円泉寺便り

東京・九頭龍の滝 宮司の滝行指導が、女性誌に掲載。

今日(10月9日)発売の女性セブンに漫画で宮司の滝修行指導が紹介されています。九頭龍の滝は女性の体験者が約六割だそうです。
今なぜ滝行なのか、取材を依頼し同行した記者さんは、特に喜んでいたようです。
 
 
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当日の写真ではありません。
 
掲載の漫画には、宮司が年齢不詳の可愛いいおっちゃんに描かれています。普段はそんな感じですが、行(ぎょう)になるととたんに別人の顔になります。
 
漫画家さんは、「初めての経験でしたが、良かったです」と言われたそうです。
但し、気軽に取材を受けたので、よく調べてくれば良かったとも言っていようです。
やはりこの季節ですから、これからは益々厳しくなってきます。少しは覚悟も必要です。
 
一緒に来た記者さんも滝行を行い、企業戦士のリピーターが多いのがよく分かったそうです。別の空間で、自分を見直す必要を感じ、良い経験をしたとたと述べています。
 
終わった後の爽快感、ストレス解消など、若い方から七十才代の方まで、気軽に挑戦しています。
しかし、水量の多い滝ですので、あまり気軽すぎるのも良し悪しです。経験ある指導者と共に行うことがどうしても必要です。
その分得られる物は多いはずです。リピーターが多いわけです。
 
漫画の中では、みんなに見られて恥ずかしがっている描写でしたが、着替えを見られることはありません。漫画です。
今後はかなり寒くなりますが、希望する方はホームページを参照の上、宮司にお問い合わせ下さい。
 
西澤宮司  滝行   天神社   リンク 

皆既月食

今日は皆既月食。買い物帰りに気がつき、あわててカメラを用意しました。雲が出ていて良く撮れるか分かりません。

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徐々に欠けていきます。これが精一杯のカメラとレンズです。

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私のカメラでは、これが限界です。上の写真は切り取って、少し加工したものです。

すると、クロネコの宅配が来て、着払いでしたので一時中断。さて撮影しようとしたところ、携帯に転送電話があり、またも中断。

外に出ると月は雲に隠れていました。しばらくして外に出るとすっかり地球の影に隠れていました。でもどうしたのか、今度は全てが失敗写真です。

間違ってどこかのボタンを押してしまったままだったようです。残念!

 

阿弥陀如来

阿弥陀如来

円泉寺には、木造の阿弥陀如来像が3体祀られています。

その他、石の阿弥陀様も境内に何体かありますが、その中には檀家さんがお地蔵様と思っている御尊像もあります。掛け軸の阿弥陀三尊も掲載しました。

ホーム 

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阿弥陀堂本尊

室町から江戸初期と思われる仏様です。お堂が開いているときは、すぐおそばでお参りが出来ます。

2014105163330.jpg阿弥陀堂の他の仏様

弁財天   釈迦如来   地蔵菩薩

 

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本堂内

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本堂 内陣

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善光寺式阿弥陀三尊掛軸

 

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永代供養塔脇

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大師堂の弘法大師  阿弥陀如来

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阿弥陀三尊来迎図掛軸

 

※三回忌本尊、十二支の戌年・亥年の守り本尊さまとして、お参りに来られる方もいます。

摩多羅神と御尊像を祀る寺社

摩多羅神と御尊像を祀る寺社

天台宗では宝暦八年(1758)と 安永元年(1772)の安楽騒動で多くが焼却されたために、資料も少ないようです。
主に天台宗で祀られています。
 
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摩多羅神
 
 
またらじん またらしん  まだらがみ  マダラ鬼神 など
妙見菩薩との関連があり調べましたが、取りあえずメモを掲載しただけです。    妙見菩薩資料集 Link
 
■マタラジン 摩多羅神   「密教辞典より」
    空華談叢三によらば、其の像唐の幞頭を蒙り日本の狩衣を着し、鼓を取りて打つ。左右に和装の二童子ありて舞う。天台宗山門には之を山王日吉神と同體として觀心釋をなし、或いは大己貴神と一體となして信仰すれども、末世附會の妄想なりと云えり。太秦廣隆寺の牛祭の摩多羅神は疫病神なるが如し。されば摩怛哩神と同一にして唯だ轉聲の異のみなるか。

    此神も圓仁の所傳と云はれ、牛祭の祭文は源信の作と傳ふれば、山門に關係ありと云うべし。                                              

イ、北斗七星の武曲星の脇にある補星(ほせい そえぼし アルコル)。
ロ、円仁(794-864)が唐から帰朝(847年)する時、船中に現れた神と伝えられる。記録に表れるのは十一世紀。
ハ、叡山では、常行三昧堂の背面に勧請。
ニ、大黒天や荼枳尼天と関連づけられる。
ホ、妙見菩薩の化神として解釈する説がある。
ヘ、中世以降の秘儀である玄旨帰命壇における秘義潅頂の主神。江戸中期以降は邪神として禁止された。  
ト、天台宗では18世紀の安楽律騒動で多くが焼却された。
        東叡山寛永寺など常行堂のある寺には大抵摩多羅神が祭られているそうだと記載しているところがあるが、必ずしもまつられているとは言えないようだ。ヘ、ト、の安楽騒動以前ということだろうか。東叡山寛永寺に現在常行堂はない。

    江戸期の寛永寺

チ、常行三昧を行う本堂、お堂、阿弥陀堂は常行三昧堂と言えるのでしょう。ここでは、一部を除き常行堂、常行三昧堂と言われている本堂・阿弥陀堂です。
ト、常行堂とは常行三昧堂,般舟三昧院,阿弥陀三昧堂ともいう。
チ、御真言 オン コロコロ シャモンダ ソワカ
リ、猿楽の翁(おきな)の祖とされ、芸能の神として信仰される。宗教芸能に影響を与えた。
ヌ、仏教では大黒天は、天部の尊像であり、忿怒形であらわされる。しばしば大國主の命と混同された。

          摩多羅神と大黒天が同体視されるようになり、近世に疫病や災厄除けの神として、民間の信仰を集めた。
          三面大黒天link
ル、丁礼多(ていれいた)、膩子多(にした)の二童子を従えた三尊であらわされる。
 
現存する摩多羅神
毛越寺・常行堂       岩手県西磐井郡平泉町平泉大沢58  天台
円妙寺・常行堂       茨城県小美玉市(元新治郡玉里村)上玉里   元禄13年建立
楽法寺(雨引観音)  茨城県桜川市(元大和村)本木1   真言宗豊山派  
                                     祭礼は行いますが、祀られているわけではありません。
 
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輪王寺常行堂   栃木県日光市 木像 絹本着色 神事面    天               
神武寺                    神奈川県逗子市沼間2丁目1402      紙本著色 寛文6年(1666)     天                             
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摩多羅神文字石塔   神奈川県 旧津久井郡(相模原市)
                               
鉄舟寺        静岡県静岡市清水区村松2188妙音寺  臨 妙心寺派
               男神立像=十二所権現の御正体(寺伝では摩多羅神)
国上寺・摩多羅天神社  
                             新潟県燕市(元西蒲原郡分水町)国上1407  豊山
小菅神社奥社   長野県飯山市瑞穂  元は修験寺院・小菅山元隆寺
       廃仏毀釈で本尊摩多羅神(小菅権現・馬頭観音)は什器ともども菩提院(豊山)に移された。  
 
妙法院                 京都府京都市東山区三十三間堂廻り657 絹本着色  天台
東寺・夜叉神(三面摩多羅神)   
                            京都府京都市南区九条町1 
                                聖天、荼枳尼天、弁財天の三面摩多羅神   真言
真如堂(黒谷)      京都府京都市左京区浄土寺真如町82   天
大酒(大避)神社   京都市右京区太秦蜂岡町   広隆寺の中にあった神社
                  現在祭礼は広隆寺が行っている。「牛祭」
法界寺阿弥陀堂  京都府京都市伏見区日野西大道町19 
                                  親鸞聖人の生誕の地 真言宗醍醐派
談山神社(元妙楽寺)常行三昧堂(現/権殿) 奈良県桜井市多武峰319 
                  白色尉(古面)/摩多羅神(まだらしん)
   この面は箱書きに「摩多羅神面箱」と墨書されており、摩多羅神(まだらしん)を祭る常行三昧堂(現/権殿)の背面の後戸に祭られている。
 
比叡山・常行三昧堂の背面   
                                滋賀県大津市   木造     天
成菩提院                滋賀県東米原市柏原1692  絹本着色     天
市神神社                滋賀県東近江市本町15-4 絹本着色
 
談山神社                奈良県桜井市多武峰319
高野山竜光院        和歌山県伊都郡高野町高野山  
                                    紙本著色 摩怛利神像(大黒天) 高野
弘泉寺          岡山県倉敷市下津井田之浦2-3-22  真言宗御室派
                   本堂に摩担利神(まだらじん)を祀る。    
清水寺         島根県安来市清水町528  天
                                   鎌倉時代 嘉暦四年(1329)銘    制作年が明らかな最古の摩多羅神。
鰐淵寺摩陀羅神社
                             島根県出雲市(元平田市)別所町148   天
 
※麻氐良布神社(まてらふ) 福岡県朝倉市杷木志波5458  麻底良山山頂
      天照と関連付け日神信仰、麻多羅神と関連付け星神信仰、日本書紀に 記載された朝倉の社とされ、雷神信仰とする説もある。
 
■摩多羅神については、下記のホームページに詳しい。
       摩咤羅神はどこから来たのか     http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/index.html
 

シュウメイギクが咲いています

一昨年植えた白いシュウメイギクが見事でしたので、昨年ピンクと赤を追加して植えました。

 

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2014103174055.jpgピンク
 
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色が濃い順に 咲いて行きます。今は赤はもうじき終わりです。手入れが悪いので、恥ずかしい状況です。

昨年行った鎌倉の長谷寺では、白い花が上品に咲いていました。

 

摩多利神/matarijinー三面大黒天との関連

摩多利神・麻多利神・摩怛利神・摩怛哩神
またりじん・またりしん
 
聞いたことが無かった神様であるか、仏様であるか分からない信仰があったことを知り調べてみました。
関東では利根川沿いに多く祀られています。
 
中部北陸地方の妙見菩薩 摩多羅神 摩多利神 の最後に画像付きで掲載しています。
 
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前橋市  金剛寺
摩多利神(忿怒相の三面大黒天)
 
■摩怛哩神  (密教辞典より)
    摩怛哩または忙怛哩とも書く。孔雀経に一個の夜叉神として摩怛哩夜叉住於施欲国と説けるもの、これ摩怛哩神の起源なるべし。而も梵語の摩怛哩は母の義にして七母女天等をまた摩怛哩と称す。七巻理趣経云、於其中間 書摩賀哥羅(まはーかーら 大黒)主 如作舞勢於其像外四方四隅 書八摩怛哩と。而して大黒天は七(又は八)母天女の首領なるが故に、忿怒相の大黒天を摩怛利神と称するに至る。叉疫病除滅のために修する却溫神呪経法に於ては十一面観世音を本尊とし、或いは、此摩怛哩神を本尊として、大日経真言蔵品に説ける炤摩七母の真言を用ふ。是れ却経に、有七鬼神 常吐毒気以害萬姓 と説ける夢多難等の七鬼を、大日経に所謂炤摩の七母に結び付けたるに由る。大疏五には炤摩七母を七鬼と釋すれども、嬌末離等の七天女にして却溫経の七鬼と同じからず。摩怛哩神を以て疫病消除の神とすることは、元来此神は疫病を作す神なるが故に、其の害を蒙らざらんが爲に供養するなり。大日経三云、摩怛哩神眞言 能作衆生疾疫災癘 と。同疏十一云 叉有忙怛哩天 自有眞言能爲一切人作大疾疫 と。叉忿怒大黒天は七母女天を率ゐ、暗陀迦と称する阿修羅と戦いて之を滅ぼしたりとの説話に由来せるか。(大日経疏・小折紙等)
■摩怛哩神は「閻魔大王の姉妹で、梵語では『七母神』の意味」
■梵語で摩怛哩とは母を意味する。
■摩怛利神は大黒天、七母天、茶吉尼天、聖天、妙見菩薩と習合。
■七母天(しちもてん)
    別名、摩怛利神(まだりしん)。疫病をもたらす鬼たちで、即ち、夢多難鬼(むたなんき)、阿那鬼(あきゃなき)、阿尼鬼(あきゃにき)、阿毘羅鬼(あびらき)、尼尸鬼(にきゃしき)、波羅尼鬼(はらにき)、波提梨鬼(はだいりき)の七鬼のこと。泉獺の神々の辞典より
※七鬼神は劫温黄神呪経にあるが、摩多利神はでてこない。
■疫病退散の神(伝染病を防ぐ神)、仏教から摩軻迦羅(まかかーら:大黒天)を迎えて祀った神。
■摩多羅神は、北斗七星の輔星(アルコル)。洞明星、死兆星と言う呼び名もある。 摩多羅神と御尊像を祀る寺社 リンク
■お寺に祀られる例は少ないが、調べた限りでは真言宗が多い。真言宗では三面大黒天は忿怒相。胎蔵界曼陀 羅の大黒天。
■天台宗では三面大黒天は大黒天、弁財天、毘沙門天の合体形だが、天台宗の摩多利天法本尊は胎蔵曼荼羅外 金剛部の三面六臂の大黒天(忿怒相)。
■真如院覚深の摩多羅神考に「」とある。
■摩多羅神と大黒天が同体視されるようになり、近世になり疫病や災厄除けの神として、民間の信仰を集めた。
   ※摩多羅神、摩怛利神、摩多利神とは?。大国主命、憤怒の形相の三面六臂の大黒天、七母天、妙見菩薩との関連は?。わからない事だらけです。
■「日本の石仏」No.101(2003春号)の「赤痢流行と摩怛利神塔」(石田年子氏)に詳しい。
 
 
 
川村湊氏の「牛頭天王と消された異神たち 蘇民将来伝説」によれば、寛永寺の真如院覚深の「摩多羅神考」により、摩多羅神と摩多利神は同じ行疫神とされたことが書かれています。安楽律騒動で天台宗が否定した摩多羅神(またらじん)を再度正当化するために、仏教の正当な神である七母女天(摩多利神)と同じとされたようです。
 
摩多羅神と摩多利神は名前が似ているだけで、全く異なる神です。たとえばインドの神である大黒天と日本の大国主命が同じ神とされたように。
 
奈良時代から神社に神宮寺置が置かれ、神仏習合化されたのは、各地を支配する豪族の要望からでした。民衆も後押しをしたようです。無理なく神仏の習合をなしたことが、日本人の智慧だったのでしょう。
 
しかし中世においては、私には理解できない秘訣・秘口訣・奥義が作られたようです。何でもかんでも結びつけるのは、どうかと思いますが。
 
明治になるとこれらの事に反発する神道側からの廃仏毀釈が推し進められ、国家神道となりました。このような運動はやり過ぎでした。後々の歴史を見れば一目瞭然です。
さらに各地の神社の縁起が書かれた物を見ると、意識的に歴史を改ざんした例を見ることがあります。
 
千葉県野田市の摩多利神塔
 
この地域は、利根川と江戸川に挟まれていたため、洪水に見舞われ、疫病に苦しんだ。  この表から明治30年の洪水により、赤痢大流行に困惑していたことが分かる。
摩多利神だけでなく、他の神仏にも、ひたすら祈願をしたようです。
〔※県立関宿城博物館には、洪水被害の資料が展示されている。
   千葉県野田市関宿三軒家143-4
   電話 04-7196-1400
   休館日:月曜日(ただし祝祭日等の場合は翌日)〕
 
野田市、関宿町をおそった、明治30年の赤痢大流行による調査の摩怛利神にしぼった内容。
当時の各罹病地区が行った「疫病封じ」は驚くほど多種多様なものであったと記されています。
  (関宿城博物館・研究報5掲載を一部変更して掲載)
 
「赤痢流行と摩怛利神塔」(石田年子氏)
 
「続・日本石仏図典」の摩怛利神〈2〉に、松村雄介氏の筆により「利根川流域の野田市域や守谷町域、水海道市域に近代前期とみられる神名塔が造立されている。
    
水海道市の遺品には「武州目沼郷・写・摩多利神」とある。埼玉県妻沼町の摩多利神社が、摩多利神信仰のセンターだったらしい。」  ………
     
妻沼町より利根川を介しての伝播かと理解したが、最近になって江戸川を挟んだ野田市の隣町、埼玉県杉戸町の目沼地区にも摩怛利神社が存在することを知り訪れてみた。……浅間神社と記され……お堂の中……嘉永4年9月造立の摩怛利神塔(自然石)が鎮座していた。……
    
江戸川、利根川、鬼怒川を渡っての勧請を思う時、幕末から明治にかけて杉戸・目沼摩怛利神社は「疫病退散の利益」の神として広く知られた神社ではなかったかと考えざるをえない。
疫病退散の銘も入ったお札が配られるが、……注目すべきことはお札の版木がこの社にあり、世話人さん達の手により刷られることである。
   
  と記されています。
 

千葉県野田市の摩多利神塔

No        場 所                造立年            造立者
1,関宿町新宿 個人宅     明治30年12月   山村氏
2,野田市阿部 羽黒神社  明治30年8月     天部中
3,野田市阿部 妙楽院前  平成10年(再建) 氏名15名
4,野田市阿部 個人宅林  明治30年          氏子中
5,野田市中里 川間農協前 (風化で不明)   (風化)
6,野田市中里 三社権現   (風化で不明)    氏名多数
7,野田市中里 個人宅     明治40年          大野氏
8,野田市船形 富蔵院     明治30年11月    船形上信仰者”
9,野田市東金野井 個人墓 明治33年3月      遠藤氏
10,野田市東金野井 個人宅 明治33年         □□氏

        野田市中里字阿部
        (野田市(元関宿町)木間ヶ瀬字新宿?。  関宿町は野田市に編入。)
       
        茨城県水海道市(常総市)  八幡神社境内摩怛利神塔
        茨城県常総市水海道橋本町 明治2年建立
        茨城県守谷町(守谷市)にも造立された形跡。
              以上 「赤痢流行と摩怛利神塔」(石田年子氏)より
 
 

摩多利神の像と文字石塔を祀る寺社など

 
羽黒神社  千葉県野田市中里字阿部
妙楽院   千葉県野田市中里字阿部  真言宗豊山派
 
JAちば東葛川間支店  千葉県野田市中里513   道路挟んで向側 
三社大権現神社   千葉県野田市中里字阿部
富蔵院   千葉県野田市船形1926  豊山派
    山門側にたくさんの石仏が祀られている。
 
 
           以上、旧関宿町
  
八幡神社境内摩怛利神塔        茨城県常総市水海道橋本町3329
    武州写目沼郷 摩夛利神塔 とある。
    明治二年三月の建立
  
浅間神社境内社・目沼摩担利神社     埼玉県北葛飾郡杉戸町大字目沼  
    元々は、富士塚だったのではないか。回りの土地より高くなっている。向かって右が浅間大神文字石塔。   
 

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『杉戸町史調査報告書第四集 寺院神社・神社編』には、「当社は目沼の人々が氏神として祀る神社である。創建はわからないが、近くの観音堂の所にあったものを、大正の初め頃に現在地へ移したものだといわれる。なお当社は、はやり病にききめのある神様として広く信仰されている。」

 
摩多利神社  埼玉県熊谷市(元妻沼町)妻沼1605近辺  聖天さんの約600m西  古墳の上
 
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※歓喜院(妻沼の聖天様)持ち   高野山派  リンク
      埼玉県熊谷市妻沼1627               
  
マタラ石祠  埼玉県熊谷市善ヶ島  善ヶ島神社
    麻摩多利神社古墳  埼玉県熊谷市大塚  市の資料にある。
    地元の人は知らないという。
摩多利神文字碑(向かって右)   埼玉県熊谷市石原町
  新島一里塚の向側  旧17号沿
 
摩多利神社  埼玉県入間郡越生町大谷
    日本カントリークラブ近く。六地蔵の奥にある。
 
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※埼玉県比企郡嵐山町志賀にもあったようだ
      志賀村絵図にある・明治5年。当時の地番は333番地あたり。
      大山祇命・山神宮・摩多利神・女鬼神とある。祠か。
 
摩多利神堂   埼玉県日高市南平沢   宮ヶ谷戸自治会館敷地
 
摩多利神文字石碑  埼玉県本庄市児玉町稲沢  明治二年十一月御鎮座
   発起人「木村三郎兵衛源家胤」氏は稲聚神社の社掌。
   西光寺(浄土)の道を挟んだ向側(南側)                                 
 
諏訪神社境内摩多利石碑   埼玉県本庄市堀田1059 or 297  明治19年
 
金剛寺・摩多利堂  群馬県前橋市関根町16  豊山派   
    三面の仏像(三面大黒天)   3月24日に摩多利神祭。
 
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  天保六年(1835)にお堂が創立された。   
 
 ※桃川小学校の上毛カルタ 群馬県前橋市荒牧町514
       カルタに摩多利神(関根町)
         ち 「チフスから村を救った摩多利神」
 
摩多利神文字塔  群馬県前橋市下小出町1丁目22番1号 赤城神社
   下小出町字曲輪の桃木川の端にあった。 
不動堂境内石碑  群馬県前橋市総社町野馬(野中町?)  安政5年
石碑  群馬県前橋市富士見町横室   安政2年

石碑  群馬県前橋市三河町   文治稲荷神社

摩多利神文字塔  群馬県藤岡市鬼石 馬形大神・社日五社命・摩多利神の三神

基石塔  群馬県藤岡市鬼石 馬形大神・社日五社命・摩多利神の三基石塔         
     久木沢から桜山の間のようだ。                                
 
摩多利神社  群馬県高崎市(元群馬町)  群馬町史に記載がある。
摩多利大神石碑  群馬県高崎市北原439
    北原神明宮境内  北原公民館の近く 南東
観音寺観音堂境内?摩多利堂(石祠)  群馬県高崎市北原  天台
    高崎市棟高町886-3にある観音寺薬局   
    高崎市棟高町473-1   おうでまんじゅうの向かいにも観音寺?
 
七母女天宮  群馬県伊勢崎市境東新井 
 
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摩多利神社   群馬県桐生市川内1丁目
   赤城神社(川内町一丁目552)の階段入り口       
 
高徳寺七母殿摩利支堂  高野山   群馬県邑楽郡大泉町古海531-1
   児島高徳が開基し、晩年を過ごしたと伝わる寺。天授6年(1380年)伽藍建立。100mほど離れた場所に高徳の墓がある。高徳が摩怛利(摩多羅神)尊像(三面大黒天)を安置した(児島高徳が古海に摩多利尊を安置して身を隠した・宮下家文書)。児島神社(古海775)には児島高徳が祀られている。児島高徳の墓は全国で9ヶ所あるという。
摩怛里神のお堂   群馬県渋川市祖母島  集落を見下ろす丘の上
摩怛利神王石碑   群馬県渋川市祖母島  個人宅  天保14年
 
摩多利神社  群馬県沼田市平原地区?
    (沼田市利根町平川? 片品村摺淵の対岸)

摩多利神社(摩多利尊社)   群馬県沼田市下川田町
    文化年間に悪病が流行し、遷流寺(浄土宗)14世の隆法住職が西国(おそらく高野山)から摩多利神を疫病除けとして勧請した。

    摩多利神は、三面六臂の石仏。 
 
 吾嬬(かづま)神社境内社・摩多利神社   群馬県吾妻郡中之条町山田572
    子安神社(左)と摩多利神社(右)が同じ境内社に祀られている。
 
摩多利神(石祠)   群馬県  長谷川家の畑 7月24日に祭礼がある。
摩多利神社石塔(文字碑)   群馬県
石祠  群馬県中之条町山田の吾嬬集落  吾嬬山
 
摩多利神社  栃木県佐野市(元田沼町)栃本町
    田沼東中(栃本町2287)南側の下田沼公民館敷地
宇都宮神社末社   栃木県佐野市白岩町328 摩多利神 本殿裏手の末社群
 
摩多利神碑  岩手県奥州市米里野里(えさし郷)
 
延命寺   新義真言宗  東京都葛飾区青戸8丁目24-29                     
    疫神(やくじん)様と呼ばれる摩怛梨天(摩徂利天=三面大黒)像。鎌倉時代に葛西城(青戸御殿)を領した青砥藤綱の守護神と伝えられる。          
  • ※青砥左衛門尉藤綱の逸話(Wikipediaより)
    かつて夜に滑川を通って銭10文を落とし、従者に命じて銭50文で松明を買って探させたことがあった。「10文を探すのに50文を使うのでは、収支償わないのではないか」と、ある人に嘲られたところ、藤綱は応えて「10文は少ないがこれを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。50文は自分にとっては損になるが、他人を益するであろう。合わせて60文の利は大であるとは言えまいか」と。
摩多利神社  大阪府  隣接する地区に5社存在する。明治初期に勧請されている。
    泉佐野市に二ヶ所(大木、土丸)
    上大木では今も7月24日に大祭を行う。
    和泉国日根郡大土村大字土丸字神山(大正時代の旧郡・旧村)
          大阪府全誌に祭神・大国主命
    貝塚市に二ヶ所(秬谷、大川)
       大川に摩多利神跡。近くの会館?にお厨子が祀られているようだ。
          大黒天坐像 木造 明治。
    泉南郡熊取町和田  明治26年の勧請
       来迎寺の東約100m。狭い石段を30程上ると小さな祠。
高野山龍光院  和歌山県伊都郡高野町高野山147
    摩怛利神像(大黒天)紙本著色 江戸時代                                   
    高野山において弘法大師が住した。中院と称された。
京都市立芸術大学芸術資料館  紙本墨書摩多利神像 2枚 江戸時代
 
 
河川の氾濫など、劣悪な環境から疫痢、コレラなどの病気がどれだけ人々を苦しめたか、今では想像すら出来ません。
このため医療に頼るだけでなく、諸々の神仏に祈り、更に摩多利神など本来災いを運ぶ悪神を丁寧に祀ることにより、災いを避けようとしました。
菅原道真を祀ることにより、安寧を祈ったことに似た信仰があったわけです。
 
 
私は名前だけの日本石仏協会の会員ですが、先輩方の資料を利用させていただきました。御礼申し上げます。
あとはネットを検索して、かなり見つけることが出来ました。
関東だけは全て行きましたが、漠然として探し出せなかったところもあります。画像は、妙見シリーズ4  を参照して下さい。
 
三面大黒天(摩訶迦羅天)の掛軸 も参照して下さい。
 
 

釈迦如来・お釈迦様

お釈迦様は本堂と阿弥陀堂に祀られています。

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ご本堂に祀られているお釈迦様です。後背に八体の仏様が彫られています。おそらく江戸末期から明治の御尊像だと思います。

普段はお参りが出来ません。

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4月8日のお花祭り(お釈迦様の誕生日)には、お参りできるようにしたいと思っています。ご法事中は、お参りできません。

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阿弥陀堂の銅像のお釈迦様です。お堂が開いているときは、いつでもお参りが出来ます。小さいですが、表情の素晴らしい御尊像です。

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板仏 江戸初期

京都の禅寺にあった。

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当寺の水天画と全国の水天石仏

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この水天の掛け軸は、かつて妙見菩薩と言われて求めました。

しかし、妙見様には蛇が亀に絡まっているか、手に持っている像は見たことはありますが、頭に描かれているのは見たことはありません。弁天様にも似ています。

覚禅抄に頭にヘビが乗っている仏画像があり、また、ネットで検索してみると水天に間違いないことが分かりました。

妙見様、弁天様は水天としても信仰されており、三神が合体したような絵にも見えます。

 

  水天の石仏のある場所                                                                      

水天のお姿は、妙見様によく似ています。石仏も摩耗したら妙見様と見間違うこともありそうです。
妙見様を水天として祀っているところもあり、明治以降に妙見社を水天社・水神社 にしてしまったところもあるそうです。
 

  • 東京都青梅市黒沢         嘉永5年1852
  • 東京都東大和市芋窪6-1352     慶性院
  • 東京都 不明
  • 群馬県渋川市伊香保町水沢214  水澤寺(水沢観音・坂東札所)                                   

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お水屋の水天   水沢観音・表参道の石段下

                 

  • 富山県富山市流杉           流杉老人ホーム近く水天磨崖像。
  • 富山県新川郡大沢野町芦生      新・旧の水天像 天保3年と昭和29年 。新旧が並んでいる。
  • 富山県南砺市 福光地区                     ダムに沈んだ刀利から来た。
  • 富山県南砺市 井口地区                     水天(蛇喰八幡の地蔵さま)
  • 富山県                                                  となみ野の石仏
  • 和歌山県西牟婁郡上富町市ノ瀬    市ノ瀬愛郷会上溝水利組合所有

                                 水路開設水天像。江戸時代 市ノ瀬地区
                                   石工は市ノ瀬在住の日高屋山本新七と見られている。

  • 大分県日田市北友田三丁目                 夜明観音
  • 姶良市加治木町木田上木田


本やネットで調べたかぎり、日本中に水天、水神の石祠、文字の石塔はたくさんありますが、意外と石像は少ないようです。

 

ちなみに妙見様の掛け軸です。これでは水天との違いは少ないですよね。

骨董屋さんも間違えるはずです。

 

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高崎市引間  妙見寺の妙見菩薩掛軸(当寺蔵)

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増上寺由来の大きな石灯籠

私が子供の頃、実家のお寺に大きな石灯籠が来ました。
その頃は知らなかったのですが、増上寺にあった灯籠でした。
当寺にも本堂前に二基あります。徳川の将軍菩提のため、各地の殿様が奉納した一部です。各藩の幕府への忠誠心を見極めるためと、財力をそぐための施策でもあったと思います。かなり経費も掛かったでしょう。

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惇心院殿  徳川家重

施主  丹後國宮津城主・松平資承

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惇心院殿  徳川家重

施主  奥州棚倉藩主・小笠原長堯

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西武鉄道の堤氏が、各地のお寺に奉納した一部です。
プリンスホテルを建設するのに当たり、増上寺の敷地を買い取り、西武園周辺にに置いてあった物です。昔は道路から見える場所に無造作に置いてあるのを記憶しています。この灯籠が田舎の殿様が寄進したのが分かり、そのご縁で、当寺檀家さんになった方が、二件ありました。

 

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本堂前の石灯籠


今から10年ほど前でしょうか、増上寺さんが、この石灯籠を戻してもらいたいと言っていると、あるお寺さんから電話がありました。
弱ったなと思っていたところ、市役所から増上寺の灯籠があるか電話がありました。

やはりその話は、事実であったことが分かりました。
しかし、それだけで沙汰止みになったのか、まだ続いているのかは分かりません。今更とんでもないと言ったたお寺もあったようです。

 

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三つ葉葵の紋


当寺の灯籠は、間違いなく奉納されたことが分かっています。
聞いた話では、お寺さんによっては、大金を出して業者から買ったと言っていいるそうです。
その時、大もうけをした業者もいたようです。

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総本山智積院/京都市東山七条

真言宗智山派 総本山 智積院

智積院は、真言宗智山派3000ヶ寺の総本山です。

 

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私がいた頃から、約40年も過ぎてしまいました。まったくひどい僧侶だったと思います。

その頃は、今のように参道に緑が無く、この参道の右手には、二階建ての古い宗務庁がありました。今の宗務庁は、かつて本山の南に接していた京都市立芸術大学です。いまだに使用できるのですから、昔の建築技術はすごいと思います。

江戸時代は僧侶の学ぶ、仏教総合大学のようなお寺でもありました。数千人の学侶が暮らしており、20年間山(寺)を出ることが出来なかった時代もありました。

幕末の頃、智積院は土佐藩の武器庫として使われており、爆発により多くの建物、宝物が焼けてしまいました。その前や後にも火災があり、金堂や講堂が再建されました。

 

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智積院、真言宗智山派の紋は、桔梗です。加藤清正公由来です。

 

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さて、本山にいた頃、参拝者と話しをしていたとき、智積院の末寺に、成田山、川崎大師、高尾山がありますと話したところ、他の方々もこちらに振り返り、「えっ、本当」と驚いていたのを思い出します。全国的には、この三大本山の方が、はるか有名ですからね。

その当時、「ちしゃくいん」とは読めず、「ちせきいん」と言う人が多かった時代です。今でもそうもしれません。地元の人でさえ「ちせきいん」と言っていました。地元でも江戸時代は僧侶の仏教大学のような寺で、一般の人は入れず、なじみがなかったわけです。

私が京都駅からタクシーに乗る時「ちしゃくいん」と言っても分からず、「ひがしやまななじょうのちしゃくいん」と言うと、「ちせきいんやね」と言われました。寺の名前も知らない、お上りの田舎者と思われたのかもしれません。

智積院の朝のお勤め

智積院の国宝・障壁画、名勝・庭園も素晴らしいのですが、一番は朝のお勤め(勤行)でしょう。昔いた時は、そう思いませんでしたが、こんなに素晴らしかったのかと、感動しました。

智積院には、宿泊出来ます。朝のお勤めは、自由に参加できます。

リンク   総本山智積院     宿泊は智積院会館

円泉寺

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