円泉寺便り

保木間氷川神社 足立区

保木間氷川神社

氷川神社の上に保木間(ほきま)を入れてあるのは、足立区には氷川神社が何社もあるからでしょう。

かつての妙見神社が菅原神社→氷川神社となりました。当然ですが現在妙見菩薩は祀られていません。

ここは千葉氏の陣屋跡があったそうです。

隣の別当であった宝積院は妙見菩薩を祀るために創建されました。

 

保木間氷川神社 東京都足立区西保木間1丁目11−4 地図

 

真言宗豊山派 北斗山宝積院

氷川神社の別当であった寺です。北斗山ですから妙見菩薩を祀っていました。

御本尊は十一面観音様でしたが、今は如意輪観音となっています。真言宗では妙見菩薩の本地は、十一面観音とすることが多いようです。

 

 

宝積院 東京都足立区西保木間1丁目11−4 地図

 

日蓮宗 妙行寺 さいたま市

元与野市にある妙行寺をお参りしました。

火災に遭い昭和10年に御本堂などを再建しています。山門は昭和58年の再建です。

 

 

私が調べている妙見菩薩は御本堂に祀られているようです。木彫妙見菩薩座像。

 

金比羅天堂脇のモッコクは樹齢600年、県指定天然記念物となっています。

 

妙行寺 埼玉県さいたま市中央区鈴谷4-15-2 地図

島根鷲神社 足立区

日本武尊伝承が伝えられています。各地の大鳥神社・大鷲神社の流れをくむ神社と思います。

 

大阪の和泉国一の宮・大鷲神社によく似た作りです。大鳥神社Wikipediaリンク

勝手な解釈ですが、先ほど行った花畑大鷲神社と同じく、和泉国からの分霊社ではないかと思います。

 

よく整備されている境内や建物は、氏子さん達と宮司さんの尽力でしょう。

うらやましい限りです。

元別当であった国土安穏寺にも参詣する予定でしたが、後日に致します。

 

島根鷲神社 地図

大鷲神社 足立区

中曽根神社から大鷲神社に向かいました。

酉の市発祥のち地して知られていますが、古くは鷲に乗った釈迦像が始まりなのだそうです。

明治以降に祭神の変更があり、日本武尊となっています。

たくさんの奉納された提灯が並んでしました。

かなり豊かな杜です。お参りより散策や健康のために歩いている人を多く見かけました。

 

かなり長い参道でした。

 

新羅三郎義光が、社殿で戦勝を祈願したと伝えられています。

 

 

大鷲神社 東京都足立区花畑7丁目16-8 地図

            大鷲神社ホームページlink

中曽根神社 足立区

池袋駅東口からカメラ店に向かう途中、バス停を見ると西新井大師行きがありました。

丁度バスが来ましたので、西新井大師参拝に切り替え、次に急遽でしたが妙見菩薩関連のお参りに致しました。

先ずは、かつての妙見社であった中曽根神社です。

 

妙見信仰で知られる千葉氏の一族、千葉次郎勝胤が室町時代に築城された中曽根城内に、妙見社を勧請しました。

西新井大師からは、比較的近い場所でした。

 

中曽根神社 東京都足立区本木2丁目5 地図

 

篠津久伊豆神社と須賀神社 埼玉県白岡町(現 白岡市)

ある要件で白岡に出かけました。

帰りにカーナビで久伊豆神社とありましたので、寄ることにしました。

久伊豆(ひさいず)がクイズと読めます。そのため岩槻の久伊豆神社が一番知られていますので、お参りが多いと書かれていたのを思い出します。

 

 

隣の小高くなったところは浅間神社です。古墳なのでしょうか。

 

少し離れた場所にあるのが須賀神社です。久伊豆神社に合祀されましたが、疫病が蔓延したために、元に戻されました。

天王様の祭礼には山車が五台出て各耕地を巡行するようです。

 

篠津久伊豆神社 地図

 

浄土宗霊巖寺 江戸六地蔵 江東区

以前に清澄庭園を散策したおり寄る予定でしたが、思った以上に長くいましたので、今回の参拝となりました。

霊巖寺は寛永元年に霊巖島に創建されましたが、後に現在地に移りました。

 

江戸時代は檀林でしたので、相当な格式であったことが分かります。

 

霊巖寺は江戸六地蔵の六番目札所です。

 

陸奥国白河藩松平定信の墓があるようですが、気がつかずに帰ってしまいました。

 

霊巖寺 東京都江東区白河1丁目3−32 地図

日蓮宗 浄心寺 江東区

富岡八幡宮から浄心寺まで歩きました。深川浄心寺と呼ばれているようです。

江戸十祖師の随一と言われています。

かなり広い境内です。

 

お題目の碑がなければ、他の宗教施設のように感じるでしょう。

この御本堂は明治40年に建てられました。思ったより古い建物でした。

徳川綱吉の乳母・三沢局の墓があります。

 

住職は世襲ではなく、関連寺院三百ヶ寺の住職から選ばれるそうです。格の高さが分かります。

 

浄心寺 東京都江東区平野2丁目4−25 地図

永代寺 深川成田山 富岡八幡宮

主に当寺と同じ真言宗智山派の成田山深川不動をお参り方々、永代寺と富岡八幡宮を参拝しました。

永代寺

最後に御参拝する富岡八幡宮の別当でした。

いったんは廃寺となりましたが、明治29年に塔頭の吉祥院が引き継ぎました。かなり規模が小さくなっています。

 

私が調べている摩利支天が、江戸期には祀られていました。地名も摩利支天横町が、あったようです。

 

門前仲町は永代寺の門前の意味でした。

 

成田山深川不動堂

先ずは御参拝前に門前の漬物屋さんに寄りました。

京都にいる頃は、本店から実家に送っていただいたことがあります。

今回は自宅に送る手続きをしました。時折、友人がここから送ってくれます。

 

 

江戸時代は永代寺境内で、成田山の御本尊・不動明王の出開帳が行われています。

廃仏毀釈後の明治11年に成田山深川不動堂が、ここに置かれました。

 

富岡八幡宮

今でも東京では有数な神社です。

江戸で勧進相撲が最初にも要されました。

 

何かと問題を起こしていますが、落ち着いた対応をしてもらいたいものです。

 

境内にあるお店で、深川飯を食べました。一度経験すれば良いかなと思う味でした。

興味のある方は食べて下さい。

 

河越館跡

桓武平家の秩父氏末裔である河越氏の館跡です。

秩父氏の末裔に埼玉では多くの有力氏族を生みました。

畠山氏、河越氏、高山氏、江戸氏、渋谷氏などです。渋谷氏の末裔に堂東郷元帥がいます。

 

河越氏の娘に、源義経の妻となった郷御前がいます。義経の逃避行に最後まで付き添いました。郷御前ウィキペディアlink

そのため河越氏は源頼の勘気に触れ、危うく滅亡の危機にあいました。

 

河越館跡は入間川の西岸にあります。

 

時宗常楽寺は河越氏の持仏堂でした。常楽寺ウィキペディアlink

 

館跡は東西約240メートル、南北約300メートルあり、土塁と堀に囲まれていたようです。

 

丁度、発掘をしていました。

 

向こうに見えるのは、川越市立上戸小学校です。

 

発掘の成果が待ち遠しいです。

 

河越館跡    地図              河越館ウィキペディアlink

 

追記 2019/09/28

平成21年に河越館跡史跡公園となっています。駐車場は北側にあります。河越館跡史跡公園link

以前見学に行きましたが、資料館は上戸小学校の一室にあり、日曜日のみ開かれているようです。こうえんでは建物などの再現まではしていませんでした。

 

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