円泉寺便り

保育園児が遊びに来ます

週に二回ほど近くの保育園児が遊びに来ています。
 
 
楽しそうな声が聞こえます。
 
 
 
 
 
 
 
小さい子供は、ボックスに入って帰ります。
 
 
 
 
前の通りの見通しが悪く、ここを渡るのは私たちでも気を遣います。
先生方も大変です。
 
また来てね。

足利学校

足利学校は日本で一番古い学校として知られ、平成27年に文化庁の日本遺産に認定されています。
創建は奈良から室町まで、諸説あるようです。
 
足利学校 link          文化遺産 link
 
足利学校前の参道商店街を南に行き、途中から左に行けば足利学校に着きます。
広い道から東に行けば孔子さんが出迎えてくれます。
 
休館日もありますので、調べてから行ってください。
 
 
 
今から40年ほど前にバイクで鑁阿寺に行った時は足利学校を知らず、日本で一番古い学校と書かれてあったので、急遽ここに寄りました。
それから鑁阿寺を含め、三度ほど訪れています。
 
 
 
今回一緒に来た仲間も知っていたのは私を除き一人だけ、他は全く知らなかったようです。
 
ここから入ると受付があり、JAF会員は少し安くなります。
まずはビデオのガイダンスを聞き、知識を入れてから学校内を散策しました。
 
 
 
 
 
方丈
 
 
 
孔子廟
 
 
 
方丈前の庭園
 
 
 
方丈見学前に一遊びです。
 
 
 
中には漢籍の国宝(複製)や文物、発掘品、パネルが展示されています。
 
漢字検定の初級に挑戦。
私はパスしました。恥をかきたくありません。
 
 
 
方丈裏にも素晴らしい庭園がありました。
 
 
 
 
 
 
歴代庠主(校長)のお墓
 
 
 
ここも鑁阿寺と同じく、四方を土塁によって囲まれ、東側の三方が堀となっています。
 
 
 
帰りに論語の冊子を買って帰りました。
 

鑁阿寺

太田の吞龍様からは北へ、名刹・鑁阿寺(ばんなじ)と足利学校に向かいました。ここは栃木県です。鑁阿寺link    境内
大日さんと呼ばれ親しまれています。
御本堂の裏側に車を止めました。
 
 
 
鑁阿寺は真言宗大日派の本山です。 鑁阿寺Wikipedia link
かつては真言宗豊山派でした。
かなりの末寺があったはずですが、鑁阿寺を含め5ヶ寺だけのようです。
他の末寺だったところとは、どのような繋がりを保っているのでしょう。
 
僧侶の養成、密教の正当性を引き継ぐ色々な儀式などがいい加減になっている単立寺院が、かなりあります。
ひどい場合は、お経や所作がめちゃめちゃの場合があります。
 
 
 
 
 
 
 
お寺の西側は、公園になっていました。
 
 
 
ここのしだれ桜も見事でした。
 
 
 
 
 
 
東側の庭園もお勧めです。
でも、誰もいませんでした。
 
 
 
ここの太鼓橋とお堀の景観は素晴らしいですよ。
寺の境内は足利氏の館跡でした。四方を土塁と堀に囲まれています。日本百名城に選ばれています。
 
 
 
 
 
おじさんが鯉にエサをあげていました。
 
 
 
鳩がやってきて、手のエサを食べています。
さらに太鼓橋の下には猫が鳩を狙っています。
 
 
 
鋭い目つきです。
 
 
 
この猫はあちこちを徘徊しているそうです。足利学校の帰りにも見かけました。
 
足利学校は鑁阿寺の道を挟んで南東にありますが、正面からしか入れません。
この参道のお店をのぞきながら、足利学校に向かいました。
 
 
 
鑁阿寺の参道には、多くの土産物店があります。
どこも古い歴史を感じる店構えです。
 
 
 
このお店では、仲間3人がお買い物です。
あちこち寄るので、帰りの時間が心配です。
 

史跡金山城跡ガイダンス施設と太田市金山地域交流センター

太田の吞龍様の後に史跡金山城跡ガイダンス施設と太田市金山地域交流センターにいきました。金山城跡link
 
 
 
実は金山城跡にも行きたかったのですが、時間の都合と山歩きが苦手な人もいましたので、山歩きはパスしました。
 
金山城跡は戦国時代の山城で、「日本百名城」に選定されています。
今から40年以上前に行った時はあまり整備されてなく、かなりの規模の山城であることだけが記憶にあります。
 
 
 
先程行った吞龍様から北方が山城跡のようです。
吞龍様やここからも散策できますが、本丸跡に駐車場があるようですので、そこから歩かれると良いでしょう。
 
 
 
この建物はかなり面白い設計です。
 
 
 
ここの施設の内容は興味が沸かなかったせいか、ほとんど覚えていません。
施設の女性職員と話したイノシシの話が面白く、結構楽しめました。
 
施設の近くに檻が仕掛けられており、年間60頭も捕まるそうです。
しかし、今年は2月にとれてから一匹も捕まらないそうです。
 
捕まったイノシシはゴミとして処分されるそうです。
解体する人がいなく、食用にするには危険なのだと言っていました。
 
私は、ずっと以前、埼玉県毛呂山町の養殖施設から逃げたイノブタがたくさんトン走しまし、豚の多産系遺伝子がイノシシとさらに交配し、各地に出没する原因となったとの説があります、と話すと興味深くうなずいていました。
あくまでも、そのような説があるだけです。
 
逃げた新聞記事は、埼玉版で大きく取り上げてあったと思います。
 

縁切寺 萬徳寺 群馬県太田市徳川

たまたま誰かのブログを読んでいると、縁切寺が太田市にもあるのを知りました。
縁切寺は鎌倉の東慶寺だけだと思っていました。
 
江戸時代は、徳川発祥の地にも縁切寺があったのです。
 
ホームページを見ても駐車場が見つかりません。ホームページ
 
 
満徳寺の南側、県道298号線に面してありました。
駐車場の位置は、ハッキリ掲載してほしいですね。
 
 
 
 
まずは縁切寺資料館で、入場券を求めます。
中でビデオを見ました。満徳寺の分かりやすい解説の漫画でした。
 
先ずは説得し、夫や世話役などを呼び出したり、それでもダメなときは三年後に離婚が認められたそうです。その後少し短くなりました。
 
本堂が東向きで、駆け込み門はその東側にあります。
時宗ですから、ご本尊は阿弥陀如来。西方極楽の阿弥陀様を拝むような造りになっていたわけです。
 
駆け込み門
 
 
再建された御本堂
 
すでにボタンの花が咲き始めていました。
桜の頃を逃した人は、これからがボタンの見頃になります。
 
 
さて、また資料館の話に戻ります。
ここにある当日用と、持ち帰り用のお札は、面白い使用法があります。
 
 
友人は持ち帰り用を独身の友達にあげるのだと言って求めていました。
 
先に来ていた女性二人は、どちらかの願いをかなり真剣な顔をして書いています。
 
 
 
出てきた時は、二人ともかなりにこやかなお顔でした。白だったのでしょうか?、黒だったのでしょうか?
 
 
ここはだけは家内や子供には教えたくないです。
 

縁切寺 萬徳寺 群馬県太田市徳川

たまたま誰かのブログを読んでいると、縁切寺が太田市にもあるのを知りました。
縁切寺は鎌倉の東慶寺だけだと思っていました。
 
江戸時代は、徳川発祥の地にも縁切寺があったのです。
 
ホームページを見ても駐車場が見つかりません。ホームページ
 

満徳寺の南側、県道298号線に面してありました。
駐車場の位置は、ハッキリ掲載してほしいですね。
 
 

 

 
まずは縁切寺資料館で、入場券を求めます。
中でビデオを見ました。満徳寺の分かりやすい解説の漫画でした。
 
先ずは説得し、夫や世話役などを呼び出したり、それでもダメなときは三年後に離婚が認められたそうです。その後少し短くなりました。
 
本堂が東向きで、駆け込み門はその東側にあります。
時宗ですから、ご本尊は阿弥陀如来。西方極楽の阿弥陀様を拝むような造りになっていたわけです。
 
駆け込み門
 
再建された御本堂

 
すでにボタンの花が咲き始めていました。
桜の頃を逃した人は、これからがボタンの見頃になります。
 

 
さて、また資料館の話に戻ります。
ここにある当日用と、持ち帰り用のお札は、面白い使用法があります。
 

 

友人は持ち帰り用を独身の友達にあげるのだと言って求めていました。
 
先に来ていた女性二人は、どちらかの願いをかなり真剣な顔をして書いています。
 

 

出てきた時は、二人ともかなりにこやかなお顔でした。白だったのでしょうか?、黒だったのでしょうか?

 

ここはだけは家内や子供には教えたくないです。

世良田東照宮 群馬県太田市

長楽寺の後に隣の東照宮に向かいました。
ここも見事なしだれ桜です。
あまり参拝者がいないのは、もったいないですね。
今の時期土日になれば、かなりの人出になるのでしょう。
 

 

徳川家康を祀る東照宮は長楽寺の境内に建てられ、寺と一体だったわけですが、特に徳川家発祥の地として、重要視されたようです。

 

徳川家康を祀る東照宮は長楽寺の境内に建てられ、寺と一体だったわけですが、特に徳川家発祥の地として、重要視されたようです。

 

ここの門前も世良田の杜園児が歩いていました。

明るく元気な子供達です。

 

境内の稲荷社

 

世良田東照宮  太田市世良田町3119-1  ホームページ

不忍池弁財天と清水観音堂

旧岩崎邸庭園から不忍池に向かいました。
広いですね。
 
 
 
 
駅伝の歴史ここに始まる
 
 
 
知らなかった。
 
弁天堂はいつも人出が多いですね。
 
 
 
 
 
隣の大黒堂は、ほとんどお参りがありません。
 
 
 
 
弁天堂から参道をまっすぐ行けば、清水観音堂です。
 
 
ここもお参りの人がいっぱいいます。
 
 
 
 
 
私が学生の頃、福島県の先輩がここで働いていました。
三年ほどで、福島に帰り就職しましたが、お寺を維持するにはどこかに就職しなければならず、ほっとしていたのを思い出します。
 
おそらく震災の影響を受けているはずです。
福島、宮城には、仲間の寺もいっぱいあります。急に心配になりました。
 
浮世絵にある月の松に似せて植えられています。
以前来たときはなかったですね。面白い造形です。
 
 
 
 
歌川広重「上野清水堂不忍ノ池」
 
この後は上野公園を散策しました。

長楽寺と天海 群馬県太田市

私の卒業した大学は三宗四派の仏教系大学です。
他宗派との付き合いも自然と出来てきます。
天台宗の学生の言葉に「世良田の長楽寺」が、良く出てきました。
 
高校までの日本史では、まったく出てきませんが、天台宗では大事ないわれのお寺です。
 
桜が咲いて花粉症さえなければ、一番気持ちの良い季節です。
 

本堂前にお参りする人は多いのですが、東側の三仏堂の勅使門を見学し、参道よりお参りするのが、一番のお勧めです。

 

三仏堂

 

太鼓門

 
御本堂前では保育園・世良田の杜の園児が、花祭り(お釈迦様お誕生の祭り)で甘茶を順番に掛けています。
かわいいですね。

 

徳川義季(よしすえ)公累代の墓

 

長楽寺は徳川家の祖・世良田義季(得川義季 とくがわよしすえ)の開山と伝えられ、臨済宗の大寺でした。
しかし本当に徳川の祖であるかは分かりません。
 
日本において武士が幕府を開くのは、源氏か平家と言われていた時代です。
得川を徳川と無理矢理結びつけ、新田氏の末裔としたと現在では考えられているようです。
 
江戸時代になり、天海が入寺し、天台宗となりました。
700ヶ寺を末寺に持つ大寺院となったわけです。
この時代には天海に取り入り、天台宗に衣替えした寺院も沢山ありました。
 
天海は川越市の喜多院、日光山などの住職となり、上野の寛永寺を創建しました。
天海は徳川家康にとって、大事な参謀でした。
徳川幕府の盤石な地番を支え、末代に平和な時代を創造するために尽力したのだと思います。
 
私は宗教においては密教の曼荼羅観が、根底にあったのではないかと勝手に思っています。
 

金剛界曼荼羅

 

胎蔵界曼荼羅

 

仏教、神道、キリスト教など、我々の神が、仏が、宗祖が一番である。
他は一切認めない。たとえ幕府でも我々の宗教以外は受け入れるな。
 
そのような宗教観であったら、いつまで経っても幕府にたてつく人たちが続出したでしょう。我々の神のために、仏のために。
 
曼荼羅では、あらゆる神仏、描かれていない他の神仏、宗祖が曼荼羅の中に調和しながら活動しているのです。
 
 
あくまでも徳川の統制の中に許される範囲で、各宗旨宗派を認めてきたわけです。
しかし、あくまでもそれに反発する人たちが数多くいました。
 
たとえば日蓮宗不受布施派などは、日蓮宗以外を認めず、他の宗旨の人からは、施しを受けない立場でした。
 
天海だけの考えではなかったのですが、若き日の家康にとって、一向宗徒との領地を二分する争いから、宗教の恐ろしさを強く認識していたのだと思います。
 
 
私も子供の頃、ある新興宗教の方から、「天皇陛下は将来、うちの会の信者になる。国の宗教になるんだ。今のうちに、うちの会の信者になれ。」と言われ、驚いたことがあります。
いまでも、そのような国家にしたいと思っている信者さんが沢山いるのでしょう。
上があ~言えば、自分たちもあ~言うです。
全く変わっていません。
 
強引と思われる施策だったのかもしれませんが、明治以降の廃仏毀釈が、どのような流れを作ったのか。
一つの宗教でさえ分裂し、争い合う現代です。
自分たちの死がもととなり、後々の我々だけの天国となる。それが唯一で、他は認めないなどとしたら、国家は不安定になるだけでなく、多くの屍だけの世界になると思います。
 
私たちは宗旨宗派に囚われず、善(よ)き人であることが、良き社会を作るのだと思います。
 

 

ドローンで撮影

自分で撮影したのではなく、石屋さんの画像をいただきました。
境内の一部です。
 
 
 
 
 
ビデオはかなり上まであがって撮っていました。
少し離れると音が全くしません。
規制されるのも、もっともだと思います。
 
 
 
 
 
 
もっと上位の機種では画像も良く、4Kのビデオも撮れるようです。
但し届け出でが必要だそうです。
 
カメラ雑誌を読むと、海外で上空からも撮影した写真集が出版されています。
 
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