妙見菩薩

栄福寺 千葉市大宮町

千葉大医学部内外にある七天王塚を後にして、「千葉妙見大縁起」を所蔵する栄福寺を訪れました。
平常長(千葉常胤の曽祖父)の家臣・坂尾五郎治(さんごのごろうじ)が、大治5年(1130)に妙見堂を建立し、翌年創建したのが栄福寺の前身だそうです。
 
金剛授寺として建立だそうですから、金剛授寺(現千葉神社)が二カ所あったのでしょうか。
こんがらかっています。
 
 
 
 
 
千葉妙見大縁起は真言宗であった金剛授寺(現千葉神社)にあったことから、宗旨の違う栄福寺に移ったのは何故だろうと思っていたのですが、途中から天台宗に変わったのですね。
でも、金剛授寺が二カ所あったとすると?。
 
 
 
 
ここも月星と九曜紋でした。
 
ここに来たとき、タクシーの運転手さんは、毎年ここに花見に来ると行っていました。千葉県下一番のしだれ桜だそうです。
 
 
 
妙見地蔵堂
 
長い参道が延びており、途中を東金道路が分断しています。
 
 
 
さらに参道を南に行くと、天台宗泉福寺に降りる階段がありました。
 
 
 
ここは栄福寺の参道です。桜並木が続きますが、昔は桜の名称でした。
 
 
 
脇のお墓に栄福寺並びに泉福寺歴代墓所と掘られた外柵がありました。
 
 
 
他の墓は個々の家の墓でしたから、昔は共同の住職のお墓があったのかもしれません。
 
さらに南に行くと下り坂になり、途中六地蔵が立っています。
六地蔵はお寺の入り口にあることが多いので、ここの下あたりが参道入り口だったのでしょう。
 
 
 
 
広い道に出て、栄福寺、泉福寺方面を見ると小高い山になっています。
この泉福寺の裏山あたのは中世城址で、 坂尾五郎治の居城と伝えています。東金道路により分断され、ほとんど残されていないそうです。
また、栄福寺の周りにも土塁が残されているようです。
 
 
 
 
栄福寺 千葉県千葉市若葉区大宮町3869  地図
 
次にバスで千葉神社に向かいました。
 

千葉神社

栄福寺の次に千葉神社です。
 
本当は、その前に千葉寺に寄る予定でしたが、タクシーが全く通らないので、たまたま来た千葉駅行きのバスで千葉神社に向かいました。
スマホで見つければ簡単だったのですが、頭が固く使い方がわかりません。
 
廃仏毀釈以前は北斗山金剛授寺尊光院と称する真言宗のお寺でした。
千葉一族は結束を守るため、妙見信仰で絆を深めていました。
一族が各地に広がると、青森から鹿児島まで、それぞれの地に妙見菩薩を祀りました。その中心がここだったのです。
千葉県下だけでも妙見菩薩を祀る寺社が400位あるそうです。
 
千葉神社 千葉県千葉市中央区院内1-16-1  地図
ホームページlink
 
 
分霊社「尊星殿」から入りました。とにかく変わった建物です。まず他では見られない建築物です。説明できないので、ホームページを参照してください。
 
 
 
御本社は我が国初の重層社殿になっています。
 
 
 
二階より見た尊星殿です。千葉駅から徒歩で10分ですから、ビジネス街の中にあることがわかります。
 
 
 
摂社千葉天神に向かいます。
 
 
 
 
 
千葉天神と末社
 
 
尊星殿から出ると公園になっています。
 
 
 
 
公園の西脇に「出世弁天」があります。
 
 
 
じっと見つめられていました。かわいいですよ。
 
 
 
出世弁天管理所の前には、千葉常胤の像があります。千葉市立博物館の像とそっくりですが、コンクリート製のようです。
 
 
 
 
 
千葉駅までは歩いてすぐでしたが、疲れて途中紅茶タイムです。
 
 
今回のコースならば、千葉神社→千葉市立博物館→七天王塚→栄福寺が良かったと思いました。
 
かなり歩きました。千葉寺に寄らなくて正解だったかもしれません。帰ってからが大変でした。

「千葉妙見大縁起の世界―千葉妙見大縁起絵巻の全容―」 千葉市立郷土博物館

千葉市立郷土博物館、七天王塚、栄福寺、千葉神社に行ってきました。四回に分けて掲載いたします。
朝8時に出かけ、17時半の帰宅です。
 
まずは、千葉市立郷土博物館で開催された「千葉妙見大縁起の世界―千葉妙見大縁起絵巻の全容―」です。
JR本千葉駅より歩きました。
 
 
 

平成28年8月9日(火曜日)から平成28年年12月11日(日曜日)まで開催され、会期中展示替えが行われます。 企画展link

 
 
千葉市立郷土博物館
千葉市中央区亥鼻1-6-1 地図
 
 
亥鼻城址
 
千葉常胤の銅像
 
 
 
城跡に文化施設があり、城を模した館物が千葉市立郷土博物館になっています。
 
 
 
お城に入ると受付の先に大きな千葉妙見大縁起のパネルがあります。
 
 
 
上記は平将門、平良文の前に現れた七星山息災寺(現・天台宗妙見寺 高崎市引間)妙見菩薩。
妙見寺へは何度もお参りに行っています。近くには国分寺跡もありますので、今年中には、また訪れてみる予定です。地図
ちなみに高崎市新町にも日蓮宗妙見寺があります。
 
千葉妙見大縁起(栄福寺蔵)  link  より 
   上・下二巻の絵巻は、千葉氏が妙見尊の御加護によって数度に及ぶ合戦に勝利をおさめた様子を描いたものです。
 絵巻の 奥書(おくがき) から、享禄元年(1528)本庄伊豆守 胤村(たねむら) が 詞書(ことばがき) を作らせ、その後天文19年(1550)詞書と絵を合せて上・下二巻の絵巻にさせたと思われます。
(千葉市教育委員会『千葉市文化財マップ』より抜粋)

千葉神社の前身である 北斗山金剛授寺(ほくとざんこんごうじゅじ) ( 妙見寺(みょうけんじ) )の19世 光雅(こうが) が 寛文(かんぶん) 2年(1662)11月に書いた『 下総(しもうさ) 国千葉郷妙見寺大縁起』によると、この絵巻はもと妙見寺にあったが、光雅が住僧となった 寛永(かんえい) 19年(1642)10月にはすでに 栄福寺(えいふくじ) の所蔵に移っていたという。 
(千葉市『千葉市の散歩道』より抜粋)
 
別のlinkも参考になります。
 
縁起絵巻は千葉県指定有形文化財になっています。
 
企画展の入り口では千葉常胤の像が迎えてくれます。千葉常胤Wikipedia link
 
 
 
企画展の中は、いくつかに分かれており、時代ごとに分かりやすく解説されています。
千葉妙見大縁起は第一巻が展示されていました。部分だけです。
展示替えされていくようです。
①10月18日(火)より展示開始
②11月 1日 (火)場面替え
③11月15日(火)場面替え
④11月29日(火)場面替え
これらは撮影禁止でしたので、パンフレットの画像などを参照してください。
 
 
パンフレットの裏面一部分
 
撮影可の場所だけ撮してきました。
 
 
 
千葉氏の末裔が各地に移住すると、各地に妙見菩薩を祀りました。
北は青森県、南は鹿児島県まで祀られています。
 
 
 
展示パネルの説明が書かれています。31枚全部いただいてきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
左が堀内神社に祀られていた妙見菩薩像(複製)と右、東保胤氏より寄贈された妙見菩薩像の複製。
 
神田明神の平将門と七人の影武者の掛け軸(複製)もありました。
 
 
 
 
平安以前の発掘物も展示されていました。
 
 
 
以前来たとき求めた「紙本著色  千葉妙見大縁起絵巻」(千葉市立郷土博物館刊)は、まだ在庫があるようです。
 
妙見菩薩に関しては、二階堂善弘氏(関西大学)の「妙見菩薩と真武信仰における文化交渉」PDFがためになります。link
 
日本全国の妙見菩薩・平将門関連資料集が私のHome pageにあります。
但し、専門家ではありませんので間違いも多いと思います。  link
 
郷土博物館を出ると、ちょうど昼頃です。
城址内すぐ近くにある「いのはな亭」で食事をしました。
 
 
 
 
 
うどんにしましたが、結構美味しいです。甘い物なども多く、私以外は女性ばかりでした。
水琴窟もありました。
 
次に近くの千葉大学医学部内と道路反対側にある七天王塚に向かいました。
七天王塚は平将門公の七人の影武者の墓とも伝えられています。
 

無量光寺 相模原市

かつて私は妙見菩薩を調べていた折りに、お参りに来たことがあります。
 
ここは踊り念仏で知られる時宗(じしゅう)の旧大本山であり、一遍(いっぺん)上人ゆかりの寺です。
 
 
無量光寺本堂
 
一遍上人が23歳の弘長元年(1261)に諸国遊行の途中、草庵(現在の瑠璃光寺)に宿をとり念仏を唱えていると、深夜に亀に乗った 妙見菩薩が示現しました。
翌朝、相模川の対岸の丘に、妙見菩薩の小さな祠を見つけたとつたえられています。
ここを「金光寺」と名付けました。
 
嘉元元年(1303)、他阿真教(たあしんきょう)上人が、ここに無量光寺を建立したのだそうです。
他阿上人は都内の平将門首塚の伝承では、平将門の祟りを収め、神田明神に祀ったと伝えられています。
 
しかし、私は平将門公が荒ぶれた怨霊だったはずがないと思っています。
 

一遍上人像

 
山門
 
緑の多い境内
 
 
徳川家康は松平を名乗っていた頃は、代々時宗の信徒だったようです。
後に浄土宗に変えたようです。
 
そのために浄土宗以上に勢力があった時宗は、末寺が次々に浄土宗に変わっていったと聞いたことがあります。
無量光寺の何代か前のご住職は、浄土宗の出身でした。
 
 
かつてここまで来たときは、二時間ぐらいかかっていましたが、圏央道ができて近くなりました。「相模原愛川」ICからすぐです。
 
 
さらに脇にバイパスが通っており、ICから一直線でこれます。地図
電車で来る場合も相模線「原当麻」から1㎞ほどです。
 

ハ菅神社と「相模国ハ菅修験」展 神奈川県愛川町

十年ぶりぐらいにハ菅(はすげ)神社にお参りに行きました。
神奈川県愛甲郡愛川町八菅山139
 
 
 
今は圏央道がありますので、一時間ぐらいで到着です。
 
廃仏毀釈前は、「ハ菅山八社権現」と言われ、聖護院末の修験の寺でした。
 
和銅2年、行基菩薩が七社権現の寺を建立したと伝えられています。
後に大宝8年、役小角が訪れハ菅山として名付けられました。
別当光勝寺他、五十数坊があったと伝えられています。
 
現在は3月28日に火渡り祭が行われています。
 
 
光勝寺総門跡
 
ここからしばらく行くとハ菅神社に到着です。
 
 
 
 
かなりの急階段でした。帰りは女坂から降りました。
 
八菅神社覆殿
 
 
友人は革靴で登りました。滑るから注意しましょう。
 
九曜紋
 
 
 
宝物館
 
前回来る前に調べた時は、メモに
現宮司は千葉姓、他に修験の元安養院は相馬姓で将門を祀っていた。妙見様との関連も伝えられている。八菅修験の本拠地。
 
この時いた受付のおばちゃんは、千葉さん(宮城県出身、たまたま宮司さんと同姓だった)。
 
現在の宮司は古賀氏だそうです。
 
今回訪れたとき、宝物館に人がいたので、少しお話を聞きました。
愛川町資料館の学芸員のようでした。
 
妙見菩薩と平将門のことは知らないとのことでした。
今回実際調べても関連はどこからも出てきません。
千葉氏と相馬氏ですから妙見菩薩、平将門との関連はあると思うのですが。
ハ菅権現の紋も九曜星で妙見様、千葉氏、相馬氏。多分関連がありますね。
 
八菅山を超えた西側は、
日吉神社(妙見社) 厚木市下荻野子合の妙見社元別当・妙見寺(廃寺・曹)
この近在には、日吉神社が何社かある。
各地の日吉神社と妙見菩薩の関係も少なからずあるようです。
 
※毛利元就の祖は大江広元。源頼朝から相模国毛利庄屋(現在の厚木市)を領地としてもらった。
 
鐘鋳神社(元妙見社) 神奈川県厚木市中荻野
「銅座金山荻野の名所銅座コネーカ金掘りに」といわれ、銅鉱があった。鋳物師が住んだらしい。
 
妙見様は鉱山とも深い関連があります。ハ菅神社とも何らかの関係もあったかもしれません。
 
 
学芸員さんから今月10日より「相模国ハ菅修験」展が「愛川町資料館」 であると教えていただきました。
 
愛川町資料館「相模国ハ菅修験」展 link     資料館link
 
  神奈川県愛川町半原5287  地図
  「県立あいかわ公園駐車場」から歩くようです。
 
 
 
興味のある方は、ぜひ行ってみてください。
宮ヶ瀬湖も近そうです。   link        link2
郷土資料館入館  無料
県立あいかわ公園駐車場  普通車500円   愛川町半原5423
 
私も後日行ってみます。
 
 
追記  「ハ菅修験」展に行ってきました。link
 
追記 2016/11/20
ハ菅神社はやはり妙見菩薩、平将門公の伝承があったようです。
※青木祐子先生の「榛名山東南麓の千葉氏伝承」を参照してください。  link
※村上春樹氏(国文学者)の「将門伝説」(吸古書院)に書かれています。
 
 
 
ハ菅修験の安養院は、相馬姓を名乗り、平将門を高祖として仰ぎ、将門像を祀っていた。明治以降は外部に秘していました。
現在は他所に転出し、そちらに保管されています。
 
 

飯能市の平将門伝説

地元飯能市の将門伝説の所は、良く出かける地でありながら、書く機会がありませんでした。

たまたま来られた平将門公信者の方と三ヶ所お参りしてまいりました。

 

天覧山
平将門がここの山頂に布陣して、平秀郷軍と戦いました。そのおり、七日七夜、血の雨が降り続いたと伝えられています。ちなみに川上監督・長嶋監督は、ここの檀家さんです。

 

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天覧山 能仁寺   飯能市飯能 1329

 

飯能市矢颪・征矢(そや)町・矢の根(川寺内)
平将門が矢颪の山より藤原秀郷の軍に向けて矢を放ち、一本はここに落ち「征矢神社」として祀られました。一本は川寺(矢の根)に落ち、祀ったのが「射宮祠」(大光寺内・川寺395-11)と伝えられているそうです。

 

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征矢神社  飯能市征矢町26-1

 

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浄心寺  飯能市矢颪222

 

飯能市平松
妙見堂の妙見菩薩は、将門公配下の家臣が当地に隠れ住み、代々自宅に祀っていましたが、今から180年前にこの場所に祀りました。ご本尊「妙見菩薩」(みょうけんぼさつ)は二代目になっています。

 

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円泉寺妙見堂(当寺)  飯能市平松376

 

当寺に妙見菩薩、平将門公のことを聞きに来られる方が、かなりおります。但し、私は学者でも郷土史家でもありません。専門家と思ってこられると、ガッカリすると思います。

特に土日に来られる方が多いのですが、住職不在になることや、葬儀、法事などで対応できないことが多々あります。できる限りお電話にてご連絡ください。

 

円泉寺(えんせんじ)  電話042-973-5716

妙見菩薩・平将門資料集 リンク     

 

平将門 ブログ     

 

東京の平将門を祀る寺社    リンク       

 

   東京の反平将門系寺社  ブログ       

 

国王神社   茨城県坂東市        

 

   

東光院妙見宮七星殿-東京都西多摩郡日の出町平井-曹洞宗

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妙見宮 七星殿

 

私が妙見菩薩を調べ始めたのが、2001(平成13)年ごろです。

まだネットを始めてなかったために本にある資料を基に、あちこち出かけていました。

 

引出を片付けていましたら、古いデジカメのカードが出てきました。2002年ですから、調べ初めたばかりです。ネットもやっていませんでした。

 

たまたま前を通ったとき、カーナビに妙見宮?の文字がありました。

 

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山中であることが分かると思います。

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七星殿の額

七星殿は昭和62年に百済の故地、韓国の資材、職人によって再建されました。 妙見菩薩像は道院・世界紅卍会にて寄贈されたようです。

ご本尊の画像は載せませんでしたが、腕が六本の菩薩形の像です。下の壁画とは違いました。

 

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お堂内部

2016615164018.jpg童子形の妙見菩薩の壁画

 

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今では体力的に登れないかもしれません。

 

次の画像は、ある方が韓国に行ったときの写真です。

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東光院七星殿と同じような外観ですね。

 

毎年5月3日に祭礼が行われ、東光院の前庭にて韓国農楽隊と韓国民族舞踊が披露されます。

    舞踊は金順子韓国伝統芸術研究院です。 リンク

 

東光院 日の出町平井3963  地図

  日の出町には、東光院と東光寺がありますので、間違わないでください。

 

 

北斗七星祠-群馬県沼田市

私が妙見菩薩を調べ始めたのは平成年からでした。妙見菩薩とは北極星、北斗七星が神格化された仏様です。

関東一円の妙見様の寺院、神社、路傍の石仏など本やネットで調べたに週一回はデジカメを持って出かけていました。

 

その中で数多くの石祠にも接しましたが、一番のお気に入りが「北斗七星祠」です。10年前に偶然に見つけた石仏でした。

撮影 平成18年(2006)年6月

 

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石室部分正面に北斗星が彫られています。

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剣が付いた部分は破軍星です。
 愛知県春日井市内津の妙見寺の紋によく似ています。

破軍星が軍を破る星と書きますので、妙見菩薩は武士に広く信仰されました。
 

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八幡宮

沼田市上川田町

 

嫁ぐとき実家の土地と八幡宮を受けついたそうです。かなり旧家のようです。八幡様ですから、古くは武家だったのかもしれません。

後日お写真と妙見菩薩、北斗七星の資料をお送りしたところ、達筆なお礼のお手紙をいただきました。

 

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この近在には、このように石室部分に仏様、神様が浮彫されているのを見られます。

十年前は日本石仏協会の坂口会長にいろいろ教えていただきました。

 

妙見菩薩資料集 リンク

 

養蚕神のお姿札、掛軸、絵馬-養蚕信仰・神社

以前にも養蚕神を一部ご紹介しましたが、まとめて掲載させていただきます。

 

昔から養蚕は大事な事業でした。明治に入ると海外から新しい技術が導入され、養蚕技術の向上、大規模な工場が造られました。

Wikipedia 養蚕 リンク       

 

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富岡製糸場

 

今では養蚕もほとんど行われず、桑の木も次々に他の作物の畑となったり、放置されています。

養蚕信仰もほとんど見られなくなりました。

 

今手元にある養蚕神の掛軸、お札などをご紹介します。

茨城県神栖市の星福寺の衣襲明神(きぬがさみょうじん)

現在は廃仏毀釈により、お堂が蚕霊(さんれい)神社となっています。

御尊像は、「馬鳴菩薩」として星福寺に祀られています。 

 

ちなみに常陸国の三蚕神社は、蚕影神社(つくば市神群) 養蚕神社(日立市川尻町) 蚕霊神社(神栖市日川) で、昔はかなり栄えていたようです。今はほとんどお参りもないそうです。

養蚕神1

 

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衣襲明神の掛け軸にある文面

 

養蚕神2

 

星福寺  茨城県神栖市日川900

蚕霊神社

江戸時代には星福寺の蚕霊尊として各地に巡行し、多くの信者を獲得しました。 ブログ リンク

 

日立市川尻の蚕養神社のお姿

日本最初とありますが、事実かどうかは不明です。養蚕が盛んだった地区ではないようです。

 

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蚕養神社  茨城県日立市川尻町2

 

現在知られている日本最初か分かりませんが、養蚕神社では京都の蚕の杜ではないでしょうか。

日本では泰氏が養蚕と織物技術を伝える以前よりもたらされていたそうです。京都市では木島神社の養蚕神社(蚕の社)が泰氏の養蚕と関係あるようです。木島神社より蚕の杜として知られているそうです。

泰氏と関連ある太秦にあります。

木島神社は京都で一番古い神社の一社です。

Wikipedia 木嶋坐天照御魂神社  リンク

 

話は変わりますが、秦氏の先祖はユダヤ人であるとする説もありますが、中国では秦はペルシャを指すそうです。また、ユダヤ人には特有の遺伝子を持つことが分かったそうです。アジア、ヨーロッパ、アフリカなど各地に移動した人々の中に、同じ遺伝子を持つ人がいるようです。秦氏につながる子孫に同じ遺伝子があったとの話は聞いたことがありません。ユダヤ人と縄文人が同じ遺伝子を持っているようですが、時代が違いすぎます。

 

つくば市神群の蚕影神社のお姿

蚕影山桑林寺が廃仏毀釈後に蚕影神社となりました。全国にある蚕影神社の総本社だそうです。

 

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蚕影神社 茨城県つくば市神群1998

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東京都福生市の永昌院に金色姫蚕影山幣束ともう一つの金色姫幣束が伝わっています。

蚕影山桑林寺より伝わりました。現在の蚕影神社(つくば市神群)です。

かなり手の掛かる幣束です。

養蚕神の幣束[福生市永昌院に伝わる蚕影山の幣束] 佐治靖

 

4ページありますので、最後までクリックして下さい。

 

駒ヶ岳神社のお姿

駒ヶ岳神社は信州において御岳神社と並ぶ山岳信仰の地です。養蚕農家、馬を飼育している農家の人々の信仰の神でした。

麓の駒ヶ根市は明治から大正時代にかけて国内有数の養蚕エリアでした。「駒ヶ根シルクミュージアム」があります。ここは行ってみたいですね。

  駒ヶ根シルクミュージアム リンク

 

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駒ヶ岳神社里宮

長野県木曽郡上松町東里2区

出羽国雄勝群山田村 地福院のお姿

現在の秋田県湯沢市です。山田は中世に鎌倉街道が通っていたため、かなり開けていたようです。

地福院の詳細は全く分かりません。廃寺でしょうか?。あるいは廃仏毀釈で神社になっているかもしれません。山田字下六日町の八幡神社には、境内神社に蚕養社がありますが、関係あるのでしょうか。

藩政末期から明泊、大正時代にかけて秋田でも養蚕と製糸が盛んな時期があり、中心は湯沢町だったそうです。

現在の湯沢市山田がありますが、もっと広域だったようです。  山田村

明治8年には雄勝製糸場ができたようです。

 

20164139543.jpg秋田県湯沢市 地福院

秩父神社妙見様のお姿

何でここに秩父神社が出てくるの?、と思うかもしれませんが、手に桑の枝を持っているのが分かると思います。

秩父地方はかつて養蚕が盛んでした。この神社の秩父夜祭りは、「お蚕祭り」とも呼ばれていたそうです。

ここも埼玉県内の養蚕神としての信仰があったことが知られます。秩父では妙見様は女の神様と言われていますが、男神の妙見様が髪の長いことから、養蚕神として習合が行われたのかもしれません。   秩父神社

 

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秩父神社  埼玉県秩父市番場町1-3

 

当寺の妙見菩薩のお姿札

どこに養蚕神との関連が見られるの?、と思うでしょう。秩父神社と姿は違いますが、こちらも妙見菩薩です。

当寺以外は桑の枝を持っています。

昔は飯能も養蚕が盛んでした。織物の工場も結構ありました。残念ながら過去形ですね。

地元の人もほとんど知らなかったことですが、遠方から来られる方は養蚕神として信仰していました。秩父神社と同じ日に祭礼を行っており、同じように思われていたようです。

 

 

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円泉寺妙見堂

妙見菩薩資料集リンク

 

 

手書きの養蚕祖神絵馬

以前当寺の絵馬をお願いしていた飯能市にあった絵馬屋さんの手書きの養蚕神絵馬です。

養蚕神の絵馬は小槻正信さんが書かれました。販売していたわけではありません。

特別に書いていただいたきました。亡くなられて数十年経ちます。貴重な絵馬です。

 

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養蚕祖神絵馬

 

 

日蓮宗大本山中山法華経寺妙見宮参拝ー千葉県市川市

本日は市川市の中山法華経寺、成田市の麻賀多神社、宗吾霊堂東勝寺、成田山新勝寺に参拝にしてまいりました。

 

Aさんに運転を依頼し、私は後ろの席で威張っているだけです。

途中三人の方と合流し、計五人での参拝でした。

私は妙見菩薩と平将門を調べており、それに併せて各地の神社仏閣、名所を訪れています。     妙見菩薩・平将門資料集

 

まずは中山法華経寺です。

妙見堂には千葉家伝来の妙見菩薩が祀られているそうです。

 

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法華経寺妙見堂

20162921035.jpg向かって左・妙見堂と右・祖師堂

法華経寺駐車場に車を置き、 仁王門よりお参りを始めます。

さすが大本山です。こんなに広い境内とは思っていませんでした。

 

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仁王門

 

次に遠壽院です。   遠壽院

 

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遠壽院荒行堂

 

明日は100日荒行の成満とのことで、準備中でした。

荒行堂は、遠寿院の荒行堂と中山法華経寺本院となりの荒行堂のふたつがあるようです。   かつて中外日報(仏教新聞)にいろいろ書いてあったのを思い出します。

ここの僧侶、在家の方々が、成満の準備をしています。お参りするとどなたも必ず明るい顔で挨拶をしてくれます。

遠壽院は厳しい修行の寺ですが、暖かみを感じることが出来ました。見習わないといけないですね。

 

一緒に行った人が紙垂(しで)を見て、初めて見る切り方だと言っていました。

 

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 確かに知らない形でした。

 

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参道を通り祖師堂・本院に向かいました。

 

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祖師堂

 

本院に向かうと成満の旗が準備されていました。同じ名前の旗が何枚もあります。成満の回数によりるのでしょうか?。

 

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成満の旗  

 

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本院

201629225124.jpg大荒行堂

本院に向かうと、どういうわけか違和感を覚えます。何か私を拒否しているような気分がしてなりません。

大荒行堂にも向かわず、退散しました。

この後、他のお堂ではいつものようにお参りできました。

 

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宇賀神堂

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八大龍王

 

次に麻賀多神社に向かいました。

 

 

 

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