平将門

河越館跡

桓武平家の秩父氏末裔である河越氏の館跡です。

秩父氏の末裔に埼玉では多くの有力氏族を生みました。

畠山氏、河越氏、高山氏、江戸氏、渋谷氏などです。渋谷氏の末裔に堂東郷元帥がいます。

 

河越氏の娘に、源義経の妻となった郷御前がいます。義経の逃避行に最後まで付き添いました。郷御前ウィキペディアlink

そのため河越氏は源頼の勘気に触れ、危うく滅亡の危機にあいました。

 

河越館跡は入間川の西岸にあります。

 

時宗常楽寺は河越氏の持仏堂でした。常楽寺ウィキペディアlink

 

館跡は東西約240メートル、南北約300メートルあり、土塁と堀に囲まれていたようです。

 

丁度、発掘をしていました。

 

向こうに見えるのは、川越市立上戸小学校です。

 

発掘の成果が待ち遠しいです。

 

河越館跡    地図              河越館ウィキペディアlink

 

追記 2019/09/28

平成21年に河越館跡史跡公園となっています。駐車場は北側にあります。河越館跡史跡公園link

以前見学に行きましたが、資料館は上戸小学校の一室にあり、日曜日のみ開かれているようです。こうえんでは建物などの再現まではしていませんでした。

 

城峰神社 埼玉県神泉村

同じ埼玉県ですが、私の住む飯能市は南西部、ここは神流湖に近い一番の北側になります。

城峰(じょうみね)神社は南側の山を隔てた南側にもあります。

ここの神社は平将門公の弟・平将平と藤原秀郷の伝承が残されています。

秩父方面には犬神様の信仰が各地にあります。

まさに狛犬です。

 

更に奥宮もあるのですが、かなり歩かねばならず、止めることにしました。

 

城峰神社 埼玉県児玉郡神川町矢納1273-2  地図

唐沢山神社 栃木県佐野市

茨城県の平将門公末裔である友人は、唐沢山神社に遠足に行っても良いが、手を合わせるなと言われて育ったそうです。成田山ではなく唐沢山神社であることが面白く感じました。

私にとっても反平将門公側の神社ですが、資料集めと割り切って行くことにしました。

私の身体の中には、長い間に将門公+反平将門公側のDNAが入っていることは間違いありません。

 

唐沢山は藤原秀郷の居城でしたが、明治になり城跡を藤原秀郷を祭神とする神社としました。

 

 

至る所に城跡の遺跡が残されています。

 

 

ここの参道は、高尾山を思い出します。城跡だけに歴史ある広い境内です。

 

やっと社殿に近づきました。

 

友人の手を合わせるなの言葉が浮かびましたが、チャンとお賽銭を入れ参拝してきました。

 

帰る途中に車を駐めて、山麓の撮影です。

城としての役割が、どの程度だったのかは分かりませんが、重要な拠点であったことが分かります。

 

唐沢山神社  ホームページlink

 

鶏足寺 栃木県足利市

大変由緒のある寺院で、東大寺の僧・定恵が大同4年に創建したと伝えられています。

大きな有力寺院を末寺にしていました。

本県では吉見町の息障院、金剛院などが末寺でした。

 

真言宗豊山派に属していましたが、現在は単立の寺院となっています

 

正面から長い参道があります。

 

勅使門を入ると御本堂になります。

今回は看板にあるように、反平将門公寺院としての参拝です。

当時の由緒ある社寺は、必ず将門公折伏の祈願を命じられていますので、あまり目くじらを立てる訳にはいきません。

 

御本堂の正面からの写真撮影は、大きすぎて入りません。横から撮影致しました。

 

百日紅が咲くと、見事でしょう。

 

護摩堂(五大堂)です。

 

護摩堂の彫刻が豪華でした。

 

鶏足寺  栃木県足利市小俣町2748 地図              ウィキペディアlink

 

追記  ある豊山派住職に聞くと、豊山派に戻ることを条件に、鶏足寺子弟の長谷寺などでの修行を許可していると話していました。

 

追記20200210

調べ直すと、真言宗豊山派に復帰していました。

明神社 埼玉県さいたま市緑区

平将門公が祭神です。

何時の時代か分かりませんが、平将門公をお祀りしている相馬小高神社から、分霊を祀ったのだそうです。

 

参道入口は狭かったのですが、奥は広い敷地でした。

 

明神社 埼玉県さいたま市緑区井沼方390 地図

追記 2020/01/25  住所がとなっていました。

密蔵院 埼玉県川口市

密造院は当寺と同じ真言宗智山派に属しています。

先ほど書きました九重神社を包み込むような境内となっています。思った以上に広い境内でした。

 

右側が接待の場となっているようです。車椅子も用意してあり、お参りしやすい寺となっていました。

先ほどの九重神社と同じく、この地は平将門公城跡と伝えられています。

九曜紋が将門公関子孫や社寺に多く見られます。

将門公の開基と伝えられ、守り本尊であった地蔵菩薩が祀られています。

 

平将門供養塚が本堂裏手にあったのですが、気がつかずに帰ってしまいました。

 

密蔵院 埼玉県川口市安行原2008  地図             ホームページlink

 

近衛神社 埼玉県川口市

隣の密蔵院と比べると、かなりの規模の違いがあります。密蔵院と九重神社の地は、平将門公の城跡と伝えられています。

元々は氷川神社でしたが、明治以降に安行の九社の神社を合祀して九重神社としたそうですが、どこにもありそうな神社です。

しかし、密蔵院の紋章は九曜星です。平将門公の信仰した妙見菩薩に因んでいます。

ここの紋も九曜星ですので、紋に関連して付けられたのかもしれません。明治以降、平将門公への多くの神社の対応が、関連しているようにも思います。

となりの密蔵院では、ハッキリ平将門公の関連を伝えています。

 

丁度、車のご祈祷が終わったばかりでした。

二人の神職の方がいましたので、少し話しを致しましたが、とても気持ちの良い方でした。

社殿の西側には、大きなスダジイの木があります。

 

追記  2020/01/24

近年は御朱印ブームですが、当寺に来られる方の御朱印帳を見ると、九重神社の御朱印が数多く見られます。

宮司の人柄とアイデアの勝利なのでしょう。

 

              ホームページlink

 

城峰神社 埼玉県吉田町石間

平将門公伝説のある城峰神社です。

堂々と将門の額が掛けてあります。

 

観光マップで分かるように、かなりの山中ですが車で行けます。

 

お社を解体した廃材でしょうか。

 

看板にあるように桔梗は花が咲かないの伝承があります。

この伝承は、千葉県、茨城県でもありました。

 

追記 吉田町は秩父市になりました。

城峰神社 地図

大達原稲荷神社と妙見神社 埼玉県秩父市大滝

大滝には平将門公伝説が多く残っています。

大達原(おおだはら)の稲荷神社は、かつて将門八幡社といわれていました。

 

 

地図にあった妙見神社は、稲荷神社のすぐ東にあります。しかし地続きではありません。

扁額は妙見神社ではありませんでした。しかし、ここだと思います。

 

 

 

大達原の高札場は鳥居の場所から少し東にあります。

 

この後に三峯神社に向かいました。途中の荒川の景色です。

 

大達原稲荷神社と妙見神社  埼玉県秩父市大滝

 

追記  地図リンク

後でグーグルマップで調べると、妙見神社はもう少し下の社のようです。再び間違えている可能性もあります。

将門八幡社も稲荷神社の並びにあるように書かれているブログがありました。

高札場住所は秩父市大滝532番地1先です。

 

登由宇気神社 埼玉県熊谷市

平将門と深い関係のあった平良文は、現在の熊谷市村岡にいました。良文は村岡五郎と称していました。

良文の住んでいた村岡については、他の場所であるとする説もありますが、渡辺綱の父・源宛(みなもとのあつる)との逸話の場所を考えると、現在の熊谷市村岡となります。

良文の子孫もここに住んでいた記録があります。

 

さて登由宇気(とようけ)神社神社です。

 

 

かつては神明社でしたが、明治になり今の名称になりました。

ここの祭礼は年四回あり、団子撒きが行われます。

 

 

境内末社・八坂神社祭礼ではたくさんの灯籠がともります。「村岡のばか灯籠」と言われています。

 

 

荒川の周りは田んぼが広がり、良文を支える豊かな荘園だったのでしょう。

 

 

登由宇気神社   埼玉県熊谷市村岡851-1

追記  渡辺綱ブログ

 

ページ上部へ