平将門

成田山新勝寺清滝権現堂

 

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清滝権現堂

201621120227.jpg成田山新勝寺大本堂

 

成田山は円泉寺と同じ真言宗智山派ですが、月とすっぽんの違いがあります。

成田山は当派の大本山、当寺はほとんど知られていない小さなお寺です。

なお、成田山は平将門調伏の御祈願で有名なお寺ですが、円泉寺の妙見様は平将門関連の御尊像です。 円泉寺妙見堂

神田明神や将門公関連の地区では、成田山へのお参りは許されない行為です。

 

デモねー、成田山や関連寺院には同じ智山派ですので知り合いがいっぱいいます。友人の成田山の弟子にご法事を手伝ってもらったこともあります。

同宗派ですので、行かなくてはいけないときもありました。

 

今日は成田山法類会があるようです。全国から来ているのでしょう。駐車場には仙台ナンバーに乗っている僧侶がいました。

一人知っている僧侶の姿がありました。時々会う後輩もいるかもしれません。携帯で連絡しようかとも思いましたが止めておきました。

 

今回の目的は、妙見様を調べている私は、今回清滝権現堂に祀られている妙見菩薩をお参りに行くことでした。

清滝権現堂には清龍権現と共に地主妙見菩薩が祀られています。

妙見様は成田山がここに移ってくる前からの地主神だそうです。

 

でも不思議ですねー。千葉県内の妙見菩薩、特にこのあたりは、平将門の子孫(一族?)が関連していますよね。おそらくここもそうだと思います。

千葉氏系の妙見様が祀られている所に、近くの君津ヶ原から成田山が引っ越してきたわけでしょうか?。

 

と言いながらも、当円泉寺は平将門を倒した藤原秀郷の末裔と言われる佐藤さんが20件ほどいます。

さらに地元の檀家さんで、成田山の御護摩札を毎年申し込んでいる家もあるのです。

 

千葉県や茨城県では、成田山にはお詣りに絶対行かないと言う人を何人も知っています。

神田明神の氏子さんも当然そのように言っているわけです。

当寺は住職も檀家もいい加減と言われても仕方がないですね。

 

と思ったら、成田山の歴史に文治四年(1188)に千葉常胤(平将門の子孫)が成田山の本堂を再建とありました。

本当に成田山新勝寺は、平将門調伏の寺なのでしょうか?。

 

ちなみに八王子市の成田山伝法院にも妙見様は祀られています。

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成田山傳法院

 

併せて成田山の各施設もお参りしてきました。

 

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総門

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三重の塔

 

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201621121418.jpg出世開運稲荷

 

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奥之院

 

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光明堂

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多宝塔

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境内の梅

 

大本堂の裏は成田山公園があり、自然いっぱいの空間があります。

 

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あまり人が訪れていませんが、ここはぜひ訪れていただきたい場所です。

 

2016211212829.jpg梅林
201621121296.jpg聖徳太子堂

 

もう一つ平将門公有縁の方々には怒られそうな話しです。

実は円泉寺の紅梅の幹で染められた和紙に、あるかな書道の先生が和歌を書かれました。

その作品が成田山書道美術館に納められています。

美術館に見学に行きましたが、館員の方にも先生にも将門公関連の寺であることは言えませんでした。

まさか成田山に奉納するとは思ってもいなかったからです。

 

高田嵩史の「QED ventus 御霊将門」には、成田山では平将門公を毎日供養していると書かれていました。

一度成田山の方に事実か聞いてみたいと思ったのですが、つい言い出せないでいます。

 

成田山ご本尊の古いお姿札です。

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成田山不動明王

 

帰りには参道のお店でお土産を買って帰りました。

 

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追記 2017/02/25

別の私のブログですが、平将門への疑問が少し撮れたように思います。

「鬼門の将軍」高田崇史著 平将門公は怨霊では無かった!

 

 

東京都多摩地区の平将門を祀る神社仏閣

多摩地区には平将門を祀る寺や神社が数多くあります。HP「妙見菩薩」の中の抜粋です。  妙見菩薩資料集 リンク

 

金剛寺  東京都青梅市天ケ瀬町1032  

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海禅寺   東京都青梅市二俣尾4丁目962  将門の位牌を祀る。  紋は七曜星

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 海海寺  将門の子孫・三田氏の墓

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天寧寺  東京都青梅市根ケ布1丁目454  将門の位牌を祀る。武蔵野風土記に記載なし?     

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鷹巣神社(将門明神)   東京都西多摩郡奥多摩町川井  不明

将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町鳩の巣(棚沢)

2016129181653.jpg旧多名澤神社

 ※将門山(三面不動尊)  棚沢・将門神社近く

 

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根元神社内将門神社  東京都西多摩郡奥多摩町氷川1804  峰畑より遷宮


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将門神社  東京都西多摩郡奥多摩町氷川字三ノ木戸

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三ノ木戸の道路の行き止まりから小道を左に折れ、すぐ。
四社が祀られている。どれかは不明。
 

絹笠神社  東京都西多摩郡奥多摩町氷川字絹笠  廃屋が並ぶ

将門神社  東京都西多摩郡奥多摩町氷川   氷川には三、四社あるようだ。
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奥多摩町氷川の山中より奥多摩町中心地  

 

※七つ石神社  東京都西多摩郡奥多摩町日原  山梨県との境  将門を祀る
             旧は、七つの石(将門の家臣の化身)がご神体

 

将門明神社 東京都八王子市上恩方

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筑波山神社と大御堂を参拝しました

2015117195317.jpg筑波神社
2015117195340.jpgケーブル近くの平将門公史跡

ここ十年以上妙見菩薩と平将門を調べていましたが、筑波山の麓には何回も行っていながら、まだお参りに行っていませんでした。友人に運転をお願いし、念願の筑波山参拝でです。

妙見菩薩資料集リンク

お参りは10月20日です。訳あって書き込むのが遅くなってしまいました。

 

平将門を支援した筑波の山伏は敗走し、各地に将門の伝承を残しています。但し事実関係は明らかではありません。

以前平将門関連と伝えられる当寺妙見堂を参拝しに来られた栃木県の醍醐派修験道寺院御住職は、近在の幾つかの古い寺院には平将門の言い伝えはあるが、妙見菩薩の伝承はなく、十一面観音であるとのことでした。

真言宗では妙見菩薩の本地は十一面観音様と言われています。松戸市の真言宗豊山派のある寺院は、平将門公関連ですが、本尊は十一面観音です。妙見菩薩の言い伝えはないようです。

当寺にとって都合の悪いことでもありますが、将門と妙見菩薩の伝承は、調べてみれば見るほど歴史的に合わないような気もしています。訳は言いたくないので書きません。ですから平行して十一面観音、妙見菩薩を含むいろいろな神仏の信仰が、妙見菩薩に収斂していったと考えることにしています。

昔の人々は、お不動様、観音様、お薬師さまなど、多くの神仏を信仰していました。戦国の武将の信仰を見れば、そのことが理解できると思います。

 

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ケーブルカーのすれ違い

2015117205151.jpg山頂駅

 

男体山山頂にも挑戦する予定でしたが、小学生の団体のケーブル予約があり、その前に降りないと長時間待たされるとのことでした。駅前広場には大勢の小学生がいました。

次の予定もあり、下山することに致しました。以前なら歩いて帰る気力もありましたが、ずいぶんと軟弱になってしまったと思います。

話は変わりますが、筑波山は古代には歌垣が行われていました。この習俗は現在も中国南部で行われて、未婚男女の求婚のの場となっています。以前テレビで放送されていましたが、大陸から多くの人がやってきた事の証明になっています。また、言霊信仰にも関連しているようです。

 

次は駐車場近くの筑波山大御堂です。

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大御堂

坂東三十三箇所第25番札所であり、廃仏毀釈以前は筑波神社と一体でした。一山は大和長谷寺系の僧侶が管理していました。大御堂は長谷寺系の真言宗豊山派寺院です。

 

昼食は遅くなり、1時半頃でした。

私の希望でお蕎麦になり、下山途中の筑膳にしました。

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筑膳

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大盛そば

 

大変美味しいお蕎麦でした。田舎そばで人によると上品さに欠けると感じる人もいるかもしれません。私好みで大正解のお店でした。

でも失敗もありました。大盛は必要ありません。普通盛りで十分です。

以前真壁に行ったときも地元の人に美味しいおそば屋さんを紹介して頂いたことがありました。筑波の山麓には多くの美味しいおそば屋さんがあるようです。

 

この後に笠間稲荷にお参りしました。

 

 

 

 

 

 

 

千葉氏の末裔、Sさんが香川県から来られました。

私が妙見菩薩を調べるきっかけになったのが、約20年前に訪ねてこられた入間市のSさんでした。
以前は良くこられていましたが、今はご夫婦の故郷である香川県に移られています。

 

香川ナンバーでした。

 

初めて来られた時は、私も少しは妙見様、平将門公のことは知っていましたが、あくまでもほんの少しです。

 

当山の妙見堂

 

平将門公の子孫で、妙見菩薩を信仰しているSさんは、私があまりにも知らないのにあきれたと思います。

みっともないので妙見菩薩、平将門公を調べ始めたきっかけを頂いたのがSさんだった訳です。

数年後、調べた資料を当山のホームページに掲載すると、今度は香川県から、また訪ねてきました。
私のホームページを見て、大変喜んでいたのだそうです。


車に四葉マークが貼ってありましたから70歳以上です。とにかく元気なお姉様です。今も変わりません。
なにしろ香川県から車を運転してきたのですから。あきれますね(失礼、すごいですね)。

数年前にも出羽三山参での帰りに来られました。あちこちの妙見様関連寺社にも詣でてきたそうです。

 

今回は、当寺の資料が板橋区郷土資料館で開催されている「武蔵千葉氏展」のことをお教えすると、早速行くとのことでした。

 

板橋区郷土資料館

 

それと共に、近くの東京大仏境内にある妙見祠と、松月院の武蔵千葉氏のお墓を併せてお参りすることもお薦め致しました。

話は変わりますが、今回貴重なお話しを聞きました。
香川県まんのう町で平成2年に発掘されたガラス玉(モザイク玉)が、なんと正倉院にあるガラス玉とも異なるササン朝ペルシャから伝わった物だったことが、今年になって明らかになったそうです。

 

奈良だけでなく、地方の豪族にも貴重な品か伝来していたことを示しています。

Sさんが来ると、毎回面白い話が聞けます。気がついたら1時間半も話しをしていました。
私は昨年の一月以上の入院後、内向きの気分でしたが、今回も元気を頂きました。

※調べてみると宮城県追戸横穴墓群出土のガラス玉も地中海沿岸や西域の特徴があるそうです。リンク

 

武蔵千葉氏展のご紹介-東京都板橋区立郷土資料館 平成27年9月19日~11月1日

過日板橋区立郷土史館の方がお見えになり、急遽資料として妙見様像、掛け軸などをお貸し致しました。

比較するために千葉氏とは関係ない能勢の資料、三井曼荼羅図などもお渡ししています。

板橋区立郷土資料館 リンク  地図 

 

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チラシと図録

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妙見菩薩像

 

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妙見寺 高崎市

 

 

平将門の子孫である千葉氏の末裔は鎌倉以降、全国に散らばりましたが、妙見信仰は受け継いて行ったようです。

鹿児島から青森まで、移り住んだ地域には、妙見様がまつられています。

明治以降になると北海道開拓に携わった方々は、相馬神社などを勧請してまつりました。相馬家宗家も北海道に移り住んでいます。

しかし、北海道では廃仏毀釈の関係で、元々妙見様をまつっていたことを忘れられているそうです。

 

千葉氏は室町時代になると鎌倉公方側と関東管領上杉氏側とに分かれ、それぞれ力を落としました。また、豊臣勢対小田原北条の結果、千葉氏は昔の勢いは全くなくなってしまいました。しかし、現在も各地に多くの子孫が残されています。

また、九州にいた千葉氏の宗家は、現在は柏市に移り住んでいます。   ホームページ       肥前千葉氏

 

 板橋区立郷土資料館   〒175-0092 板橋区赤塚5-35-25   

開館時間 9時30分~17時(入館は16時30分まで)

休館日  毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)・年末年始 展示換え・施設点検等で臨時休館する場合があります


  TEL 03-5998-0081              
  FAX 03-5998-0083               
  E-mail kyoudo@city.itabashi.tokyo.jp    

 

追記  次回は資料館に行ったときのブログです。  リンク

       

 

将門神社ー東京都八王子市上恩方

平将門伝承は、茨城県・千葉県だけでなく、埼玉県・東京都・山梨県にもあります。
戦いに敗れた将門公を支えていた人たちの中に、筑波の山伏がおり、山沿いに伝承が伝わったという説もあります。
私が住む埼玉県飯能市にも残っています。
 
妙見菩薩と平将門を調べていますが、東京都八王子市下恩方町の将門神社は他の方のブログで見てもすぐに見つからないこともあるようです。
私も苦労しました。
必ず交番や近在の方に聞きましょう。
 
 
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間違っても神社の正面から行くことは不可能です。
道に沿って、北に向かいます。
 
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将門神社前の畑は危ないです。草ぼうぼうで、猪が掘り返した跡ででこぼこです。
高低差があり、帰りは特に危険です。
まず畑から行きましたが戻り、あきらめて道沿いに行きました。以前参道はあったのかもしれませんが、山の中の方が、草に覆われていないぶん安全です。
 
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脇に入る道がありましたので、行ってみました。
 
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お墓に出たら左に行きます。
 
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畑の中は進まず、山の木に沿って行くことをお薦めします。
 
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将門神社
 
正面に横になった竹をどかして神社に向かいました、近頃お参りした人はほとんどいないようです。
念願の将門神社にお参りしましたが、何か寂しい帰途となってしまいました。
 
各地の神社仏閣を調べに行くと、崩れ落ちたり更地になった場所がたくさんあります。
檀家氏子の減少、高齢化、意識の変化など、これからどんどん加速していくでしょう。
 
 
 
 
追記
 
将門神社は他のブログから引っ越しました。
久しぶりにネットで検索してみると、将門神社(将門大明神)のホームページがありました。前の畑など刈り込んだ様子が分かります。
 
    将門大明神    
 
 

綿貫家妙見堂関連古文書

当山の妙見菩薩の由来を伝える文書は、当山檀家綿貫家に伝わる古文書のみであり、詳細は明らかではありません。

 

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将門公が戦いに敗れ討ち死にすると、配下の武将であった綿貫家の先祖であ平豊八は、将門公の念持仏である妙見菩薩像を守護し、代々守り通したと伝えられています。

Wikipedia平将門      

綿貫の名字は現在の群馬県高崎市綿貫より出たようです。

 

妙見菩薩像は今から180年ほど前に綿貫家より当山に移し祀りました。 

それから約十年後の弘化五年綿貫家六、七代前の分家で川越藩出入りの御用商人となった綿貫伊助が、、京の神祇官公文所の許可を得て、あらためて境内を高く盛り土し、お堂を建立して祀りました。

村民が総出で工事にあたったそうです。

 

しかし、私が入山した時は妙見菩薩像は祀られて無く、御幣のみでしたので、新たにお姿の御神紙を元に御尊像を彫っていただき祀りました。現在は二代目の御尊像となっています。

 

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妙見堂

 

私が入山後、あまりにも妙見様のことを知らなかったためにいろいろ調べた資料をホームページに掲載したのが「妙見菩薩資料集」です。

 

今年の9月19日より、東京都「板橋区立郷土資料館」において『特別展 武蔵千葉氏』が開催されるに当たり、この古文書はありませんが、私の集めた資料の一部が展示される予定です。

 

  埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺      ホーム  
 

 

神田明神

皇居の後に神田明神に団参です。当寺は平将門公に縁があり、お参りにまいりました。役員さんはほとんどが初めてでした。

神田明神の氏子さんは、成田山にはお参りしません。でも、寺の役員さんの中には私も含め、成田山にお参りしている人も何人かいるようです。

当寺は、成田山と同じ真言宗智山派に属しています。友人も成田山のお弟子さんが何人かいます。友人にご法事の助法を依頼したこともあります。いろいろなことでお付き合いがあるわけです。

しかし、檀家さんの中には、将門公の配下の武将だった家でありながら、成田山の御護摩札を頂いている人もいます。さすがこれには驚きました。

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20141011221210.jpg御本社
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現在資料館で平新皇将門公御真影を展示中です。
詳細は、神田明神ホームページを参照して下さい。
 

 今日は結婚式があり、お社の前で記念写真を撮っていました。何度かここにお参りに来ましたが、いつも平日でしたので、見たのは初めてです。


    

 

 

童子形の妙見菩薩

私は妙見菩薩関連のことを調べていた頃があります。
 
201491914551.jpg童子形  妙見菩薩
 
 
先日、「妙見菩薩」のテーマで、卒論を書く大学生が訪ねてこられました。
有名な妙見様関連神社のお膝元に住み、従兄弟もその神社に奉職しているそうです。
 
ご一緒に、妙見様に詳しい権禰宜さんも来られ、本などの資料を用意して、説明させていただきました。
私よりはるかに妙見様のことを知っている方なので、弱ったと思いましたが、たてていただいて助かりました。
私の資料集には、この時知ったのですが、その方の書かかれた社報から抜き出した文章もあったことでした。
 
学生さんは、担当教授の指導で、方向性を以て勉強していたようでした。
以前卒論のことで電話のあった方は、電話のみでした。
 
今回、特にお話ししたのが、「童子形妙見菩薩像」です。
 
学生さんですから、資料となる本などは図書館、古本屋さん、ネットなどで探したようですが、不十分だったようで、数冊お貸ししました。
古本など、約1.500円だった本が、今では30.000円にもなっているのもあるようです。それでは無理ですよね。
 
誰でもお貸しするわけでなく、今回はよく知っている妙見様関連のお寺さんの紹介だったことと、一緒に来られた方が、天神社宮司・西澤師の知り合いだったからです。
 
自分の住む地区の妙見様に対する、熱い思いを感じました。良い卒論になるでしょう。
 

童子形

10年前は、童子形の言葉も知りませんでした。
東京文化財研究所でのセミナーで津田徹英先生の「中世における中国道教神の受容をめぐって」をお話を聞き始めて知ったわけです。
私もここでのレクチャーで、文章や信仰だけで調べるのでなく、現実にある物から、何か見える物があることを知りました。
 
私が日本中の妙見菩薩を祀る寺社、山名、地名、川などを本、電子地図、ネット、直接見聞きしたことなどを参考にを集めたのは、平面から見える物もあるのではと思ったからでした。
 
中国において、11世紀頃から道教神である玄武の亀と蛇が絡み合った姿が、徐々に擬人化して玄武神(真武)となりました。
 
中世に千葉氏など有力氏族や寺院などが直接中国と交易をし、文物が直に日本に伝わって来るなかで、妙見菩薩として信仰され、日本的な変容があったと説明がありました。日本においては中国と異なり童子の姿での像容であることが大きく異なるとのことでした。
 
先生によっては、直接密教系の妙見菩薩が、童子形になったと思っている方もいます。それではなぜ亀に乗っているのか、蛇が絡まっている像があるのか理解できません。
 
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      玄武  →  擬人化(玄武神・真武神)  →  童子形妙見菩薩(日本)
 
 
日本における古い童子形の妙見菩薩像
    ※日本の美術  「中世の童子形」より
  •    「正安元年(1299)七月/藤原末友」との陰刻銘。紀年在銘妙見彫像の中でも現存最古に当たる。
  個人像・千葉県山武市成東
 
堀内神社   千葉県銚子市   千葉氏系・海上氏関連らしい。
 
  • 聖徳太子や妙見菩薩の童子形については、
 
                 日本の美術442 中世の童子形  著者:津田徹英  出版: 至文堂 が詳しいです。絶版
 
                 古本が、Amazon、スーパー源氏、日本の古本屋などで、手に入ると思います。
 
 
    オープンレクチャー  「中世における中国道教神の受容をめぐって」  リンク
 
 
私は古文書が読めませんので、日本各地にどのくらい妙見様が祀られているかに絞りつつ、あちこちに写真撮りと美味しものを食べるのを目的として出かけました。
 
調べ物の内容は豊かになりませんでしたが、私の体型だけは豊になりました。脱線。
 

今年のオープレクチャー

今回も津田先生のレクチャーがあります。
 
 
 
 
 
第48回オープンレクチャー モノ/イメージとの対話 のお知らせ
 
日時:10月31日(金)・ 11月1日(土)14:00~16:30 (午後1時30分~午後4時30分)
場所:東京文化財研究所・地下セミナー室
申し込み等、詳細はこちらをご参照ください。 
 
東京文化財研究所
〒110-8713 東京都台東区上野公園13-43
 
   詳細は東文研のホームページをご覧下さい。
   一流の講師のお話が聞けます。アマチュアにも分かりやすくお話ししていただけます。
 
 
〒357-0014   埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺   電話042-973-5716  
 
 

平将門

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妙見堂

 
円泉寺の妙見堂は、平将門の配下の武将が祀ったと言われる妙見菩薩を祀っていました。現在は二代目です。
脇侍として、秋葉大権現・金毘羅大権現もどのように祀られていたか分かりませんが、併せて祀られていたようです。
 
資料集 リンク
  

平将門

下総北部を地盤としていた平将門(まさかど)は常陸(ひたち)西部に館をもつ伯父の平国香(たいらのくにか)、良兼、良正らと合戦を繰り返しました。

   承平五年(九三五)常陸(ひたち)(茨城県)の国蚕飼川(小貝川)に戦ったおり妙見菩薩が将門と平良文の危機を救い、

   「自は上野の国、花園と云う寺に在り、汝(なんじ)若(も)し志あらば速やかに我を迎え取るべし。」と述べたと記されています。現在の群馬町妙見寺のことです。
 
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 「将門記(しょうもんき)」によると、将門は天慶(てんきょう)二年(九三九)平貞盛(さだもり)(清盛、織田信長の先祖)に挑発され、常陸国衙を焼き払い、国家に対する反乱の第一歩となりました。
 
    こののち下野(しもつけ)、上野(こうずけ)、相模(さがみ)など諸国の国衙をも制圧して、弟やおもだった従者を関東諸国の国守に任じ、みずから〈新皇(しんのう)〉と称しました。

   当時の朝廷は、藤原氏が政権を独占し、群盗がはびこる荒れた時代でした。この反乱は、律令体制からの関東の自立をはかったといわれ、武力による独立国家を主張したとも伝えられています。
 
   しかし天慶三年二月十四日、平貞盛、藤原秀郷(西行、奥州藤原氏の先祖)らの軍勢により、現在の茨城県坂東市(元岩井市) で、39歳(諸説在り)にて亡くなりました。

 戦いに敗れた将門の一族残党は各地に隠れ住むようになり、たくさんの伝説は、飯能市近在では秩父、青梅市・奥多摩町・八王子市から山梨の大月市に至っています。
 
   中央の歴史では、将門公は大悪人とされていましたが、当時の関東の民衆は、拍手喝采だったのでしょう。後々関東以北に将門公を悼(いた)み多くの神社などが建てられました。

 この流れが、鎌倉幕府の成立につながっていきます。幕府設立に尽力した坂東の勢力は、かつて将門に敵対した勢力も多いのですが、源頼朝をはじめ、将門反乱時に活躍した人々の子孫が数多くいます。

 鎌倉幕府設立は将門の意志を受け継ぐ敵討ちだったという人もいます。それは源氏対平家の戦いではなく、実際は平家(平将門勢)対平家(平貞盛、藤原秀郷勢)の戦いだというのです。頼朝配下に入った実力者の名前を見ればそのように思えます。

  源義経は、このことも理解していなかったための悲劇だったということでしょう。

 将門公を支援した勢力に筑波山の修験がいたという説があります。一族と共に逃れ住み、後世に山伏が多くの伝説を伝えたのだそうです。
 
   また、将門伝説(村上春樹著)によると、江戸時代の将門公に関連する演劇も伝説に大きな影響を与えているようです。

 江戸時代には将門を祀る「神田明神(神田神社)」は武州の総社、江戸の総鎮守となりました。神田祭は京の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭とされています。
 
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神田明神

 

平将門の関連する地区は、成田山にお参りに行かないのが常識ですが、円泉寺が属する真言宗智山派は、三大本山の内の一山が成田山新勝寺です。私は遠慮しながら行っています。成田山では、将門さんを供養しているようです。

私は平将門怨霊説を信じていません。今でも続いているなどと思うのは、この世に、あるいは何かに不満を持つ一部の人だけではないでしょうか。

各地の将門公を祀る寺社で、真摯に手を合わせれば、気持ちよく応じていただけます。いつもそのように感じています。

円泉寺では、妙見菩薩・平将門の資料集をホームページに掲載しております。興味のある方は、クリックしてください。

資料集          リンク  

国王神社 茨城県坂東市             

埼玉県飯能市の平将門伝説 ブログ  

 

 

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