平将門

秩父神社と妙見菩薩

先月秩父神社にお参りに行ってきました。

秩父神社と言えば妙見様として知られており、かつて関東においても千葉神社に次ぐ妙見信仰の神社です。

廃仏毀釈により、妙見様との関係が分からなくなっている神社も多く見られます。
妙見菩薩はほとんどの神社が天御中主神となっており、秩父神社でも四柱の中の一神として祀られています。

 

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妙見菩薩を信仰する平将門の末裔である千葉氏の流れをくむ秩父氏は、川越氏、畠山氏、江戸氏、渋谷氏、豊島氏、葛西氏などとして鎌倉幕府の有力な御家人として活躍しました。しかし、幕府の奸計により滅ぼされたり、どうにか命脈を保った氏族もありました。

 
千葉氏や相馬氏は平将門の末裔と称していました。
東郷元帥は薩摩に移った渋谷氏の末裔です。
 
毎年12月3日は秩父夜祭りとして知られ、多くの方が参拝に訪れます。でも、とてつもなく寒いですよ。 
妙見菩薩は北極星・北斗七星を人格化した仏様です。札場では妙見様の神社であることがわかる御札などを授与していただけます。
 

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私の研究していた妙見菩薩の資料を興味のある方は覗いてみて下さい。

妙見菩薩 リンク     秩父神社の妙見様と養蚕神 リンク                  

 

役員旅行は都内です

昨日は役員旅行でした。

役員に平将門関連で、何カ所か提案したのですが、意外と都内に行った人が少なく、都内に決定しました。

将門公関連は首塚、神田明神です。

 

バス会社さんの提案で、靖国神社を入れました。

戦争で亡くなった檀家さんが多くいます。

 

平将門の首塚は、私以外は初めてでした。

 

皇居は東御苑と思っていたのですが、詰め込みすぎで外苑と正門石橋あたりまでです。

意外と皇居に行った人が少ないのには驚きました。

 

平将門公を祀る神田明神です。

私は何度もお参りしていますが、他の役員さんは初めてでした。

 

中では結婚式を行っていました。

 

お茶の水方面には、飛行船が見えます。

 

江戸東京博物館です。以前行ってコースに入れることにしました。

西隣の両国国技館が、小さく感じます。

 

本当は他の場所で食事をしたかったのですが、ここになりました。

中は歩きでがありますね。

江戸をもした建物やジオラマを楽しみました。

明治、大正、昭和の建物や道具類など、まだまだたくさんあります。

天台宗 正法院 豊島区

 

寺伝では行基菩薩により創建されたと伝えられています。田原藤太秀郷が参籠して平将門公追討の祈籠したとも伝えられています。

上野の寛永寺の位置にありましたが、寛永寺を建てるために下谷に移転させられました。

下谷の下谷神社は正法院の持ち物でした。下谷神社ブログ

 

我が母校・大正大学には平将門公関連寺院の師弟、反将門公側の成田山の弟子など、両陣営の師弟が混在していました。

当円泉寺では反将門公側である成田山のお弟子さんだった後輩に、時折お手伝いしてもらっています。将門公側寺院の仲間から怒られそうな話しです。

将門公子孫の同窓生には、間違いなく嫌われるでしょう。薬王寺 ブログlink

 

正法院 東京都豊島区西巣鴨4-8-1   場所                      
                            
   

曹洞宗 観音寺 千葉県我孫子市

妙見菩薩・平将門関連を調べに我孫子市方面に向かいました。我孫子市日秀ですが、日秀はひびりと読みます。

旧相馬郡には平将門伝説が残されています。

 

寺紋は相馬氏に多い九曜紋でした。

 

観音堂には平将門の信仰した聖観世音菩薩が祀られています

 

 

この地域も成田山には、お参りしないそうです。

写真を撮り忘れましたが、お地蔵様は成田山にそっぽを向いています。

 

 

観音寺に向かう途中に手賀沼を通りました。道の駅「湘南」の道を挟んで反対側です。車を駐め散策をする人が多くいました。

 

観音寺  千葉県我孫子市日秀90  地図

  観音寺ホームページlink

 

円泉寺妙見菩薩平将門資料集link      

妙見堂跡 妙見大菩薩碑 車の前五輪塔 福満寺 平将門大明神 千葉県柏市

車の前五輪塔

車の前五輪塔の杜は、かつて妙見堂がありました。御尊像は現在は福満寺本堂に祀られています。

福満寺は、ここから北に200メートルの所にあります。

 

 

地元の人々は例年将門の命日2月21日に妙見講を行っています。

妙見大菩薩石碑

円福寺住職により、開眼されました。

 

平将門公の愛妾・車の前を祀った五輪塔と伝えられています。

車の前五輪塔

車の前五輪塔正面

 

 

 

天台宗満福寺

桓武天皇の時代に創建されたと伝えられる、古い寺格のお寺です。

御住職は平将門、妙見菩薩、地域の歴史に詳しい。とても積極的な方です。

 

平将門公を祀る祠がありました。

群馬と茨城にまたがる相馬の地の方々は、成田山にはお参りに行かないと話していました。

 

車御前鏡の井戸は、本堂の裏手にあります。

 

 

天台宗 福満寺  千葉県柏市大井1705−2 地図

 

将門神社 東京都奥多摩町氷川字三ノ木戸

奥多摩町でも、かなり奥の地域にあります。国会議員の別荘が一件あるだけで、実質は廃村となっています。

わさび農家の方に教えていただき、見つけることが出来ました。いるときで助かりました。

 

 

しかし祭神は複数あり、この中のどれが将門神社であるかは、分からないそうです。

三ノ木戸には、三ノ木戸山の廃村にも将門神社があったようです。

 

 

丁寧にお参りさせていただきました。

しかし、他の場所である可能性も否定できません。

 

 

お墓は引き墓してあるのだと思います。

 

 

かなり奥にあることが分かると思います。

 

 

将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町氷川字三ノ木戸

 

 

根元神社と将門神社 東京都奥多摩町

将門神社を探す通りすがりに、根元神社を参拝しました。

神社を通り過ぎると、神社の裏手の道に少し広い場所がありましたので、駐めさせていただきました。

 

 

祭神として少彦名命を祀ります。

他の末社をお参りすると、将門神社がありました。私が探していた峰畑の将門神社が、ここに遷宮されていました。

 

 

右脇は愛宕神社です。

 

 

奥多摩町には将門神社が多くありますが、地元の人に聞いても知らないと言われたり、廃村になっているところもあります。

地図にはあるのに、実際は影も形もない状態でした。

氷川には三、四社あるようです。

 

根元神社 東京都西多摩郡奥多摩町氷川 1804 (栃久保)  地図

 

只上神社 群馬県太田市

只上には平将門の侍女である桔梗の出身地とする説があります。各地にある伝承の一地区です。

近くの栃木県足利市には、大手神社には平将門の手を祀る神社があります。

 

只上神社 群馬県太田市只上町 地図

藤原秀郷墳墓 栃木県佐野市

日本一人口の多い佐藤姓の先祖である藤原秀郷墳墓です。ここは唐沢山神社が管理しています。

 

お墓の前に拝殿があるのかと思っていましたが、鳥居からお参りするようになっています。

廻りを囲って、一般の人に入れないようにする配慮が必要では無いかと思いました。

 

 

東側には別の施設なのでしょうか、小さな社がありました。

 

藤原秀郷墳墓 栃木県佐野市新吉水町256−2 地図

 

曹洞宗高安寺 秀郷稲荷 東京都府中市

府中市の高安寺は、足利尊氏の開基、室町時代は武蔵安国寺でしたから、地域でも格式の高い寺院であったことが知れます。

分倍河原の古戦場跡です。

 

 

先ずは観音堂を参拝です。多摩川三十三観音札所でした。

 

参道から御本堂に向かいますが、豊かな緑の広い敷地です。

 

御本堂には等持院の変額がかかっていました。等持院は足利尊氏に因みます。

 

今回の目的である秀郷稲荷に向かいました。私には反将門公関連の所になります。元々高安寺はは秀郷の屋敷跡だったようです。高安寺になる前に見性寺がありました。

ここは藤原秀郷(俵藤太)をまつりますが、長い年月の間に、ほとんどの日本人が将門公側と反将門公側の血が繋がっていることは間違いありません。私も平将門公を調べる過程で、目くじらを立てる人に会いましたが、気にしている時代では無いと思います。

円泉寺では時折、将門公追討祈願で知られる成田山の弟子や末寺などの後輩に、仏事を依頼することがあります。同じ真言宗智山派ですから付き合いがあるのです。

 

墓地の間を抜けて行きます。

 

後で気がついたのですが、弁慶硯の井戸もあるそうです。

 

高安寺 東京都府中市片町2-4-1 地図

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