平将門

武蔵千葉氏展のご紹介-東京都板橋区立郷土資料館 平成27年9月19日~11月1日

過日板橋区立郷土史館の方がお見えになり、急遽資料として妙見様像、掛け軸などをお貸し致しました。

比較するために千葉氏とは関係ない能勢の資料、三井曼荼羅図などもお渡ししています。

板橋区立郷土資料館 リンク  地図 

 

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チラシと図録

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妙見菩薩像

 

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妙見寺 高崎市

 

 

平将門の子孫である千葉氏の末裔は鎌倉以降、全国に散らばりましたが、妙見信仰は受け継いて行ったようです。

鹿児島から青森まで、移り住んだ地域には、妙見様がまつられています。

明治以降になると北海道開拓に携わった方々は、相馬神社などを勧請してまつりました。相馬家宗家も北海道に移り住んでいます。

しかし、北海道では廃仏毀釈の関係で、元々妙見様をまつっていたことを忘れられているそうです。

 

千葉氏は室町時代になると鎌倉公方側と関東管領上杉氏側とに分かれ、それぞれ力を落としました。また、豊臣勢対小田原北条の結果、千葉氏は昔の勢いは全くなくなってしまいました。しかし、現在も各地に多くの子孫が残されています。

また、九州にいた千葉氏の宗家は、現在は柏市に移り住んでいます。   ホームページ       肥前千葉氏

 

 板橋区立郷土資料館   〒175-0092 板橋区赤塚5-35-25   

開館時間 9時30分~17時(入館は16時30分まで)

休館日  毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)・年末年始 展示換え・施設点検等で臨時休館する場合があります


  TEL 03-5998-0081              
  FAX 03-5998-0083               
  E-mail kyoudo@city.itabashi.tokyo.jp    

 

追記  次回は資料館に行ったときのブログです。  リンク

       

 

将門神社ー東京都八王子市上恩方

平将門伝承は、茨城県・千葉県だけでなく、埼玉県・東京都・山梨県にもあります。
戦いに敗れた将門公を支えていた人たちの中に、筑波の山伏がおり、山沿いに伝承が伝わったという説もあります。
私が住む埼玉県飯能市にも残っています。
 
妙見菩薩と平将門を調べていますが、東京都八王子市下恩方町の将門神社は他の方のブログで見てもすぐに見つからないこともあるようです。
私も苦労しました。
必ず交番や近在の方に聞きましょう。
 
 
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間違っても神社の正面から行くことは不可能です。
道に沿って、北に向かいます。
 
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将門神社前の畑は危ないです。草ぼうぼうで、猪が掘り返した跡ででこぼこです。
高低差があり、帰りは特に危険です。
まず畑から行きましたが戻り、あきらめて道沿いに行きました。以前参道はあったのかもしれませんが、山の中の方が、草に覆われていないぶん安全です。
 
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脇に入る道がありましたので、行ってみました。
 
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お墓に出たら左に行きます。
 
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畑の中は進まず、山の木に沿って行くことをお薦めします。
 
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将門神社
 
正面に横になった竹をどかして神社に向かいました、近頃お参りした人はほとんどいないようです。
念願の将門神社にお参りしましたが、何か寂しい帰途となってしまいました。
 
各地の神社仏閣を調べに行くと、崩れ落ちたり更地になった場所がたくさんあります。
檀家氏子の減少、高齢化、意識の変化など、これからどんどん加速していくでしょう。
 
 
 
 
追記
 
将門神社は他のブログから引っ越しました。
久しぶりにネットで検索してみると、将門神社(将門大明神)のホームページがありました。前の畑など刈り込んだ様子が分かります。
 
    将門大明神    
 
 

綿貫家妙見堂関連古文書

当山の妙見菩薩の由来を伝える文書は、当山檀家綿貫家に伝わる古文書のみであり、詳細は明らかではありません。

 

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将門公が戦いに敗れ討ち死にすると、配下の武将であった綿貫家の先祖であ平豊八は、将門公の念持仏である妙見菩薩像を守護し、代々守り通したと伝えられています。

Wikipedia平将門      

綿貫の名字は現在の群馬県高崎市綿貫より出たようです。

 

妙見菩薩像は今から180年ほど前に綿貫家より当山に移し祀りました。 

それから約十年後の弘化五年綿貫家六、七代前の分家で川越藩出入りの御用商人となった綿貫伊助が、、京の神祇官公文所の許可を得て、あらためて境内を高く盛り土し、お堂を建立して祀りました。

村民が総出で工事にあたったそうです。

 

しかし、私が入山した時は妙見菩薩像は祀られて無く、御幣のみでしたので、新たにお姿の御神紙を元に御尊像を彫っていただき祀りました。現在は二代目の御尊像となっています。

 

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妙見堂

 

私が入山後、あまりにも妙見様のことを知らなかったためにいろいろ調べた資料をホームページに掲載したのが「妙見菩薩資料集」です。

 

今年の9月19日より、東京都「板橋区立郷土資料館」において『特別展 武蔵千葉氏』が開催されるに当たり、この古文書はありませんが、私の集めた資料の一部が展示される予定です。

 

  埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺      ホーム  
 

 

神田明神

皇居の後に神田明神に団参です。当寺は平将門公に縁があり、お参りにまいりました。役員さんはほとんどが初めてでした。

神田明神の氏子さんは、成田山にはお参りしません。でも、寺の役員さんの中には私も含め、成田山にお参りしている人も何人かいるようです。

当寺は、成田山と同じ真言宗智山派に属しています。友人も成田山のお弟子さんが何人かいます。友人にご法事の助法を依頼したこともあります。いろいろなことでお付き合いがあるわけです。

しかし、檀家さんの中には、将門公の配下の武将だった家でありながら、成田山の御護摩札を頂いている人もいます。さすがこれには驚きました。

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20141011221210.jpg御本社
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現在資料館で平新皇将門公御真影を展示中です。
詳細は、神田明神ホームページを参照して下さい。
 

 今日は結婚式があり、お社の前で記念写真を撮っていました。何度かここにお参りに来ましたが、いつも平日でしたので、見たのは初めてです。


    

 

 

童子形の妙見菩薩

私は妙見菩薩関連のことを調べていた頃があります。
 
201491914551.jpg童子形  妙見菩薩
 
 
先日、「妙見菩薩」のテーマで、卒論を書く大学生が訪ねてこられました。
有名な妙見様関連神社のお膝元に住み、従兄弟もその神社に奉職しているそうです。
 
ご一緒に、妙見様に詳しい権禰宜さんも来られ、本などの資料を用意して、説明させていただきました。
私よりはるかに妙見様のことを知っている方なので、弱ったと思いましたが、たてていただいて助かりました。
私の資料集には、この時知ったのですが、その方の書かかれた社報から抜き出した文章もあったことでした。
 
学生さんは、担当教授の指導で、方向性を以て勉強していたようでした。
以前卒論のことで電話のあった方は、電話のみでした。
 
今回、特にお話ししたのが、「童子形妙見菩薩像」です。
 
学生さんですから、資料となる本などは図書館、古本屋さん、ネットなどで探したようですが、不十分だったようで、数冊お貸ししました。
古本など、約1.500円だった本が、今では30.000円にもなっているのもあるようです。それでは無理ですよね。
 
誰でもお貸しするわけでなく、今回はよく知っている妙見様関連のお寺さんの紹介だったことと、一緒に来られた方が、天神社宮司・西澤師の知り合いだったからです。
 
自分の住む地区の妙見様に対する、熱い思いを感じました。良い卒論になるでしょう。
 

童子形

10年前は、童子形の言葉も知りませんでした。
東京文化財研究所でのセミナーで津田徹英先生の「中世における中国道教神の受容をめぐって」をお話を聞き始めて知ったわけです。
私もここでのレクチャーで、文章や信仰だけで調べるのでなく、現実にある物から、何か見える物があることを知りました。
 
私が日本中の妙見菩薩を祀る寺社、山名、地名、川などを本、電子地図、ネット、直接見聞きしたことなどを参考にを集めたのは、平面から見える物もあるのではと思ったからでした。
 
中国において、11世紀頃から道教神である玄武の亀と蛇が絡み合った姿が、徐々に擬人化して玄武神(真武)となりました。
 
中世に千葉氏など有力氏族や寺院などが直接中国と交易をし、文物が直に日本に伝わって来るなかで、妙見菩薩として信仰され、日本的な変容があったと説明がありました。日本においては中国と異なり童子の姿での像容であることが大きく異なるとのことでした。
 
先生によっては、直接密教系の妙見菩薩が、童子形になったと思っている方もいます。それではなぜ亀に乗っているのか、蛇が絡まっている像があるのか理解できません。
 
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      玄武  →  擬人化(玄武神・真武神)  →  童子形妙見菩薩(日本)
 
 
日本における古い童子形の妙見菩薩像
    ※日本の美術  「中世の童子形」より
  •    「正安元年(1299)七月/藤原末友」との陰刻銘。紀年在銘妙見彫像の中でも現存最古に当たる。
  個人像・千葉県山武市成東
 
堀内神社   千葉県銚子市   千葉氏系・海上氏関連らしい。
 
  • 聖徳太子や妙見菩薩の童子形については、
 
                 日本の美術442 中世の童子形  著者:津田徹英  出版: 至文堂 が詳しいです。絶版
 
                 古本が、Amazon、スーパー源氏、日本の古本屋などで、手に入ると思います。
 
 
    オープンレクチャー  「中世における中国道教神の受容をめぐって」  リンク
 
 
私は古文書が読めませんので、日本各地にどのくらい妙見様が祀られているかに絞りつつ、あちこちに写真撮りと美味しものを食べるのを目的として出かけました。
 
調べ物の内容は豊かになりませんでしたが、私の体型だけは豊になりました。脱線。
 

今年のオープレクチャー

今回も津田先生のレクチャーがあります。
 
 
 
 
 
第48回オープンレクチャー モノ/イメージとの対話 のお知らせ
 
日時:10月31日(金)・ 11月1日(土)14:00~16:30 (午後1時30分~午後4時30分)
場所:東京文化財研究所・地下セミナー室
申し込み等、詳細はこちらをご参照ください。 
 
東京文化財研究所
〒110-8713 東京都台東区上野公園13-43
 
   詳細は東文研のホームページをご覧下さい。
   一流の講師のお話が聞けます。アマチュアにも分かりやすくお話ししていただけます。
 
 
〒357-0014   埼玉県 飯能市平松376番地   円泉寺   電話042-973-5716  
 
 

平将門

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妙見堂

 
円泉寺の妙見堂は、平将門の配下の武将が祀ったと言われる妙見菩薩を祀っていました。現在は二代目です。
脇侍として、秋葉大権現・金毘羅大権現もどのように祀られていたか分かりませんが、併せて祀られていたようです。
 
資料集 リンク
  

平将門

下総北部を地盤としていた平将門(まさかど)は常陸(ひたち)西部に館をもつ伯父の平国香(たいらのくにか)、良兼、良正らと合戦を繰り返しました。

   承平五年(九三五)常陸(ひたち)(茨城県)の国蚕飼川(小貝川)に戦ったおり妙見菩薩が将門と平良文の危機を救い、

   「自は上野の国、花園と云う寺に在り、汝(なんじ)若(も)し志あらば速やかに我を迎え取るべし。」と述べたと記されています。現在の群馬町妙見寺のことです。
 
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 「将門記(しょうもんき)」によると、将門は天慶(てんきょう)二年(九三九)平貞盛(さだもり)(清盛、織田信長の先祖)に挑発され、常陸国衙を焼き払い、国家に対する反乱の第一歩となりました。
 
    こののち下野(しもつけ)、上野(こうずけ)、相模(さがみ)など諸国の国衙をも制圧して、弟やおもだった従者を関東諸国の国守に任じ、みずから〈新皇(しんのう)〉と称しました。

   当時の朝廷は、藤原氏が政権を独占し、群盗がはびこる荒れた時代でした。この反乱は、律令体制からの関東の自立をはかったといわれ、武力による独立国家を主張したとも伝えられています。
 
   しかし天慶三年二月十四日、平貞盛、藤原秀郷(西行、奥州藤原氏の先祖)らの軍勢により、現在の茨城県坂東市(元岩井市) で、39歳(諸説在り)にて亡くなりました。

 戦いに敗れた将門の一族残党は各地に隠れ住むようになり、たくさんの伝説は、飯能市近在では秩父、青梅市・奥多摩町・八王子市から山梨の大月市に至っています。
 
   中央の歴史では、将門公は大悪人とされていましたが、当時の関東の民衆は、拍手喝采だったのでしょう。後々関東以北に将門公を悼(いた)み多くの神社などが建てられました。

 この流れが、鎌倉幕府の成立につながっていきます。幕府設立に尽力した坂東の勢力は、かつて将門に敵対した勢力も多いのですが、源頼朝をはじめ、将門反乱時に活躍した人々の子孫が数多くいます。

 鎌倉幕府設立は将門の意志を受け継ぐ敵討ちだったという人もいます。それは源氏対平家の戦いではなく、実際は平家(平将門勢)対平家(平貞盛、藤原秀郷勢)の戦いだというのです。頼朝配下に入った実力者の名前を見ればそのように思えます。

  源義経は、このことも理解していなかったための悲劇だったということでしょう。

 将門公を支援した勢力に筑波山の修験がいたという説があります。一族と共に逃れ住み、後世に山伏が多くの伝説を伝えたのだそうです。
 
   また、将門伝説(村上春樹著)によると、江戸時代の将門公に関連する演劇も伝説に大きな影響を与えているようです。

 江戸時代には将門を祀る「神田明神(神田神社)」は武州の総社、江戸の総鎮守となりました。神田祭は京の祇園祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭とされています。
 
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神田明神

 

平将門の関連する地区は、成田山にお参りに行かないのが常識ですが、円泉寺が属する真言宗智山派は、三大本山の内の一山が成田山新勝寺です。私は遠慮しながら行っています。成田山では、将門さんを供養しているようです。

私は平将門怨霊説を信じていません。今でも続いているなどと思うのは、この世に、あるいは何かに不満を持つ一部の人だけではないでしょうか。

各地の将門公を祀る寺社で、真摯に手を合わせれば、気持ちよく応じていただけます。いつもそのように感じています。

円泉寺では、妙見菩薩・平将門の資料集をホームページに掲載しております。興味のある方は、クリックしてください。

資料集          リンク  

国王神社 茨城県坂東市             

埼玉県飯能市の平将門伝説 ブログ  

 

 

秩父神社と妙見菩薩

先月秩父神社にお参りに行ってきました。

秩父神社と言えば妙見様として知られており、かつて関東においても千葉神社に次ぐ妙見信仰の神社です。

廃仏毀釈により、妙見様との関係が分からなくなっている神社も多く見られます。
妙見菩薩はほとんどの神社が天御中主神となっており、秩父神社でも四柱の中の一神として祀られています。

 

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妙見菩薩を信仰する平将門の末裔である千葉氏の流れをくむ秩父氏は、川越氏、畠山氏、江戸氏、渋谷氏、豊島氏、葛西氏などとして鎌倉幕府の有力な御家人として活躍しました。しかし、幕府の奸計により滅ぼされたり、どうにか命脈を保った氏族もありました。

 
千葉氏や相馬氏は平将門の末裔と称していました。
東郷元帥は薩摩に移った渋谷氏の末裔です。
 
毎年12月3日は秩父夜祭りとして知られ、多くの方が参拝に訪れます。でも、とてつもなく寒いですよ。 
妙見菩薩は北極星・北斗七星を人格化した仏様です。札場では妙見様の神社であることがわかる御札などを授与していただけます。
 

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私の研究していた妙見菩薩の資料を興味のある方は覗いてみて下さい。

妙見菩薩 リンク     秩父神社の妙見様と養蚕神 リンク                  

 

役員旅行は都内です

昨日は役員旅行でした。

役員に平将門関連で、何カ所か提案したのですが、意外と都内に行った人が少なく、都内に決定しました。

将門公関連は首塚、神田明神です。

 

バス会社さんの提案で、靖国神社を入れました。

戦争で亡くなった檀家さんが多くいます。

 

平将門の首塚は、私以外は初めてでした。

 

皇居は東御苑と思っていたのですが、詰め込みすぎで外苑と正門石橋あたりまでです。

意外と皇居に行った人が少ないのには驚きました。

 

平将門公を祀る神田明神です。

私は何度もお参りしていますが、他の役員さんは初めてでした。

 

中では結婚式を行っていました。

 

お茶の水方面には、飛行船が見えます。

 

江戸東京博物館です。以前行ってコースに入れることにしました。

西隣の両国国技館が、小さく感じます。

 

本当は他の場所で食事をしたかったのですが、ここになりました。

中は歩きでがありますね。

江戸をもした建物やジオラマを楽しみました。

明治、大正、昭和の建物や道具類など、まだまだたくさんあります。

天台宗 正法院 豊島区

 

寺伝では行基菩薩により創建されたと伝えられています。田原藤太秀郷が参籠して平将門公追討の祈籠したとも伝えられています。

上野の寛永寺の位置にありましたが、寛永寺を建てるために下谷に移転させられました。

下谷の下谷神社は正法院の持ち物でした。下谷神社ブログ

 

我が母校・大正大学には平将門公関連寺院の師弟、反将門公側の成田山の弟子など、両陣営の師弟が混在していました。

当円泉寺では反将門公側である成田山のお弟子さんだった後輩に、時折お手伝いしてもらっています。将門公側寺院の仲間から怒られそうな話しです。

将門公子孫の同窓生には、間違いなく嫌われるでしょう。薬王寺 ブログlink

 

正法院 東京都豊島区西巣鴨4-8-1   場所                      
                            
   

曹洞宗 観音寺 千葉県我孫子市

妙見菩薩・平将門関連を調べに我孫子市方面に向かいました。我孫子市日秀ですが、日秀はひびりと読みます。

旧相馬郡には平将門伝説が残されています。

 

寺紋は相馬氏に多い九曜紋でした。

 

観音堂には平将門の信仰した聖観世音菩薩が祀られています

 

 

この地域も成田山には、お参りしないそうです。

写真を撮り忘れましたが、お地蔵様は成田山にそっぽを向いています。

 

 

観音寺に向かう途中に手賀沼を通りました。道の駅「湘南」の道を挟んで反対側です。車を駐め散策をする人が多くいました。

 

観音寺  千葉県我孫子市日秀90  地図

  観音寺ホームページlink

 

円泉寺妙見菩薩平将門資料集link      

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