2019年04月25日

行方不明 私年号 令禄 二年の板碑

令和に因み令付くの年号板碑が、かつて墓地にあったのですが見つかりません。板碑の半分が不明になっています。

何者かが持って行ってしまった可能性があります。

「飯能の板碑」には私年号の板碑が掲載されてはいます。

 

 

令禄二年は天文十(1541)年だそうです。

お寺に来られた郷土史家の方に「令禄」の年号を聞くと修験が使用していたのだそうです。

ネットで探しましたが見つかりません。

 

残念ですが、ある板碑のみを掲載しました。

 

 

 

 

牡丹

仮植えしている牡丹が咲き出しました。

根がほとんど無い状態でいただきましたので、勢いがありません。

 

庫裏前の牡丹は、もう終わりです。

数日前の画像です。

平将門島広山討死の場 豊原国周の役者絵

豊原国周(天保6~明治33)は明治期の代表的役者絵の作者だそうです。
豊原国周   link   
 
イメージ 1
 
 
天慶3年(940)に島広山で討ち死にする前の場面です。
将門公の後ろに描かれているのは、影武者でしょうか。
 
 
 
 

明治23年版
平親王将門(市川左団次)  千種姫(尾上栄之助)  俵藤太秀郷(尾上菊五郎)  平貞盛(市川権十郎)

千種姫は知らない名前です。役者絵を集めて初めて知りました。
調べても分かりません。

「前太平記擬ノ玉殿(ぜんたいへいきまがいのぎょくでん )」でもいました。link 
 
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