平将門

将門神社 千葉県我孫子市

将門神社

将門神社を堂々と名乗っていますので、明治以降の将門公排斥の時代をどのように生き延びたか、気に掛かります。

 

 

将門公は下総国の英雄であり、地域の方々に愛されていたことでしょう。

他の市ですが、何人もそのような方を知っています。

 

この石祠は昭和50年の再建です。このあたりも気になります。

 

将門神社 千葉県我孫子市日秀(ひびり)31  地図              ホームページlink

追記  かなり後になって、古いブログを再構築していますが、将門神社にホームページができているとは思いませんでした。

 

将門の井戸

将門神社の東、約200㍍。

道路の端にあります。細長い標識が立っていますが、一度通り過ぎてしまいました。

 

将門の井戸  地図         ホームページlink

 

柴崎神社 千葉県我孫子市

妙見菩薩を祀る羽黒妙見社でした。

天慶二年の創建で、平将門公の祈願所であったと言われています。同年が将門公の天慶の乱ですから、もっと前から祀られていたのかも知れません。

 

広い通りに面していますので、場所はよく分かったのですが、駐車場は西脇から境内に入り、駐めたと思います。

すぐ北側の真言宗豊山派・円福寺が別当でした。

廃仏毀釈後は、祭神を天御中主神としています。

 

お社の前に菊の鉢が置いてありました。

 

先ほど行った北星神社には、狛亀がありましたが、こちらは妙見菩薩に因み、玄武あるいは亀として祀られたのでしょう。

 

立派な青面金剛さまです。道に面して庚申塔がありましたので、この地方も盛んに行われていたのだと思います。

 

柴崎神社  千葉県我孫子市柴崎字山王谷737 地図

 

曹洞宗大徳院 埼玉県小鹿野町

奈倉氏の菩提寺・大徳院です。

境内にみえる鳥居は、稲荷神社です。

小鹿野の春日野小学校跡でした。小学校は何度か場所が変わっているようです。小鹿野小学校前身の一つだったのでしょう。

門前にいるのは本郷氏。

奈倉氏の念持仏であった阿弥陀如来像(小鹿野町指定有形文化財)が、残されています。

 

脇に祀られている稲荷神社において、神楽が行われます。

 

門の脇には立派な地蔵菩薩の石仏が祀られていました。

 

 

大徳院 埼玉県秩父郡小鹿野町下小鹿野212 地図

 

円満寺 平将平墓 埼玉県皆野町

円福寺は円泉寺と同じ真言宗智山派に属しています。

秩父七福神の札所です。東林寺ホームページ 秩父七福神の札所link

平将門公の墓とも伝えられていますが、円福寺の旧来記には実弟の将平と書かれています。

平将門公の子孫・本郷氏と一緒にお参りしました。

平将平の墓です。

 

畠山重忠の父である重能(平重能)の墓は、畠山重忠公園の一角にありますが、この看板は平将平と繋がりを説明するための部分だと思います。

 

円福寺 埼玉県秩父郡皆野町大字皆野293 地図

 

秩父氏の菩提寺・金剛院 埼玉県秩父市

秩父氏の祖・秩父武綱の開基です。秩父氏の菩提寺として武綱の墓と位牌を祀っています。

元々は真言宗だったと思います。

 

かつては不動明王も祀っていました。

元文のころ、鳩山町の円正寺に授与したようです。ブログlink

 

曹洞宗の方に聞くと、御詠歌を行っていると聞きました。

 

お墓もお参りしたかったのですが、遠慮がありお参りせず帰りました。

よく調べず、案内板も撮しただけでしたので、見落とした物が多く残念に思いました。

 

金剛院の話しを友人にすると、秩父氏墓などを詣でたと話していました。

 

金剛院 埼玉県秩父市下吉田4690 地図

秩父氏館跡 埼玉県秩父市

最初に秩父氏が館を構えた地です。吉田小学校周辺と言われています。

秩父氏は後に中村町へ移りました。

全国に散らばった秩父氏の末流で、最も広く知られているのが千葉氏でしょう。東北地方は千葉姓の方が多くいます。さらに相馬氏など末流が大勢います。

 

ある催しが秩父市内であり、知り合った平将門公子孫の方と一緒に秩父氏館跡に行きました。

共に初めての場所です。

吉田幼稚園

 

吉田保育園

 

「桓武天皇6代の孫、平将常が武蔵権守に任ぜられ、秩父郡中村郷に住して秩父氏を名乗り、その子武基は秩父牧別当を兼ね下吉田牧林に館を築き、その子武綱がこの地に居館したという。武綱より重綱・重広・重能を経て重忠に至る。また、武綱の子孫は畠山・豊島・江戸・葛西・河越氏等の有力な武蔵武士にわかれた。」秩父氏ホームページより

吉田小の前に立つのは、平将門公の子孫・本郷氏です。

秩父氏館は吉田小学校周辺のようです。

 

 

遺構は残っていないようですが、一族は歴史に大きな足跡を残しています。

 

秩父氏館跡  埼玉県秩父市下吉田3833  地図

天台宗 薬王寺 茨城県八千代町

埼玉県内の霊園でお会いした天台宗の僧侶が、薬王寺住職でした。

話をしてみると宗旨は異なりますが、同じ大学の同窓でした。

 

 

私が調べている妙見菩薩と平将門に関することを教えてもらうつもりが、近辺を案内してくれることになりました。それらの場所は、他のブログに掲載致します。

本堂を建設中です。

 

 

たぶん地蔵堂だと思います。色々な石仏などが祀られています。

 

 

住職の祖母は相馬姓で、平将門の子孫と話していました。近くの浄土真宗弘徳寺の出身です。

そのために反将門公側の藤原秀郷関連の場所・佐野厄除け大師や唐澤山神社には、行っても手を合わせるなと言われて育ったそうです。

東京の神田明神の氏子が、成田山新勝寺に行くなと言うのと同じです。

 

私は平将門関連の寺院住職ですが、同じ真言宗智山派に属していますので、何度か参拝しています。

成田山の友人や後輩もおり、付き合うなと言われても無理な立場です。

 

浄土真宗 弘徳寺 地図

 

薬王寺  地図

 

将門神社(御門神社) 栃木県岩舟町静(栃木市)

御門神社と地図上にはありましたが、扁額には将門神社とありました。

将門公子孫の方々のこだわりがうかがえます。

石灯籠は将門宮の文字が刻んでありました。

 

 

宮司さんが住んでいない神社ですが、きれいに掃き清められています。

ここは本山派修験の正門院でした。(旧名将門院・御門神社)

 

将門神社の扁額

 

狛犬

 

大黒天

 

他にも石祠などが祀られていましたが、詳細は分かりません。

 

たまたま声をおかけしたのが、針谷浅一氏

でした。

この地の針谷家は平将門の子孫と伝えられています。ご本家の針谷浅一家のお位牌、お墓を拝見させていただきました。  院殿大居士でした。お墓は針谷大本家となっていました。

この地は将門方の大事な拠点でしたが、佐野の藤原秀郷の勢力によって敗れてしまいました。神社には以前は神社の東、北に濠が巡らされてあったそうです。

浅一氏のお話しによると佐野市の唐沢山には行っても良いが、唐澤山神社はお参りしてはいけないと、子供の時に言われたそうです。

 

将門神社  栃木県下都賀郡岩舟町静字御門 地図

岩舟町は2014年栃木市に編入しました。

 

常将神社 群馬県榛東村

先ほどお参りした柳沢寺からは、東に100メートルほどにあります。

 

柳沢寺では、ほとんど書きませんでしたが、下の看板のような伝承が伝えられています。

また、近くには相馬山、陸上自衛隊の相馬原演習場があり、平将門の子孫・千葉常将の伝承があります。相馬氏も千葉氏の一族です。

本殿

 

 

常将神社 群馬県北群馬郡榛東村 山子田2527  地図          

貫前神社 群馬県富岡市

貫前神社(ぬきさきじんじゃ)は、最初読み方が分かりませんでした。以前は「かんぬきじんじゃ」と読んでいました。

上野国一之宮ですので、一度詣でようと前々より考えていましたが、ようやく念願が叶いました。

まず驚いたのが、広い道路より下がった場所にあることでした。

先ずは駐車場に向かい、階段を登ります。

鳥居をくぐり、一番の頂上に出ました。

 

ここにも車が駐められます。

 

門をくぐり、下に降りて行きます。

 

立派な楼門が迎えてくれます。

しかし、一緒に行った友人は、降りてお参りに行くことに違和感を覚えたようです。私も同じでした。

 

社殿は徳川家光の命により、造営でした。さすがに徳川の力はすごいと思いました。

 

藤太杉は上の方が枯れています。酸性雨などの影響があるのだと思います。

 

 

貫前神社    地図

            ホームページlink

 

追記 20219/09/10  何故高いところから降りた場所に社殿があるのかと思っていましたが、かつては北向であり、大杉のある所が参道だったそうです。

南側に街道ができ、参拝の便を良くするために向きが変わったのが、低い位置にある要因でした。

 

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