当寺は武蔵野七福神の札所です。
色々な七福神様を集めてみようと思いました。その内の大黒天様です。
現在、よく知られているお姿の大黒様。
小さな大黒天
おそらく明治時代の大黒天
大黒天は、インドのヒィンドゥーの神様でマハーカーラとして、今でも信仰されています。マカカーラともよびまする
マハーは大、カーラは時で死も意味するのだそうです。カーラは暗黒と訳され、大黒天となりました。
本来は、恐ろしい神なのですが、その神を祀ることにより、災いを避けようとする考えがあったようです。
下の図は胎蔵界曼荼羅にある大黒天(摩訶迦羅天 マカカーラ)と同じです。摩多利神としても信仰されていました。ブログlink
三面の図ですが、後世には大黒天、毘沙門天、弁財天が三体合体されている御尊像が知られています。
三面大黒天(摩訶迦羅天)
大黒天が大国主命と一体になり、日本的服装になったのは、平安中期頃のようです。次第に福神としての信仰に移行していったようです。
戦国時代、大黒天(摩訶迦羅)は戦闘神として武将の信仰がありました。そのころ民間では大黒天を、福神として信仰しており、異なる立場での信仰が残されていたそうです。
下の大黒天は、江戸初期の像ですが、私たちが知っている福神らしい姿に移行する過程のようです。まだ頭巾は大きくなく、手は拳印です。
印は槌握りとも言われ、これが大槌に変わったと聞いています。女握りとも言われます。
正面が大黒天、右が弁財天、左に毘沙門天の三像が一体となった御尊像です。今は手元にありません。
素焼きで、明治時代に量産されたものです。
明治時代になると、豊臣秀吉が信仰していた三面大黒天に因み、 三面大黒天信仰が大流行したそうです。よく知られているのが、京都・高台寺塔頭の圓徳院でしょう。
大黒天と神使であるネズミの図です。
大黒天は描かれていませんが、大黒天の小槌をネズミがお正月前に小槌を大掃除している場面でしょう。
河西草畝筆の「遊福の図」です。
大黒天は、恵比須大黒の対で祀られている事が多いですね。
大黒天 お姿 どこのお姿かは不明
山形県にある岩根沢三山神社の大きな恵比須大黒像です。ブログ