2021年10月09日

戸田斎場の阿弥陀如来 板橋区舟渡

何度か戸田斎場に来ていますが、一番気になるのは阿弥陀如来の仏像です。

ここから先の火葬場は、撮影禁止でした。

念のため近くにいた職員に撮影の許可をいただきました。

 

 

 

由来は分かりませんが、由緒ある御尊像に違いありません。

お賽銭をと思いましたが、財布を持ち合わせてなく、手を合わせただけでした。

 

駐車場には、おそらく地蔵菩薩と思われる石仏が祀られています。

 

 

 

こちらも手を合わすのみでした。

もし次に来られる機会があれば、お賽銭を手向けるつもりです。

 

 

滝承天猊下の書 「佳境」

大正15年に書かれた、智積院能化・滝承天猊下の書「佳境」です。

 

 

 

 

 

おそらく智山派末寺檀家さんの家に伝えられていた掛軸と思います。

良い書を手に入れることが出来ました。

 

滝承天猊下

愛知県に嘉永6(1853)10.8生まれました。

甚目寺にて得度。

明治12年に智積院の一山庶務を担当しました。

明治27年、神照寺住職、  明治29年に大須宝生院兼務。

明治39年、長久寺住職。

大正5年、真言宗智山派管長・智積院化主に就任。

昭和8年、川上貞奴が建立した貞照寺の第1世にもなられています。

昭和16(1941)9.11、89歳にて遷化されました。

 

 

三神快運猊下の書「緑帳庭龍晩涼多」

真言宗智山派総本山智積院能化47世・三神快運猊下1836年(天保7年)~1905年(明治38年)の書「緑帳庭龍晩涼多」です。

私は智山派の末席に繋がる住職ですが、私が生まれる46年前に遷化されています。

 

 

恥ずかしながら「緑帳庭龍晩涼多」の意味が分かりません。

一文字一文字は分かるのですが、情けないことです。

豊かな木々に囲まれ、よく手入れをされた庭園にて、夕涼みを楽しむ情景かとも思います。

 

 

三神快運猊下は越後出身です。

1836年(天保7年)に生れ、1843年(天保14年)越後築地宝持院(現在智山派)で出家、1852年(嘉永5年)智積院で学びました。

1857年(安政4年)徳島や淡路などで学び、諸流を伝授した後に郷里に帰っています。1868年(明治1年)宝積院住職となりました。

1880年(明治13年)から宗務を担当し、化主に随行して巡錫しています。

1897年(明治30年)4月2日、智積院化主(46世)。大学林主管、真言宗長者(東寺247世)を兼ねました。

1899年(明治32年)2月13日隠退して大報恩寺(京都市)に隠居。のち宝積院に帰り、1905年(明治38年)5月7日70歳にて遷化されています。

 

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