妙見菩薩

雑司が谷鬼子母神堂 日蓮宗法明寺

雑司が谷鬼子母神堂は、法明寺の境外仏堂です。

御本尊の鬼子母神像は、菩薩形で子供を抱いた穏やかな御尊像です。祀られた時期を考えれば、菩薩形であることは想像できました。

もし、同じ時代に祀られながら鬼形であるとすれば、後世の縁起書き換えであることが分かります。

 

参道の入口では、阿吽石像が迎えてくれます。

 

かなりの数の方がお参りに来られていました。

しかし、前から来られる方々の会話を聞くと、中国語でした。山手線でも中国語が数多く交わされていました。

 

鬼形の鬼子母神石像が脇に祀られています。

 

本日の私の目当ては妙見菩薩です。御堂の裏手になります。

鬼子母神 -2 地図

 

日蓮宗法明寺

鬼子母神堂を管理しているのが法明寺です。

この寺の前には、多くの塔頭がありました。広い寺域と墓域が格式の高さを物語ります。

 

 

門を入ると、お皿がいくつも置いてありました。猫のエサのようです。

ポケモンお断りの看板はありましたが、猫のエサ禁止の表示はありません。

ここで法明寺をスマホで調べると「法明寺 猫」とありました。

 

猫がいたので撮ろうと思いましたが、先客の伯父さんがスマホを持って近づいため、逃げてしまいました。

柵の前に猫が小さく写っています。

 

威光法明寺

  東京都豊島区南池袋3丁目18−18  地図

身形神社 埼玉県東秩父村

かつて秩父七妙見の内の妙見社でした。秩父七妙見 ブログ

ここの参道を車で行くと駐車場がありません。もう一本南側の道から神社に向かうと境内に車が駐められます。

 

 

鳥居の手前には、石塔が並んでいます。

 

 

以前ここを参拝したときは、たまたま祭礼が終わったときです。

神社でありながら、お厨子に収まった妙見菩薩の像が祀られていました。

廃仏毀釈で捨てられたり、燃された御尊像が多いのですが、ここでは大事にされていることが分かります。

 

 

追記  平成28年に妙見菩薩像と厨子が修復されました。

 

身形神社 埼玉県秩父郡東秩父村大字安戸872 地図

 

大野神社 埼玉県ときがわ町

大野神社は、かつての秩父七妙見の一社です。妙見菩薩を祀る山本坊配下の修験の寺でもありました。秩父七妙見リンク

左側には忠魂社が並んでいます。

 

大野神社    地図

大きな石碑は聖徳太子

忠魂社

 

すぐ近くには古民家が何軒もあります。

枝垂桜が一番の見頃です。ここだけでなく、アチコチに色々な桜が咲いていました。

 

近くには八王寺公園がありましたが、それほど年月が経っていないのでしょう、まだ木々は若くて勢いがあります。

近くには都幾川温泉があり、宿泊が出来るようです。

 

 

喜多川神社と閻魔堂(十王堂) 飯能市北川

岩井沢観音堂の後に少し戻り、喜多川神社に向かいました。

以前来たときは、カーナビがマッタク異なる場所で案内終了をしてしまい、地図を調べ直し、やっと着くことが出来ました。

今回もほぼ同じでした。近在の方に聞き、どうにか着くことが出来ました。

公衆トイレを右折し、しばらく行くと左に折れる道路が二ヶ所あります。

 

二番目の左折する道を行けば良いだけなのですが、運良く郵便局の車があり、聞くことが出来ました。

正面には閻魔堂が見えます。

 

閻魔堂の前に車を置かせていただきました。

 

さらに道なりに行けば喜多川神社に出るのですが、無理はしません。

 

喜多川神社は秩父七妙見の一社と言われています。秩父七妙見ブログlink

秩父では妙見さまは女神と言われています。高崎市の妙見菩薩が、秩父に祀られ、さらに千葉県の各地に祀られていますが、この流れの妙見菩薩が女神と言われるのは秩父だけだと思います。秩父神社の妙見さまと養蚕神ブログlink

岩井沢観音堂で獅子舞を奉納した後、翌日ここでも行われるようです。link

 

喜多川神社をお参りした後、お堂を覗くと十王様が祀られていました。閻魔堂としましたが、十王堂かもしれません。

まわりに家はあるのですが、聞ける人がいませんでした。

 

右隣には庚申様石仏が祀られていました。

 

喜多川神社  埼玉県飯能市北川971 地図

 

尾崎神社 川越市

今から15年ほど前、私が妙見菩薩を調べ始めた頃に、ここにお参りに来ています。
 
以前はこのあたりに来る機会が多く、ここに妙見さまが祀られているとは思いませんでした。
アチコチの社を合祀してきたからでしょう。
桓武平家系の江戸氏などの関連かもしれません。
 
 
この地区は武蔵国高麗郡の東に位置します。
高麗郡に移り住んだ有力な渡来系の人々は、後々さらにこの入間川や坂戸の越辺川沿いの肥沃な土地を開墾し耕すため、移り住んだのではないかと思います。
実際、坂戸市には先祖は高麗系と言っていた、高校の同級生がいました。
高麗王の直系の方も坂戸に在住しています。
 
ここは現在の日高市から川越に抜ける大切な通りに面していました。 
埼玉県道15号線が出来てからは、裏道のようになっていますが、大事な神社で会ったと思われます。
 
一番西側の鳥居から行けば良いのですが、駐車場の鳥居からお参りです。
 
 
 
 
御本社の北側には、アチコチから合祀されたと思われる社があります。
 
 
 
妙見社は左から二番目です。
 
 
 
祖霊社は、明治以降に神葬祭となった氏子さんのために建てられたのではないかと思います。
ここの杜や近くのお墓は、神葬祭であることが分かります。
 
 
 
この通りが、高麗郷から川越に抜ける高麗街道で、大事な道でした。
かつては狭い道だった記憶があります。
 
 
 

妙見尊大祭大護摩供 星祭 開運 厄除

祭礼は昨夜から始まっています。本日は妙見さまの大護摩供です。

役員さんには、始まる前に妙見菩薩と他の仏様、昔の話しなど行っています。

新しい役員さん向けなのですが、続けて担当している方もいますので、毎回異なった話しも入れています。

 

お護摩のときは、いつもの自分と異なる姿勢で行っていますが、なかなか集中することが難しく、恥ずかしくなります。

 

お参りは毎回、夕方近くになってから増えてきます。

まだまだまばらです。

 

かなり冷えてきました。

 

お札の申込み

一般の方の御護摩札申込みは、地元の祭ですので、当日に妙見堂にお申込みください。

 

妙見菩薩祭礼 毎年12月第1日曜日

 

駐車場

極楽寺 寄居町

今から十数年前、妙見菩薩を調べていた頃にお参りに来ています。

いつ頃かは知りませんが、かつて妙見さまが祀られていたと書かれていたことがありました。

聖天宮前の紅葉がきれいです。

  地図

 

額に歓喜天の文字が刻まれています。

ここは寄居七福神の内、毘沙門天と弁財天の札所になっています。

これらの大きな七福神像は、どこかの宿で祀られていたそうです。

ここが手放すことになり、寄居町のお寺が引き受け、札所となました。

以前ここにお参りに行った方に聞くと、正月の初め頃でありながら、あまり参拝者がいなかったと話していました。

 

私の住む寺は武蔵野七福神札所ですが、他の六カ所に比べると、グンとお参りが少ないのです。交通の便が悪く、ほとんどバスの便がありません。

 

御嶽神社の摩利支天 たくさんの神々 埼玉県寄居町

少林寺五百羅漢をお参りし、途中の道を西に向かうと御嶽神社となります。

 

本来の整備された参道はありますが、駐車場がなく、ここから西に向かうことになります。

 

けっこうきつい場所があります。

 

ここまで来れば開けており、気軽にお参りできます。

 

たくさんの神々や御嶽講の先達山の石塔が並んでいます。

 

御嶽大神

摩利支天などの御嶽山の神々や蚕影山などの蚕の神様、妙見尊神などがあります。知らない神社もありました。

 

戦前の乃木大将と東郷元帥の石塔もあります。

 

ここは花園御嶽城跡でしたので、ユックリ周りを散策すれば、堀や石積みがあるそうです。

城跡マニアとも一緒に行ったのですが、足の悪い友人が待っていましたので、ここのみで帰ることにしました。

 

木花咲耶姫の掛け軸

木花咲耶姫

木花咲耶姫は記紀に書かれている日本の神様です。

富士山・富士浅間神社の祭神として知られています。

安産・子育ての神としても信仰されているようです。

 

私が調べていた妙見菩薩の石仏に「名山壽行」名が彫られている物があり、辰の上に「富士山」「○」(太陽)や「月」が彫られている碑もありました。

 

 
名山壽行こと加藤平左衛門の富士信仰と妙見信仰の結びつきです。開成町広報link   

 

北辰明見星碑ブログlink

 

国渭地祇神社 坂戸市森戸

坂戸に用があり、帰りに国渭地祇神社にお参りに行きました。
国渭地祇神社   埼玉県坂戸市森戸616   地図        
 
 
以前、国渭地祇(くにいちぎ)神社お参りしたのは、15年ほど前だったと思います。
上田村麻呂の創建、藤原秀衡の創建、あるいは延喜式内社にある国渭地祇神社であるとの説もあるようですが、明らかに明治以降の神社のようです。
関連はありません。
 
明治初年まで、山本坊配下の修験・大徳院が別当を務めていました。
山本坊と言えば、平将門公の子孫と称していました。
 
 
 
ここには獅子舞が受け継がれています。
 
場所は西大家駅のすぐ側で、坂戸西高校の生徒が駅まで、歩いていました。
 
 
 
 
それほど大きくないお社ですが、境内はきれいに管理されています。
 
 
 
ご神木の「椎木」は、まだまだ勢いがありますね。
 
 
神社のお隣さんには、大きなキリーク(阿弥陀如来)が彫られた青石塔婆ありました。
鎌倉時代には、さぞかし有力な武将がいたのでしょう。
この神社の周りには、土塁らしき跡が残されているようです。
 
 
秋葉神社
他の所にありましたが、こちらに遷座されたと書かれていました。
 
 
 
八幡神社
 
 
 
この日の目的は、北辰尊星王碑です。
私は、妙見菩薩を当時調べていました。
北辰尊星王も北辰妙見菩薩です。
 
 
山本坊配下の大徳院は、天台系の修験です。
本山は聖護院でした。
かつて、聖護院は三井寺が本山でしたが、尊星王の信仰があります。
その関連の石碑なのかもしれません。三井曼荼羅図(尊星王を中心とした曼荼羅)
 
 
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