2017年11月

北斎とジャポニスム展 国立西洋美術館

久しぶりの西洋美術館です。

 

 
外には有名な銅像が展示されています。
これだけ見学するだけでも価値があります。しかも外だけなら無料です。
 
 
 
さて、建物の中に入り拝観始めると、ななんと!
一番最初に摩利支天(まりしてん)の画がありました。数年前求めた掛軸の大元が北斎漫画(六編)だったのです。摩利支天Wikipedia
 
 
摩利支天掛軸
北斎作ではありません。
 
手元にある北斎漫画三編の内 四天王と荼枳尼天
今日はこれだけで大収穫です。
 
ネットで摩利支天を調べると、同じような画像がありますので、何が元か気に掛けていました。
 
 
さて、館内は熱心に見て回る人で、いっぱいです。
北斎の浮世絵、北斎漫画などが、西洋の画家、モネ、ドガ、セザンヌ、ゴーガンなどの作品や陶器などに、どのような影響を与えたかしることが出来ました。
 
 
 
アダチ版画が出店しており、北斎の復刻浮世絵を販売していました。額付きで通販と同じ値です。アダチ版画研究
 
 
 
 
 
北斎漫画より

下谷神社 台東区東上野

吉祥院のあとで下谷神社を詣でました。 下谷神社link
鳥居に座っている人がパンを食べています。
さらに境内にも十数人。ホームレスの方々でした(この言い方は変ですね)。
女性がパンやジュース、お茶を配っているようです。

 
この後、上野公園では五十人以上いました。キリスト教の伝導と施しなのでしょう。
以前はマイクで伝導しており、その後で食べ物を渡すようにしているようです。今はマイクの使用は無いようなので、注意されたのでしょう。かなりうるさかったのを思い出します。
 
ずっと以前ですが、檀家さんのご親戚が山谷で仕事にあぶれ、上野でホームレスをしていた時期があったそうです。
「誰も聞いていないよ」と言っていました。配ってくれるまで待っているだけと笑って話していたのを思い出します。
何か訳があったのでしょうね。

 

 

 
 
神社は北を向いています。
各地の神社にお参りにする人は、若い方が多いですね。
 
 
お水屋の先が稲荷社です。
赤い鳥居が、いかにもお稲荷さんの風情です。
 

 
 
お稲荷さんとの境を南に行くと、御本社が見えます。
 
 
 
 

国立博物館 運慶展のライトアップ

平安時代の穏やかな定朝様と異なり、力強い写実的な作風が台頭した武士団に受け入れられたようです。


本館前から平成館に向かいます。
待ち時間なしでした。土曜日に娘が行ったときには30分待ちだったそうです。



外に出ると暗くなり始めました。スカイツリーを撮る人が何人かいます。
私もパチリ。



本館前では運慶展のライトアップが始まっていました。5日までです。
※ここに行ったのは11月2日です。

 
 
 
 
イメージ 7
 
 
鉄道や花などでは、 目の前を人が通ると批判する人もいますが、ここでは記念撮影をする人に誰もうるさく言う人もありませんでした。
 
 
でも、スマホの人が多いですね。ぶれずに撮れるのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
上野公園の噴水もきれいにライトアップされています。
 
 
噴水前では若い歌手の演奏が始まりました。
ファンの女性が20名ほど来ているようです。
 

帰りが遅くなりますので、帰ることにしました。
色々な催しが行われるようです。

数年前のライトアップの写真は、かなりの割合でブレブレでした。カメラが違うとこんなにも綺麗に撮影でき、高価な機種でしたが正解です。

真言宗智山派 吉祥院 普寛上人供養碑 台東区元浅草

聖教寺北斎墓のお参りを済ませると、道路の反対側に私が住職を務める寺と同じ真言宗智山派の寺院がありました。台東区元浅草2-1-14  地図

 
このあたりの寺の中では、緑の多いところです。本堂も鉄筋が多いのですが、木造ですので趣があります。
良く掃き清められ、気持ちよくお参りが出来ました。
 
 
 
普寛上人の供養塔   埼玉県東京都の摩利支天リンク
 
 

普寛上人は秩父の大滝村(現秩父市大滝)に生まれ、三峯山で修験の行を極め、信州御嶽山(おんたけさん)の王滝口登山路を開きました。
そのことにより御嶽信仰が盛んになり、御嶽山中興開闢の祖と言われる行者です。

何故ここに供養塔があるのでしょうね。
江戸から多くの方が御嶽講を結成して、御嶽山にもう出ました。
その講関係者が山岡鐵太郎(鉄舟)に書いてもらったのでしょう。

埼玉県民としては、うれしい発見です。

葛飾北斎の墓 誓教寺 台東区元浅草

小布施に行ってから、北斎のお墓をお参りしたくなりました。
もっと早く行きたかったのですが、雨雨雨で無理をしないことにしました。

浄土宗誓教寺  東京都台東区元浅草4丁目6-9   地図
北斎は日蓮宗信者で北辰妙見菩薩を信仰していました。北斎はそれに因なんでつけられたのでしょう。
何度も名を変えていますが、北辰北斗に関連した名前が多いです。

それでも菩提寺は浄土宗でしたので、誓教寺に祀られました。
 
先ずは御本堂にお参りです。
ご本尊は当然阿弥陀様でした。
 

 

葛飾北斎のお墓です。

墓標には「画狂老人卍墓」と掘られています。

裏のお塔婆の文字には、
「南牕院奇譽北齋居士(なんそういんきよほくさいこじ)」とありました。
当時の院号居士は武士階級のみであったはずですから、高橋克彦氏により著された「北斎殺人事件」の北斎隠密説も納得できます。ブログlink

 

本堂前の階段には、北斎も書けない名画が描かれていました。

 

ページ上部へ