円泉寺便り

妙見神社 埼玉県大滝村栃本

大滝村には何カ所か妙見神社があります。

全部廻ろうとしていますが、地図に載っている場所は少なく、どうにかここを見つけることができました。

栃本関所跡の300メートルほど東の斜面にありました。

 

 

 

通行の邪魔にならない場所を見つけて、急いで写真撮影です。

詳細は分かりません。

大滝村には秩父市より多くの妙見神社があります。

 

追記 2020/07/21

現在は秩父市大滝村になっています。地図

 

天台宗 妙見寺 東京都稲城市

北辰妙見尊は天平宝字4年(760)の開基、天永3年(1112)に領主は妙見寺を別当としました。

 

 

御本堂の御本尊は阿弥陀如来です。

 

 

妙見宮は鳥居から、長い階段を登った場所にありました。

 

 

ここは蛇より祭で知られており、階段の脇には萱で作られた、長い蛇体がおかれていました。

 

 

もっと太い胴体だったのでしょう。蛇体の周りには、細かくなった萱が広がっています。

あえて掃き捨てないのかも知れません。

 

 

二十三夜塔の前に蛇体の頭部が置かれています。

 

 

蛇より祭は寛文2年(1662)以来、8月7日に行われているようです。

 

 

妙見寺 東京都稲城市百村1588

 

追記

鶴ヶ島町脚折の雨乞い祭を思い出します。鶴ヶ島市 雨乞い祭リンク

 

竃三柱神社 秩父郡大滝村

新編武蔵野風土記に妙見社が記載されていました。幾つかの妙見社を探していましたが、立ち寄った竃三柱神社が妙見社を合祀したであった場所でした。

大滝村の総鎮守だった竃三柱神社を不便なためこの地に移しました。妙見社であった和田神社が竃三柱神社となった訳です。

 

 

散々探して、やっと見つけた妙見社でした。

 

追記 平成17年(2005)に秩父市に編入しました。

竃三柱神社 埼玉県秩父市大滝696 地図リンク

 

栃本関所跡 埼玉県大滝村

ある場所に向かう途中に栃本関所跡を見つけました。

中山道と甲州街道の間道として重要な関所でした。ここから信州と甲州に向かう分岐点になります。

 

 

かつてこの秩父往還は、多くの人で賑わったのかも知れません。

 

栃本関所跡 埼玉県秩父郡大滝村

 

高野山真言宗 円満寺 群馬県桐生市

山手通りに面しているのですが、入口がよく分かりませんでした。道路からはかなりの斜面です。

狭い旧道が寺との間にあり、どうにか路上に駐めましたが、道順を変えれば入りやすかったようです。

路駐ですから迷惑になりますので、急いで写真を撮り車に戻りました。

 

御本尊は虚空蔵菩薩です。毎年4月13日が大祭です。

 

 

次に北辰伝に参拝です。妙見菩薩が祀られています。

 

 

もっと周りの寺院や神社も、お参り出来れば良かったのですが、要領が悪すぎました。

 

円満寺 群馬県桐生市西久方町2丁目3−19

 

日蓮宗 妙見寺 群馬県伊勢崎市

妙見菩薩関連の寺院などを巡っています。

お参りに行くと御住職は不在でしたが、奥様が赤ちゃんをおぶって対応していただきました。

 

 

明治に開山されたようです。

外からですが、御本堂内を拝ませていただきました。

 

 

真ん中の御本尊様が妙見菩薩です。

日蓮聖人、浄行菩薩、釈迦如来、大黒天などが祀られています。

 

 

妙見寺 群馬県伊勢崎市境西今井318

 

於菊稲荷神社 群馬県新町

先ほど行った森町の妙見寺の隣に、於菊稲荷神社がありました。

普通は於菊稲荷神社に参拝して、妙見寺に気がつく人もいるのでしょう。

 

 

江戸時代に「お菊」ということきれいな娘さんがおり、ここで近所の子供達の面倒を見ていました。

お菊が病気になると夢枕にお稲荷様が現れ、人々のためにつくせと言われ、ここの巫女となり、つくしていると、神秘的な力を持つようになりました。

参拝者が多くなり、於菊稲荷神社と言われるようになったのだそうです。

 

追記 2020/07/19 

新町は高崎市に編入しています。

於菊稲荷神社  群馬県高崎市新町247

 

日蓮宗 妙見寺 群馬県新町

於菊稲荷神社とは道を挟んで向かい側にあるお寺です。

 

日蓮宗祈祷相談所、九識霊断法相談所と掲示されていました。

毎月2日に倶生神(ぐしょうじん)の御祈願があるようです。おそらく九識霊断法で日蓮宗独特のご祈祷のようです。

 

追記 2020/07/19

新町は高崎市に編入しています。

妙見寺 群馬県高崎市新町128−1

天台宗 妙見寺 群馬県群馬町

妙見菩薩を調べ始めました。

関東における妙見信仰の大元をまずお参りしました。

関東における桓武平家末裔の多くが、妙見菩薩を信仰するに至ったのは、平将門公、平良文のいわれからです。

 

 

先ずは御本堂です。

 

 

妙見寺は神亀6年(729)に天白山妙見寺(大阪府南河内郡太子町春日)より勧請されたという説。
続日本紀:「宝亀2年 (771)上野国、美作国・・各々50烟を給す妙見寺(天白山)」(天白山は、もと東方の信夫山にあった。)
あるいは、714 年(和銅7 年)またはその翌年の715 年(霊亀元年)上野国大掾藤原忠明の開基により創建されたと伝えられる。

妙見堂は御本堂西側になります。

平良文や一族により、秩父、鎌倉、千葉へと伝えられ、妙見信仰が関東各地に広がりました。

 

妙見堂拝殿

妙見堂本殿

 

妙見寺 妙見菩薩お姿

 

 

近くの妙見茶屋に寄り、有名な酒まんじゅうを買いました。

この店の女将さんによると、以前は妙見寺には住職が住んでいませんでした。現在の御住職が来られてより、良くなったと話していました。

 

妙見寺 群馬県群馬町引間213 (現在は高崎市引間町)

 

日蓮宗 星光山蓮華寺 東京都中野区江古田

私が調べている妙見菩薩を祀る寺としての参拝です。千葉県、東京都の寺院は妙見菩薩を祀る寺が多くあります。

豊山派ですが先輩が住職をする寺から1㎞強なのですが、同じ江古田と思えないほど高低差がありました。

 

 

思っていたよりも境内が広く、桜や新緑の頃が楽しめそうでした。

東洋大学を開校した大学者・井上円了の墓があるそうです。哲学堂は井上円了が造りました。

 

 

御本堂の向かって左は、懺悔堂です。

 

帰りは哲学堂公園が近いので、寄っていこうと思いましたが、かなり歩きましたので足が棒状態でした。

情けないのですが、西武池袋線「東長崎駅」まで、タクシーに乗りました。

 

蓮華寺 東京都中野区江古田1丁目6−4

 

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