平将門

ハ菅神社と「相模国ハ菅修験」展 神奈川県愛川町

十年ぶりぐらいにハ菅(はすげ)神社にお参りに行きました。
神奈川県愛甲郡愛川町八菅山139
 
 
 
今は圏央道がありますので、一時間ぐらいで到着です。
 
廃仏毀釈前は、「ハ菅山八社権現」と言われ、聖護院末の修験の寺でした。
 
和銅2年、行基菩薩が七社権現の寺を建立したと伝えられています。
後に大宝8年、役小角が訪れハ菅山として名付けられました。
別当光勝寺他、五十数坊があったと伝えられています。
 
現在は3月28日に火渡り祭が行われています。
 
 
光勝寺総門跡
 
ここからしばらく行くとハ菅神社に到着です。
 
 
 
 
かなりの急階段でした。帰りは女坂から降りました。
 
八菅神社覆殿
 
 
友人は革靴で登りました。滑るから注意しましょう。
 
九曜紋
 
 
 
宝物館
 
前回来る前に調べた時は、メモに
現宮司は千葉姓、他に修験の元安養院は相馬姓で将門を祀っていた。妙見様との関連も伝えられている。八菅修験の本拠地。
 
この時いた受付のおばちゃんは、千葉さん(宮城県出身、たまたま宮司さんと同姓だった)。
 
現在の宮司は古賀氏だそうです。
 
今回訪れたとき、宝物館に人がいたので、少しお話を聞きました。
愛川町資料館の学芸員のようでした。
 
妙見菩薩と平将門のことは知らないとのことでした。
今回実際調べても関連はどこからも出てきません。
千葉氏と相馬氏ですから妙見菩薩、平将門との関連はあると思うのですが。
ハ菅権現の紋も九曜星で妙見様、千葉氏、相馬氏。多分関連がありますね。
 
八菅山を超えた西側は、
日吉神社(妙見社) 厚木市下荻野子合の妙見社元別当・妙見寺(廃寺・曹)
この近在には、日吉神社が何社かある。
各地の日吉神社と妙見菩薩の関係も少なからずあるようです。
 
※毛利元就の祖は大江広元。源頼朝から相模国毛利庄屋(現在の厚木市)を領地としてもらった。
 
鐘鋳神社(元妙見社) 神奈川県厚木市中荻野
「銅座金山荻野の名所銅座コネーカ金掘りに」といわれ、銅鉱があった。鋳物師が住んだらしい。
 
妙見様は鉱山とも深い関連があります。ハ菅神社とも何らかの関係もあったかもしれません。
 
 
学芸員さんから今月10日より「相模国ハ菅修験」展が「愛川町資料館」 であると教えていただきました。
 
愛川町資料館「相模国ハ菅修験」展 link     資料館link
 
  神奈川県愛川町半原5287  地図
  「県立あいかわ公園駐車場」から歩くようです。
 
 
 
興味のある方は、ぜひ行ってみてください。
宮ヶ瀬湖も近そうです。   link        link2
郷土資料館入館  無料
県立あいかわ公園駐車場  普通車500円   愛川町半原5423
 
私も後日行ってみます。
 
 
追記  「ハ菅修験」展に行ってきました。link
 
追記 2016/11/20
ハ菅神社はやはり妙見菩薩、平将門公の伝承があったようです。
※青木祐子先生の「榛名山東南麓の千葉氏伝承」を参照してください。  link
※村上春樹氏(国文学者)の「将門伝説」(吸古書院)に書かれています。
 
 
 
ハ菅修験の安養院は、相馬姓を名乗り、平将門を高祖として仰ぎ、将門像を祀っていた。明治以降は外部に秘していました。
現在は他所に転出し、そちらに保管されています。
 
 

松下社と末社・蘇民祠-伊勢市二見町

今回は私を含め6人での伊勢神宮を含む寺社の旅となりました。

以前伊勢神宮にお参りしたおり、「蘇民将来子孫之家門(そみんしょうらいしそんのもん)」のお札を付けた注連縄が、お店の軒下に一年中吊してあることを知りました。

伊勢の将門ブログ   

 

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このお札を配布する松下社の蘇民祠にどうしても行きたくなり、急遽行程に入れていただきました。

 

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2016829172042.jpg蘇民祠 祭神は蘇民将来
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松下社  祭神は須佐之男命・菅原道真・不詳一座

 

松下社の祭神は牛頭天王でした。その脇に関連する蘇民将来を祀ったのが蘇民祠です。

午頭天皇Wikipedia   

かつては加木牛頭天王様と呼ばれ、明治になり廃仏毀釈のため、同神と言われる素戔嗚尊に代えられています。日本中の牛頭天王をまつる社・天王社・祇園社は八坂神社や地元の名を付けた神社に名称を代えられました。

今でも八坂神社の祭礼を天王様(てんのうさま)と言っている所が多いと思います。

午頭天王と素戔嗚尊に関連する蘇民を祀る社が神仏分離により影響を受けても、蘇民将来子孫之家門のお札が残っただけでなく、伊勢や鳥羽の地区によく根付いていると思います。

蘇民将来Wikipedia   

ただ、このお札が将門(まさかど・平将門)とも読めるため、「笑門」に代えた家もありました。

 

お伊勢様に関連する「伊雑宮(いざわのみや)」の周りは笑門がほとんどでした。

 

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松下社は緑が多く、蘇民の森として知られています。

境内には根元に空洞のある樹齢約1800年大クスがあります。

 

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楠の木

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大きな空洞の根元

 松下社の東側には、二見しょうぶロマンの森があり、初夏の頃には約4万株100品種以上の花が咲き揃うようです。

 

松下社のすぐ隣は「民話の駅 蘇民」がありますので、ここを目指して行かれるのが良いと思います。

 

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松下社駐車場より撮した民話の駅・蘇民

 

民話の駅 蘇民」  三重県伊勢市二見町松下1335 HP

 

蘇民将来の注連縄は、10月中旬ごろから通販でも求められます。「蘇民将来注連縄 通販」検索してみてください。

1,000円から6,500円ぐらいと差があります。高価な注連縄ほど豪華なようです。

 

飯能市の平将門伝説

地元飯能市の将門伝説の所は、良く出かける地でありながら、書く機会がありませんでした。

たまたま来られた平将門公信者の方と三ヶ所お参りしてまいりました。

 

天覧山
平将門がここの山頂に布陣して、平秀郷軍と戦いました。そのおり、七日七夜、血の雨が降り続いたと伝えられています。ちなみに川上監督・長嶋監督は、ここの檀家さんです。

 

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天覧山 能仁寺   飯能市飯能 1329

 

飯能市矢颪・征矢(そや)町・矢の根(川寺内)
平将門が矢颪の山より藤原秀郷の軍に向けて矢を放ち、一本はここに落ち「征矢神社」として祀られました。一本は川寺(矢の根)に落ち、祀ったのが「射宮祠」(大光寺内・川寺395-11)と伝えられているそうです。

 

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征矢神社  飯能市征矢町26-1

 

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浄心寺  飯能市矢颪222

 

飯能市平松
妙見堂の妙見菩薩は、将門公配下の家臣が当地に隠れ住み、代々自宅に祀っていましたが、今から180年前にこの場所に祀りました。ご本尊「妙見菩薩」(みょうけんぼさつ)は二代目になっています。

 

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円泉寺妙見堂(当寺)  飯能市平松376

 

当寺に妙見菩薩、平将門公のことを聞きに来られる方が、かなりおります。但し、私は学者でも郷土史家でもありません。専門家と思ってこられると、ガッカリすると思います。

特に土日に来られる方が多いのですが、住職不在になることや、葬儀、法事などで対応できないことが多々あります。できる限りお電話にてご連絡ください。

 

円泉寺(えんせんじ)  電話042-973-5716

妙見菩薩・平将門資料集 リンク     

 

平将門 ブログ     

 

東京の平将門を祀る寺社    リンク       

 

   東京の反平将門系寺社  ブログ       

 

国王神社   茨城県坂東市        

 

   

渡辺綱の生地 埼玉県鴻巣市箕田(こうのすしみだ)

以前この地を訪れて、たまたま氷川八幡神社神社に参拝致しました。そのおり渡辺綱(わたなべのつな)(源綱・953-1025)がこの近くで生まれたことを知りました。豪傑として知られ、頼光四天王の筆頭として知られています。

謡曲、歌舞伎、浮世絵で広く知られました。

渡辺綱 一條戻橋の場 歌舞伎座 明治23年

東京都港区三田の説もありますが、調べてみると平良文(たいらのよしぶみ)と 綱の父・源宛(みなもとのあつる・933-953)との関係からも、ここに間違いないと思います。

京都か大阪で生まれたと思っている人も多いようです。私もかつてはそう思っていました。

 

源宛は源経基(みなもとのつねもと 未詳-961)に仕えていましが、わずか21歳でなくなりました。幼少だった綱は、摂津国西成郡渡辺(現大阪府大阪市中央区)に移り住み、叔母に養われました。ここの姓を名乗り渡辺姓の祖となりました。源頼光の四天王として知られています。ただし、坂田金時(足柄山の金多郎)が一番知られているかもしれません。

日本全国で6番目の姓ですが、綱系の子孫の渡辺姓が一番多くいます。  渡辺氏Wikipedia

渡辺の紋は、渡辺星(三つ星に一文字)がよく知られています。上の星はオリオン座の三星で中国における将軍星、一は武運長久や無敵を意味するそうです。

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渡辺綱生地伝説 港区三田ブログ   渡辺綱Wikipedia

 

源宛Wikipedia  源経基Wikipedia  平良文Wikipedia

 

氷川八幡神社、宝持寺の北側当たりから、満願寺と氷川神社にある箕田2号墳南側付近が発掘調査から箕田源氏の館跡と推定されているそうですす。伝箕田氏館(久右衛門遺跡・鴻巣市箕田)。 

 

満願寺       鴻巣市箕田1345  地図

  源経基、あるいは源頼義が創建したと伝えられています。源宛の館がこの南にあったと言われています。 源頼義Wikipedia

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ここの南側が箕田源氏の館跡と考えられています。

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お寺の東にある大御堂は、源経基が阿弥陀三尊を安置する場所を決めるために放った矢が落ちたところと伝えられています。

 ここの北側近くに「武蔵水路」があります。以前は漏水や地版沈下の心配があったようですが、味気ないようでも安心が一番です。

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氷川神社     鴻巣市箕田1260  地図  お隣の家が表示されます。 

  箕田2号墳の上に小さな社があり、別名・三氏塚とも言います。源任と妻子の墓とする古記述があるそうですが、時代が合わないようです。

     満願寺の東脇を南に行くと、すぐの場所にあります。かつては多くの古墳群があったようです。 遺跡マップ

2016526202123.jpgもっと大きな神社と思っていました。でも趣があります。
2016526202239.jpg箕田2号墳

 

氷川八幡神社 鴻巣市箕田2041 地図

  源宛(綱の父)が勧請した八幡宮と源経基(頼朝、義経などの先祖)が勧請した氷川社を合祀した神社です。

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ここの北側が綱の生まれた屋敷跡らしい。

2016526193250.jpg箕田碑には渡辺綱辞世の句や芭蕉・鳥酔の句が彫られています。

鳥居脇の通りに面した場所には、箕田源氏と氷川神社に関する分かりやすい解説版があります。

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宝持寺     鴻巣市箕田2034  地図             

  渡辺綱が祖父・源仕(みなもとのつこう)と父・源宛の菩提を弔う為に創建したと伝えられています。

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寺宝に渡辺綱が鬼を退治した刀があります。

2016526191819.jpg全国渡辺(部)会・嵯峨源氏顕彰会による顕彰碑。左脇には嵯峨天皇から綱などの系譜が彫られています。いけばな「創美流」の家元さんが全国渡辺会事務局長のようです。 創美流リンク
 

 

箕田観音  鴻巣市箕田3755    地図   箕田自治会館が同じ敷地にあります。

   渡辺綱の守り本尊を祀っていたと伝えらてれます。

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箕田観音前バス停が目印です。

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お寺の紋は渡辺の紋でした。

 

伝源経基屋敷跡    鴻巣市大間(埼玉県立上尾高校のすぐ南側)   伝源経基館跡Wikipediaリンク

源経基は、足利氏、新田氏、武田氏、源頼朝・義経など名門清和源氏の先祖です。ただし、武将としては尊敬できる人物ではありません。権威を笠に着た卑小な役人のイメージがあります。

綱が仕えた源頼光の祖父に当たります。綱は頼光四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)と言われました。。
ここでの縁があり、頼光に仕えることになったのでしょう。

 

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周りは土塁に囲まれています。

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北側が鴻巣高校。

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六尊王経基城址の石碑

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地主が市に寄贈したのだそうです。なかなか出来ることではありません。

 

源経基と武蔵武芝の争いに平将門が間に入り、天慶の乱(天慶2年939)の遠因となっています。 綱の父・源宛はまだ幼少でしたので、この戦には参戦していません。祖父の源仕(みなもとのつこう)は可能性があります。

天慶の乱以降に源仕・宛が経基に従い他の国にも行ったのかも不明です。

この乱が無ければ、源氏も平家(平清盛など)も後世歴史の表に出なかったかもしれません。室町幕府、鎌倉幕府は無かったでしょう。

 

※鴻巣市は武蔵(无邪志)国造の笠原直使主、清和源氏の祖先・源経基、全国の渡辺姓の大本・渡辺綱など超大物がいた土地です。地元の幾人かと話をしたのですが、このことを全然知らない人ばかりでした。私もほとんど知らないことばかりでした。

さらに鴻巣市に国府が置かれ、日本一の古墳群である生出塚古墳群(おいねづかこふんぐん)、東日本最大級の埴輪生産遺跡・生出塚埴輪窯跡(おいねづかはにわかまあと)があります。

人形の町鴻巣として、少しは知られていますが、もっと地元や他の地区の方々に知ってもらいたいですね。

 

埼玉県幸手市の将門の首塚と平将門関連寺社など

幸手市近辺には平将門公関連、あるいは反将門公関連の寺社があります。

併せて近在の気になる寺院も行って来ました。

 

将門の首塚-浄土真宗東本願寺派系単立 通光山浄誓寺  幸手市神明内1469

 

ここは相馬小次郎さんの「将門ブログ」で始めてし知りました。将門公の記事がふんだんに掲載されています。

リンク

大変な労力ですね。 しばらくぶりに覗いてみると、さらに充実していました。

 

ここと次の宝聖寺は二度目の訪問です。

ここの首塚については、藤原秀郷と平貞盛の連合軍に敗れ、下総国猿島郡で討たれた将門公の首を愛馬が口で咥えてここに運び、配下の武将が納めたという説と、この地で討ち死にしたため、ここに首を納めたとの、二つの説があるようです。

江戸初期までは幸手は下総国葛飾郡に所属していました。将門公関連の地域に接していたわけです。

浄誓寺の案内板には、この地で討ち死にしたとあります。

ちなみに

  1. 東京都大手町の首塚は、京都から飛んできて落ちたことになっています。
  2. 岐阜県大垣市の御首(みくび)神社は美濃国南宮大社の隼人が、飛ぶ首を矢で射落とした所だそうです。
  3. 静岡県掛川市十九首の十九首塚(じゅうくしょづか)は、将門と家臣合の19人の首塚と伝えられています。

 

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首塚の五輪塔

 

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将門の首塚

 

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浄誓寺山門

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首塚は本堂の裏にあります。

 

真言宗豊山派 大鱗山宝聖寺   幸手市平須賀2-457

 

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この宝聖寺はかなり格式が高く、江戸時代は十三石を賜っていたそうです。

 

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山門前右手にある六地蔵さん。

安永7年

 

将門降伏に用いたという松虫鈴(銅鈴)と藤原秀郷が将門討伐を祈願して奉納した不動明王の干支軍配団扇が寺宝になっています。

 

八幡神社と木立の地

 

八幡神社(幸手市木立)は将門公と戦った藤原秀郷が対陣した場所。木立の地名は将門公の子孫の公達(きんだち)が住み着いたで、昔は公達村と云われたとのこと。

 

浄土宗  聖福寺  幸手市北1-9-27

 

ここからは将門公とは関係なくなります。

ここは幸手宿にあり、日光東照宮へ行く徳川家光や天皇の代理で参拝した例幣使(れいへいし)の休憩所となっていました。大変格式のあるお寺です。

 

2016419231311.jpg勅使門(市指定有形文化財)

 

ここの境内は幼稚園になっており、中には入れませんでした。元気なお子様の声が響いています。

 

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参道入り口には、芭蕉と曽良の句碑があります。

 

幸手を行ば栗橋の関  芭蕉

松風をはさみ揃ゆる寺の門  曽良

 

真言宗豊山派 龍燈山永福寺  北葛飾郡杉戸町下高野 396

 

幸手のお隣にある施餓鬼寺として知られるお寺です。関東三大施餓鬼「どしょう施餓鬼」の一つだそうです。毎年8月22日・23日の2日間行われます。

儀式に出仕する僧侶の数も多く、多くの檀信徒の参列する大きな法要がいとなわれます。

永福寺 リンク

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閻魔堂の閻魔様と脱衣婆

 

永福寺は杉戸七福神の寿老人の札所でした。

色紙を求めると本堂前においてある御朱印のスタンプは各自押すようになっているようです。

 

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寿老人像

 

全くの番外ニュース

 

幸手市の宝聖寺近くの旧幸手高校の近くを通ると、送電線で8人の人が作業をしているのがみえました。

 

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これでは分からないでしょう。

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拡大してみると作業員です。

 すごいですね。何を行っているかは分かりませんが、初めて見る光景です。

圏央道の幸手IC入口からも見えました。

 

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圏央道の幸手IC入口

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ちなみに幸手高校は幸手商業高等学校と再編統合し、旧幸手商業高等学校の所在地で埼玉県立幸手桜高等学校として開校しまた。

幸手市で日本保健医療大学を運営する学校法人共済学園が跡地を購入したようです。

懐かしい学校がなくなるのはさみしいですね。少子化のため日本全国で、このようなことが起きています。

 

かつて一自治体に高校が一校は欲しいとの思いがあったことをよく耳にしたことがあります。人口の少ない、ここより通学に不便な地域に、ずいぶんできたなあと思ったことがありました。

 

全くの番外ニュース②

 

今回各お寺に参拝して気がついたのは、中には入れなかった聖福寺を別として、他の三ヶ寺が永代供養の納骨施設があることでした。

5年前にはほとんどのお寺に無かったと思います。浄誓寺、宝聖寺に来たのは二度目ですが、かつてはありませんでした。

 

当円泉寺は檀家さんが三件絶えたことと、新たに絶える家が何軒もあり無理して建てた訳です。

他の寺の御住職に聞いても似たようなことを言い、いずれ建設しようと思っているようです。

 

さて、三ヶ寺の施設をご紹介します。

 

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浄誓寺

 

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永福寺

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宝聖寺

 どうでも良いことだったかもしれませんが、時代の移り変わりを感じる建設物です。

少子化はいくつもの学校が無くなり、永代供養の施設が増える原因の一つです。

 

三ヶ寺とも参道や本堂脇にあり、お参りしやすくなっています。お墓の中にある施設もありますが、誰にでも手を合わせていただける場所がいいですね。

 

関宿城博物館 関宿城跡-千葉県野田市 & 移築遺構

千葉県立関宿城博物館

お墓参りのついでに関宿城博物館と幸手市の平将門関連のお寺などを見学してきました。今回も運転はAさんです。

圏央道が「境古河」まで開通しましたので、気軽に行けるようになりました。飯能市から菖蒲PAに寄っても一時間かかりませんでした。以前来たときは二時間以上かかっていました。

ちなみに行きも帰りも自衛隊の車両がいっぱい走っていました。PAでは若い隊員がたくさんいました。これからの大変な任務に頭が下がります。

 

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千葉県立関宿城博物館

 

実際のお城の姿ではありません。城跡もここの南方の少し離れた広い田んぼの部分だったようです。

 

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博物館入り口

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かなり広い敷地です。

 内部は写真がだめでしたので詳しく説明できませんが、関宿城の歴史、関宿の水運、繁栄する様子、たびたび決壊する江戸川の被害と対策などが分かりやすく展示されています。

江戸まで利根川や江戸川をたくさんの舟がお米、醤油、みりん、紬など積んで行き交い、水運の要として、関宿が重要な役割を果たしていました。

 

以前ブログに書きましたが、河川決壊のたびにコレラなどが蔓延し、医療による対策以外にもいろいろな神仏に頼りました。

その中で知られていない摩多利神(またりじん)が野田市に何カ所か祀られています。  摩多利神ブログ リンク

 

敷地の南側には川を浚渫(しゅんせつ)した器機が展示されています。

 

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駐車場南側

 

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水路浚渫機

水路だけでなく陸上も走れます。

201641918513.jpg浚渫船「山王丸」

江戸川流頭部中之島公園

行きませんでしたが、対岸の茨城県五霞町にあり、博物館から橋で渡り約2分で行けます。

 

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案内板  江戸川流頭部中之島公園リンク

 

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橋を渡って2分

2016419182725.JPG奥の方です。

洪水を避けるため設置された「関宿水閘門」や日本一大きな「コブシの木」などがあり、散策に便利なように整備されているそうです。博物館の四階(天守)から遠望できます。

 

関宿城跡

 

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下の図を見ると一部が土手や河川敷に含まれているのが分かります。

 

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三の丸の角には牛さんがいました。

 

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関宿城跡の公園

 

2016419191721.jpgほとんどが田圃です。
201641919191.jpg公園からはかなり離れて博物館がみえます。

 

大政奉還後、お城は取り壊され、堤防工事と洪水とのためもあるのでしょう、遺構もほとんど残されていませんでした。次にあげる移築された建物だけのようです。

 

移築された建築物

本丸御殿

実相寺客殿  野田市関宿台町2140

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明治4年(1871年)に本丸新御殿の一部を移築されました。

歴代家老職や久世家家臣の墓、終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎の墓があります。実相寺は久世家歴代の藩主の菩提寺でしたたが、お墓は現在は本妙寺(東京都豊島区巣鴨5丁目35−6)に移されています。

牡丹や藤が、あと少しで見盛りです。

埋門

民家 野田市東 高野94

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明治8年(1875年)に競争入札により小林家に移築されました。

誰でも外から見学が出来ます。

見学者用駐車場が門の西側にありますが、カーナビでは東側に示されることもありますので、西側に行くようにして下さい。

 城門(薬医門)

逆井城公園  茨城県猿島郡猿島町逆井1262   リンク

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明治8年競争入札で猿島町の鶴見家に移築され、後にここに移築されました。

復元された戦国時代の砦、移築された主殿や観音堂も見所です。広い敷地には土塁・空堀が残されており、良く整備されています。桜やツツジがたくさん植えられています。

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逆井城公園

大手門

とんかつ合掌   栃木県下野市下石橋134-1

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幕府の命により戦争資金徴達の為に武蔵鷲宮の資産家に売却し、解体して船で運ばれ移築されまし。

昭和53年に移築再建されました。

お店の隣にあり、良く整備されています。前はお店の駐車場にもなっています。

丁度昼時でしたが満席で順番待ちでした。

201642219252.jpgとんかつ合掌

 


幸手市は次回に致します。

 

伊勢の将門-独特なしめ縄です

平将門が伊勢にいたわけではありません。

伊勢のお詣りの時、お店の入り口には、正月でもないのにしめ縄が掛かっているのに気がついた方も多いと思います。伊勢志摩では一年中掛けたままなのだそうです。

中央に「蘇民将来子孫家門」の木札が墨書きしてあります。蘇民来子孫家の文字がの間にあります。

 

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蘇民将来子孫の家の意味は、スサノオノミコト(牛頭天王)に由来します。詳細はいろいろなサイトに出でいますので、参照して下さい。

発祥の地-蘇民の杜-松下社

蘇民将来 Wikipedia       注連縄  リンク

通販もあるようですね。

 

平将門に通じると「笑門」としたしめ縄もあります。笑う門には福来たるですね。

 

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いくつかのしめ縄を掲載します。

 

201646215335.jpg千客万来もあります。
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20164622015.jpgお多福もありました。
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赤福では蘇民将来子孫家門でした。

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虎屋は千客万来でした。

 

「蘇民将来子孫家門」が多いようです。

 

伊勢志摩で見られる注連縄は、伊勢の西郊・玉置町で造られています。 PDFリンク

 

場所は変わりますが、京都にはいろいろな注連縄があるようですが、祇園当たりの民家やお茶屋さんでも伊勢に似た「笑門」と書かれた注連縄が一年中飾ったままだそうです。

近くの八坂神社は元々は祇園社ですが、祭神はスサノオノミコトでした。伊勢志摩と同じような由来があるのですね。

 

さて、どうして注連縄と書くのでしょう。検索で語源を調べると色々出てきますが、「おしえて!goo」の答えが一番気に入っています。 

おしえて!goo  リンク

さらにここからリンクされてある総務省の「官報資料集」最後に言葉の履歴書「しめ飾り」があります。開いたら一番最後を読んでください。なぜ官報資料集にと思いましたが、何かと堅苦しい資料集にこのような試みはいいですね。

官報資料集  リンク

 

私が調べていた妙見菩薩シリーズの内「平将門」PDFをリンクします。興味がある方は見て下さい。  リンク

 

追記 2016/08/29

松下社と末社・蘇民社-伊勢市二見町 ブログ

 

成田山新勝寺清滝権現堂

 

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清滝権現堂

201621120227.jpg成田山新勝寺大本堂

 

成田山は円泉寺と同じ真言宗智山派ですが、月とすっぽんの違いがあります。

成田山は当派の大本山、当寺はほとんど知られていない小さなお寺です。

なお、成田山は平将門調伏の御祈願で有名なお寺ですが、円泉寺の妙見様は平将門関連の御尊像です。 円泉寺妙見堂

神田明神や将門公関連の地区では、成田山へのお参りは許されない行為です。

 

デモねー、成田山や関連寺院には同じ智山派ですので知り合いがいっぱいいます。友人の成田山の弟子にご法事を手伝ってもらったこともあります。

同宗派ですので、行かなくてはいけないときもありました。

 

今日は成田山法類会があるようです。全国から来ているのでしょう。駐車場には仙台ナンバーに乗っている僧侶がいました。

一人知っている僧侶の姿がありました。時々会う後輩もいるかもしれません。携帯で連絡しようかとも思いましたが止めておきました。

 

今回の目的は、妙見様を調べている私は、今回清滝権現堂に祀られている妙見菩薩をお参りに行くことでした。

清滝権現堂には清龍権現と共に地主妙見菩薩が祀られています。

妙見様は成田山がここに移ってくる前からの地主神だそうです。

 

でも不思議ですねー。千葉県内の妙見菩薩、特にこのあたりは、平将門の子孫(一族?)が関連していますよね。おそらくここもそうだと思います。

千葉氏系の妙見様が祀られている所に、近くの君津ヶ原から成田山が引っ越してきたわけでしょうか?。

 

と言いながらも、当円泉寺は平将門を倒した藤原秀郷の末裔と言われる佐藤さんが20件ほどいます。

さらに地元の檀家さんで、成田山の御護摩札を毎年申し込んでいる家もあるのです。

 

千葉県や茨城県では、成田山にはお詣りに絶対行かないと言う人を何人も知っています。

神田明神の氏子さんも当然そのように言っているわけです。

当寺は住職も檀家もいい加減と言われても仕方がないですね。

 

と思ったら、成田山の歴史に文治四年(1188)に千葉常胤(平将門の子孫)が成田山の本堂を再建とありました。

本当に成田山新勝寺は、平将門調伏の寺なのでしょうか?。

 

ちなみに八王子市の成田山伝法院にも妙見様は祀られています。

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成田山傳法院

 

併せて成田山の各施設もお参りしてきました。

 

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総門

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三重の塔

 

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201621121418.jpg出世開運稲荷

 

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奥之院

 

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光明堂

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多宝塔

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境内の梅

 

大本堂の裏は成田山公園があり、自然いっぱいの空間があります。

 

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あまり人が訪れていませんが、ここはぜひ訪れていただきたい場所です。

 

2016211212829.jpg梅林
201621121296.jpg聖徳太子堂

 

もう一つ平将門公有縁の方々には怒られそうな話しです。

実は円泉寺の紅梅の幹で染められた和紙に、あるかな書道の先生が和歌を書かれました。

その作品が成田山書道美術館に納められています。

美術館に見学に行きましたが、館員の方にも先生にも将門公関連の寺であることは言えませんでした。

まさか成田山に奉納するとは思ってもいなかったからです。

 

高田嵩史の「QED ventus 御霊将門」には、成田山では平将門公を毎日供養していると書かれていました。

一度成田山の方に事実か聞いてみたいと思ったのですが、つい言い出せないでいます。

 

成田山ご本尊の古いお姿札です。

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成田山不動明王

 

帰りには参道のお店でお土産を買って帰りました。

 

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追記 2017/02/25

別の私のブログですが、平将門への疑問が少し撮れたように思います。

「鬼門の将軍」高田崇史著 平将門公は怨霊では無かった!

 

 

東京都多摩地区の平将門を祀る神社仏閣

多摩地区には平将門を祀る寺や神社が数多くあります。HP「妙見菩薩」の中の抜粋です。  妙見菩薩資料集 リンク

 

金剛寺  東京都青梅市天ケ瀬町1032  

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海禅寺   東京都青梅市二俣尾4丁目962  将門の位牌を祀る。  紋は七曜星

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 海海寺  将門の子孫・三田氏の墓

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天寧寺  東京都青梅市根ケ布1丁目454  将門の位牌を祀る。武蔵野風土記に記載なし?     

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鷹巣神社(将門明神)   東京都西多摩郡奥多摩町川井  不明

将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町鳩の巣(棚沢)

2016129181653.jpg旧多名澤神社

 ※将門山(三面不動尊)  棚沢・将門神社近く

 

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根元神社内将門神社  東京都西多摩郡奥多摩町氷川1804  峰畑より遷宮


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将門神社  東京都西多摩郡奥多摩町氷川字三ノ木戸

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三ノ木戸の道路の行き止まりから小道を左に折れ、すぐ。
四社が祀られている。どれかは不明。
 

絹笠神社  東京都西多摩郡奥多摩町氷川字絹笠  廃屋が並ぶ

将門神社  東京都西多摩郡奥多摩町氷川   氷川には三、四社あるようだ。
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奥多摩町氷川の山中より奥多摩町中心地  

 

※七つ石神社  東京都西多摩郡奥多摩町日原  山梨県との境  将門を祀る
             旧は、七つの石(将門の家臣の化身)がご神体

 

将門明神社 東京都八王子市上恩方

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筑波山神社と大御堂を参拝しました

2015117195317.jpg筑波神社
2015117195340.jpgケーブル近くの平将門公史跡

ここ十年以上妙見菩薩と平将門を調べていましたが、筑波山の麓には何回も行っていながら、まだお参りに行っていませんでした。友人に運転をお願いし、念願の筑波山参拝でです。

妙見菩薩資料集リンク

お参りは10月20日です。訳あって書き込むのが遅くなってしまいました。

 

平将門を支援した筑波の山伏は敗走し、各地に将門の伝承を残しています。但し事実関係は明らかではありません。

以前平将門関連と伝えられる当寺妙見堂を参拝しに来られた栃木県の醍醐派修験道寺院御住職は、近在の幾つかの古い寺院には平将門の言い伝えはあるが、妙見菩薩の伝承はなく、十一面観音であるとのことでした。

真言宗では妙見菩薩の本地は十一面観音様と言われています。松戸市の真言宗豊山派のある寺院は、平将門公関連ですが、本尊は十一面観音です。妙見菩薩の言い伝えはないようです。

当寺にとって都合の悪いことでもありますが、将門と妙見菩薩の伝承は、調べてみれば見るほど歴史的に合わないような気もしています。訳は言いたくないので書きません。ですから平行して十一面観音、妙見菩薩を含むいろいろな神仏の信仰が、妙見菩薩に収斂していったと考えることにしています。

昔の人々は、お不動様、観音様、お薬師さまなど、多くの神仏を信仰していました。戦国の武将の信仰を見れば、そのことが理解できると思います。

 

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ケーブルカーのすれ違い

2015117205151.jpg山頂駅

 

男体山山頂にも挑戦する予定でしたが、小学生の団体のケーブル予約があり、その前に降りないと長時間待たされるとのことでした。駅前広場には大勢の小学生がいました。

次の予定もあり、下山することに致しました。以前なら歩いて帰る気力もありましたが、ずいぶんと軟弱になってしまったと思います。

話は変わりますが、筑波山は古代には歌垣が行われていました。この習俗は現在も中国南部で行われて、未婚男女の求婚のの場となっています。以前テレビで放送されていましたが、大陸から多くの人がやってきた事の証明になっています。また、言霊信仰にも関連しているようです。

 

次は駐車場近くの筑波山大御堂です。

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大御堂

坂東三十三箇所第25番札所であり、廃仏毀釈以前は筑波神社と一体でした。一山は大和長谷寺系の僧侶が管理していました。大御堂は長谷寺系の真言宗豊山派寺院です。

 

昼食は遅くなり、1時半頃でした。

私の希望でお蕎麦になり、下山途中の筑膳にしました。

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筑膳

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大盛そば

 

大変美味しいお蕎麦でした。田舎そばで人によると上品さに欠けると感じる人もいるかもしれません。私好みで大正解のお店でした。

でも失敗もありました。大盛は必要ありません。普通盛りで十分です。

以前真壁に行ったときも地元の人に美味しいおそば屋さんを紹介して頂いたことがありました。筑波の山麓には多くの美味しいおそば屋さんがあるようです。

 

この後に笠間稲荷にお参りしました。

 

 

 

 

 

 

 

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