聞くことができます。

 

ビデオで見る「男衾三郎絵詞の解説」からも、その時代の武士の生活を知る事ができます。

菅谷村当時の地図の上に遺跡群が表示されています。鎌倉街道にある重要な地域として、畠山氏やその後の戦国武将の城跡として、、重要な地域だったことが分かります。

 

発掘それた陶器などが数多く展示されていました。

その中で一番注目したのが、金箔を施された板碑です。

菅谷館で発掘されましたが、いままでに金箔を施されているのを見たことはありません。

板碑は埼玉県が一番多いのですが、他にもかつては施されていた者もあるに違いありません。

 

輸入された唐物の陶磁器は、憧れの元だったようです。よほどの財力がない限り求めることはできませんでした。

日本でも生産され、比較的裕福な人が帰るようになったのは、優れた陶磁器の生産地と流通が発展してからです。

都内の博物館で、京都で発掘された陶磁器の問屋街状況を展示していたのを見た記憶があります。

 

引き続き菅谷館跡の散策です。

畠山重忠の父・重能によって築かれ、戦国末期まで使用されました。

 

ここの高くなった場所に畠山重忠の像があります。

先ほどの嵐山史跡の博物館の近くです。

 

土塁、堀、郭で何重にも防備を固めています。

 

敷地をさらに南に行くと都幾川に出ます。鎌倉街道だけでなく、この川も重要な水運と道だったと思います。

 

サツキの花にアゲハチョウ

いつもは逃げてしまい、なかなか写せないのですが、どうにか見られる写真が撮れました。

しかし、ほとんどがピントが合っていません。

よっぽどミツが美味しいのでしょう。

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