平将門

「鬼門の将軍」高田崇史著 平将門公は怨霊ではなかった!

以前読んだ高田崇史(たかだたかふみ)氏の「QED~ventus~御霊将門」は、謎解きも将門公への考察も表面的で、私にとっては満足できる作品ではありませんでした。
また、他の著者の「陰陽師」や「帝都物語」などの、おどろおどろしい作品にはなじめないモノがありました。
 

平将門首塚と成田山新勝寺

 
この作品は推理小説として読むには面白みはありませんが、将門公への長年の疑問がかなり解けた気がします。
成田山だけでなく、古い歴史の寺社などの歴史などをひもとくと、どうしてもおかしいと思うことがありました。
たとえば、平将門公の子孫(先祖の平良文が甥である将門公の養子となった)・千葉常胤が文治4年に成田山本堂を再建しているのですから。
 
内容を書くと興がそがれると思いますので書きません。
あえて言えば、明治政府の朝敵「平将門」とする思いが、結果的に伝説の元になったのだと感じました。
 
この本は天慶の乱を大まかに知るにも役に立ちます。
男気のある侠客の親分的存在であった将門公に、多くの人がひかれて集まってきたのでしょう。
 
今回は脇役として少しだけ出てくるのが、他の高田氏作品のあの漢方薬店店員さんです。まあ読んだことの無い人には、意味が分からないでしょうが。
 
 
なお、この作品には、私の属する宗派(真言宗智山派)寺院、千葉の「成田山新勝寺」、茨城の平将門公胴塚「延命院」、東京の「等々力不動満願寺」が出てきます。
 

阿伎留神社 あきる野市五日市

平将門公関連の寺の住職としては、藤原秀郷が将門公討伐の戦勝祈願をした神社では、行くべきで無いと言われるのでしょうが、あまり堅いこと抜きでお願いします。
 
 
 
ここでも雪がちらついていて、寒いのなんのって、以前お参りに行ったときは、人が居ましたが、今日は我々以外に誰も居ませんでした。
 
ここの宮司は、武蔵国造家につながるそうですから、とてつもなく古い家柄ですね。
息子の大学の同級生に出雲系神社の社家の末裔がいましたが、なんと出雲風土記に先祖の名があるそうです。
神社の宮司には、とんでもない長い歴史を誇る家系が各地にありますね。
そのなかには、古事記、日本書紀にない歴史が伝えられているところもあります。
 
歴史ある神社ですが、道も狭くお参りするのには分かりづらい場所にあります。
しかし、多くの樹木に囲まれ、とても気持ちの良い神社でした。
 
 
 
拝殿
 
本殿
 
占方神社は際神が、櫛真智神とありました。全く知らない神様です。
占いの神様なのでしょう。
 
 
 
 
天満宮です。以前は旗など無かったように思います。受験前にお参りが多いのでしょう。
 
 
 
それ以外に多くの小さなお社がありました。まいまい井戸もあるようです。
 

平将門の浮世絵

最近手に入れた浮世絵です。本物か、後世の復刻版かは不明です。

円泉寺の妙見堂に祀られていた妙見菩薩は、平将門公の念持仏と伝えられています。

残念ながら、現在の妙見様は、近年祀られた御尊像です。

妙見菩薩・平将門資料集 リンク

将門公にちなみ、購入した作品です。

 

歌川豊国の役者絵 「平親王 将門」(平将門)
豊国には、他にも同じ様な構図の浮世絵があります。
文久二年(1862)、中村芝翫(しかん)演ずる歌舞伎の浮世絵で「御好見立三福対」の一枚です。
 
下の図の役者も中村芝翫かもしれません。多分四代目と思います。
 

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「江戸の花 名勝会八番組  神田」

「江戸の花 名勝会」は東都の名所八カ所を選んで八枚一組とした作品群です。沢山の作者による江戸を紹介する錦絵のようです。

この一枚は、三代歌川豊国・歌川貞秀・歌川芳虎による一枚です。

 

豊国が尾上菊五郎の滝夜叉姫。

芳虎が戯画で将門公の首が飛んで、岩を噛んだ所が神田。

貞秀が神田明神の風景を描いています。

 

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月岡芳年の浮世絵 「武者無類 相模次郎将門」

相模次郎将門とありますが、本来は相馬小次郎平将門です。

武者無類は武者震いから来ています。
 
大変迫力と見事な構図の浮世絵ですが、将門公はこの後に死を迎えることになります。
右上に鏑矢が描かれています。
この矢に驚いた愛馬が立ちすくみ、流れ矢に当たり討ち取られました。
 
いたみがありますが、四点の中で私が一番気に入っている作品です。
 

 

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月岡芳年の浮世絵 「大日本名将鏡 平将門」
手前が平貞盛、奥があと少しで最期となる平将門公です。

 

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芳年は幕末から明治に掛けての代表的な浮世絵師でした。「最後の浮世絵師」と言われています。

 

3代目歌川国貞(香朝楼)の浮世絵「前太平記擬ノ玉殿」

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「前太平記擬ノ玉殿(ぜんたいへいきまがいのぎょくでん )」明治234月市村座にて初演 
平親王将門(市川左団次) 桔梗ノ前(沢村源之助) 千種姫(尾上栄之助) 俵藤太秀郷(尾上菊五郎) 權ノ頭興世(中村芝翫) 
 
豊原国周の同名の作品があります。早稲田大学演劇博物館 link
 
 
豊原国周の役者絵  平将門島広山討死の場
 
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将門公の背後に影武者が描かれています。影武者は六人いたと伝えられています。
この絵には二人だけですね。
 
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前太平記擬ノ玉殿」の最期の場面なのでしょう。
平親王将門(市川左団次)  千種姫(尾上栄之助)  俵藤太秀郷(尾上菊五郎)  平貞盛(市川権十郎)
 
千種姫は知らない名前です。役者絵を集めて初めて知りました。
歌舞伎の世界では、知られているのでしょう。
 
明治23年版
浮世絵は江戸期の物と明治以降は開化絵とばかり思っていました。維新後の歌舞伎の衰退が、役者絵のおかげで復活したようです。
すぐには文化は変わらないものですね。

 

将門軍記 上下巻  著者・竹内栄久 編[他]  出版者・小森宗次郎 
    和本の表紙です。
    竹内栄久は三代目歌川豊国でした。
    明治20年1月31日の発行です。
 
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上巻:「将門と桔梗」 縦横約16.5-11.3センチ
 
 
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下巻:「将門と貞世」
 
詳細は、他のブログを参照して下さい。ブログlink
 
番外  滝夜叉姫と平良門
三代歌川豊国  今様押絵鑑  七綾太夫(瀧夜叉姫) 
   滝夜叉姫は平将門の娘とされる妖術使い。
 
滝夜叉姫
 
 
三代歌川豊国  今様押絵鑑  平太郎良門
   良門は平将門の長男と言われる伝説上の武将。
 
平良門
 
 「江戸の花 名勝会 よ 一番組 中村芝翫/内神田橋芝崎の里/内神田」
三代歌川豊国他
 
 

「江戸の花 名勝会八番組  神田」に比べると残念ながら汚れが目立ちます。

小学生の頃、妖術比べの絵が子供雑誌に掲載されていたのを思い出します。誰かは忘れていましたが、ガマガエルとなった姿は不気味でした。

近所の子とマネをして遊んだのを思い出します。

 

平将門の子孫・三田氏のお寺 曹洞宗海禅寺 東京都青梅市

海善寺は平将門公の子孫と称した三田氏のお墓があるお寺です。
三田氏の関連もあるのでしょう、青梅市には大きなお寺が多いです。
かつて栄えた地域であったことが分かります。
 
 
今日はかなり歩いたので、この程度の階段でも、きついです。
本当に情けない。
 
すごい山門です。すぐ脇に無粋な避雷針が立っていますが、何度も火災に遭った寺としては、致し方が無いですね。
 
 
 
緑の多い境内は以前来た時もきれいに掃き清められ、気持ちの良いお寺です。
先ずは御本堂に参拝しました。
 
 
現在はこのように本堂を開け広げているお寺は、ほとんど無いでしょう。
見えないところにセキュリティ対策が施されているのかもしれません。
 
 
御本堂を左に折れると、三田氏の墓と伝えられる場所に出ます。
 
 
 
 
 
春の桜の頃は、見事でしょう。
 
 
 
大きな楠が何本かあります。たしかに山間部では珍しいですね。
 
 
ツツジや桜の花の頃は、多くの方が見学に訪れるそうです。
 
青梅市の中心地は青梅宿として栄えましたが、現在は東部の平地が栄え、旧市内や山間部は大変なのだそうです。
私も以前は時々青梅に行くことがありましたが、旧市内はほとんど行ったことがありません。
山間部には、小さなお寺がいっぱいです。以前知り合った住職さんは、他のお寺の手伝いで、やっと食べてると言っていました。無住のお寺も多いようです。
関係ない話で、申し訳ありません。
 
 
青梅市二俣尾4-962   地図 

将門神社と将門山三面不動尊 西多摩郡奥多摩町鳩ノ巣(棚沢)

将門神社(旧多名澤神社)
 
自分の記憶を頼りに向かいましたが、少し通り過ぎてしまいました。
「将門」の信号のあるT字路のすぐ北側ですが、階段だけで車は止められません。
「鳩ノ巣」駅の西側を北に向かい、ほぼ道なりに行くと、東に向かいます。
人がいたら聞いてください。
 

 

手前に車が止められるスペースがあります。
 
この下の先が「将門」の信号だと思います。
以前来たときは、柵などはありませんでした。安心ですね。
 
 
 
将門神社に着きました。
将門公の子・良門が父の像を祀ったのが始まりと伝えられています。将門公の末裔と伝えられる三田氏が、ここを総鎮守としました。
 

 

 
神社前のきれいな彩色の狛犬は、陶器製だと思います。
 

 

廃仏毀釈後は色々あったのでは無いでしょうか。
普通ならば将門の社名は消されていました。実際近くの神社に合祀されましたが、戦後地元の熱意が元に戻させました。
 

 

将門公の娘「御幸姫観音」だそうです。

 

ここの近くから、三面不動尊に向かいます。もうちょっと案内板があれば、分かりやすいのですが。将門神社の案内板しか目にしませんでした。
 
奥多摩町には、まだまだたくさんの将門神社があります。
他のブログも参照して下さい。 
東京の平将門を祀る寺社リンク  
 
 

 

将門山 三面不動尊

古い不動像が、祀られていました。

 
下の三面不動尊は以前行った時の写真です。
平安時代の作だそうです。

 

 

三面不動尊はここだけだったと思います。他では見たことがありません。
他の仏様が修復されて、不動明王とされたような気がします。
 
将門神社 東京都西多摩郡奥多摩町棚澤178地図link
 

 

総社神社 群馬県前橋市

 
 
総社神社には、二度目の参拝となります。
 
総社神社  リンク 
群馬県前橋市元総社町1-31-4
 
平将門公は神託によりここで新皇を称したと言われています。
 
 
 
 
 
 
 
総社長尾氏の居城・蒼海(おうみ)城の赤文字が総社神社。
国府跡を城として使用したようです。
 
尚、長尾景虎(上杉謙信)は同族です。
 
 
 
 
 
 
あと少しで、平成29年です。
来年は良き年でありますように。
災いは去ったでしょうか?。
 
 
本殿裏には道祖神などが集められていました。
良い表情をしています。
 
 
なんと素晴らしい大木のオブジェです。
 
 
 
 
駐車場は本殿裏側になります。
表からは入れません。
 

紅葉の柳沢寺 群馬県北群馬郡榛東村

柳沢寺(りゅうたくじ)には面白い縁起が残されており、7、8年ほど前にも参拝したことがあります。
 
 
柳沢寺  群馬県北群馬郡榛東村山子田2535  link    地図
 

 

千葉氏の祖・千葉常将(平常将)が、子に恵まれず、船尾山の観音様に祈ると、一子満若が産まれました。
榛名山の天狗が満若を隠すと、常将は寺が隠したと勘違いして、焼いてしまいましい、間違いと分かると自害してしまいました。
常将の妻は柳沢寺の所に寺を建立した後、池に身を投げて死んでしまった。
しかも以前参拝した高崎市引間の妙見寺との関係も伝わっています。
 
 
高崎市の妙見寺
 
修験が積極的に伝承に関わっていたようです。
信じられない伝承です。
 
千葉常将 Wikipedia link
詳しくは学習院大学の青木祐子先生「榛名山東南麓の千葉氏伝承」PDFを参照してください。  link
秩父や以前書いたハ菅修験もここの修験と関連があり、平将門伝説、妙見信仰に結びついているようです。
 
※柳沢寺、妙見寺、ハ菅修験などのことは、このPDFにも資料としてある村上春樹氏(国文学者)の「将門伝説」(吸古書院)に書かれていました。
 
 
 
以前書いたハ菅神社ブログ link
 
寺の北東200メートルには、千葉常将を祀る常将神社もあります。ここにも常将伝承がありました。
 
また、近くには自衛隊の相馬が原演習場、相馬山(黒髪山)があります。相馬山には平将門公(黒髪明神)の石仏が祀られているそうです。
相馬山の麓にも以前行きましたが、登山はあきらめました。来てみるとチャンとした装備で登る人ばかりでした。
 
 
山門を通り、観音堂に向かいました。
 
 
元々あったのか、近在から集められたのか分かりませんが、たくさんの石仏が祀られています。
 
 
 
 
友人達も熱心にスマホで写真を撮っています。
 
 
 
永代供養のための五重塔です。
 
 
 
延暦寺の直末として多くの学僧が学んでいたそうです。
 
 
 
上州七福神の毘沙門天札所、東国花の寺百ヶ寺にも選ばれており、冬以外の季節は常に何かしらの花が咲いていて、特に4月上旬から中旬まで、桜、椿が見頃だそうです。
もっと知られていてもよいお寺です。
 

平将門伝説と内田康夫著「中央構造帯」

以前さいたま文学館企画展「平将門 文学は史実を越えて 錦絵が誘う文学散歩」に行きましたが、その折展示されていた(或いは紹介されていた?)、内田康夫著「中央構造帯」(浅見光彦シリーズ)です。
 
 
この作家の作品は、第一作の「死者の木霊」から十年ほど前の作品までは、全て読んでいました。
今でもこの作家の浅見光彦シリーズなどは、テレビドラマ化されています。
 
この「中央構造帯」は平将門の呪いと某銀行の世界が丁寧に描かれています。
 
しかし、この本のなかで記憶にあったのは、茨城県岩井市(現坂東市)出身のヒロインが東京の大学に入ると、郷土の英雄である将門や国王神社のことを「マサカドって?」「それって、何?」と言われるほど知らない人が多いことだったことと、都内の首塚、市川市の「八幡不知藪(やはたやぶしらず)」、埼玉県荒川村(現秩父市)の将門伝説ぐらいでした。
 
記憶力のなさは、あきれるほどです。
ある推理小説では、最後に犯人が分かったときに読んだことを思い出したこともあります。完璧に忘れている作品もあると思います。
 
ですから、小説を読んで何度も楽しめる年齢になったようです。
 
将門塚
 
内容は大変面白かったのですが、これは略します。
 
某銀行のことは、バブル絶頂期後のことで、あんなことがあったな~と思い出します。
今の中国が同じようになり、日本や他の国々があおりを食わなければいいと思うのは私だけではないでしょう。
 
楽しみながら将門公の関連した土地を知るのに役立つ推理小説です。
 

妙見寺 高崎市引間町

妙見菩薩と平将門公を調べ始めたのが十数年前でした。その頃と5年以上前にお参りに来ています。
妙見菩薩資料集  link  
 
天台宗妙見寺  群馬県高崎市引間町213  地図
 
 
 
 
 
千葉妙見大縁起にある平将門、平良文の前に現れた七星山息災寺(現・天台宗妙見寺 高崎市引間)妙見菩薩。
染谷川の浅瀬を渡るところです。
 
 
妙見寺前の妙見菩薩が現れた染谷川ですが、千葉妙見大縁起とイメージが重なりません。 地図 
以前以前書いた大縁起展のブログ  link    
 
看板中に書かれている「総社長尾氏」は平良文の子孫ですから、当然妙見菩薩への信仰を持っていたはずです。
長尾家は山内上杉家とともに長尾景虎を頼りました。
 
上杉謙信(長尾景虎)とも同族です。景虎が上杉家の養子となったのも総社長尾氏との関連もあったと思います。
謙信も妙見信仰がありました。
 
 
妙見前の染谷川
 
左が妙見堂(本尊妙見菩薩)、右が本堂(本尊・釈迦如来)
 
 
 
 
 
 
 
とても素晴らしい建物です。彫刻も見事です。
 
 
 
 
古い妙見寺のお姿札
 
妙見堂の西隣に歴代住職のお墓がありますが、その脇に石祠が集められています。
埼玉では見かけることがない形をしています。
中世末期から近世前期の墓石(廟墓)でした。歴代の御住職の墓なのかもしれません。
 
 
 
 
ここにお参りに来ると必ず寄るのが妙見茶屋です。
県内に数店舗ある本店です。
初めてここに来たとき、ここの女将さんが「妙見寺は住職が来てから、ずっと良くなりました。」と話していたのを思い出します。
無住の時代が長かったようです。
 
 
 
ここに来ると必ず酒まんじゅうを買って帰ります。
私の地元にもありますが、地元と風合いが違って美味しいです。
 
次回は、すぐお隣の「上野国分寺跡」です。
 

さいたま文学館企画展「平将門 文学は史実を越えて 錦絵が誘う文学散歩」

たまたまネット検索すると、文学館企画展「平将門 文学は史実を越えて 錦絵が誘う文学散歩」を見つけ出かけました。
10月1日より11月27日
さいたま文学館 埼玉県桶川市若宮1-5-9    
企画展link     
 
 
 
私の所から圏央道で約30分ほどで行けました。以前なら1時間半はかかっていました。
 
さいたま文学館
 
桶川駅西口から約300メートル
です。
 
 
写真が撮れるのは、エントランスから企画展入口までです。
企画展では、国貞、国芳、国周などの錦絵が一番の見物です。但し作品の入れ替えがありますので、もっと実物があるとありがたいと思いました。
将門記の版本、近代、現代の平将門公の小説なども展示されています。
 
 
番外
 
「入間路(いりまぢ)の 大家が原の いはゐ蔓(つら) 
引かばぬるぬる 吾(わ)にな絶えそね」
 
「伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 此可婆奴流奴流 和尓奈多要曽称」
  万葉集 巻14-3378 作者未詳(東歌)
 
 
一番面白かったのは、万葉集のこの歌碑が、確か入間郡部に六カ所(だったかな)あることがわかったことです。
坂戸の東京国際大グラウンドの北に歌碑があります。坂戸市(旧入間郡坂戸町)にある大家小学校、西大家駅がありますので、碑はここだけだと思っていました。場所
ひょっとすると、この近くにもあったような気もします。
実際には、もっとあるのかもしれません。
 
入間郡部で大家の付く地区は、ここだけだったと思います。
 
入間群、入間市、入間川は「いるま」と読まれていますが、古代から「いりま」と発音されていた証拠です。
私の生まれた地区では、かつて入間を「いるま」と言わず「いりま」と言っていました。私も時々「いりま」を使います。
 
いはゐ蔓とは「すべりひゆ」だそうです。すべりひゆlink
「ジュンサイ」説もあるようです。
 
 
文学館は駅西口公園の中にあります。結構広く緑も豊かです。
 
 
 
 
 
文学館に入ると、午後来られる予定のお客さんが、都合悪くなったとの電話が入りました。
急遽、群馬県高崎市引間の妙見寺、国分寺跡、国分寺(後継寺院)、かみつけの里博物館に行くことにしました。
 
今回もAさんが運転でしたので、安心です。
次回のブログは妙見寺です
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