2016年11月

平将門伝説と内田康夫著「中央構造帯」

以前さいたま文学館企画展「平将門 文学は史実を越えて 錦絵が誘う文学散歩」に行きましたが、その折展示されていた(或いは紹介されていた?)、内田康夫著「中央構造帯」(浅見光彦シリーズ)です。
 
 
この作家の作品は、第一作の「死者の木霊」から十年ほど前の作品までは、全て読んでいました。
今でもこの作家の浅見光彦シリーズなどは、テレビドラマ化されています。
 
この「中央構造帯」は平将門の呪いと某銀行の世界が丁寧に描かれています。
 
しかし、この本のなかで記憶にあったのは、茨城県岩井市(現坂東市)出身のヒロインが東京の大学に入ると、郷土の英雄である将門や国王神社のことを「マサカドって?」「それって、何?」と言われるほど知らない人が多いことだったことと、都内の首塚、市川市の「八幡不知藪(やはたやぶしらず)」、埼玉県荒川村(現秩父市)の将門伝説ぐらいでした。
 
記憶力のなさは、あきれるほどです。
ある推理小説では、最後に犯人が分かったときに読んだことを思い出したこともあります。完璧に忘れている作品もあると思います。
 
ですから、小説を読んで何度も楽しめる年齢になったようです。
 
将門塚
 
内容は大変面白かったのですが、これは略します。
 
某銀行のことは、バブル絶頂期後のことで、あんなことがあったな~と思い出します。
今の中国が同じようになり、日本や他の国々があおりを食わなければいいと思うのは私だけではないでしょう。
 
楽しみながら将門公の関連した土地を知るのに役立つ推理小説です。
 

ペット総供養

本日はペット供養塔に納骨された諸動物のために、合同で行われる総供養の日です。
昨日もすでに今日来られない方が、何組かお花・お線香を手向けていました。
今朝見ると、さらにお花が増えていました。
 
 
 
前日から準備を行い、今日に備えました。
今朝早く花屋さんに生花を飾っていただきました。
 
 
 
 
今日の参列者は、71名でした。
昨日、今朝、儀式終了後にも何組か来ていましたので、80名以上が優に来られていたと思います。
 
馬頭観世音石仏
 
ペット供養塔の御本尊は馬頭観世音様です。
供養塔のすぐ近くには、馬頭観世音様の石仏も祀られています。
 
 
昔は、ペットと一緒にお寺に来ることはタブーでした。
今でも動物とお寺に来ることを断っているお寺もあります。
私もそう思っていた一人です。
 
しかし、そうも言えない時代になってしまいました。
ペットは家族の一員です。
お墓に一緒に入りたい檀家さんも増えています。
 
 
 
そうならないよう、急遽ペット供養塔を建立したわけです。
時代に合わせないと行けない場合も多々あります。
 
 

上毛野はにわの里公園とかみつけの里博物館 群馬県名発祥の地

以前さきたま古墳に行きましたが、ここもかなり多くの人が来ていました。
埼玉古墳ブログlink
 
埼玉県立さきたま史跡の博物館の説明を見て、妙見寺、上野国分寺跡の後に、ここに行くことにしました。
 
かみつけの里博物館  link
  群馬県高崎市井出町1514  地図
 
 
 
駐車場に入れると、まずは保渡田八幡塚古墳を見学です。
 
 
 
この埴輪群を見たかったのです。
新幹線の工事前の発掘で発見された、三ツ寺Ⅰ遺跡に住んだ豪族の古墳群の代表的遺跡です。三ツ寺Ⅰ遺跡  link
 
三ツ寺Ⅰ遺跡当たりを7世紀には、古代「車」(くるま)と呼ばれていたことがわかりました。
すなわち「上毛野国車評」(かみつけのくに くるまこおり)のことで、奈良時代には車の読みに「群馬」の二字を当て、「群馬群」(くるまぐん)となりました。
明治になると群名を県名に採用したのだそうです。
 
馬が群れていたとばかり思っていました。富士重工があったからでもありません。
 
 
この埴輪は約6,000本あるそうです。このように再現された場所は初めて見ました。
来効がありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古墳頂上から石棺のある場所に行けます。
 
 
舟形石棺は発掘当時、すでに暴かれていたそうです。
 
 
 
 
次は双子山古墳です。ここも沢山の埴輪に守られていたようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
コスモスがきれいに咲いていました。
1500年前、この古墳にも沢山の埴輪が飾られていました。
 
 
 
墳丘の上から手を振るのは、いつも運転手をかってくれるAさんです。
 
 
 
 
かみつけの里博物館
ここは期待していなかったのですが、皆さんも機会があったら見学してください。
素晴らしい施設です。
 
 
 
保渡田八幡塚古墳の石棺の模型が展示してありました。
ここから先の常設展は、充実した内容で楽しめました。
残念ながら撮影は出来ません。
 
 
豪族の時代、榛名山からの火山灰、火砕流、度重なる土石流や洪水の下から発見された畑水田跡、古墳、住居跡などの遺跡や遺物の数々。
その時代の地域の様子を彷彿することが出来る展示物です。
火山灰で蒸し焼きになった広い地域やこの施設の西側の広い地域が火砕流に飲み込まれて、その当時をタイムカプセルにしました。
 
雲仙普賢岳の火砕流と同じようなことが起こったわけです。
現在の榛名山からは想像が付きません。榛名山は浅間山と共に、まだ活火山なのです。
 
この常設展の解説書は価値があります。興味のある方は他の解説書も含め、買い求めることをお勧めします。
 
館内を丁寧に見たつもりでしたが、気がつかなかったこと、忘れたことなど、見直すだけでも楽しいですよ。
 
 
その他、色々な資料が販売されています。各地資料館展示のパンフレットも、たくさんいただいてきました。
 
貴重な旧群馬町の群馬は、高崎市と合併のため県名としては存続していますが、消えてしまいました。他県人としてもなじみの地名がなくなったのは、さみしく感じます。
 
気がつくと1年で関東の県名の起こり、旧茨城群、さきたま、栃木、千葉、群馬の5カ所に行ったことになります。但し茨城の石岡市茨城には行っていません。江戸城は東京ですから入りませんね。
神奈川は30年以上前です。
 

上野国分寺跡と国分寺(後継寺院)

上野国分寺跡
         群馬県高崎市引間249-1(旧群馬町)  地図               
上野国分寺 Wikipedia link  
 
 
妙見寺の参拝後に上野国分寺跡に向かいました。
境内の駐車場を東に抜け、狭い道を行くと国分寺跡に出られます。
 
国分寺跡だけなら南側に新たにバスも止まれる広い駐車場ができましたので、直接駐車場に入れてください。
 
駐車場から染谷川を渡ると国分寺跡に出られます。
以前来たときは、北側にしか駐車場はありませんでした。
 
橋を過ぎると西側に妙見寺とガイダンス施設上野国分寺館が見えます。
 
向かって左が妙見堂  右が国分寺館
 
 
 
 
塀の所から北側が国分寺跡です。
かなり広い敷地ですが、北側の民家の所も敷地です。
 
 
 
 
 
上野国分寺の七重の塔は、塔としては国内最大級の規模だったそうです。
 
 
七重の塔基壇
 
 
 
 
講堂跡
 
 
 
現在発掘が行われています。新たな発見は、かつて金堂跡と言われた場所の南側に金堂跡が発見され、金堂跡は講堂跡であることが分かったそうです。
現座発掘している所は、南西の端です。
 
左側が講堂跡  右側が金堂跡
 
あちこちに発掘跡がありました。
 
 
国分寺跡ガイダンス施設上野国分寺館は入場無料です。
七重の塔の二十分の一の20分の1 の模型や出土した瓦、土器などが展示して あります。
その当時の地名が線刻してある土器類が特に興味深い展示品でした。
自分で楽しむだけなら内部の撮影はできますが、ブログなどには使用できないそうです。
 
 
 
 
 
中ではビデオで詳しい説明がありますので、是非見せてもらいましょう。
 
 
上野国分寺(後継寺院)
高崎市東国分町318  地図
 
国分寺跡の約600メートル北側に現在の国分寺があります。
後継寺院とは、微妙な表現ですね。
門柱には、右「上野国分寺」、左「薬師如来」と掘られています。
 
 
 
以前来たときには、立派な住職の石塔が西側に集められていました。
今回はありませんでした。どこか正住職のお寺に移されたのでしょうか。
 
隣の庫裏は廃屋になっていました。
 
 
 
次に「かみつけのくに博物館」に向かいました。
ここには大きな古墳があります。
 

妙見寺 高崎市引間町

妙見菩薩と平将門公を調べ始めたのが十数年前でした。その頃と5年以上前にお参りに来ています。
妙見菩薩資料集  link  
 
天台宗妙見寺  群馬県高崎市引間町213  地図
 
 
 
 
 
千葉妙見大縁起にある平将門、平良文の前に現れた七星山息災寺(現・天台宗妙見寺 高崎市引間)妙見菩薩。
染谷川の浅瀬を渡るところです。
 
 
妙見寺前の妙見菩薩が現れた染谷川ですが、千葉妙見大縁起とイメージが重なりません。 地図 
以前以前書いた大縁起展のブログ  link    
 
看板中に書かれている「総社長尾氏」は平良文の子孫ですから、当然妙見菩薩への信仰を持っていたはずです。
長尾家は山内上杉家とともに長尾景虎を頼りました。
 
上杉謙信(長尾景虎)とも同族です。景虎が上杉家の養子となったのも総社長尾氏との関連もあったと思います。
謙信も妙見信仰がありました。
 
 
妙見前の染谷川
 
左が妙見堂(本尊妙見菩薩)、右が本堂(本尊・釈迦如来)
 
 
 
 
 
 
 
とても素晴らしい建物です。彫刻も見事です。
 
 
 
 
古い妙見寺のお姿札
 
妙見堂の西隣に歴代住職のお墓がありますが、その脇に石祠が集められています。
埼玉では見かけることがない形をしています。
中世末期から近世前期の墓石(廟墓)でした。歴代の御住職の墓なのかもしれません。
 
 
 
 
ここにお参りに来ると必ず寄るのが妙見茶屋です。
県内に数店舗ある本店です。
初めてここに来たとき、ここの女将さんが「妙見寺は住職が来てから、ずっと良くなりました。」と話していたのを思い出します。
無住の時代が長かったようです。
 
 
 
ここに来ると必ず酒まんじゅうを買って帰ります。
私の地元にもありますが、地元と風合いが違って美味しいです。
 
次回は、すぐお隣の「上野国分寺跡」です。
 

境内からブルーインパルスの撮影

今日は入間航空祭があることを忘れていました。
石屋さんに言われて、55~250のレンズを取り出し撮影です。
 
このレンズは、ほとんど使ったことがなく、最初は戸惑いましたが、どうにか撮れたようです。
 
 
 
 
 
かなりトリミングしてあります。
切り取っても、きれいに撮れていました。
 
ハートの図形です。
 
 
 
 
 
 
イメージ 7
 
 
次は富士山かな?
 
 
 
 
 
トリミング
 
見事なものです。
 
 
トリミング
 
 
 
鳥たちも負けずに編隊飛行をしていました。
 
 
本堂裏のお墓からでしたが、ここからは障害物も少なく、どうにか撮れました。

さいたま文学館企画展「平将門 文学は史実を越えて 錦絵が誘う文学散歩」

たまたまネット検索すると、文学館企画展「平将門 文学は史実を越えて 錦絵が誘う文学散歩」を見つけ出かけました。
10月1日より11月27日
さいたま文学館 埼玉県桶川市若宮1-5-9    
企画展link     
 
 
 
私の所から圏央道で約30分ほどで行けました。以前なら1時間半はかかっていました。
 
さいたま文学館
 
桶川駅西口から約300メートル
です。
 
 
写真が撮れるのは、エントランスから企画展入口までです。
企画展では、国貞、国芳、国周などの錦絵が一番の見物です。但し作品の入れ替えがありますので、もっと実物があるとありがたいと思いました。
将門記の版本、近代、現代の平将門公の小説なども展示されています。
 
 
番外
 
「入間路(いりまぢ)の 大家が原の いはゐ蔓(つら) 
引かばぬるぬる 吾(わ)にな絶えそね」
 
「伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 此可婆奴流奴流 和尓奈多要曽称」
  万葉集 巻14-3378 作者未詳(東歌)
 
 
一番面白かったのは、万葉集のこの歌碑が、確か入間郡部に六カ所(だったかな)あることがわかったことです。
坂戸の東京国際大グラウンドの北に歌碑があります。坂戸市(旧入間郡坂戸町)にある大家小学校、西大家駅がありますので、碑はここだけだと思っていました。場所
ひょっとすると、この近くにもあったような気もします。
実際には、もっとあるのかもしれません。
 
入間郡部で大家の付く地区は、ここだけだったと思います。
 
入間群、入間市、入間川は「いるま」と読まれていますが、古代から「いりま」と発音されていた証拠です。
私の生まれた地区では、かつて入間を「いるま」と言わず「いりま」と言っていました。私も時々「いりま」を使います。
 
いはゐ蔓とは「すべりひゆ」だそうです。すべりひゆlink
「ジュンサイ」説もあるようです。
 
 
文学館は駅西口公園の中にあります。結構広く緑も豊かです。
 
 
 
 
 
文学館に入ると、午後来られる予定のお客さんが、都合悪くなったとの電話が入りました。
急遽、群馬県高崎市引間の妙見寺、国分寺跡、国分寺(後継寺院)、かみつけの里博物館に行くことにしました。
 
今回もAさんが運転でしたので、安心です。
次回のブログは妙見寺です
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