2019年03月10日

NHN放送博物館 港区

愛宕神社の隣にあるNHK放送博物館です。

NHK放送博物館         地図

 

番組の背景と人物が別々に撮されて、合成される様子の説明です。

背景は海の中でした。サメが泳いでします。

手前はニュースの原稿がどのように読まれているかを説明していました。原稿が映し出された画面を見ていれば、そこの裏側にカメラがあり、いかにもカメラを見ているように写されます。

向こう側は天気予報の様子です。

ここでは朝のドラマを展示してありました。

画面が異なりますが、世界中で放送された「おしん」を見ることが出来ました。

モノクロだったのに、私の記憶ではカラーで放送されたと思っていました。小林綾子、泉ピン子など懐かしいシーンです。

 

「梅ちゃん先生」の世界を表現したジオラマです。

昭和30年代のイメージです。

 

テレビの番組で使用された音作りの道具です。

左側が「風」、右側が「波」の音です。昔テレビで紹介されていたのを思い出します。

 

番組で使用された台本が並べられています。

今でも放送されている番組や、懐かしい番組の人形が展示されていました。

「ひょっこりひょうたん島」の放送は、いつも楽しみでした。ひょっこりひょうたん島Wikipedia

番組では明らかにされていませんでしたが、火山の噴火のために本当は全員死んでいて、幽霊だったのだそうです。

知らなくて良かった裏話です。 ひょっこりひょうたん島 ユーチューブ

 

1960年代の茶の間の様子です。

この中では、テレビが最も高価だったと思います。

ジェスチャーを放映していました。柳家金語楼、水の江瀧子など、懐かしい人が出演しています。お題は「親亀の背中に小亀を乗せて、小亀の上に孫亀乗せて」でした。

ジェスチャーWikipedia

その他にも8Kで撮されているオーケストラや放送機器の変遷など、興味のある部屋がありました。

時間を掛けて楽しみたい場所です。

 

 

愛宕神社 港区

真福寺の後に愛宕神社に向かいました。真福寺ブログ

出世の階段と言い、40度の角度があります。

都内では一番高いところにある神社だそうです。

 

 

ここはかなりきつい坂です。

下から見るより上からの方が実感します。

 

愛宕神社   東京都港区愛宕1丁目5 地図        ホームページ

愛宕神社は円福寺が別当でした。愛宕神社には勝軍地蔵が祀られていました。

円福寺が廃仏毀釈により廃されると、先ほどお参りした真福寺に勝軍地蔵像は祀られていましたが、関東大震災で焼失しました。真福寺

 

 

弁財天もお祀りされています。

 

明治期の愛宕神社男坂

広重の浮世絵

 

東京名所

 

 

この後、隣のNHK博物館に向かいました。

 

 

別院真福寺の勝軍地蔵(愛宕権現) 東京都港区

都内に用があり、真言宗智山派総本山智積院の別院真福寺に行きました。

江戸時代は新義真言宗江戸四箇寺の一寺で、他に知足院・円福寺・弥勒寺があります。

江戸四箇寺は現在の智山派・豊山派・新義真言宗の大事な行政機関でした。

 

真福寺  東京都港区愛宕1‐3‐8 link           地図

愛宕薬師フォーラム 真福寺―江戸の寺院を知る link

 

ここでの目的は、勝軍地蔵像参拝と経典を求めるためです。

先ずは勝軍地蔵へお参りです。

勝軍地蔵菩薩 愛宕権現

勝軍地蔵菩薩 愛宕権現

 

 

徳川家康は本能寺の変が起こったとき、境(大阪府堺市)に少人数でいました。

岡崎城に戻るには、見つからないよう東海道を避けて甲賀・伊賀から甲賀衆・伊賀衆に守られ帰参することが出来ました。

甲賀衆・伊賀衆共に徳川家に取り入られています。

甲賀衆の多羅尾家から家康に渡った勝軍地蔵が、愛宕神社に祀られました。

 

明治となり廃仏毀釈で廃された愛宕神社別当・円福寺の勝軍地蔵が真福寺に祀られました。

しかし、関東大震災で焼けてしまったために、銅製の御尊像を祀りました。この像は昭和9年の造顕です。

 

何度も来ているのですが、建物の南側庭園にありますので、マッタク気がつきませんでした。

 

真福寺

 

 

 

説明にありますように、この後参拝する愛宕神社は円福寺(新義真言宗江戸四箇寺)が別当でした。円福寺が廃仏毀釈により廃されると、真福寺に勝軍地蔵像は祀られていましたが、関東大震災で焼失しました。

関東大震災 愛宕山より見たる芝 京橋一帯

愛宕山雪景眺望の図(山本昇雲画)  愛宕神社男坂 明治期  溝は櫻川  ※風俗画報より

 

    愛宕 真福寺-江戸の寺院を知るlink

おそらく江戸期の勝軍地蔵お姿を手に入れましたので、添付します。

愛宕権現 勝軍地蔵

愛宕権現 勝軍地蔵

 

森末義彰氏の東京文化財研究所刊行物リポジトリPDFが為になります。リンク

 

愛宕権現で行われていた強飯式と思います。

 

歌川広重の名所江戸百景から愛宕下藪小路です。赤い門が真福寺です。

愛宕下藪小路の錦絵

 

 

御本堂をお参りすると写経を行っていました。

今日は御本尊薬師如来の縁日でもあり、正午にお護摩も行われていました。

 

上がらせていただき写経の邪魔にならないよう、脇の方から小さい声でお唱え致しました。

 

経本を送っていただく手配をした後、愛宕神社にお参りしました。愛宕神社ブログ

 

愛宕下絵図

 

 明治になり多くのお寺が廃されたり、移転したことが江戸の地図を比べると分かります。

 

愛宕曼荼羅

 

勝軍地蔵曼荼羅 エンセンジブログlink

 

勝軍地蔵掛軸とお姿は、ほとんどを真福寺に奉納致しました。

 

烏森神社参拝 東京都港区

新橋駅から別院の真福寺に向かう途中、烏森神社にお参りしました。

変わった形の鳥居です。

 

烏森稲荷ですから狛犬でなく普通は狐ですが、何かいわれがあるのかもしれません。

 

由来に書いてありますが、天慶の乱の戦勝祈願を藤和秀郷がここで行ったと伝えられています。

円泉寺境内の妙見菩薩(二代目)は、平将門関連ですから、お参りするのはおかしいと言われかねません。

智山派には成田山もあります。古い寺社は平定の祈願をしているところが多く、お参りできなくなりますので、ご勘弁ください。

 

 

愛宕から新橋駅に帰るサラリーマンが、大勢寄るのがこのあたりの飲み屋さんです。

私はお酒が飲めませんので、学生の頃から真福寺に寄った帰りは、美味しい物を買って帰りました。

 

順番は違いますが、新橋駅前のC11です。

機関車が走るのをほとんど見なくなりました。

記憶では10年以上前、秩父鉄道で偶然見たのが最後です。

 

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