2022年03月

白髪神社 埼玉県飯能市川崎

飯能市の上下川崎と平松の氏神です。

白鬚神社(しらひげじんじゃ)ではなく白髪神社(しらひげじんじゃ)でした。

祭礼も行われていますが、ほとんど役員のみで行っているようです。

 

 

久しぶりの参拝になります。

 

 

廃仏毀釈以前は普門寺持ちだった関係で、白鬚神像が寺に祀られているようです。

 

 

 

役員さんの尽力によって、よく管理されています。

 

白髪神社  飯能市川崎36  地図link

 

 

真言宗智山派 正法寺 埼玉県日高市

久しぶりに正法寺の前を通ると、建物が新しくなっていました。

この地区には金子姓が多くあるようです。

ここの檀家分家筋の金子さんで、飯能市や他の地区に住む方が、永代供養を2件含む計3件で当寺(円泉寺)の檀家となっています。

 

 

御本尊は薬師如来です。

 

 

入口には3体の地蔵菩薩が祀られています。

 

 

真ん中には光背に、五仏の梵字と光明真言が掘られていました。

知る限り地蔵菩薩の光明真言とうはここのみです。

明治4年10月の建立になります。

 

 

 

あと数日で裏の枝垂れ桜が、満開になりそうです。

 

正法寺 埼玉県日高市中沢126 地図link

 

 

霞野神社 女影原古戦場跡 埼玉県日高市

時折抜け道で通るのですが、お参りしたのは初めてです。

社記に承久3(1221)年、信濃国諏訪頼重家臣の春日刑部正幸が、兜の八幡座を祀ったと記されているようです。

かつては諏訪社でしたが、廃仏毀釈後に地区内の12社を合祀し、霞野神社と名を改めました。

 

 

祭神は建御名方命です。

 

ここは女影原古戦場でした。

建武2(1335)年の北条時行軍と足利直義軍、観応3年の南北朝両軍の合戦などです。

この前の道は鎌倉街道上道で、有力武将はここを通っていました。

数多くの武将が戦死しています。

 

何も知らない人の話しに、甲冑を着た疲れ切った武士が、道に佇んでいたのを見たことがあると話していました。

信じられない話しです。

 

さらに現在の所沢市の小手指原古戦場に続いています。

 

 

氏子は女影で約300戸あります。

 

 

 

 

新編武蔵野風土記に女影とは、往古に千丈ヶ池に身を投げた女の影が池に現れたことにより、これを女影と呼んだのが村名の起こりだと書かれています。

 

 

霞野神社  埼玉県日高市女影444  地図link

 

カタクリ

境内の一角にカタクリが咲いています。

以前は他の場所にも咲いていましたが、絶えてしまいました。

 

 

 

 

 

成育には場所が悪いのですが、毎年楽しみにしています。

 

迦楼羅像

鮮やかな色彩の迦楼羅像です。

古い仏像ではなく、戦後に制作されたのだと思います。

本格的な仏像ではありません。

 

迦楼羅とはインド説話のガルダです。

ガルーダ・インドネシア航空は、ヒンドゥー教の神鳥ガルダから名付けられました。

 

 

多くの迦楼羅像には笛を吹き羽がありますが、このように羽のない像もあります。

 

 

 

 

 

不動明王背後は迦楼羅の吐く炎、あるいは迦楼羅そのもののであるとされ、迦楼羅焔と呼ばれています。

 

阿弥陀堂の不動明王像

 

 

迦楼羅ウィキペディアlink

 

今は御本堂に祀られていますが、他の御堂に移すかも知れません。

 

 

曹洞宗 東光寺 埼玉県所沢市

所沢方面に出かけた折り、東光寺がカーナビに見えましたので、寄っていくことに致しました。

「北条氏照」によって滝の城(所沢市城)の東北に鬼門の鎮めとして建てられました。

慶長5年(1600)孝山大舜大和尚により、現在の地に移されています。

 

 

御本尊として、薬師如来を祀ります。

 

 

御本堂西脇を行くと、金比羅大権現(金比羅堂)が祀られていました。

 

 

二十四孝の郭巨です。

非常に良い彫刻が本殿三面に施されています。

 

 

郭巨夫妻が黄金の釜を掘り当てた場面です。

 

 

成田山の不動三尊石仏も祀られています。

 

 

境内には曹洞宗寺院でよく見かける白山妙理権現が祀られています。

石像は初めて見ました。

 

 

東光寺  埼玉県所沢市坂之下383  地図link

 

曹洞宗 宗吾寺 若狭局 比企一族由来の地 館跡 埼玉県東松山市

東松山市には各地に「2022年大河ドラマ  比企氏ゆかりの地 東松山」ののぼり旗が立ててありました。

東松山市は比企郡の中で一番人口の多い所です。

 

鎌倉幕府二代将軍源頼家の側室若狭局が、暗殺された頼家供養のため比丘尼山に建立したと伝えられる壽昌寺を現在地に移し、旗本・森川氏俊が宗吾寺としました。

若狭局は北条氏に滅ぼされた比企能員の娘です。若狭局ウィキペディアlink             比丘尼山 東松山市 link

 

 

ここに至る道路の端には、比企氏ゆかりの地 東松山ののぼり旗が数多く立てられていました。

 

 

 

観光協会が立てた案内板には、頼朝公のお位牌と蛇苦止観音が祀られているとありました。

 

 

かなり広い境内です。

このあたりが比企氏館跡と推定されているようです。

 

 

 

曹洞宗寺院によく祀られている白山妙理大権現の祠です。

 

 

 

御本堂前には七観音石像が祀られています。

 

 

 

 

 

御本堂裏手にある森川氏累代の墓

 

 

 

平成6年に建立された比企一族顕彰碑です。

地元愛を感じます。

鎌倉幕府設立に尽力された各地の武将が、北条氏のために粛正されています。

地元の方々は悔しい気持ちでいると思います。

 

 

天正年間(1573~1593)頃になりますが川島町に比企氏館跡と墓があります。金剛寺 比企氏累代の墓 ブログlink

 

宗吾寺  埼玉県東松山市大谷400 地図link

 

 

曹洞宗 浄空院 十六羅漢石像 埼玉県東松山市

浄空院は御本堂などの優れた伽藍と十六羅漢石像、七観音などの石仏がまつられています。

東松山市にでも約1㎞西に行くと嵐山町になります。

 

 

慈恵大師が天台宗法養寺として開基されましたが、徳川の旗本・菅沼氏によって曹洞宗寺院となりました。

菅沼氏の墓は本堂裏手になります。

 

 

本堂・庫裡・坐禅堂・山門など、よく整備された寺院です。

 

 

 

十六羅漢像

 

七観音石仏

 

六地蔵石幢と羅漢の石塔?がありました。

 

鐘楼堂

 

境内図に薬師堂と金比羅宮はありませんでした。

地続きですから浄空院の境内と思います。

 

右が薬師堂

 

金比羅宮

 

境内参道ら使用された瓦が面白く思います。

 

 

原爆の図で知られる丸木美術館が近くにあります。

丸木美術館は何度か訪れていますが、このように立派な寺院があることは知りませんでした。

 

浄空院 埼玉県東松山市上唐子679 地図link

 

 

日蓮宗 妙賢寺 埼玉県東松山市

妙賢寺は松山町の光寺と大正2年に雷により焼失した松山滝下にあった住寺が合併した寺です。

松山滝下は、どこにあったかは分かりませんでした。吉見町に小字滝下がありますが、不明です。

 

 

おそらくこの寺は、私がお世話になった所沢市にある日蓮宗寺院御住職のご実家と思います。

大変気骨のある高校の先輩です。

 

 

松山城主・上田朝直が、かつての妙光寺(栖林院)に納めた十界曼荼羅が納められています。

 

 

境内には上行菩薩石像が祀られていました。

 

 

 

上田朝直墓は東秩父村の日蓮宗浄蓮寺にあります。浄蓮寺ブログlink

 

妙賢寺  埼玉県東松山市松本町1丁目11-56  地図link

 

 

 

曹洞宗 清見寺 十一面千手観音石仏と心字座板碑 埼玉県東松山市

先ほど訪れた無量寿寺からは、407号線を隔ててすぐ近くにあります。

 

 

 

先ずは六地蔵に参拝して境内に参りました。

 

 

参道には十一面千手観音の石像が祀られていました。

かなり良い千手観音像です。

 

 

 

 

御本尊は地蔵菩薩です。

 

 

 

大変珍しい心字座板碑が祀られています。

建長元年(1249)の建立です。

 

 

梵字「阿と心字」です。

他に阿弥陀如来と阿弥陀三尊梵字板碑が祀られていました。

小さな板碑の見える部分は「南無阿」とありますが、おそらく南無阿弥陀仏と彫られていると思います。

 

他の心字座板碑は、板橋区志村の延命寺にある建長4(1252)年のみのようです。

 

清見寺 埼玉県東松山市上野本1683 地図link

 

 

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