円泉寺便り

平将門公本拠豊田館跡 法輪寺 茨城県常総市

豊田館跡の平将門公像です。

この像はネットなどでよく見ますので、さぞかし広い場所だと思っていました。

わずかな敷地が残っているだけでした。

日展参与の宮地寅彦氏によるレリーフです。

 

黒い碑は、かなりの大きさです。

 

すぐ西側にある参道の正面が天台宗法輪寺御本堂ですが、敷地共にかなりあれていました。

ここは兼務寺で御住職は東京の寺にお住みです。

 

 

立派な阿弥陀如来の石仏がありました。この寺で一番の存在感があります。

 

法輪寺 茨城県常総市向石下121 地図

 

 

玉取神社 群馬県邑楽町

館林方面から太田に向かう途中に、玉のモニュメントがある神社があることを知り、寄ってみました。

 

天長2年(825)に藤原綱義による創建です。

藤原綱義の祖先・藤原鎌足の伝承から、玉取明神を勧請しました。

 

 

境内には石祠が集められていました。

 

 

富士塚のようです。嘉永2年(1849)に作られました。

 

階段の途中には石尊大権現が祀られています。

 

玉取神社 群馬県邑楽郡邑楽町秋妻1047の1  地図

 

長良神社 群馬県大泉町

長良神社は邑楽郡にたくさんあります。

霊符神石塔のある目的の大泉町の長良神社でした。大泉町しか分からず何カ所か廻らねばと思っていましたが、二ヶ所目で見つかりました。

郡名だけでしたら、あるいは平成の大合併で邑楽市にでもなっていたら、大変なことになっていました。

 

 

邑楽町篠塚の長柄神社が大元で、各地に長良神社が祀られたのですね。さっき行った篠塚伊賀守廟の近くでした。

戻ろうかと思いましたが、疲れましたので社に参拝し、霊符尊石塔に手を合わせ帰ることにしました。

 

 

目的の霊符尊石碑が見つかり、ホッとしました。

 

長良神社  群馬県邑楽郡大泉町吉田965 地図

 

篠塚伊賀守御廟 群馬県邑楽町

邑楽町である神社と寺を探していると、篠塚伊賀守史跡の看板がありました。

名前は知っていますが、どのような武将かは覚えていません。

 

ここは浄土宗大信寺の境内ですが、墓の駐車場は駐められないため、急いで写真を撮って他に向かいました。

大信寺の駐車場に駐めさせていただき、ユックリお参りすれば良かったと後悔です。

 

墓前に不動明王の石像が祀られていました。浄土宗であれば珍しいですね。

 

急いで手を合わせました。

 

看板がありましたが、デジカメで写しただけです。

あとでユックリ読みました。

畠山重忠の六代目子孫だったのですね。

足利氏を快く思っていなかったに違いありません。新田義貞などと共に反旗を翻したのは、当然だったのでしょう。

篠塚 重広は広島県の因島、あるいは愛知県上島町の魚島で没したそうです。後世に地元の方々が偲んで墓を建立したのでしょう。

ここのお墓は後世に建立された供養塔なのではと思います。

 

 

月岡芳年の浮世絵「篠塚伊賀守貞綱」

 

篠塚伊賀守御廟所     地図

篠塚伊賀守Wikipediaリンク

 

真言宗豊山派 正明院 群馬県板倉町

このあたりをうろついて見つけた寺院です。

立派な庚申塔が入口に祀られていました。

 

庚申塔   光明真言供養塔

 

 

光明真言供養塔は上部に五仏の梵字(ア・ビラ・ウン・ケン)と周りに光明真言が彫られています。

少し補正してみました。

 

 

正明院 群馬県邑楽郡板倉町大字海老瀬7369 

 

富士塚・霊符尊三尊 個人宅 群馬県邑楽郡

あえて正確な地区名は略します。どうにか見つかりましたが、民家に囲まれています。

富士塚にたくさんの神仏石仏が祀られています。昔はお祭りが、かなり盛んだったそうです。

今でも大事にされているようです。

浅間大神(木花開耶姫)  裏に大日如来の文字

富士浅間信仰が盛んであったことが、うかがわれます。

 

私の目的である霊符尊三尊の石仏です。

霊符尊三尊

 

頂上と同じ浅間大神(木花開耶姫)でしょうか。大天狗・小天狗も彫られています。

 

私は姿が異なりますが、妙見菩薩は霊符神と同じと思っています。

大日如来立像?

 

富士の下には、行者と思われる線刻蔵がありました。

 

烏天狗だと思います。

 

 

追記 2019/12/20

私の求めた木花開耶姫の化掛軸画像です。

 

曹洞宗 松安寺の石仏 群馬県板倉町

松安寺の墓地入口には、立派な石仏が祀られています。

御本堂は墓地の北側にあるようですが、石仏と御堂のみのお参りにいたしました。

 

 

青面金剛(庚申塔)

 

如意輪観音 十九夜

 

御堂の前には不動明王と地蔵菩薩の石仏が祀られていました。

 

 

松安寺 群馬県邑楽郡板倉町大字海老瀬6025

 

倉賀野神社 群馬県高崎市

崇神天皇の皇子・豊城入彦命の伝承があります。

祭神は大國魂大神、すなわち大国主命です。府中市の大國霊神社との関連があるのではないでしょうか。御神体は亀形の自然石だそうです。

 

素晴らしい彫刻が施されています。

 

倉賀野は中山道の重要な宿でした。

下の説明にある太鼓橋は今はありません。

 

倉賀野には古い建物などが残されていますので、おもてなし館、先ほど行った安楽寺などの寺院を廻ると楽しいでしょう。

 

倉賀野神社 群馬県高崎市倉賀野1263 地図

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天台宗安楽寺 七仏薬師 異形板碑 高崎市倉賀野

倉賀野は中山道の十二番目の宿でした。水運でも大変栄えていたのですが、鉄道が敷設されると衰微してしまいました。

安楽寺の御本尊は七仏薬師如来ですが、古墳の中にある仏様です。

 

御本堂の裏側の古墳が、御本尊を祀る古墳です。古墳の中の仏様が御本尊の寺は初めて見ます。

 

七仏薬師が祀られている古墳は七世紀末ごろに作られました。お薬師さまなどの彫刻は、鎌倉時代に彫られたようです。

周りの玉石は全面にあったのでしょう。

 

7世紀後半の古墳の石室の壁に仏像(七仏薬師・鎌倉時代)が7体彫られている。実際には薬師・釈迦・阿弥陀。天台宗では七仏薬師は妙見菩薩の本地とされています。

12年に一度(巳年)ご開帳をし、一般檀信徒に公開しています。

 

将棋の駒の形をした板碑がありました。このような形の板碑は初めて見ます。

一般的には頭頂部は同じようですが、モット細長く、同じ幅のものばかりです。

 

二十二夜堂(観音堂)

 

将軍地蔵堂

 

安楽寺  群馬県高崎市倉賀野町867地図

福守神社 高崎市後疋間町

このあたりをウロウロしていると福守神社がありました。

良いことが起こるようにと、お賽銭を多めに用意致しました。日頃の行いが悪いので、無理だとは思います。

福守大明神の額です。

 

次は諏訪大明神です。

額が二枚ありますので、合祀されたのかも知れません。

 

 

社殿には木製の男性器が、たくさん奉納されていました。

どのような信仰があるのでしょう。

福とは子宝でしょうか。

 

 

お参りを終えて帰ろうとすると、先ほどお参りした妙見寺の役員さん宅が隣でした。

少しお話をして他に向かいました。

 

福守神社  群馬県高崎市後疋間町   地図

 

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