他の寺社

十社神社と大類古墳群 埼玉県毛呂山町

鎌倉街道が近くに通っており、古くは開けた所でした。大類には中世に活躍した大類氏の館跡があります。

神社は大類氏の菩提寺であった大薬寺が別当を務めていました。

興味をひくのは境内だけでなく周囲にも多くの古墳が残されていることです。畑になった場所にも、更に多くの古墳が点在していたと思われます。

 

 

社号のある場所も古墳と思いましたが、大類氏館跡で北側の土塁のようです。大薬寺あたりが館跡でした。館跡の古墳群は取り払われたと思います。

社の周りには誰でも分かる土盛りが、アチコチに点在しています。間違いなく古墳群であることを理解できます。

 

 

祭神は足利基氏配下の武将・金井新左エ門以下九士の霊だそうです。

明治40年に愛宕神社、諏訪神社。大正3年に鹿島神社、稲荷神社を合祀しています。大類地区ばかりが氏子でしたが、鹿島神社が合祀され、苦林地区も氏子となりました  

 

神社の周りを歩き回れば、大事な場所で会ったことが分かります。

 

 

西脇の道を挟んだ所にもありました。

 

 

弁財天の石仏が、祀られていました。

 

 

十社神社神社  埼玉県毛呂山町大類29 地図link

 

←市内から見た東京               源氏物語色紙 東聖観→

 

嵐山町 志賀観音堂 聖徳太子などの石仏

志賀観音堂には多くの石仏があります。

バイパスが出来てからは前を通ることがなくなりましたが、学生の頃から何度か寄ってお参りをしています。もう少し緑が豊かでした。

 

 

聖徳太子像は大工職人の神様として祀られました。

当寺には指金を持った掛軸があります。ブログlink

 

 

立派な宝とうです。

文字の聖徳太子塔や大黒天、馬頭観音、青面金剛、地蔵菩薩なども祀られていました。

 

 

志賀観音堂 埼玉県比企郡嵐山町志賀  地図リンク

 

←嵐山渓谷               食彩酒房わごころ 嵐山町→

 

台湾の寺院 臨済宗 法水寺 群馬県渋川市

法水寺の総本山は、台湾の「佛光山光山寺」です。

日本に於いては、東京、山梨、大阪など、各地に寺院と道場があり、ここが日本における本山となっています。

 

 

下の案内板は、まだ工事中に撮影されたようです。

まだ完成から2年しか経っていません。

以前何度か前を通っていましたが、始めて参拝させていただきました。

 

 

駐車場から御本堂を見れば、背後に水沢山が控えています。

駐車場と参拝の料金は無料でした。年中無休です。

 

 

階段の正面には、大きな布袋様が祀られていますが、中国や台湾では弥勒菩薩として信仰されています。

 

 

久しぶりに長い階段を登りました。

 

 

 

御本堂前には、たくさんの牡丹が並べられていました。

境内に3000鉢あるのですが、今年の花の最盛期の5月はコロナのため訪れる人は人が少なかったと話していました。

 

 

御本尊様は、お釈迦様ですが、ミャンマーの御尊像を模してあるのだそうです。

高さが5メートルもあります。まさか石仏とは思いませんでした。台湾から運ばれてきました。

 

 

天井の蓮の絵は、台湾から来た画家さんの作品だそうです。

 

 

壁面には、たくさんの仏さまが祀られています。向かって左側が阿弥陀如来、右側が薬師如来です。

 

 

  本堂内の韋駄天像

 

順序は逆になりますが、受付を済ませて最初の部屋にて説明がありました。

最初の部屋に立派な千手観音様が祀られています。

 

僧侶は尼さんばかりでした。

 

 

出口には食事が出来る場所がありました。

赤城山などの景色を眺めながら食べることが出来ます。

食後にここに来ましたので、次回参拝することはないかもしれませんが、もし来られたときは食べるようと思います。

 

 

まだ寺のホームページは作成中です。今年中には出来るようです。

情報が参拝した方のブログなどしかありませんでした。

座禅や写経も出来ますが、予約制でした。ホームページが出来れば、発信力が増しますので、参加者・参拝者も増えると思います。

 

法水寺 群馬県渋川市伊香保町伊香保637−43 地図

 

←河川敷の彼岸花                伊香保の蕎麦畑 渋川市→

 

寒山拾得拓本の掛軸

たしか高校生の頃、森鴎外の小説を読んだ記憶があります。

また、京都のどこかの寺?で、墨絵の掛け軸を見たことがありました。二人とも前を見ていたと思います。

かなり以前に求めた掛軸です。よく知られるこの拓本は、記憶にある絵とはマッタク異なっています。

 

 

唐代の寒山寺に伝わる二人には、いろいろな伝承が残されています。寒山拾得wikipediaリンク

普賢文殊の化身と言われているですが、後世多くの禅僧に注目されました。

 

 

多くの人が寒山拾得図を描いていますが、良い作品は高価すぎて私には無理そうです。

 

東京都青梅市の寒山寺は「澤乃井」「ままごとや」の一角のような施設(寺)ですが、階段上部右脇に寒山拾得の姿が彫られた碑が建てられています。リンク

おそらく、この図を写したものと思います。約5年前の写真です。

 

青梅市 寒山寺

 

 

澤乃井から吊り橋を渡り、対岸に寒山寺が在ります。

「澤乃井ままごとや」には、かつて家内と時折食事に行きました。好きな場所です。近くの澤乃井・櫛かんざし美術館は面白い施設です。

 

←日射病で救急車で緊急搬送               序の舞 上村松園作復刻版

 

犬山 寂光院 恵比須と弁財天のこけし 愛知県犬山市

先日、ある仏様の像を検索していると、ヤフオク!のサイトで見つけることができました。

その画像を見ているとマッタク関係ない、寂光院の恵比須、弁財天のこけし?があり、ついクリックをしていました。

御本堂に毘沙門天、恵比須大黒の石像、七福神坂があり、全ての七福神が祀られているようです。

 

 

今でもお授けしているのか、記念品なのかは分かりません。

名古屋には何度か行っていますが、あくまでも観光です。仲間がいましたので、自分の思うようにはなりません。

参拝したのは智山派寺院では、別格本山の大須観音と友人の寺だけでした。

 

 

御住職は袋町お聖天・福生院御住職の弟さんです。

福正院の御住職は、大学時代のクラブ先輩です。たしか私が入学する6年以上前に卒業されていたと思います。

 

寂光院御住職は、寂れていた寺を復興するため尽力されました。

紅葉で有名だった昔に戻すため雑木を切り旧に復しました。

積極的に布教に励み、お寺にいるよりは布教を依頼され、各地に出かけることが多かったと聞いています。

名鉄ともタイアップして、参拝者を増やしたそうです。

 

私にはとてもとても真似することができません。

 

寂光院  愛知県犬山市大字継鹿尾杉ノ段12  地図             寂光院 ホームページlink

近くには、やはり智山派の成田山別院もあります。

 

←「無 良寛禅師」 又野龍也作          板仏 観音菩薩? 釈迦 音声菩薩 不動明王 妙見菩薩

梵鐘の供出 現在の坂戸市・鳩山町・鶴ヶ島市の寺院 永源寺において 昭和18年

全国の寺院の殆どが、太平洋戦争中、梵鐘を供出致しました。

批判をする人も多いと思いますが、この時代は致し方ないことだったのです。

現在の坂戸市・永源寺御本堂前です。昭和18年の撮影でした。

 

 

向かって右から寺院名と住所を記載致します。表示は現在の地名です。

  • 圓正寺 鳩山町
  • 休山寺 鳩山町
  • 坂戸市 宗福寺
  • 鳩山町 真光寺
  • 坂戸市 休薹寺
  • 坂戸市 永源寺(仲町)
  • 坂戸市 大智寺
  • 坂戸市 法音寺(おそらく坂戸市小沼)
  • 鶴ヶ島市 満福寺
  • 坂戸市 西福寺
  • 坂戸市 西光寺(画像が鮮明でありません。坂戸市塚越)
  • 坂戸市 長久寺
  • 坂戸市 永源寺(多和目)

 

私の祖父も一番右に写っています。ただし、この中の寺の住職であったわけではありません。大智寺住職(向かって左から四番目)との関係かも知れません。

今から二十年程前に某寺より借りることができました。スキャナーで取り込んだ貴重な写真です。

このような時代があったのです。

 

←飯能市の入間川と美杉台展望台              オリエンタルユリ ピンクの百合

 

真言宗智山派 圓泉寺 埼玉県川島町

当寺と同じ名前の円泉寺です。坂戸市の御住職が兼務しています。

たまたま近くを通ると、カーナビ「圓泉寺」とありました。

 

 

正面の参道を入ろうとしましたが、かなり狭い道でした。

どこか駐められる場所を確保しようと、すぐ東にある神明神社近くの道路端に駐めました。

この画像左側が神社の杜です。

 

御本尊が、お薬師さまでした。

 

宝篋印塔

 

この板碑は上が欠けています。下が観音菩薩と勢至菩薩の梵字ですから、上は阿弥陀如来の梵字キリークの阿弥陀三尊板碑です。

 

 

圓泉寺  埼玉県比企郡川島町大字一本木71  地図

全国の円泉寺リンク

 

←ある檀家さん 高熱と肺炎で緊急入院               梵字円相掛軸

 

高麗山 聖天院 埼玉県日高市

聖天院は真言宗智山派の寺院です。

埼玉県入間郡の旧高麗群(こまごおり)にある智山派寺院の多くが末寺となっており、円泉寺もここの末寺です。

山門前には、朝鮮式の天下大将軍と地下女将軍の石柱が立てられています。

 

この旧高麗郡には、大陸から大勢の渡来人が来ています。さらに高句麗だけでなく、各地に移住していた新羅(しらぎ)、百済の人々も集められました。

すぐ隣に高麗神社がありますが、各地の白鬚神社は新羅が転訛したと思われています。白子の地名も同じです。

 

 

山門には大きな風神雷神の像が祀られており、山内を守っています。

 

 

山門の東側には、渡来した高麗王若光(こまのこしき じゃっこう)の廟があり、その前に狛犬ならぬ高麗羊が祀られています。

御住職の話ですと、羊は日本における狛犬の役目をしていると教えてくれました。

近々『世界ふしぎ発見!』の取材が来るそうです。

 

高麗王若光の墓    高麗王若光wikipedia

 

 

梵字キリーク(阿弥陀如来)の板碑です。

 

 

中門前の階段などが厳しい人は、東側から登る道もあります。

 

 

この寺の文化財は歴史を伝える、貴重な宝物です。詳しくは聖天院ホームページを参照して下さい。

聖天院ホームページlink

 

 

中門をくぐると、客殿・庫裏に続く庭園前に出ます。元々の御本堂は、ここの庭園の場所にありました。

 

 

庭園の前を左に向かうと、ここも長い階段になりますが、御本堂への参道です。

やはり庫裏の東側から歩いて登る道もあります。

 

 

平成12年に完成した御本堂です。

私もここの落慶式には参列させていただきました。

 

 

御本堂前の八画灯籠は東大寺を模した物と思います。それぞれの面に音声菩薩が彫られています。

 

さて、御本堂に参拝です。

中央に不動明王、左側に歓喜天、右側に大日如来などの仏さまが祀られています。

聖天院に来ると、つくづく寺院格差を感じてしまいます。

 

 

御本堂前の見晴らしからは、左手に日高市の中心部が望めます。

 

 

鐘楼堂から在日韓民族慰霊塔に行くことができます。参拝客もここから向こうに行く人は少ないようです。

 

 

しばらく行くと、在日韓民族慰霊塔に至ります。

在日の方々が、お参りをしていました。以前お参りに来たときもおりましたので、土日や祝日には大勢の方がおいでになっていると思います。

今日は平日ですが、新型コロナウイルスのため少ないのでしょう

 

 

ここにも羊が左右におり、供養塔を守っています。更に武人もいました。

ここも若光の墓と共に平成12年の奉納です。御本堂落慶にあわせて納められたのでしょう。

 

 

さらに大きな檀君、広開土大王、王仁博士などの石像が、東側斜面に並んで祀られています。

 

 

ここは聖天院の境内ですが、信仰もそれぞれ異なる大勢の在日韓国人が参拝に訪れています。

当然日本人も気楽に訪れていると思います。

 

境内には阿弥陀堂があります。阿弥陀・観音・勢至の阿弥陀三尊が祀られています。

今年は武蔵野三十三観音霊場のご開帳にあたります。

 

 

追記 戦前の絵葉書を見つけました。

 

聖天院   埼玉県日高市大字新堀990−1 地図

※聖天院ではありませんが、面白い高麗のホームページがあれます。游古疑考倶楽部調査委員会ホームページlink

 

←中国の仏さま              父親の一周忌に帰れない !

 

円照寺の睡蓮とコウホネ 埼玉県入間市

円照寺は円泉寺と共に、武蔵野七福神の札所です。

埼玉県の七福神札所の御朱印を紹介する本が出版されるとのことで、札所の会長している御住職に御朱印を届けに参りました。

 

 

弁天堂の池には、たくさんの睡蓮とコウホネが咲いていました。

一眼レフを持ってくれば良かったと思いましたが、小さな古いカメラが車に入れてありましたので、撮影をすることにしました。

 

 

睡蓮が一番の見頃でした。

 

 

 

鯉が寄ってきました。受付に鯉のエサを売っています。

 

 

コウホネも咲いているのですが、もっとアップで撮れば良かったと思います。

 

 

若い女性が、キヤノンのフルサイズで撮影していました。あれならば良い作品になるでしょう。

私はAPS-Cでも軽いカメラと軽いレンズのみの撮影が多くなりました。近頃は古い普通のデジカメが増えていますが、画質は一眼レフにはかないません。

 

まだ、掲載予定のブログもあるのですが、睡蓮が見頃ですので、こちらを優先致しました。

 

真言宗智山派 円照寺 埼玉県入間市大字野田158  地図

 

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天台宗 薬王寺 埼玉県毛呂山町

嘉元の板碑に行く途中、ナビに薬王寺とありましたので参拝致しました。

毛呂山町の医王寺に参拝した後でした。寺名が異なっても薬師如来が御本尊となるわけです。

 

 

新編武蔵野風土記によれば、「天台宗、仙波中院の門徒、医王山千手院と号す、本尊薬師を安ぜり、」とあるだけでした。

まるで当寺・円泉寺のような新編風土記の文章です。

円泉寺のように江戸末期に住職が住んでいなかったからかも知れません。無住のため幕府への提出書類が、おろそかになっていた可能性もあります。

しかし、薬王寺は、良く整備されていると思います。

 

 

入口から御本堂に向かう途中に、六地蔵の石仏が祀られていました。

三面に地蔵菩薩が二体づつ、側面には南無阿弥陀仏と彫られています。

 

 

御本堂正面の額は、医王山とありました。

 

 

境内には板碑がありました。一部は読めるのですが、よく見ると自信が無くなります。

中央には大きめの梵字が三文字あります。上から梵字・大日如来「バン」、阿弥陀如来「キリーク」、釈迦「ハク」と思います。

左右の梵字と下の文字は、摩耗しており自信がありません。

 

 

天台宗 薬王寺 埼玉県毛呂山町葛貫821  地図

 

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