妙見菩薩

大野神社 埼玉県ときがわ町

大野神社は、かつての秩父七妙見の一社です。妙見菩薩を祀る山本坊配下の修験の寺でもありました。秩父七妙見リンク

左側には忠魂社が並んでいます。

 

大野神社    地図

大きな石碑は聖徳太子

忠魂社

 

すぐ近くには古民家が何軒もあります。

枝垂桜が一番の見頃です。ここだけでなく、アチコチに色々な桜が咲いていました。

 

近くには八王寺公園がありましたが、それほど年月が経っていないのでしょう、まだ木々は若くて勢いがあります。

近くには都幾川温泉があり、宿泊が出来るようです。

 

 

喜多川神社と閻魔堂(十王堂) 飯能市北川

岩井沢観音堂の後に少し戻り、喜多川神社に向かいました。

以前来たときは、カーナビがマッタク異なる場所で案内終了をしてしまい、地図を調べ直し、やっと着くことが出来ました。

今回もほぼ同じでした。近在の方に聞き、どうにか着くことが出来ました。

公衆トイレを右折し、しばらく行くと左に折れる道路が二ヶ所あります。

 

二番目の左折する道を行けば良いだけなのですが、運良く郵便局の車があり、聞くことが出来ました。

正面には閻魔堂が見えます。

 

閻魔堂の前に車を置かせていただきました。

 

さらに道なりに行けば喜多川神社に出るのですが、無理はしません。

 

喜多川神社は秩父七妙見の一社と言われています。秩父七妙見ブログlink

秩父では妙見さまは女神と言われています。高崎市の妙見菩薩が、秩父に祀られ、さらに千葉県の各地に祀られていますが、この流れの妙見菩薩が女神と言われるのは秩父だけだと思います。秩父神社の妙見さまと養蚕神ブログlink

岩井沢観音堂で獅子舞を奉納した後、翌日ここでも行われるようです。link

 

喜多川神社をお参りした後、お堂を覗くと十王様が祀られていました。閻魔堂としましたが、十王堂かもしれません。

まわりに家はあるのですが、聞ける人がいませんでした。

 

右隣には庚申様石仏が祀られていました。

 

喜多川神社  埼玉県飯能市北川971 地図

 

尾崎神社 川越市

今から15年ほど前、私が妙見菩薩を調べ始めた頃に、ここにお参りに来ています。
 
以前はこのあたりに来る機会が多く、ここに妙見さまが祀られているとは思いませんでした。
アチコチの社を合祀してきたからでしょう。
桓武平家系の江戸氏などの関連かもしれません。
 
 
この地区は武蔵国高麗郡の東に位置します。
高麗郡に移り住んだ有力な渡来系の人々は、後々さらにこの入間川や坂戸の越辺川沿いの肥沃な土地を開墾し耕すため、移り住んだのではないかと思います。
実際、坂戸市には先祖は高麗系と言っていた、高校の同級生がいました。
高麗王の直系の方も坂戸に在住しています。
 
ここは現在の日高市から川越に抜ける大切な通りに面していました。 
埼玉県道15号線が出来てからは、裏道のようになっていますが、大事な神社で会ったと思われます。
 
一番西側の鳥居から行けば良いのですが、駐車場の鳥居からお参りです。
 
 
 
 
御本社の北側には、アチコチから合祀されたと思われる社があります。
 
 
 
妙見社は左から二番目です。
 
 
 
祖霊社は、明治以降に神葬祭となった氏子さんのために建てられたのではないかと思います。
ここの杜や近くのお墓は、神葬祭であることが分かります。
 
 
 
この通りが、高麗郷から川越に抜ける高麗街道で、大事な道でした。
かつては狭い道だった記憶があります。
 
 
 

妙見尊大祭大護摩供 星祭 開運 厄除

祭礼は昨夜から始まっています。本日は妙見さまの大護摩供です。

役員さんには、始まる前に妙見菩薩と他の仏様、昔の話しなど行っています。

新しい役員さん向けなのですが、続けて担当している方もいますので、毎回異なった話しも入れています。

 

お護摩のときは、いつもの自分と異なる姿勢で行っていますが、なかなか集中することが難しく、恥ずかしくなります。

 

お参りは毎回、夕方近くになってから増えてきます。

まだまだまばらです。

 

かなり冷えてきました。

 

お札の申込み

一般の方の御護摩札申込みは、地元の祭ですので、当日に妙見堂にお申込みください。

 

駐車場

極楽寺 寄居町

今から十数年前、妙見菩薩を調べていた頃にお参りに来ています。

いつ頃かは知りませんが、かつて妙見さまが祀られていたと書かれていたことがありました。

聖天宮前の紅葉がきれいです。

  地図

 

額に歓喜天の文字が刻まれています。

ここは寄居七福神の内、毘沙門天と弁財天の札所になっています。

これらの大きな七福神像は、どこかの宿で祀られていたそうです。

ここが手放すことになり、寄居町のお寺が引き受け、札所となました。

以前ここにお参りに行った方に聞くと、正月の初め頃でありながら、あまり参拝者がいなかったと話していました。

 

私の住む寺は武蔵野七福神札所ですが、他の六カ所に比べると、グンとお参りが少ないのです。交通の便が悪く、ほとんどバスの便がありません。

 

御嶽神社の摩利支天 たくさんの神々 埼玉県寄居町

少林寺五百羅漢をお参りし、途中の道を西に向かうと御嶽神社となります。

 

本来の整備された参道はありますが、駐車場がなく、ここから西に向かうことになります。

 

けっこうきつい場所があります。

 

ここまで来れば開けており、気軽にお参りできます。

 

たくさんの神々や御嶽講の先達山の石塔が並んでいます。

 

御嶽大神

摩利支天などの御嶽山の神々や蚕影山などの蚕の神様、妙見尊神などがあります。知らない神社もありました。

 

戦前の乃木大将と東郷元帥の石塔もあります。

 

ここは花園御嶽城跡でしたので、ユックリ周りを散策すれば、堀や石積みがあるそうです。

城跡マニアとも一緒に行ったのですが、足の悪い友人が待っていましたので、ここのみで帰ることにしました。

 

木花咲耶姫の掛け軸

木花咲耶姫

木花咲耶姫は記紀に書かれている日本の神様です。

富士山・富士浅間神社の祭神として知られています。

安産・子育ての神としても信仰されているようです。

 

私が調べていた妙見菩薩の石仏に「名山壽行」名が彫られている物があり、辰の上に「富士山」「○」(太陽)や「月」が彫られている碑もありました。

 

 
名山壽行こと加藤平左衛門の富士信仰と妙見信仰の結びつきです。開成町広報 link    

 

 

国渭地祇神社 坂戸市森戸

坂戸に用があり、帰りに国渭地祇神社にお参りに行きました。
国渭地祇神社   埼玉県坂戸市森戸616   地図        
 
 
以前、国渭地祇(くにいちぎ)神社お参りしたのは、15年ほど前だったと思います。
上田村麻呂の創建、藤原秀衡の創建、あるいは延喜式内社にある国渭地祇神社であるとの説もあるようです。
 
明治初年まで、山本坊配下の修験・大徳院が別当を務めていました。
山本坊と言えば、平将門公の子孫と称していました。
 
 
 
ここには獅子舞が受け継がれています。
 
場所は西大家駅のすぐ側で、坂戸西高校の生徒が駅まで、歩いていました。
 
 
 
 
それほど大きくないお社ですが、境内はきれいに管理されています。
 
 
 
ご神木の「椎木」は、まだまだ勢いがありますね。
 
 
神社のお隣さんには、大きなキリーク(阿弥陀如来)が彫られた青石塔婆ありました。
鎌倉時代には、さぞかし有力な武将がいたのでしょう。
この神社の周りには、土塁らしき跡が残されているようです。
 
 
秋葉神社
他の所にありましたが、こちらに遷座されたと書かれていました。
 
 
 
八幡神社
 
 
 
この日の目的は、北辰尊星王碑です。
私は、妙見菩薩を当時調べていました。
北辰尊星王も北辰妙見菩薩です。
 
 
山本坊配下の大徳院は、天台系の修験です。
本山は聖護院でした。
かつて、聖護院は三井寺が本山でしたが、尊星王の信仰があります。
その関連の石碑なのかもしれません。三井曼荼羅図(尊星王を中心とした曼荼羅)
 
 

古四王大権現と北辰妙見大菩薩 遠藤昌益画 秋田県横手市・古四王神社 古文書・御利益記

市内の骨董屋さんで購入した遠藤昌益(近松栄和)の作品と思われる掛け軸です。

古四王神社は胡四・巨四・小志・高志・越などと当て字され、秋田を中心に東北と日本海側に約40社点在しています。各地の古四王神社は豊作と、目の神として信仰されています。
古四王大権現の図は、秋田市の古四王神社と思いましたが、違ったようです。 古四王神社 Wikipedia          

甲秀山古四王大権現

後に手に入れた古文書には秋田平鹿郡植田村とありました。平鹿郡は現在の横手市にある古四王神社のようです。

古文書の画像は図像の次に掲載しました。

古四王神社  横手市十文字町植田字宮ノ前6   地図          古四王神社 横手市リンク

 

 

甲秀山古四王大権現

上右・釈迦如来   上左・薬師如来

中右・毘沙門天  中左・文殊菩薩

下・二童子

 

古四王神社は、本尊が毘沙門天(多聞天)だった所が多かったようです。

 

下の妙見菩薩掛け軸と対になっています。

 

北辰妙見大菩薩

中左・水天   中右・三面青面金剛

下中央・妙見菩薩    下左右・二童子

 

古四王大権現は

  • 四天王
  • 釈迦如来・薬師如来・毘沙門天・文殊菩薩
  • 妙見菩薩

が習合し、信仰されていたことが、この絵からも分かります。

 

この掛け軸は阿闍梨・舜浄により、安政6年(1859)に開眼されました。その当時の住職ではないかと思います。

廃仏毀釈ためか、由緒のある寺でありながら、分からないことだらけです。

願主・今野伊左エ門 藤原信光とあります。

青森県を除く東北地方には「今野姓」が多くいます。読み方は「こんの」「いまの」のどちらか分かりません。

 

 

遠藤昌益は文政4(1821)年に生まれ、秋田藩佐竹家の湯沢城代(秋田県湯沢市)の佐竹南家のお抱え絵師的存在だったようです。

筆渦により江戸に逃げ、帰郷して矢島領城内に身を隠し、近松栄和を名乗りました。この作品は筆渦事件以前の作品なのでしょう。

明治22年に北海道で亡くなりました。

 

甲秀山古四王大権現御利益記

古文書も手に入れました。

スマホでは字が小さいため読みづらいです。パソコンで読んでください。

 

 

即清寺 七九供養塔 東京都青梅市

即清寺は真言宗豊山派の寺院です。
私の住む飯能市は、隣接していながら真言宗智山派が多いですが、青梅は武蔵国西多摩郡であったためか、真言宗でも豊山派が多い地区です。


歴史を感じる、落ち着きのあるお寺です。



私の目指す妙見様の石仏は、七九供養塔の向かって左側に彫られています。



正面のお薬師さまは、子供を抱いています。初めて来たときは、本当にお薬師さまなのかと思いました。
他の方もそのように思った方が、けっこういたようです。



妙見菩薩は竜に乗っています。



お不動様も威厳があり、素晴らしい彫刻です。



山門の仁王様



境内には他にも沢山の石仏が祀られています。




ご本堂と鐘楼堂

 



山内八十八カ所の一番です。

 



境内にお雛様が飾ってありました。
今年は3月5日~3月25日までです。

 



青梅には梅林があるのですが、病気で伐採されてしまい、小さな木だけでした。
当然散策の人は見かけません。
立派に育つまでは、何年もかかりそうです。


即清寺  東京都青梅市柚木町1丁目4-1  地図

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