円泉寺便り

日蓮宗 常圓寺 新宿区

新宿駅からは、すぐ近くにありますが、とても落ち着いたお寺です。

今日の目的は、妙見菩薩を祀る寺として、お参り致しました。

おそらく右の建物が、日蓮宗仏教研究会だと思います。ここに妙見菩薩は祀られているようです。

 

入口や御本堂前の桜が、春には見事な花を咲かせるのでしょう。

太田南畝(蜀山人)の筆による、便々館湖鯉鮒作の「三度たく 米さへこわし 柔らかし 思ふまヽには ならぬ世の中」の狂歌碑があります。

 

高校の日本史授業で狂歌は、少し触れてあったことがありましたが、川柳さえも理解できない私には、遠い世界でしかありません。

 

常圓寺  -5 地図            ホームページlink

日蓮宗 常圓寺 目黒区八雲

東急東横線の都立大学駅より、すぐの場所でしたので、間違えずに向かうことができました。

 

 

気軽に寄って散策している方が、何人もいました。

大きな銀杏の木を見上げる人たちがいましたが、私も同じです。

 

妙見堂は山門を入り、向かって左側にありました。お堂内には妙見菩薩と七面天女が祀られています。

 

常円寺  東京都目黒区八雲1丁目2-10 地図              ホームページlink

 

天台宗 目黒不動瀧泉寺 参拝

江戸五色不動尊の内、目黒不動瀧泉寺に参拝致しました。

慈覚大師の創建で、徳川三代家光の崇敬を受けて寺域の拡張と大伽藍の整備がなされました。

江戸でも片田舎でしたが、多くの参拝者で賑わい、門前町も発達しました。

 

 

妙見菩薩関連の星曼荼羅などもあるようです。

阿弥陀堂

男坂を登りました。

 

お不動様を祀る御本堂に参拝。

 

池波正太郎の作品に目黒不動の場面が描かれています。

「鬼平犯科帳」「仕掛人・藤枝梅安」をもう一度読みたくなりました。

 

寺では甘蔗まつりを行っていました。甘蔗とはサツマイモです。

飢饉に備え、薩摩芋の普及に尽力されましたので、甘蔗先生と言われています。

裏に回り、青木昆陽のお墓をお参り致しました。青木昆陽Wikipediaリンク

青木昆陽墓

 

目黒不動瀧泉寺  東京都目黒区下目黒3丁目20−26 地図            ホームページlink

 

法華宗 妙見山立石教会 東京都葛飾区

門柱には「法華宗妙見山立石教会」とありました。

妙見菩薩をお祀りしているのでしょうが、詳細はマッタク分かりません。

 

 

妙見山立石教会 東京都葛飾区東立石4の40の13 地図

東京大仏 浄土宗浄蓮寺 妙見祠 板橋区赤塚

浄土宗の寺に妙見さまの石祠がありますが、元々は赤塚千葉氏の城跡でした

寺は国道17号線拡幅のため、ここに移転しました。

ここより少し北側にある城跡が、公園となっています。

かなりの急な階段です。

城跡でもあったのですから、無理もありません。

御本堂にお参りしたあと、大仏にも参拝です。

 

 

しかし、目的の石祠が身からず石材店の方に聞くと、大仏側の二の丸跡の石柱の脇にありました。

千葉氏は妙見信仰がありましたので、お城でも妙見菩薩を祀っていたと思います。

 

池には弁天様が祀られていました。

 

追記 2018年

以前、初詣にベビーカーの自粛をネットで非難されていました。

あとで調べると無理もないことが分かりました。かなりの階段と急坂ですから、坂からの参詣はベビーカーが優先されるので、大きな子供がベビーカーで参拝するなど、問題があったようです。ベビーカーにつまずいて怪我をする人もありました。

調べずに、行きもせず書くのも問題ありです。

 

浄蓮院 東京都板橋区赤塚5丁目28−3 地図

桜が丘の百庚申塚 前橋市総社町

百庚申塚と言われるだけあって、沢山の庚申塔や石仏が並んでいます。

霊符尊文字塔があると、ある本に書かれていましたが、見つかりませんでした。

 

 

庚申の説明は、総社地区史跡愛存会の説明をお読み下さい。

お題目の新しい庚申塔もありました。

 

 

 

不動明王など

大日如来

大国主命

大天狗   地神

他にも色々な石塔が祀られていました。

駐車場がありましたが、近くの方が駐めているようで、無理矢理駐めなくてはならず、用心しましょう。

 

桜が丘の百庚申塚 群馬県前橋市総社町桜が丘 地図

千日堂 たくさんの石仏と妙見宮文字碑 群馬県沼田市新町

近在の方に他の神社を聞くと、ここを教えられました。

おかしいと思いましたが、やはり間違って教えられたようです。

千日堂でした。ただし、みなかみ町の千日堂ではありません。

でも良い場所を教えていただきました。感謝致します。

千日堂

 

御本尊は観音様でしょうか。カマドウマがいっぱいいます。

 

 

妙見宮石碑

妙見宮石碑裏 慶應三年八月建立

馬頭観世音

 

鶏が一羽と思いますので庚申塔と思います。

やはり鶏が上檀にいますので三重の庚申塔でしょう。

弘法大師

 

 

秩父三十四ヵ所札所本尊

宝篋印塔

石祠

 

井戸

 

千日堂の脇をさらに西北に向かうと御堂がありました。新町交差点の少し先です。

何堂と言うのでしょう、石祠が並んでいました。

 

   地図

 

千日堂   地図

 

曹洞宗大徳院 埼玉県小鹿野町

奈倉氏の菩提寺・大徳院です。

境内にみえる鳥居は、稲荷神社です。

小鹿野の春日野小学校跡でした。小学校は何度か場所が変わっているようです。小鹿野小学校前身の一つだったのでしょう。

門前にいるのは本郷氏。

奈倉氏の念持仏であった阿弥陀如来像(小鹿野町指定有形文化財)が、残されています。

 

脇に祀られている稲荷神社において、神楽が行われます。

 

門の脇には立派な地蔵菩薩の石仏が祀られていました。

 

 

大徳院 埼玉県秩父郡小鹿野町下小鹿野212 地図

 

奈倉館跡 埼玉県小鹿野町

秩父氏から別れた奈倉氏が移住した場所です。

先ほど行った妙見社のすぐ近くにあります。

かなり広い敷地でしたが、写真を撮り忘れました。

館跡の一角にある石仏などです。

 

天保10年の庚申塔です。

奈倉氏の館は奈倉加賀守行家(1459-1552)、重家、下野守重則の三代の館跡です。
武田信玄の秩父侵攻により重則は討ち死にしました。

 

奈倉館跡   地図

 

追記 2020/07/10

私が調べている摩利支天の遺跡が、ここにありました。摩利支天跡です。

 

 

案内板の一部に書かれています。

 

 

妙見社 埼玉県小鹿野町

奈倉重家が永禄元年(1558)に、秩父妙見社(秩父神社)から勧請しました。

社務所が奈倉会館となっています。

平将門公の子孫・本郷氏と参拝致しました。

左右に仁王様が妙見さまを守っています。神仏習合の名残です。

 

「女歌舞伎」が伝わっています。奈倉妙見宮秋祭りホームページlink

毎年10月第1土曜日に開催されます。

小鹿野町には子供歌舞伎や小森歌舞伎もありました。まだ他の地区にもあるようです。

 

追記 テレビのニュースで見たことがありましたが、女性だけで演じられる歌舞伎は珍しいと思います。

 

妙見社  秩父郡小鹿野町下小鹿野小字奈倉124 地図

 

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